バビロンプロジェクト
第7話 園遊会
 ベアトリスが幽霊屋敷を買い取ったという話は、またたく間に人々に知れ渡った。 「なんとまあ……ご領主様も、酔狂なことを」 「さすがに黒髪の女は違うな。幽霊も何も、怖くはないと見える」 「改築されて、ずいぶんときれいになったそうですわよ」 「幽霊など、噂にすぎんさ。女伯爵も、そう考えたのだろう」  純粋に驚き呆れる者、皮肉る者、羨ましがる者、当然のことだとうなずく者など、その意見はさまざまだった。  ただ、誰もがその屋敷が本当に幽霊屋敷だったのか、改築されてどんなふうになったのか、興味津々だったのは間違いない。  そんな中、お披露目の園遊会が開かれることが、発表された。  むろん、参加できるのは招待を受けた者たちだけだ。  ただ、アッシュローズ伯爵家の召使いたちだけでは客をもてなすには足りないため、臨時に人を雇うことになった。  たとえ下働きでも屋敷の中を見たいと思った者が多かったのだろうか。  募集には、多くの人が詰めかけた。  とはいえ、実際に雇われたのはその半分程度の人数だったけれども。  そして、園遊会の日。  招待された人々の多くは、庭園の明るく美しい姿に目を見張った。  屋敷は改築され、庭園も手を入れられているのだから当然とはいえ、そこには噂で聞いたようなおどろおどろしい姿はどこにもない。  晴れた空の下、色とりどりのバラが咲き誇り、緑はまぶしいばかりだった。  中央の噴水からは、涼しげな水が吹き上がり、円形の水盤にはスイレンの葉が浮いている。  その傍の四阿あずまやでは、ベアトリスとその友人らがお茶を楽しみながら歓談に興じていた。  その中に、ベアトリスの父と同年のリンドル男爵がいた。  彼は、先程からあまり会話には加わらず、ただお茶を飲みながらあたりに目をやっていたのだが、ふと呟くように言った。 「なんだか、この光景を見ていると、懐かしく感じる……。昔はここで、こんな園遊会がよく開かれたものだった」 「あら。男爵は、かつてのここをご存じですの?」  それを耳に止め、ベアトリスが尋ねる。 「ああ。……ここの以前の持ち主だったマーローン卿の奥方と、私の妻は友人でね。その関係で、ここにはよく招かれたものだよ」  うなずく彼に、他の者たちもそちらをふり返った。  その場にいる者の多くは、ベアトリスとさほど変わらない年齢だ。  つまり、この屋敷が幽霊屋敷と呼ばれる前のことを知らない者ばかりでもあるということだった。 「そのころのことを、お聞きしたいわ」  ベアトリスが、代表するように言った。 「かまわないよ」  うなずくと、男爵はかつてのことを思い出すままに、語り始めた。 「ここの庭園は、すばらしく良く手入れされていてね。さまざまな種類のバラが植えられていたものだ。園遊会は二月に一度ぐらいの割合で開かれていたんだったかな。招かれるのは、彼ら夫妻の友人がほとんどだったが、時おりこの街の名士らも招かれていたな。ベアトリス、君のご両親ともここで顔を合わせたことがあるよ」 「わたくしも一度、父に連れられてここに来たことがありますわ」  ベアトリスは微笑んで、うなずく。 「ほう? だが、子供には退屈だったんじゃないかね?」  笑って返して、男爵はふと思い出したように言った。 「そういえば、マーローン卿にも当時、娘さんがいたな。……その上に息子さんが二人いて、その二人とはずいぶんと年が離れていたと記憶しているが……。そう、名前はたしかエミリーといったか……」  途中で言葉を濁し、顔をくもらせる彼に、ベアトリスは首をかしげる。 「どうかされまして?」 「いや……。話していて思い出したのだが、あの子はたしか、亡くなったのだよ」  言って、男爵は小さく吐息をついた。 「マーローン卿は、気の毒な人だった。……奥方が、夕暮れ時に外に出て行方知れずになってしまって、そのあとにあの子が亡くなったのだ」  彼の言葉に、他の者たちも顔を見合わせ、ざわめく。  上流階級の者であろうと、この街の人間であれば、日が落ちてから外に出てはいけないことは重々承知していた。