思い返すのは、遥 かな過去の記憶。
わたしの血塗 られた運命は、この世に生を受けた瞬間から始まっていたのかもしれない。
物心 付いたころ――わたしの思い出せる最古の記憶でさえ、鮮血 に染め上げられていた。
この世に蔓延 る、人あらざるモノ。それは人の与 り知れないところで、認知の外側で、確かに存在し続けている。
法の裁きも関与できない、軍隊のどんな装備でさえ駆除することができない。完全に人知の向こう側にある存在。
これに対抗し得 る存在として、わたし達は求められ続けてきた。遥 かな古 より、ずっと、脈絡 と。
わたしには生まれたときから、人と違う力があった。それを初めて自覚したのは、5歳くらいの時だったと記憶している。
誤 って崖から転落したことがあった。幼いながらに、死を直感して、意識が途切 れた。
けれど再び目を覚ましたとき、わたしの体には傷一つなかった。最初からそこで寝ていたかのように、崖の下で体を横たえていた。
それから訓練の日々が始まった。そしてわたしは否 が応 でも気付かされた。自分が他人とは明らかに違う性質を持つことを。
姿形 こそ、普通と何一つ変わらない女の子だったが、その身体能力はもう、常軌 を逸脱 するレベルだった。
どんな高所から落ちても、地面にふわりと降り立つことができた。高いビルの屋上でさえ、ジャンプしたり付近の壁を蹴り上げながら駆 け上 ることができた。
学校には通わなかった。代わりに家庭教師のような人が宛 がわれ、最低限の学習だけ詰め込まれた。そして残りの時間は全て、訓練へと費 やされた。
初めて武器を手渡されたのは、訓練を始めて1年を経過したころ。6歳ぐらいのころ。
この頃はまだ自分の手に渡されたモノが何なのか、そしてそれを一体何に対して向けるのか、はっきり理解していなかった。
掴 む取 っ手 の先に、長い刃物が備えられたモノ。それを「剣」だと教えられた。
奇妙な装飾の施 された一振りの剣。刀身はどこか淡い輝きを放っているようにも思えた。そしてこれがわたしの身を守る大切なものだと教えられた。
それからはずっと、この剣と呼ばれた武器の扱 い方を学んだ。見た目は重い金属のようであっても、手にしてみれば不思議なほどに軽く、幼い女の子の腕でも容易に振り回すことができた。
初めて敵と呼ばれる存在とまみえたのは、8歳の時だった。
この世 非 ざる存在。幽世 からの使者。敵とされるモノに与えられた呼び名はいくつもあった。その中でわたしはより一般的な呼称でもある「ヴィラン」という名が分かりやすくて好きだった。
ヴィランは闇夜に紛 れて何処 からともなく現れる、まるで影だけを集めて形どったような、異形 の存在。あるいは黒い霧 を集めて捏 ねたとも想像されるそれは、様々な形状を採 った。時に人型のようでもあれば、獣 のようでもあり、さらにはどんな動物よりも醜 い形をしているときさえあった。
ヴィランの攻撃はその全てが鋭く重く襲い掛かる。ヴィランの振り下ろされるコブシ、突き上げられる蹴り。それはナイフのように空を裂き、ハンマーのように大地を割る。
これら凶悪な攻撃を掻 い潜 りながら、ヴィランへ剣を突き立てるのだ。するとまるでゼリーでも裂いてるような、恐ろしく軽い手応 えだけが返る。
それでも何度も何度も繰り返し斬り付ける。するとヴィランは次第に動きを鈍 くし、最後には殆 ど動かなくなる。
この状態でトドメとばかりに深く剣を突き立てると、ヴィランは霧散 して消滅する。
そうやってヴィランを狩り続ける。それがわたしの日常だった。13歳の誕生日を迎えた今日も続く、ありふれた光景だった。
死にかけたことなんて、一度や二度じゃない。死線なんてものは、数え切れないほど潜 り抜けた。
明日死んでも、何一つ不自然じゃない。いつわたしがこの世から姿を消しても、よくあることの一つとして片付 けられて終わる。
