雑司ヶ谷高校 執筆部
“青赤戦争”または“南進戦争”
「なるほど」。私は質問を続ける。「次に、“イジナユグ戦争”開戦直後の事です。最初、共和国の国境警備軍と衝突したということですが、その時の状況はどのようなものでしたか」。 「そもそも、共和国に侵攻するルートは三つあった。いずれも最終目的地は共和国首都のズーデハーフェンシュタットだ。モルデン、ズーデハーフェンシュタットをほぼ直線で結んだ中央ルート、東側から国境を越え、オストハーフェンシュタットを経てズーデハーフェンシュタットへ向かうルート。西側の山脈を超え、ベルグブリックからグロースアーテッヒ川に沿ってズーデハーフェンシュタットに向かうルートだ」。イワノフは、机の上の紙を取り出し、簡単に地図を描いて見せた。 「距離的には中央のルートが一番短いが、共和国第三の都市モルデンの守りの様子はこちらにも情報が入って来ていて、攻城戦となれば当方の被害も大きくなるだろうと予想した。東側のルートは、かなりの大回りでオストハーフェンシュタットは共和国第二の都市だから、こちらも攻城戦となれば攻略も難しいだろう。西側のルートは、首都まで大きな街もなく、守りも手薄のようだったので、私はこちらを推したのだがね。結局、距離が最短の中央ルートが採用された」。  描いた地図にルートごとに指をさした。その指は、元軍人らしく、がっしりとしたものだった。  イワノフは説明を続けた。 「そして開戦だ。まず、共和国との国境でもあるズードヴァイフェル川を越える。モルデンまでのルートでは、雨で水量さえ多くなければ歩兵でも渡れるような深さの川だから、帝国軍の七万五千の大軍でも超えるには、さほど苦労しなかった。それに国境での敵の戦力もさほど多くなかったので、最初の戦いの決着は短時間でついた。帝国側の被害はほとんどなかった。国境にいた共和国軍は、まさに潰走したといっていいだろう。そして、帝国軍はさらに進軍し、六日後、モルデンを包囲した。共和国軍のほうは籠城して徹底抗戦の構えだった。籠城にも戦い方があるのだが、帝国軍の若い指揮官達は力押しで攻めた。その結果、今度は帝国側にも大きな被害が出た」。 「籠城の戦い方とは?」  私は、思わず身を乗り出した。このような戦術について話を聞く機会は、ほとんどなかったので、すべてが新鮮に聞こえる。 「街を取り囲んで兵糧攻めにするんだよ、モルデンは国境からさほど遠くないから、帝国の領土からの兵站の補給は比較的簡単だ。しかし、籠城している側は食料に限りがある。こちらは、旅団ごとに交代で包囲すれば兵士の消耗も少なくてすむ。そして、食料がなくなった相手が根を上げて降伏するのを待つんだ。時間はかかるがこちらの戦力はほとんど減らずにすむ」。  イワノフは得意げに説明する。作戦立案が好きなのが伝わってくるようだ。 「帝国は、モルデンでの統治を確立するためと、軍の体勢を立て直すため、三か月ばかり時間がかかった。共和国は残った備蓄の食料を我々に渡さないために、街が陥落する前に燃やしてしまっていた。さらに戦闘で帝国軍も街を徹底的に破壊したので、最初、補給の中継地点としての役割もさほど果たせない状態だった」。  イワノフは、地図のモルデンの位置を指さした。私は彼の指の動きを目で追う。 「その三か月の間に、共和国も各地の戦力を集め、最終決戦のため首都目前に広がるグロースアーテッヒ川の対岸に集結していた。共和国軍は、川を背後に陣地を置き、まさに背水の陣で臨んできた。背水の陣は、わざと退路を断って死にもの狂いで戦う決意なので、こちらにも大きな被害が出るのは容易に予想できるのだが、ここでも帝国軍は懲りずに力押しでの戦いを挑んだ。結果、我々は共和国軍を壊滅できたが、やはり帝国軍にも大きな被害がでた。その後、すぐに共和国側が降伏したので良かったものの、首都でも籠城されたら、また攻略に多大な犠牲が出ただろう。私に言わせれば、いまの若い指揮官は、まったく戦い方というものをわかっていない」。  