『CROSS・HEART』Story.3 WHITE NOISE 3-4
――翌日の正午、三人は姉妹と家の前にいた。本来ならば夜明けとともに出立する予定であったのだが、昨夜の一件での疲労と、雨で濡れた衣服を乾かさなければならなかったため結局この時間になってしまったのである。
「えと、色々ありがとう……心配かけて、ごめんなさい」
「もういいわよ。それについてはもう散々謝ったでしょう?」
ココレットは苦笑する。二人とともに帰宅したのち、施術直後で心身ともに安定していないときに目を離したことも謝罪されたが、それ以上に叱られた。武器を持たない人間が夜中に外へ、しかも無断で出るなど危険すぎると。静かに諭すように怒るココレットも涙目で怒るレイシェルも、表現の仕方は違えど心の底から自分を心配していたのが十二分に伝わってきた。
「それより、手掛かりになりそうなものが見つかってよかったわね」
その後事情を話しペンダントを用いての施術も行ったが、リセに反応はなかった。しかし感覚で自分の物だと分かったということは、記憶を失う以前に余程思い入れがあったか大切にしていたに違いないというのがフィール姉妹の見解である。
「大事にしてね。もしかしたら、それが切っ掛けで錠の一部分が外れることもあるかもしれないから」
リセは首にかけたペンダントを握り、静かに頷いた。昨夜ハールとした約束を守るためにも大切にしなくてはならない。この細く繊細な銀鎖は、『リセ・シルヴィア』という人物と自分を繋ぐ唯一の絆なのだ。
「まぁ何はともあれ、晴れて良かったわねー」
言うとレイシェルは空を仰いだ。夜の雨が嘘のような雲一つ無い快晴である。
「そうね。夜中の雨は酷かったけど……鉢、家に入れて正解だったわ」
庭の草花が、硝子のような雨粒に濡れてきらきらと煌めいていた。
「……あ」
「どうしたの?」
出し抜けに発されたハールの声に、ココレットが訊く。
「……治療費」
「え?」
「治療の代金……忘れてた」
いくら友人とはいえ『記憶師』を職業とし、生計を立てている姉妹である。術を施してもらったのだから彼女たちが受け取るべきものは発生するはずだ。しかし、ココレットは「そんなのいいわよー」と笑った。
「……ツケとくから」
「……あ、はい」
世の中は、やはり甘くないらしい。
「……だから」
そう、微笑んで、
「絶対、帰ってきて」
一瞬、不敵な笑みをみせて。
思わず苦笑するハールだった。きっと、何があっても、自分は彼女に敵わないのだろうと。
「――お二人さん、そろそろ行きます?」
頃合いを見てフレイアが切り出す。既に太陽は空高く昇っているため、出発をこれ以上遅らせるのは得策ではない。暗い道を歩くのは危険であるし、夜に近くなればなるほど魔物は活発になるゆえ、日が落ちるまでには森の出口付近まで辿り着きたいところだ。
「ハール、昨日の夜言ったこと忘れないでよね」
レイシェルが釘をさす。昨晩の出来事を鮮明に思い出して、少し顔が熱くなるのを感じた。
「……できるだけ」
曖昧な返事をすることしかできない自分に嫌気が差したが、彼女にはそれだけで十分だったようで笑みを浮かべた。
「それじゃあ気を付けて。魔物とか……前にも言ったけど、旅人狩も増えてるみたいだから。まぁ、ハールとフレイアがいれば大丈夫かしらね」
「リセ、……早く記憶が戻るといいわね」
――リセが昨夜の話をどこからどこまで聞いていたのかは、彼女自身以外に知る者はいない。リセは何を聴き、何を感じたのかはレイシェルには分からない。しかし、記憶を取り戻すためにあんな無茶までしでかしたのだ。周りがどう思おうと何を言おうと、その『想いを止める権利』には誰にもない。また、それを『助けようとする者を止める権利』もないことだけは、彼女もわかっていた。
「……ありがとう」