これがわたしを取り巻く環境。
だけどそれを悲しく思ったり、不幸と思うこともなかった。
それらがすべて当然のものとしてわたしを包んでいたから、そこに何一つ疑念を抱 くことすら無かった。
でも、他の人は、違う。それが分からないほど、もう子供じゃない。
今もまたヴィランを倒し終えて、朝を迎える。ビルの屋上から朝日に照らし出され始めた街を、眼下に俯瞰 する。
そこに生 き付 く人たちは、ヴィランの存在なんて知らない。ヴィランの脅威も、それに対抗する存在とも無縁のまま、平和な毎日を過ごしていく。
それが彼らの日常。わたしの日常とは違って、鮮やかに彩 られた毎日。
あの日常の中に溶 け込み染 まれば、わたしもまた、彼らと同じような毎日を過ごせたのだろうか。
思って、すぐに首を横に振った。
それでは結局、何も変わらない。
ヴィランは彼らに認識されなくとも、確実に彼らの日常を侵食していく。彼らの心に巣喰 い、心の闇を増大させ、内に秘めた凶暴な性 を剥 き出しにしていく。そうなれば結局、今ある彩 られた日常も、いずれ闇 に堕 ちていく。
どのみち、誰かが闇を払わなければならない。ヴィランと戦わなければならない。
それがただ、たまたま、自分だった。それだけのこと。
なら、そんな役回りは自分だけでいい。こちら側に来る人間は少ない方がいい。
それがきっと、あの彩 られた日常を保つことに繋 がるのだから。
だから、誰も巻き込みたくない。
そう思っている。これまでもわたしは誰とも深く関わろうともしなかったし、好 んで接触しようとも思わなかった。
出来る限り、他人から距離を置くことにしていた。
なのに、彼はここへ来る。
振り返ればそこにいたのは、わたしとそう歳の違わない少年。こんな朝方に急いで家から飛び出してきたのだろう。髪もボサボサのままで、服も着崩 れている。
このビルの屋上まで駆け上がってきたのだろう。見てられないほどに息を切らし、肩も弾 ませている。
数か月前、あるヴィラン討伐の折 、偶然この少年と出 くわした。何の因果 か、それから何度となくこの少年と出会うことがあった。
わたしは周りの人間を巻き込まないようにと避 けていたのに、なぜかこの少年はわたしに接触を図 ってくる。
今日もそうだ。どこかでヴィランとの戦いを察 したのだろう。それでも無視すれば無関係であり続けることができたのに、こうしてわたしの所まで出向 いてくる。
意図 が読めない。真意 が気にならないと言えばウソになるかもしれないが、無用な関わり合いは避 けるべきだと、理性が囁 く。
だからわたしはビルから飛び降りて姿を消そうとした。この程度の高さなら、落下しても傷一つ負 うことは無い。
けれど、彼から発せられた言葉が、わたしの動きを封 じた。
「今日、誕生日だよね!?」
その言葉に、わたしは一度向けた背を戻し、彼を見遣 る。彼は呼気 に肩を弾 ませたまま、それでも瞳 はまっすぐわたしへと向けられていた。
「どうして、それを?」
「前に、聞いたからっ!」
わたしの問い掛けに、彼は荒 れた呼吸のまま叫んで返す。
思い返せば、何かの拍子で伝えたような気もする。彼との邂逅 を重ねるうちに、何度か言葉を交 わす機会もあった。その際に、わたしの生まれた日を問 われた気もする。
他人の生まれた日など何の価値もない情報。そんなことをなぜ聞いたのかも不可解 だけど、それをわざわざ気に留 めて覚えていたということが、さらにわたしを驚かせた。
わたしが戸惑いのまま口を噤 んでいると、彼はポケットの中から小さな包 みを取り出す。これをしっかりと握 りしめたまま、わたしへと突き出した。
「これ、誕生日プレゼント!」
誕生日プレゼント。知識としては知っていた。