私は、グロースアーテッヒ川の戦いの後の遺体処理の仕事を思い出した。ひどい仕事だったので、思い出したくなかったが。  そういえば、イワノフはどこにいたのだろうか? 「イワノフさんの第一旅団は、それらの戦いのときはどうされていたんですか?」  イワノフは地図から指を離して、話を続けた。 「さっき言ったように、私や私と似たような考えを持つ司令官は疎まれていたので、後方から遅れて戦闘に参加するような陣形だったね。モルデンでも、グロースアーテッヒ川でも、最前線で手柄を立てようしたのは、ソローキンやキーシンと言った連中でね。だから、我々の旅団は被害は少なかったが、手柄もほとんどなかった。まあ、それはそれで、よかったと思っている」。  それは本心から言っているようだ。帝国にも、ルツコイ以外に、このようなタイプの軍人が居たということは、私にとって、予想外だった。イワノフは話を続ける。 「その後、旧共和国の各地の統治のために、派遣されたのは私たちのような参戦に積極的でなかった司令官とその部下、と言うわけだ。中央から疎まれていたんだな。私は戦後から退官までの約一年半をオストハーフェンシュタットに駐留していた」。 「ズーデハーフェンシュタットはルツコイ司令官ですか?」  私は知っている、数少ない知識を披露した。 「よく知っているね」。  イワノフは顔を上げた。 「ええ、他で聞いたことがあったので」。  なるほど、ルツコイはそういう経緯でズーデハーフェンシュタットに駐留しているのか。 「今はオストハーフェンシュタットの統治は誰が?」 「私の後任は、私の部下だった女性で副司令官だったスミルノワという者がやっている。彼女も参戦に積極的でなかった者だ」。 「軍の人事は誰が決定しているのですか?」 「本来、軍の総司令官は陛下で、もちろん人事も決めている。最近は陛下には誰もお会いできないので、チューリンを通して陛下の意向を聞いていると言われている。しかし、実際に決めているのはチューリンだろう」。  イワノフは一呼吸置いてから話を続ける。 「軍には、再度軍備増強を命令され、次の侵略を考えているようだ。しかし、さっきも言ったように私のような古い考え方の士官や兵士が、続々と退官してしまっている。一般の兵士もそうだが、軍でも要になる上級士官の退官も多い。なので、帝国軍の人員不足は深刻だ。だから、徴兵制にしようという意見も出ている」。  帝国軍は志願制だったのか、私はてっきり徴兵制だと思っていた。  イワノフはため息をついて、椅子の背もたれに深くもたれかかり続けた。 「人手不足と言えば、旧共和国の統治に帝国軍の人員が多く割かれてしまっているのは、先ほど話した通りだ。先ほど話したモルデンには首都からの出稼ぎの労働者が移住しているが、それでもまだ復興のための必要予定人員には足りていないらしい」。  なるほど、モルデンの復興があまりされていないのは、軍事的に重要でなくなったということだけはなく、こういう事情があったのか。 「また、軍備増強のため、何回か税金が上がったことは君も知っているだろう。それで国民にも不満が高まってきているし、この状態が続くと、帝国自体も危ういかもしれん」。 「なるほど、思ったよりひどい状況ですね」。 「うむ。最初に話したチューリンの存在がやはり問題だと思う。これは早めに何とかした方が帝国にとっても良いと思うな」。 「そうですか」。 「しゃべりすぎたかな」。言うとイワノフは、笑って見せた。「でも、この話は軍内部では誰も知っていることだ」。  帝国内や軍の内部でも不満を持っているものは多いのか。それは、私は思ってもいなかったことだ。ルツコイは、そんな素振りを見せたこともなかった。  ズーデハーフェンシュタットに居るだけでは、知ることができない重要な情報を知ることができた。
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