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クロスクオリア
2020年6月5日 11:33
Posted category : Article

『CROSS・HEART』Story.7 古の殺戮者 7-5

「いや、取り返せばいいだけのハナシだよ! 大丈夫大丈夫!」
 ――ひとしきり叫んだ後に落ち着いて辺りの様子を窺って見ると、帽子を攫っていった魔物の傷口から滴ったのであろう血液が道に点々と染みていた。少し辿ってみたところ途中で休みながらどこかへ向かっているようで、時折小さな血溜まりもあり見失うことはなさそうだった。血痕というのは落ちにくいもので、かつ結構な量であったため、雨にさえ降られなければ消えることもないだろう。途中で力尽きて倒れてくれていれば一番手っ取り早くはあるのだが
「本当にごめんなさい……」
 消え入りそうな声で肩を落とすリセ。別に誰が怒っているというわけでもないのだが、言わずにはいられなかった。シリスでの一件といい、今回の件といい、自分が原因で足止めをしてしまった。前者は最終的に旅人狩を捕まえ姉弟のすれ違いを解く形になったものの、後者は完全に失態であった。あの日、出来ることから少しずつ始めようとしたその“少しずつ”すら、自分は果たせなかった。
「あの速さでは仕方なかったと思いますよ。寧ろ対応できただけでも褒められて然るべきです」
 申し訳なさと情けなさで、本来ならばその先にあったはずのことがほぼ成し遂げられたというのに喜ぶことができない。しかしこうならなければ掴めなかったのだと思うと、皮肉なものだ。
 自らを追い込むことで、引き出された力。これも、自分が望んだことのうちにあったもののはずなのに。
「だけど……」
 こんな形でも、欲するべきなのか。
「……まぁ、早めに追い付けばどうにかなるだろ」
「ハール……」
 いつもより一回り小さく見える彼女は、まるで初めて出逢ったときのようだと思った。なおも表情を暗くするリセに、ハールはその頭に手を置こうとし――――止めた。浮かんだ気持ちを潰すようにして、持ち上げかけた左手を握る。
 そう見えたとしても、きっと、今の彼女は違うはずだから。



