雑司ヶ谷高校 執筆部
退役軍人
 私は武器商人街を抜けた少し先へ進み、先ほど武器商人の店先で売り子の女性に教えてもらった場所に出向いてみた。少々古びているが大きめの赤い屋根の家が建っている。彼女は、ここに居るのは以前に軍にいた武器商人と言っていたが、ほかの武器商人の家のように前に武器が並べられていることはない。  近くに馬をつなぐところがなかったので、さらに先に進み、見つけた適当な木に馬をつないだ。そして、歩いて再び武器商人が住むという家の前に戻った。  私は年季の入った扉をノックする。扉の向こうからから入るように返事があったので、扉を開け中に入る。  中に入り部屋の正面には、大きな執務机があり、その向こう側で、白髪に白い口髭をはやした人物が、椅子に腰かけているのが見えた。 「やあ、いらっしゃい」。  私に気づいたその人物はこちらを向いて挨拶した。 「こんにちは。イワノフさん」。  私は挨拶した。 「おや?知り合いだったかな?」  イワノフは不思議そうに私を見つめて言う。 「いえ、少し先の武器屋で売り子さんに教えてもらいました」。 「そうか。それで、なにか用かな?もし武器をご所望なら、ここでは武器を個人には売ってないよ。軍に直接卸すことしかやってないからね。他を当たってくれ」。  イワノフは両手を上げて“何も無いよ”と言うような素振りをした。私は一歩踏みよって要件を伝えようとする。 「いえ、武器が欲しくて来たわけではありません。私は、セバスティアン・ウォルターと言います」。軍の内情を探っているので、今は本名を言うのは問題があるかもしれないと思い、咄嗟に偽名を使った。思わず口から出たのは私の師だった人物の名前だ。「ちょっと調べ物をしていて、イワノフさんにお話をお伺いしたくて来てみました」。 「調べ物?」 「私は市井の軍史研究家で、最近は“ブラウロット戦争”について調べています。あなたが帝国軍にいたと聞いて、こちらに伺いました。当時の戦略や作戦について伺いたく」。  私は経歴と理由を適当な嘘で、でっち上げた。 「“ブラウロット戦争”?、ああ、“イジナユグ戦争”の事か」。  そうだった。“ブラウロット(青赤)戦争”は共和国での呼び方だった、ここでは“イジナユグ(南進)戦争”と呼んでいるのだった。  イワノフは少々嬉しそうな表情で私を見た。戦争の呼び方を共和国風に言ってしまったことは、さほど気にしていないようだった。  彼は、ゆっくりと口を開いた。 「なるほど。そういうことなら話しましょう。しかし、最近のことは軍事機密が多いから、話せることはあまり多くないよ。誰でも知っているような当たり障りのないようなことしか話せないね」。 「それでも、構いません、話せる範囲で」。 「では、まあ、座りなさい」。  イワノフは部屋の脇に置いてある椅子を指さして言った。 「ありがとうございます」。私は礼を言って、椅子に腰かけて続けた。「早速ですが、イワノフさんは軍の偉い方だったと伺いましたが?」  イワノフは姿勢を正しながら話し始めた。 「偉いと言えば偉いかな」。イワノフは、ちょっと笑って見せた。「私は帝国軍に一生を捧げてきた。軍での最後の階級は第一旅団の旅団長で、七年務めていた。私が得意としたのは、戦略を緻密に立てて、敵となるべく戦わずして勝つことということ。それに、重装騎士団の結成初期からの団員で、若いころは斧使いとして、いくつもの紛争に係わってきた。生涯で勲章も八つもらったよ」。  そう言うと胸の勲章を指さした。 「勲章を八つもですか。そして、旅団長とは、素晴らしい経歴ですね」。旅団長だったとは本当に相当なお偉いさんだ。そういう人物をここで会えるとは思ってもみなかった。少々驚いたが私は質問をつづけた。「重装騎士団の結成初期と言われましたが、それはいつのことですか?」 「三十年ぐらい前だね。前の皇帝アレクセイ二世の肝いりで設立されたんだよ。当時から軍の精鋭が選ばれていた。団の設立直後にいくつかの紛争で活躍したので、噂が大陸中に伝わったようだね。尾ひれ背びれが付いて広まったから、国外諸国には実力以上の脅威となっているようだよ。おかけで、敵は我々を見ただけで、すくんでしまう。我々としてはありがたい噂だけどね」。  イワノフは笑って見せた。 「なるほど」。私も少し微笑んでから、話題を変えてみた。「では、開戦前の事です。近年、帝国が軍事力を増強したきっかけですが、“預言者”と関連があると聞きました。“預言者”とは一体、何者ですか?」 「“預言者”の名前は、ウラジミール・チューリンという。本名かどうかはわからないがね。その他の素性のことは誰もよく知らない。軍や政府の上層部もだ。三年ほど前に陛下に取り入ってから、陛下の様子が変わってしまい、誰とも会わなくなったそうだ。娘の皇女イリア様ですら陛下にお会いできてないという」。  と言うと、イワノフは首を振った。 「なぜ、“預言者”と呼ばれているのでしょうか?」 「なんでも、最初、チューリンが陛下に会った際、いくつかの将来の事柄を当てたそうだよ。それ以来、陛下が“預言者”とあだ名した、と聞いたことがある。具体的に何の事柄かは知らないが」。  イワノフは話を続ける。 「軍事的な増強も同じ時期に始まった。だからチューリンが陛下に吹き込んでそうなった、と言われている。しかしながら、それの確たる証拠はない」。  イワノフは少々険しい表情で言った。 「昔は、帝国はさほど領土的野心はなかった。資源不足などで必要な場合には、軍事的圧力をかけて外交的に優位に立ち、交渉事で有利に進めるような政策でやっていたよ。一旦、戦争を始めて、それが長引いたりすると、国内の経済が疲弊する。そうすると国民の不満も高まり、帝国の安定性が失われる。だから、これまで長いこと、そういう方針で帝国はうまくやっていた。周辺国とは小競り合い程度であれば、良く起こっていたがね。まあ、こんなことは、君でも知っているだろうが」。  イワノフは続けた。 「三年前までは、軍や政府は戦略を重要視していた。全面戦争にならないように小競り合いまでで済ませるのは、これが逆に難しい。物事を戦略的に進めないといけない。しかし、二年前の“イジナユグ戦争”からは方針が変わった。あらかじめ増強して準備した圧倒的軍事力で共和国を制圧した。その時から戦略なんて必要の無い、力押しの戦い方が好まれ、私のような戦略重視で事を進める指揮官は、さほど重用されなくなった」。  イワノフは、深いため息をついた。 「今では若くて、威勢が良いだけのソローキンやキーシンといった者たちが旅団長になっている。彼らは“イジナユグ戦争”で、そういった力押しの戦い方で進めた。逆に私は侵略に積極的ではなかったので、疎まれてしまってね。戦後にしばらくたってからだが、私も潮時かなと思って退役したよ。私と同じように思って、軍を去る者は少なくないよ」。  イワノフはあきれた、というような仕草をした。 「旧共和国の土地では、今も住民の反乱を恐れ、暴動などの対応のために多くの帝国軍の人員が割かれている。その統治に掛かる負担は大きい。共和国を完全に侵略してしまったのは、大きな間違いだと思うね。そもそも何のために共和国を侵略したのか、まったく不可解だね。単純に領土的野心だけでやったとしたら愚策以外の何物でもない」。  彼の口調が少々、怒気を含み始めように聞こえた。  私は相槌を打ちながら話を興味深く聞いた。
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