私は足の怪我があるので、オレガに肩を借りて自室の前まできた。すると、突然後ろから、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
後ろを振り返るが、誰の姿も見あたらない。幻聴かと疑った。反射的に背中に手をやるが、剣は戦いの場に置いて来てしまっている。
すると、目の前に突然、男女の姿が現れた。
アグネッタと、たしかニクラスという名前の男性だ。
オレガは突然現れた二人を見て驚いて息を飲んだ。
私も驚いて無言のまま立ち尽くしていたら、アグネッタが口を開いた。
「隊長、驚かせてすみません。少し話をいいですか?」
私は、驚きで一瞬なにも言えなかったが、数秒後にやっと口を開いた。
「あ、ああ、構わない。部屋の中がいいだろう」。
私はオレガと一緒に先に部屋に入り、そしてアグネッタとニクラスを部屋に招き入れた。
二人が部屋に入り扉を閉めたのを見て、私は言った。
「突然現れて、驚いたぞ」。
「すみません。驚かせてしまったようで。これは幻覚魔術の一つで、相手から自分を見えなくするものです。それで城の中に入り、隊長を探していました」。
幻覚魔術だと、また聞いたことのない魔術だ。
「聞きたいことが山ほどある」。
私は言ったが、口調がちょっと強めになってしまったようだ。自分で言葉を発してから少し後悔した。
「その前に自己紹介させてください」。ニクラスと言う男が口を開いた。その口調は落ち着いている。「私は、ニクラス・ニストロームと言います。ヴィット王国の出身で魔術師です」。
ニクラスは私に握手を求めてきたので、私も手を出した。その後、オレガとも握手をした。
「確かモルデンで、私の弟子が見たと言っていました」。
「はい。モルデンで調査活動をしていました」。
「先ほどのチューリンとの戦いのとき、援護してくれて助かりました。君達が来てくれなかったら、我々は打つ手がなかったです。下手をすると全滅でした」。
私は素直に礼を述べた。
「間に合ってよかったです」。
ニクラスは笑顔を見せた。
私は、アグネッタに向き直って質問した。
「アグネッタ、どうやって治ったんだ?酸の火傷の跡が全くない、骨折も。医師に聞いた時は、治るまで最低三か月は掛かると聞いていたが」。
「それは、ニクラスの治癒魔術のおかげです」。アグネッタは言って、折れていた左腕を上げて見せた。「彼は、治癒魔術を使えるのです。ヴィット王国では治癒魔術が制限されており、使える者はさほど多くありません」。
「ほう、それはなぜ?」
その質問には、ニクラスが答えた。
「倫理的な問題です。なるべく病気やけがは、自然の治癒力に任せなければならないと国で決めたのです。何でも治癒魔術で治していくと、結果、寿命が延びます。すると人口バランスが崩れて社会が立ち行かなくなる、ということが大昔ありました。それで、今では治癒魔術はあまり使われません。ただ、今回のような国の命令による任務による怪我など、特殊事情の場合は別です」。
「なるほど」。
と言って、私は次の質問に移ろうとしたとき、ニクラスが私の足の出血をみて言った。
「その傷も治療しておきましょう」。
先ほど応急処置をして、包帯を巻いた程度で、血はまだまだ滲んでいた。痛みもある。ニクラスは短く呪文を唱えるとすぐに痛みはなくなった。これはすごい。包帯を巻いて傷口を見るが、すっかり元通りになっており、傷口の痕跡すらない。あとは血の跡だけだ。
「なぜ、我々を助けに来たのですか?」
私は質問した。
その質問には、アグネッタが答える。
「隊長が倒したアーランドソンという魔術師は、ヴィット王国の出身でした」。
「それは本人も言っていた」。
「百五十年ほど前、彼は国外に出て、禁止されている憑依魔術で使い人々を殺し始めたのです」。
「他人に乗り移っていく魔術か?」
私は、アーランドソンの話を思い出した。
「そうです、乗り移られた人物の人格や心は無くなってしまうので、これは殺人と同じです。我が国では、禁止魔術を使ったり、国外に違法に脱出したものを捜索して捕捉おります。残念ながら、そういった者は数年に一度ぐらいの割合で発生しており、我々はそういった道を外れた魔術師を追跡する王国軍の特殊な部署に所属しております」。
と言うと、アグネッタは、ため息をついた。
ニクラスが話を引き継いで、姿勢を正して話を続ける。
「アーランドソンは、ここ十年ぐらい前まで約百四十年間は、ひっそりとしていたので長らく消息が不明でした。しかし、一年と少し前から、彼が帝国か旧共和国領内に居るようだと情報が入り、王国として調査を開始しました」。
話が長くなりそうだったので、二人に椅子に腰を掛ける様に言った。私とオレガも椅子に腰かけた。
続けてニクラスが話を続ける。