 ――その夜。ひたすら赤い道標を辿っていったものの予想以上に魔物はしぶとく飛び続けていたようで、日が落ちても終着点に着くことはできなかった。空の様子からして雨は降りそうになく、何より暗くなると魔物の動きが活発になる。ならば残りは明日辿っていく方が良いということで、四人の意見は一致した。
 なけなしの食料――どう見ても人数分ないパン――を齧りながら魔物避けを兼ねた焚き火を囲む。そんな僅かばかりの夕食の後、イズムは気付かれぬようリセに目を遣った。時間が少し経ち気持ちの整理もついてきたようで、フレイアと談笑するその顔色はかなり良くなっている。いや、談笑により良くされた、と言うべきか。それが話題を持ち掛けたであろう彼女の意図したところなのか否なのか、断定することこそできないが――推し測ること自体は容易であった。
「……それで猫がさ、ずっと着いてくるなーって。何かすごい好かれてる!? ついにフレイアちゃんの魅力は人だけに止まらず猫にも伝わるようになっちゃった!? って思ったんだけどー、明らかに目線が合わないの。どこ見てるのかなーって辿ったらさー……露店で買ったパン持ってたんだよね、魚挟んであるやつ。好かれてるのフレイアちゃんじゃなかったー! 魚に負けた!」
「ふふ、きっとすごく美味しそうだったんだね。他の人からは一緒に散歩してるように見えたのかな」
「逆に猫相手に魚より興味持たれる人間って何だよ」
「あははー、確かにね! でもー、なれるならなりたいのでは? アタシ知ってるよ? ハール君が町でよく野良猫を目で追っているコト……」
 意味のあるものから無いものまで種類を問わず対話は苦手ではないと自負していたイズムだが、もしかすると彼女は自分より一枚上手かもしれないなどと思う。何しろ、リセは勿論のことハールですら――
「は!? いや、別に……!?」
「ハール、猫触りたいの……?」
 黙っているとフレイアからはいくらでも明るい話題が出てくるので、適度なところで口を挟むことにする。
「リセさん、少し練習しますか?」
「あ、したいです……!」
 魔法は精神状態が反映されやすいため暴発の危険も考慮に入れて今夜は止めておくという選択に傾いていたのだが、この様子であれば悪影響が出ることはないだろう。間髪入れずに返答するリセに笑み、彼は少し考えてから言う。
「……もう大分慣れてきましたし、此処でやっても大丈夫そうですね」
「本当? じゃあ、二人と離れなくてもいいんだね」
「お? 可愛いいコト言ってくれるじゃないかー!」
「ひょっ!?」
 そう笑って言ったリセを「めんこい奴めっ」と思い切り抱き締めるフレイア。何故そんな方言を知っているのだろうかという謎はさて置き。
「あれが出来たんですから、もう顕すだけなら簡単なはずですよ」
 “たった一度”の成功で本当にそんなものだろうか、という疑問が浮かぶリセ。だが彼は確信をもって言っているように見えた。経験のある魔導士がそう言うのであれば、そうなのだろう――その思考は隅に置き、右手に意識を集中する。すると間も無く拳大の白い魔力が炎のように揺らぎ生まれた。やはりイズムより若干顕現は遅いものの、それは安定した光を放ち、消えることはなかった。
「……前より、魔法と繋がってる感じがする」
「それ、丸くできますか?」
「丸く……」
「強く思い描いて」
 目を閉じ、瞼の裏に円やかな満月のような球体を投影する。すると手のひらの上で揺らめいていた魔力は中心に集束し――――
「……わっ」
 小さく弾けた。砕けた光が焚き火の火の粉に混じり、ふわふわと地面に落ちていく。
「……ということは、まだ完全に魔力を制御できていないということですね。今回は魔力を意識した通りに形成する練習にしましょう」
 言うと、イズムは手中に光を宿す。今度は、今までとは多少主旨の違う練習になるようだ。
「それ自体が目的というよりは、魔法の制御をより精密なものにするためです」
「なるほど……」
「そうですね、何でもいいんですけど……じゃあ」
 粒子が輝きに比例して量を増し、やがてそれは『何か』に変化していく。
「わー……っ」
 その完成された『何か』を見るや否や、リセとフレイアの顔に笑みが広がった。魔法の光を映して、文字通り目を輝かせる。
「ふお、綺麗……!」
 その視線の先にあったのは、光で創られた鳥だった。まるで闇を蒼く鳥形に切り取ったかのようなそれは、何の種類かは分からないが――どことなく、カラスに見える気がした。大きさも大体そのくらいだろう。それは生まれ出でた手を軽く蹴るようにして一度飛ぶと、イズムの腕を止まり木にする。
「こんなふうに魔力を自分の思い通りに形作って、それを維持できれば今夜の課題は合格です。そうなれば魔力を顕す、魔力をとどめる、魔力に伝える――この三つが達成できているので、もう基本は終了と言っていいと思いますよ。あとは実践あるのみですね」
 そう言うと、魔力の翼が粒子を舞い散らせながらはためいた。その光景を、リセは呼吸をするのも忘れて見つめる。そのあまりの美しさ――――否、“美しい”などという言葉などでは、到底片付けられないほどの、美しさ。何と言って良いか分からず、ただただ、その実体化した幻想に感嘆する。
「魔法って万能に思われがちですけど……結構、限界があるんですよ」
 イズムは一旦はばたきを止め、説明を続ける。
「これも実際に生きているわけではないので、こちらの意志を反映させることしかできませんしね。例えば、火とか水とか、土……勿論生物もですが、そういった自然のものは魔法では作れません。魔獣や魔物のなかにはそれそのものを使役、もしくは生成して身を守る種もいますが、人間にはまず無理です。魔導士はあくまで魔力を導き、役割を与えて魔法と成すもの――“火のようなモノ”とか“水のようなモノ”ならできなくもありませんが……極端に言ってしまえば、所詮は光の粒ですので」
「そう……なんだ」
 リセは夢中で蒼い夜色の鳥を見つめる。まるで奇跡がかたちを得たかのようなこの光景も、広い世界からすれば“所詮”らしい。しかし、今この瞬間、確かに心動かされたということもそうだとは思えなかった。その想いを誰かと伝え合いたくて、隣に座る少女に話しかける。
「すごいね、フレイ……って、フレイア!?」
「え?」
 リセの声に驚き、二人の視線も、その名の持ち主へと注がれた。
「どうしたの!? 大丈夫?」
 彼女は今自分が置かれている状況が分かっていないようで、なぜそのように問いかけられるのかときょとんと三人を見つめ返した。だがそれも数秒のことで、すぐに自分の頬に伝う違和感に気付く。
「あ、あれ? アタシ、え?」
 違和感のある場所に触れれば、触れた手が、水で濡れた。――……水?
「ど、どうしたのかな? 何か……」
 気付いた後も、理由知れずの感情は瞳から溢れて止まない。
「きれい、すぎて……」
「フレイア……?」
 微かに俯くフレイア。誰も何も訊こうとはせず――――否、訊けなかったのだ。理由は、既に彼女の口から零れていたのだから。「きれいすぎて」と。ならそれ以上、訊くことはない。
「……よしっ、リセの練習を見守りながら焚き火番の順番決めよっか!」
 彼女はすぐに顔を上げると、ただの笑顔でそう言った。もう、今の出来事は終わったと。或いは、夢であったとでも言うように。三人は彼女の意に添うことにし、何事もなく時間は過ぎていった。

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杏仁 華澄 4年前
早くも夏バテぎみです