雑司ヶ谷高校 執筆部
赤穂城(日本100名城 No.60)
「ねえ、起きてよ」 「ん?」  もう、朝か…。 「起きろー!」  呼びかける声に、僕は目を開けた。  目の前に、上杉先輩が覗き込むようにして僕を見下ろしていた。 「あ…、おはようございます…」  僕は眠気を堪えなかがら、身を起こした。 「おはようございます、じゃなあいよ」  上杉先輩は呆れる様に言う。 「キミたち、一緒に寝てたの?」 「ええっ!?」  僕は、上杉先輩の発言に驚いて、横を見た。雪乃が僕の布団の中で寝てる。  昨夜、自分の布団に戻らず、そのまま寝てたのか! 「雪乃! 雪乃!」  僕は、少々大声で、雪乃の肩を揺らした。 「う、うーん…。あ、おはよう」  雪乃は、眠そうに目をこすりながら起き上がった。 「キミたち、まさかヤってないよねぇ?!」  上杉先輩が眉間にしわを寄せながら問いただしてきた。 「いやいやいやいや、ヤってませんよ!」  当然、僕は否定する。 「まったく大胆だよね」  上杉先輩は呆れている。  僕は部屋の中を見回した。  伊達先輩と毛利さんの視線も痛い…。 「ゴメン、ゴメン、あの後、そのまま寝ちゃった」  雪乃は立ち上がると、笑いながら謝った。  皆に、ばれないようにと思ったのに、結局ばれてしまったよ。  まったく、雪乃も場所を考えてほしい。  ともかく、今日も出発は早いので、朝食を食べに皆で食堂に向かう。  朝食を取った後は、旅館からはこれで撤収するので荷物をまとめ、忘れ物の確認、そして、準備をして出発する。  旅館の最寄り駅から地下鉄、そして、青春18きっぷを使ってJRを乗り継いで、約2時間25分で播州赤穂駅に到着。  そこからさらにバスで、約15分で赤穂城跡に到着した。  赤穂城。  1645年、浅野長直が築城を開始、13年以上掛かって完成した。  天守台はあるが、天守閣は建造されなかった。  浅野家は、3代藩主の浅野長矩が、有名な『忠臣蔵』の元となった事件で断絶。その後、永井家、森家の居城となる。  明治時代に廃城。  1912年、三の丸の跡地に、赤穂浪士を祀る神社として大石神社が建立された。  1928年、本丸跡に旧制赤穂中学が建てられ、後に兵庫県立赤穂高校となっていたが、1981年に高校が移転。本丸庭園の復元がなされ、庭園は1990年に完成した。  歴史研一行は、まず大石神社を訪問。  神社には赤穂浪士四十七義士の石像が並んでいた。  彼らが、討ち入りまで1年10ヶ月を耐え忍んだことから、神社のご利益は、「大願成就」だそうだ。  とりあえず参拝。  ぶらぶら散歩して、お堀や石垣を見学。  赤穂城の本丸庭園は、年末年始は休園とのこと。  城跡は、まだまだ整備中の様子だった。  唐突に、妹にお土産を買って帰らないと、うるさいのを思い出した。  という訳で、お土産として赤穂城前のお饅頭屋さんで 鹽味饅頭しおみまんじゅうを購入。  妹にもらったポーチに入れて持って帰る。  そんな感じで、一行は赤穂城を後にして、東京に向かう。  JRを8回乗り換えて、約11時間30分の移動の後、やっと池袋に到着した。  皆、疲れているようだ。  帰り道は、上杉先輩の命令で、伊達先輩の荷物を持ってあげないといけなかったので、重労働だった。  初参加で、在来線での長距離移動に慣れていない雪乃はとても疲れ果てた様子。  一行は、池袋で解散し、僕が自宅に帰り着いたのは、もう日付が変わりそうな時間。  僕は、自室でベッドに体を投げ出した。  そして、少し考える。  赤穂城は兵庫県の端でギリギリ関西だったが、まだ、行っていない城の中には、さらに以西の中国地方や、四国、九州、沖縄のものもある。  そして、仙台以北と北海道のお城も行ってないよな。  当然、それらは、これまでより遠い。さすがにちょっと在来線のみの移動は無理なんじゃあ?  まあ、もう、お城巡りに参加しないのも、ありだしな。  そもそも歴史研は、幽霊部員でもOKという話だったのだ。  ともかく、今日は疲れているので、考える力も無くなっている。  明日以降は、冬休みだし、ゆっくり休むことにする。   ========================  赤穂城の情報  http://www.ako-hyg.ed.jp/bunkazai/akojo/index.html
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