首都に来て、悪夢のようなアーランドソンとの戦いから四日。城内は落ち着きを取り戻している。城の破壊された部分は修復作業が始まっていた。
首都の街中では一般の国民は普段と変わりない生活を送っていた。国民には皇帝が崩御したことはまだ知らされていない。アクーニナによると皇帝の遺体は防腐剤で処理され、半年後、皇帝の崩御の公表と、その後に執り行われるであろう国葬まで保存されるという。
実質的に皇帝となったイリアは、つつがなく内政を取り仕切り始めたようだ。気がかりなのは、国内で彼女を支える人物が少ないということだ、今、完全な忠誠を誓っているのは、アクーニナと親衛隊ぐらいだろう。軍や内閣は今のところ、表面上の忠誠を払っているが、帝国で力を持つ軍を抑え込むことができるのか。軍の内部でもソローキン達の主流派とそれ以外の非主流派の対立もあるようだ。これらの件では、今後、混乱があるかもしれない。また、反政府活動が活発な首都の北部の地域のことも気に掛かる。
明日の朝、私は首都を出発し、ズーデハーフェンシュタットへ戻ることになった。
色々不安があるが、私が首都に居ても、政治抗争の類には疎いので、あまり力になれることはないだろう。
昨夜には、アグネッタとニクラスが再び私のところにやって来た。彼らは、また幻影魔術で突然現れたので、私は再び驚くことになった。彼らはアーランドソンの一件が終結したので、一旦、ヴィット王国に戻るという。アグネッタも傭兵部隊に在籍していた本当の目的は、ズーデハーフェンシュタットでのアーランドソンの情報収集だということだったので、もう傭兵部隊は除隊したいとのことだ。残念だが認めるしかない。
すでに、ルームメイトのソフィアとは別れの挨拶を済ませたらしい。ソフィアは悲しんでいるだろう、あの二人はとてもウマが合っていた。そして、このアーランドソンの一連の戦いでも、彼女の魔術に助けられた。そして、さらに彼女から教わった念動魔法で私はアーランドソンを倒すことが出来たのだ。今後は傭兵部隊での魔術の指導を頼みたいところだった。
私が部屋で明日の出発の準備をしていると、ドアをノックする音がした。
部屋に入るように言うと、入ってきたのはオレガだった。今日は、召使いの服ではなく、良く似合っている明るい水色のワンピースだ。彼女は、いつもの無表情ではなく、今日は少し嬉しそうにしている。
「師、イリア様に言って下さって、ありがとうございます」。
私は、先日、皇帝イリアに『何か欲しい物はないのか?』と尋ねられた時、オレガを弟子として連れていきたいと申し出たのだ。皇帝の命令ということにしてくれれば、オレガも大手を振って城から出られるだろう。そして、私も連れて行きやすくなった。
「旅の準備はできているか?」
私も笑顔で尋ねた。
「はい!」
オレガはいつになく元気な返事をした。
「いよいよ明日だな。早朝、集合だ、遅れるな」。
「はい! では、あすの朝」。
オレガはそう答えると出て行った。
新皇帝イリアに何か欲しい物はないかと尋ねられた時、二つお願いをした。一つはオレガの件。もう一つは、レジデンツ島で最後の戦いに参加し、チューリンを倒した、私を除く傭兵部隊の十三人に何か特別な計らいをしてくれとお願いしておいた。後日、何らかの通達があるだろう。
そして、翌朝となり、いよいよ、ズーデハーフェンシュタットへ向け出発することとなった。時間は早く、まだ、日が昇ったところで、空気は少し冷たい。昨日、一昨日の天気はさほど良くなかったが、今日は天気が良かった、私が旅する時は偶然にも天気が良い日が多い。
次に首都に来るのはいつになるだろうか。首都には二度来たが、そのたびに、これまでに出会ったことにない強敵と戦うことになった。一度目は翼竜、二度目はチューリンとアーランドソン。次に首都に来る時は、戦いは無しにしてほしい。
私が馬屋に到着すると、オットー、ソフィア、オレガはすでにそろっていた。
「おはよう、みんな張り切っているな」。
と、私は声を掛けた。
私はそれぞれの顔を見た。
オットーは、この二日ほど、アクーニナや親衛隊と修練所で訓練を行っていた。私も少し見に行ったが、いつもと違った相手との訓練は役に立っただろう。アクーニナの剣さばきは素晴らしかった。オットーとアクーニナの手合わせもあったが、アクーニナが勝利した。彼女は強いと改めて認識した。
以前、私は彼女との手合わせで、引き分だったが、もし、もう一度やったら、私は引き分けできるか、わからないと思っている。
ソフィアはアグネッタとの別れがあったが、表面上は明るく振舞っていた。
オレガは馬に乗れないので、ソフィアの前に乗せてもらい旅することになる。今後はオレガのことは、日常のことなど、ソフィアにも面倒を見てもらうことになりそうだ。そうだ、アグネッタが除隊した今、ソフィアにはルームメイトがいなくなったから、オレガと同室というのも悪くないだろう。ズーデハーフェンシュタットまでの旅で、仲良くなってくれれば。
我々は馬を前に進め、城を出発した。
城門を出ると、街にはまだ人はほとんどいない。出発の時間を早朝にしたのは、私が“帝国の英雄”として有名になってしまったので、人だかりができてしまうのを恐れたからだ。思惑通り、誰にも引き留められることもなく、街の入り口の街壁までやって来た。
街壁では、見慣れた顔が待っていた。アクーニナだ。
アクーニナは馬に乗り、敬礼して挨拶した。
「おはようございます」。
私も敬礼し返した。
アクーニナは、馬を我々と並べて言った。
「首都に残ってくれれば、私も安心なのですが、どうしても行ってしまうのですね」。
アクーニナは、残念そうな表情をしている。
「申し訳ありません。私は海が好きなんです」。
私は、故郷のズーデハーフェンシュタットの海を思い浮かべて、ちょっと冗談ぽく言った。元々、帝国の領土は海に面した土地がなかった。
「なるほどね」。
アクーニナは私の冗談に苦笑した。
「でも、必要とあらば、いつでも呼んでください」。
「そう遠くない将来、そうするかもしれません」。
「軍が心配ですか?」。
「そのとおりです。ソローキンと私は犬猿の仲です。今後どうなるか」。
アクーニナは不安そうにしている。いつも自信にあふれているが、こんな彼女を見ることは今まであまりなかった。
「イリア様、いや、陛下がうまく取り持ってくれるでしょう。数日ですが陛下を見ていて、国を統治する能力は十分にあると感じました」。
「そうですね。私もそう思います」。
アクーニナは顔上げて私を見た。そして敬礼をした。
「ありがとう。そして、今後もよろしく」。
アクーニナは馬を返して、城の方に向けた。
私はその時、一つ疑問があったのを思い出し、アクーニナの背中に声を掛けた。
「アクーニナさん。先日、ヤチメゴロドの宿屋で、あなたが『チューリンを拘束する』と言った時、私が断ったら、私を斬るつもりでしたか?」
アクーニナは、振り返り微笑んで答えた。
「ルツコイ旅団長からの手紙の中に、『クリーガーは、思慮深く、用心深い時があり、決断に躊躇することがある。その時は脅した方が良い』とありました」。
そうだったのか。ルツコイめ。私は思わず苦笑する。
アクーニナが城の方に向かう後姿を少し見送ってから、私は、オットー、ソフィア、オレガに声を掛ける。
「さあ。行こう」
我々四人は、改めてズーデハーフェンシュタットへ向けて出発した。
(完)