世間では、お互いに生まれた日を祝福し合う習慣があると言う。けれどそれはあくまで、『彼らの世間』での話。自分の誕生日を知識として覚えてはいたものの、これを誰かに祝ってもらった経験などなかった。
「それを、わたしに…?」
彼がコクリと頷 く。わたしは彼の下 へ歩み寄り、その手から包みを受け取った。
綺麗に包装がされている。わたしは「開けるわよ?」と一言断ってから、包装を解 いていく。
中から現れたのは、上品な装飾の小箱。蓋 を開ければ、小さなハートをあしらった、シンプルなネックレスが据 えられていた。
わたしはそのまま、小箱の蓋を閉じる。
状況はわかる。わかるけど、動機がわからない。
「キミたちに誕生日を祝う習慣があるのは知ってるわ。けれど、キミがわたしにコレを贈る意味が分からない。わたしはキミの家族でもなければ友人でもないわ。こういうことは、赤の他人に対してもすることなの?」
「赤の他人には、しないかなぁ?」
彼が首を捻 る。首を傾 げたいのはむしろこっちだ。
「じゃぁ、なんで・・・」
すると、彼は体を起こし、まっすぐわたしへ正対して言った。
「これから、友達になりたいからだよ」
友達になりたい。その言葉を彼から聞くのは、これが初めてではなかった。
「前も言ったよね? わたしと関わらない方がいいって」
だからわたしも、前と同じことを口にした。
彼は何度となく、わたしがヴィランと戦っているところを目撃している。だからこそ彼は知っているはず。わたしがどういう人間で、どういうものと戦っているのかを。
ならばこそ、はっきりと拒 まなければならない。それがきっと、彼のためでもあるはずだから。だというのに、
「それでも、友達になりたいんだ!」
彼は一向に退 こうとしない。どころか、さらに一歩踏み込む姿勢を見せてくる。
「なんか危険なことをしてるっていうのはわかってる。それからオレを遠ざけようとしてくれてるのもわかってる。それでもほら、一人より、二人の方ができることも多くなるだろ?」
「ならないわね」
きっぱりを言い切る。この手には、変に誤魔化 さない方がいい。
「キミとわたしとじゃ、力の差が大きすぎる。一緒にいたところで、わるいけど、足手まといにしかならないわ」
「だけど・・・」
それでも彼はめげない。畳 みかけるように言葉を重ねてくる。
「だけど、それでも何かできることはあるはずなんだ。オレに何の力もないことなんてわかってるけど、それでも何か、何か役立てることだってあるはずなんだ」
言い切った彼の肩が小刻 みに震えている。それはきっと、息苦しいからではないのだろう。
彼の言葉が嘘や、体裁だけのものでないことを感じる。だからそこ、どうしても理解できないことがある。
「なんで、わたしにそこまでしようとするの」
純粋な疑問だった。彼から感じ取れるものが真剣なそれだからこそ、これの向けられる先が自分であることに疑念 を抱 かずにはいられなかった。
なのに、その問いに関して彼は、さっきまでの威勢 が嘘のように俯 き、黙 ってしまう。
本当に、理解が追い付かない。なのになぜだろう。自然と悪い気はしない。
わたしはビルの淵 へと戻り、朝日に照らし出された街並みをもう一度見下ろす。そこが彼の住む世界。わたしとは対照的な光の場所。その眺望 を目に焼 き留 めて、言葉を紡 ぐ。
「わたしと一緒にいたら、間違いなく危険な目に合うわ。最悪、命を落とすかもしれない。そうでなかったとしても、もうキミの住んでいた日常に戻れないかもしれない。わたしに関わるというのは、そういうことだということを、もう一度よく考えて。そのうえで、問わせてもらうわ」
わたしはゆっくり、彼へと振り返る。
「その覚悟、キミにあるの?」
わたしの視線の先で、彼の伏 せられた顔がゆっくり起きる。その実直 なまでに鋭く返された双眸 が、全ての答えを物語 っていた。