三人が都市Mを脱出してから三日が経過。敢えて人混みに隠れるため必死に移動し、二十キロほど離れた街の宿に身を隠していた。牧師服は目立つからと、服は途中の市で入手した。古びた宿だったが手持ち少ない三人には有難い隠れ家となった。幸い教団の追っ手とは遭遇していないが、アベルはそれが不審に思えて仕方がなかった。
「マルコスの性格から考えて俺たちを野放しにしておくはずがない」
「マルコス……?あの偉そうな黒髪か」
「牧師に階級はないんですけどね。でも、マルコスさんは教団のまとめ役というか実権にぎってる人物といってもいいでしょう」
アベルの代わりにノエが答えた。
「本気で殺そうというなら今すぐに襲われてもおかしくないからな。それなのに生かされているということは何か教団側に意図があるんだろう」
「……すみません、アベルさん。口を挟んで申し訳ないのですが、妹のリリーさんは大丈夫なのでしょうか……?」
「……」
急に黙るアベル。目線は斜め下に落ちた。
「お前に妹がいたのか?」
「教団に入るとき俺は戸籍はおろか人生の全ての記録、痕跡を抹消されてるからな。八年前別れたきり妹には会っていない」
「でももし教団側がリリーさんを人質に取るようなことがあれば一大事ですよ。今のうちに安全な場所に保護しておかないと」
「リリーが今どこにいるのか俺も知らないんだ」
「それならボクがどうにか出来るかもしれない」
イヴの言葉で、ノエが閃いたように目を輝かせた。
「あ!!そうか、吸血鬼の超嗅覚ですね!!」
「ボクはアベルの血の味を知ってるから。血にも個性があってだな、家族であればその香りも似る。普段は使わないようにコントロールしてるが、超嗅覚を使えば二百キロの範囲程度なら特定の似た血液の匂いの痕跡を辿れる。針で指を刺した程度の僅かな出血の残り香でもそれは可能だ」
「アベルさんっ!!」
うつむくアベル。
「……イヴすまない……頼む」
あまりに素直なアベルの態度にイヴも少し驚いた。ただ、依頼してくるアベルの顔つきはいつもの胡散臭い作り物ではないと分かった。
「一つ貸しだぞ?」
イヴはうっすら埃が被った木枠の窓ガラスを少し開け、大きく深呼吸をした。
目を瞑り全身の神経を集中させる。
「……いた。アベルと似た匂い。でもこれは……」
急に黙るイヴ。
「どうかしたのか?」
「いや、ノエ、ここから15キロほど南方……湖はあるか?」
「ありますね」
「そこに恐らくいる……」
「何か引っ掛かっている顔をしてるが問題でもあるのか?」
歪むイヴの表情。
「大量の血の匂いの中に僅かに混ざっている様なんだ。一緒に薬品の匂いもした」
「湖……確かあそこは教団の研究施設があるな。ノエはよく知ってるはずだろ?」
「ノエ?」
手を口許に当てて黙るノエ。生気のない目をしながら重い口を開いた。
「僕の先生の……ラボがあります……ですがあの人の思想は危険因子として教団から追放されたはず。今でも研究が続いているはずがない……」
「追放って……何をやったんだ……?そもそもお前らの教団は何を目的に動いてるんだ!!ボクにも知る権利はあるだろう?」
イヴは開いていた窓をそっと閉め、アベルとノエの二人を交互にじぃっと見た。アベルと出会ってから教団の情報について詳しい説明はなされていなかった。
先にアベルが口を開く。
「ガト・グリス教団。百年ほど前から存在してる表向きは宗教信仰団体。だが活動のメインはこの数百年忌み嫌われていた呪術的なものや妖術、怪異に関して研究解明すること。それは上部組織も黙認してるらしい。今はヨーロッパ各地に支部もあるそうだ。」
少し間をいれて続ける。
「俺はアダムズコードの持ち主ってことで幼い頃から吸血鬼に命を狙われることが多くてな。十七の時に両親を吸血鬼に殺された。そのまま一緒にいたら間違いなく命も危ないだろうし、幼いリリーの生活の保証を得る条件で入団したんだ。」
次にノエが説明を始めた。
「僕の先生、エベラルド博士は優秀な怪異の研究者でした。特に吸血鬼研究では教団内の絶対的権威。でも彼は教団に報告せず独自の研究を続けていました」
「独自の研究?」
「人間の吸血鬼化です」
「ばかな、人間が吸血鬼になることはないぞ。眷属はあくまでも血を提供するパトロンのような人間だ。お伽噺では吸血鬼化するとか言われてる様だが、ボクたちの力でも人間を吸血鬼にすることは出来ない。」
「先生によると、人間と吸血鬼は太古の昔、進化の過程で袂を分かった生物だということです。アダムズコードを好むのは原始の血がより自分達と近いからだと」
「元が同じなら可能性が零ではないって考えか。吸血鬼は吸血鬼の血を飲むことは出来ないから貴重なんだな。」
「彼は沢山の人間を殺めていました。単純に吸血鬼の血を輸血しても人間にとっては毒となり死んでしまったそうです。それが明るみに出て彼は教団から追放されました。恐らくどこかで秘密裏に処分されたのでしょうね。」
暫し黙るイヴ。苦い顔をしながらも立ち上がる。
「その研究所にいくぞ。このままじっとしていても安全とは限らないし、リリーが生きている可能性もあるからな」
優しさを見せたのが気恥ずかしいのかイヴはすぐに二人に背を向けた。
薄汚れたローブを羽織り支度する。フードは顔が見えないように深々と被った。アベルは眼鏡も外した。
宿の去り際、主人にあるものを預けた。もし、自分達三人を牧師が訪ねてきたら渡してくれるようにと。
ー黒猫とクロスのバッジー
教団へ戻る意志はない。その表れだった。