雑司ヶ谷高校 執筆部
無名戦士の碑
 私とオットー、ソフィアの三人は、渡し舟を降りた。  渡し舟でグロースアーテッヒ川を予定通りの時間で渡れたので、この後も順調にいけば、遅くとも夕方までには最初の宿場町・フルッスシュタットに着きそうだ。  この渡し船の桟橋からほど遠くない河岸は、“ブラウロット戦争”の最終決戦となった地だ。帝国軍四万五千と共和国軍一万八千が衝突した。共和国軍は数の上では劣勢であったが背水の陣で臨み、予想以上の抵抗をした。この戦いで共和国軍の主力は壊滅。帝国軍にも多数の犠牲者が出た。帝国軍の生き残りは二万程度だったと、いつだったか聞いたことがある。  戦後、降伏した共和国軍に所属していた私たちは、帝国からの命令で、その戦いでの戦死者の遺体を処理する仕事を任された。数万の遺体を私が所属していた首都防衛隊の仲間と一緒に何日もかかって埋葬していった。鼻を衝く死臭、見るも無残な遺体を運び、墓穴を掘り、その中に放り込む。土を被せ、そして石で墓標を立てていく。最終的には数万の石の墓標が無機質に並べられ、その光景が脳裏に焼き付いて離れない。その仕事のことを、たまに悪夢として見ることもある。本当につらい仕事だった。あれは、二度とやりたくない。  私は、その墓地となった河岸一帯に、無名戦士の碑が建てられたと聞いたのを、ふと思い出した。一年ほど前に設置されたと言う。しかし、旅の道からは、少し遠回りになる。 「少し寄り道、いいか?」 私はオットーとソフィアに訊いた。「無名戦士の碑を見てみたい」  二人は頷き、私の後を着いて来る。  船着き場からグロースアーテッヒ川の川沿いに三十分ばかり進んだところにその碑はあった。無機質な墓標の群れが並んでいる手前に私の身長より大きな石で碑が建てられている。  ズーデハーフェンシュタットの住民の要望でこの碑が建てられた。ズーデハーフェンシュタット駐留軍の司令官がルツコイだったから許可された、と言うこともあるだろう。彼は元敵ながら慈悲深い人物だと思う。  碑の前に、一人の女性が立っている。どうやら、足元にある花を手向けに来たらしい。この近くの街か村の住民だろうか?  我々が碑の前に到着したと同時に、女性は振り向いて立ち去ろうとした。見たところ三十歳程度、金髪でショートカットが似合う。服装は少し土で汚れていた。近くの農民であろうか? それとも、我々の最初の目的地、フルッスシュタットの住民か? 「こんにちは」。  私は声を掛けた。 「こんにちは」。  女性は返事した。そして、少し微笑んでから、我々とすれ違い、近くに繋いであった馬に乗って立ち去って行った。  我々は、その背中を少しの時間、見送った。  私とオットー、ソフィアは黙祷をするため、馬を降り、碑の前で暫く過ごした。  黙祷を終えると、オットーが話しかけてきた。 「ここでの戦いも凄惨なものだったようですね」。 「そうだね。帝国軍の犠牲をものともしない攻撃で、共和国、帝国双方合わせて四万人以上の死者が出た」。  そういえば、オットー自身は、彼の故郷モルデンで街の大部分が焼け野原になるほどの戦いに参加していた。そこでは、軍人だけでなく民間人も多数の犠牲者が出たという。想像するしかないが、別の意味で凄惨な戦いだったのだろう。 「“ブラウロット戦争”は、ここ五〇年の内で最も規模の大きな戦争だった」。私は軽くため息をついてから続けた。「なぜ、帝国がそんな戦争に踏み切ったのか理由を知りたい」。  オットー、ソフィアもその言葉に頷いた。今回の帝国首都への旅で、その疑問の解答も見つかればよいが。  我々三人は、無名戦士の碑を後にして、最初の目的地フルッスシュタットに向け出発した。
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