「その調査の一環として、私はモルデンに、アグネッタはズーデハーフェンシュタットに入りました。ここにも、ほかの都市にも王国の者が潜入しています。ほとんどが商人という名目で」。
アグネッタは例外的に魔術の研究名目だ。
ニクラスは話を続けた。
「そして、我々の調査の結果、アーランドソンが乗り移った人々のほとんどが判明しました。二十年ほど前では、帝国領土内でヴィット王国との国境に近いヴェッグ山脈のふもとの、マリンキースネッグという小さな町に潜伏していたようです。それまでは、数十年に一度という頻度でしか乗り移りをしていなかったのですが、ここ二十年ほどで乗り移りの頻度が上がったようで、剣士と魔術師を交互に二、三年おきに乗り移っていたようです。おそらく、剣の技術と魔術の知識を得るためでしょう」。
「私の師も犠牲になっていました」。
私はアーランドソンの言ったことを思い出した。
「そうだったのですか、ひょっとして、セバスティアン・ウォルターさんですか?」
私は静かに頷いた。
「それは、お気の毒でした」。
ニクラスは静かに哀悼の意を表するかのように、頭を下げた。そして、話を続けた。
「最後に乗り移ったのが魔術師のチューリンの可能性が高いという情報は得ました。しかし、まだ確証はありませんでした。そして、首都を襲う翼竜騒ぎです。意図はわかりませんでしたが、私達はアーランドソンの関与を疑いました。そして、チューリンは帝国軍の騎士団を二度、島に派遣しました。これまでの経緯から、これは次に乗り移る体の選定を行っているのではないかと、私達は疑っていたのです。島に行き、無事戻って来た者は、優れた剣士として体を乗り移るのではないかと。そして、クリーガーさん、あなたは無事帰ってきた。そしてすぐに、ここに呼び出されたと聞いて、あなたの身に危険が及ぶのではないかと思いました」。
ニクラス達の予想は、ほぼその通りだった。ニクラスは身を乗り出して言った。
「なので、私は、まずアグネッタを治療した後、ソフィアさんも一緒にここに急いだのです。ちょうどチューリンとの戦いの最中に到着出来て幸運でした」。
「なるほど。とても、助かりました」。
そして、私は皇帝、いや、アーランドソンとの戦いを回想して言った。
「最後に乗り移っていたのは、皇帝でしたね」。
ニクラスは驚きを隠せないといったように、手を広げて話した。
「先ほど、チューリンを倒した後、それが土になった時、とても驚きました。ひょっとしたら、既にあなたか、あの場に居た他の誰かに乗り移ってしまったのかも、とも思いました。誰がアーランドソンかわからない状態で、拘束されてしまうわけにいきませんでした。なので、我々はあの場から逃げ去ったのです」。
私は、ニクラスとアグネッタが去った後のアーランドソンとの戦いを詳しく話した。ニクラスとアグネッタは、その話に非常に驚いているようだった。
ニクラスは話した。
「結局、アーランドソンはもっと早い段階で皇帝に乗り移っていたということですね。我々は予想だにしておりませんでした」。ニクラスは再びため息をついた。今度は安堵のため息だろうか。「しかし、お一人でアーランドソンを良く倒してくれました」。
私も良く倒せたと思う。念動魔術を使えたことで、意表を付けたことがよかった。
「君に教えてもらった念動魔術が役に立った。ありがとう」。
私は、アグネッタに礼を言った。アグネッタは少し恥ずかしそうに笑みを浮かべ、うなずいた。
「お役に立ててうれしいです」。
「そして、オレガが助けてくれた」。
「オレガとは?」
アグネッタが尋ねた。
私は何と答えるか少し迷ったが、こう答えた。
「彼女です。オレガ・ジベリゴワ。私の新しい弟子です」。
隣で静かに話を聞いていたオレガを紹介する。オレガは紹介されると軽く会釈をした。新しい弟子と聞いて、アグネッタは少し驚いた表情をした。
私は話を戻した。
「アーレンドソンは大陸を支配しようという野望を持っていました」。
「彼が、その野望を持たなければ、私達は彼を発見できなかったでしょう。彼が積極的に動き始めたから、私達は彼を発見できたと言っても過言ではありません」。
「どこかで、ひっそりとしていれば、君たちは彼を発見できず、彼も魔術を使って人に乗り移りながら、もっと長生きできたかもしれない、ということですね」。
「その通りです」。
因果応報だな。と、私は心の中でつぶやいた。
その後、我々はしばらく会話をしたが、「もう遅いので、この辺にしておきましょう」。ニクラスは話を打ち切り立ち上がった。部屋にある柱時計を見た。もう、深夜だ。
「また、ご挨拶に伺いうことがあると思います」。
ニクラスが言うと、残りの一同も立ち上がった。私、オレガとアグネッタ、ニクラスはそれぞれ握手を交わした。アグネッタとニクラスは部屋を去り、オレガも召使い達の部屋へ戻っていった。