レイシェルのありふれた、しかし様々な意味を込めたその言葉はリセにとって餞別になりえるものだったようで、リセは控えめに、だが嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあねー!」
「行ってきます!」
歩き出しながら手を振るフレイア。リセもそれに倣って身を翻した。プラチナの髪が陽光を映して軽やかに靡く。
「……じゃあな」
そのとき不意にココレットが彼の腕を引いた。そしてその耳に唇を寄せると、甘やかな秘密を打ち明けるように小さく動かす。
腕を離すとココレットはにこりと笑い、背中を押した。
ハールは少しの間面食らったような顔をしていたが、すぐに微笑を返し、背を向けた。
「……お姉ちゃん、さっきハールに何て言ったの?」
「んー?」
小さくなっていく三人の背を見送りながらレイシェルが訊く。ココレットは穏やかな笑みを浮かべると、唇に人差し指を当てて言った。
「……秘密」
「――あ、そうだ」
フィール姉妹の家から出発して暫く経った後、唐突にハールは切り出した。
「ずっと忘れてたけど、この帽子、やっぱリセのだよな」
彼の方を向くリセ。携帯水晶から取り出したらしくその手の中には、紅い玉が飾る、白を基調とした帽子があった。
拾った時にすぐ返そうとはしたのだが、目覚めたばかりで不安定だった彼女が泣き出してそれどころではなかったために仕舞っておいたのだった。
「へー、それ起きたとき一緒にあったの? 服とお揃いみたいだし、リセのじゃない?」
「うん。あの時はそれどころじゃなかったけど……私のだね」
「だよな」
歩を進めながら、ハールはその帽子をリセの頭に乗せた。リセは軽く帽子の向きを直すと、ハールの顔を覗き込む。
「……似合う?」
――今更だが、彼女は可愛いと形容する部類に入ることに気付いた。少し子供っぽい顔立ちが、その身を包む純白の衣服に映えている。不思議な銀髪が、あどけなさの残る笑顔を縁取った。
「……あぁ」
「あはっ、誉められたー」
くるくると変わる表情。透き通るような、文字通り透明と表すに相応しい声。
たった一言の、社交辞令ととってもいいような――いや、実際のところそうではないのだが――何気無い返事を純粋に受け入れ、素直に喜べるリセが、どこか羨ましかった。
「早く行こう?」
軽い足取りで、リセはハールの一歩前に行き、前方をその白い指で指し示す。
「そんなに急がなくても……」
「だって、早く色んなもの見てみたい! そうしたら……何か思い出すかも」
金の瞳に遊んでいる子供のような光を躍らせて、リセは手招きする。その行動は、昨晩のハールの言葉の延長線あった。
「……ちょっと待てって、転ぶぞ!」
「大丈夫だよー」
「いや、何かお前なら転びそうな気がする」
「えっ、何それ失礼な! ……わっ」
三人の後ろ姿は、柔らかい光に消えていく。外で待つ、美しく、醜く、優しく、そして残酷な世界で待っているものは、何なのか。
もし、本当に居るのであれば――――それは、神のみぞ、知る。
「あっ、ハール君、リセ転んだ!」
「あーもう!」
――――確かに、自分の「種」は蕾なんておろか、芽も出ていない。もしかしたら、これからもそれは、永久に咲かないかもしれない。
脳裏に月光を纏った少女の姿が浮かんで、消えた。
だけど、
新しい何かが、芽吹きそうな気がする。純白の、光を浴びて。それは思い過ごしだろうか。
茂みの向こうには、『過去』を変える『何か』は転がっていなかったけれど――――
今を変える『種』は、見つけた気がする。
あの時餞別に贈られた言葉が、本当になればいいと思った。
――――「貴男の『キセキ』も、いつか芽吹きますように」
Comment
Story.3の初出は2007年、加筆修正で今のかたちになったのが2012年になります。出立までに3話かかりました。ようやく次回から旅し始めますので、今後もお付き合いいただけましたら幸いです。
それでは、ここまでお読みいあただきありがとうございました。