コトリカルテット
4、第三研究所
旧第三研究所。周囲は木が繁っており、薄暗い湖畔に面したその施設は、三年前まで吸血鬼の研究が行われていた。しかし、所長による「人間の吸血鬼化」実験が判明。地下から山のように遺体が発見された。 吸血鬼の血を投与されて拒絶反応を起こし、変わり果てた遺体達は見るも無惨な有り様だった。その数、五十。眼球は充血して赤くなり、体は骨格を無視してネジ曲がった。顔は原型が判別できないほど無数の水疱で変形していたという。 苦しみながら息絶えた、人間だったもの達を弔うため、教団は集団墓地を施設裏に作ったという。 当時アベルはその作業に駆り出されていた。直接遺体を目にしなかったものの、埋葬された棺の多さに嫌悪感を感じた。 「だがその中にリリーの様な幼い遺体はいなかった。みな成人した罪人か家なし人だったと聞いている」 「僕が見た資料にも名前は無かったですね。」 現在研究所は封鎖され、簡単に中に入れないようになっている。年に一度教団の慰霊祭が行われる日以外は、地元民も近寄らない廃墟となった。 研究所に到着したものの、周囲は人気がなかった。うっすらとした積雪はあるが足跡もない。アベルは封鎖された入り口の鍵をピッキングしてこじ開けた。 「手慣れてるな……」 「常識の範囲内だ」 鍵には少し埃が被っていた。暫く開けた形跡はなかった。 木製のドアをこじ開ける。ほの暗く長い廊下が続く。 「うっ…なんだこの匂い。最悪だ」 思わずイヴは口許に手を当てた。その臭いはノエとアベルには感じられなかった。 「古い吸血鬼の血の匂いと、薬品」 「リリーの血の匂いは?」 「それもする」 奥に向かって歩く三人。ひとまず地下のラボを目指す。 事件当時ここの研究員だったノエは、その場所を知っていた。 「こちらです」 本棚を横にどかすと鉄でできたドアが現れた。 「今度は呪術で鍵がかけられてるな。パスワード形式か」 「ノエわかるか?」 「いえ。僕もパスワードは分からないんですよ」 「……DAR GATO POR LIEBRE(猫を野うさぎの代わりに渡す)」 扉に触れながら、イヴが呟くと鍵が解除された。 「どうしてわかった?」 「ここに……吸血鬼が仲間内にメッセージを伝達するときに使う特別な文字があるんだがそれを読んだだけだ」 「いわゆる吸血鬼文字ですね」 壁には一見ただの傷にしか見えない様な後がいくつか付いていた。 「元は人間に読まれないように編み出されたものだから、普通は読めないと思うぞ」 明かりをつけ、中に進むと地下への階段が続いていた。足元に気を付けながら三人は慎重に降りていく。地下水が漏れているのか、たまにピチャンピチャンと水滴が落ちる音がする。 少し息が上がるアベル。地上より酸素が少し薄いようだ。 15メーターほど地下に潜ったところで、一本廊下が現れた。 その先にはまた扉。 「鍵は掛かっていないな。開けるぞ」 扉が開く瞬間、イヴは強烈な異臭を感じた。匂いが強すぎて、建物に入ってからは超嗅覚は使えていなかった。 また、手で口と鼻を覆った。 扉の先の小部屋は二つの部屋に仕切られていた。手前が薬品棚が置いてある資料室、そして資料室からガラス越しに様子が見られる実験室。実験室の壁には人間のものか吸血鬼のものかは分からない大量の血痕。それはガラスにも飛び散ってこびりついていた。 資料室の一番奥にはポツンと黒く小さな柩が置いてあった。 アベルが近づく。そして蓋を開けた。 「これは……」 柩のなかにいたのは、赤髪で、白いドレスを着た愛らしい女の子だった。 一緒にメモが入っていた。 二月二十三日 被験体Lの検査を実施。 他の被験体があっという間に絶命したにも関わらず、生き延びた。 白目の充血はなく、青い瞳はルビーのような赤に。また拒絶反応も起きていない。 二月二十六日 被験Lの容態が悪化。朝から高熱を出し、昼頃絶命。 三月十三日 驚いたことに被験体Lの死体は腐敗が起こらない。生きていた頃と変わらないきれいなままである。唇も赤いままだ。 これはアダムズコードの親類たる所以なのか 「アダムズコードの親類……やはり」 「リリーだ」 体温を感じない冷くなったリリーの頬を撫でるアベル。すでに覚悟していたのだろう、瞳に涙はなかった。そして静かにリリーを抱き上げた。 「せめてきちんと弔ってやらないと」 そのまま資料室を出ようとするアベル。だが廊下に出た矢先、アベルの後頭部に突きつけられたのはデリンジャーだった。 銃を握っていたのはノエだった。 「アベルさん、人の物を勝手に持ち出すのはよくないですよ」 「お前のものではないだろう」 咄嗟にイヴが殴りかかろうと体勢を低くした。 「イヴさんも!!動いたらこの引き金を引きます!!!!」 今までに聞いたことのない大きな声をノエが上げた。イヴも人質がいては身動きがとれない。 「吸血鬼は素晴らしい存在だと思うのです。アベルさんはよく仰っていましたよね。この世には神なんて居ないと」 「ああ、そうだな神は信じてない」 「でも所詮人間は精神的に何かにすがらないと生きていけない。なら作ればいいと僕は思うのです。神話や伝承上の神ではなく、だれもが認知できる絶対的な存在を。」 「教祖にでもなったつもりか?」 「いえ、教えを説くつもりはありませんよ。ただ、これだけ長い時のなかで人間は争い続けているのです。平和のためには絶対的なリーダーが必要。でも人間では不適任でしょう」 「吸血鬼にできることでもない」 「先生が試していたものは単純に人間を吸血鬼にする技術でした。でも僕は吸血鬼でも人間でもない全く新しい存在を作りたいのですよ」 大きく見開かれたノエの紫の瞳が、イヴには恐ろしくて仕方なかった。 「リリーさんの遺体を初めて見たとき思いました。これが本物のアダムズコードなら僕の期待に応えてくれるのではないかと」 「もう……お前と話す気はない。イヴ!!」 アベルの呼び掛けと同時にパンっと音がした。ノエのデリンジャーが手元を離れ、宙を舞った。アベルもそれを合図に走り出す。 イヴが先程口元に手を当てた時、数滴血液を床に撒いていた。それを瞬時に硬化させて、デリンジャー本体に当てたのだった。 イヴは低い体勢からそのまま懐に入り込み、溝落ちに一発入れた。 吹き飛ぶノエの身体。イヴはアベルの背中を追う。 その時だった。パァンという銃声が1つ、後ろから聞こえた。そのまま銃弾はアベルの左足をかすった。 「はぁ……はぁ……ちゃんと予備もあるんですよ。絶対に逃がしませんからね……」 肋骨が折れる程の衝撃を受けたはずの、ノエのあがきの一弾だった。 左足を引きずりながらも階段を登り、必死に外まで走るアベルとイヴ。ほの暗い研究所内部では、薄気味悪くノエの大きな笑い声が響き渡っていた。
ギフト
0