また、外に出た者が帰って来ないだろうことも。  男爵も、それは同じだった。  悲しげにかぶりをふって、話を続ける。 「あの子――エミリーは、最後に母親が『ここで待っていて』と言ったという、四阿で毎日、暗くなる寸前まで母親が帰るのを待っていたらしい。それで、結局病気になって死んでしまったんだ」 「その四阿って、まさかここなんですか……?」  その場にいた若い貴族が、怯えた顔で尋ねた。 「いや。……以前はもう一つ、別の場所に小さな四阿があってね。そちらでのことらしいが」  かぶりをふって言うと、男爵はまた悲しげに吐息をつく。 「以来、マーローン卿は酒におぼれるようになって、とうとう亡くなってしまった。……そのころにはもう、私や妻との交流もなくなっていたがね。最後にここに来たのは、卿の葬儀の時だったかな。……庭師にはずいぶん前に暇を出したとかで、庭園はすっかり見る影もなくなっていたよ。息子さんたちも、そのころには卿とは絶縁状態だったとかで、もうここには寄り付かなくなっていた」 「それで結局、長い間空家のまま放置されていた……ということですのね」  ベアトリスが、呟くように言った。 「ああ。……以前は幽霊の噂を聞くたびに、気になっていたものだよ。卿の奥方が『人でないもの』となって、今でも屋敷にいるのではないかと考えてみたり、エミリーがまだ母親を探しているのではないかと思ってみたりしてね」  うなずいて、男爵は続けた。 「……だが、時間が経つうちに、そういう気持ちも消えて行った」  彼はつと、ベアトリスをふり返る。  手にしていたカップを置いて、姿勢を正した。 「君がここを買い取ってくれて、よかったよ。おかげでこうして、この屋敷と庭園がよみがえった姿を見ることもできた」 「男爵……」  軽く目を見張るベアトリスに、彼は微笑みかける。 「そして、今日は招いてくれてありがとう。……できれば時おり、こんな会を開いてくれると、うれしいな」 「ええ、男爵」  うなずく彼女にもう一度微笑みかけて、男爵は軽く手をふり、四阿を出て行く。  その背を見送りながら、ベアトリスは園遊会を開いた意義はあったのかもしれないと考えた。  夕方。  園遊会は終わりを告げ、庭園内に用意されたテーブルや椅子もかたずけられて、あたりはなんとなく閑散としていた。  空は茜色に染まり、あたりにはまだ暗くなる前の黄昏の光が漂っている。  そんな中、ベアトリスは一人で庭園の中をゆっくりと散策していた。  中央の噴水の傍まで来た時だ。  そこに白いエプロンドレスの女の子がいるのに気づいて、足を止める。 「エミリー?」  呼びかけると、女の子がふり返った。 「あなたは、誰?」 「わたくしは、ベアトリスよ。……あなたはここで、何をしているの?」  怪訝そうに小首をかしげる女の子に、ベアトリスは問い返す。 「私? 私は、お母様を待っているの。……お母様がね、ここで待っていてっておっしゃったから」 「そう……。でも、あなたのお母様はもう、ここには来ないかもしれなくてよ?」  答える女の子に、ベアトリスは静かに返した。 「そんなことないわ。お母様は、いつでもお約束は守って下さったもの」  女の子は屈託なく笑って答える。  その笑顔に、ベアトリスは少しだけ胸の痛むものを感じた。  目の前にいるのが幽霊なのか、それとも『人でないもの』なのかはわからない。  なんにせよ、母が最後に残した言葉を、今も守って待ち続けているのだ。  ベアトリスは、つと空をふり仰ぐ。  天空を染めていた茜色は急速に闇に飲まれ、周囲は暗くなり始めていた。  同時に、乳白色の霧がゆっくりと地面から立ち昇り、あたりを包んで行こうとしている。 「あなたも、もう帰った方がいいわ。……完全に日が落ちたら――」  言いかけて、ベアトリスは小さく息を飲んだ。  さっきまでそこにあったはずの女の子の姿は、どこにもない。 「日没と共に消えるのなら、『人でないもの』ではないのかもしれないわね……」  ややあって、苦笑と共に呟くと、彼女は足早に建物の方へと戻り始めた。  たとえ自分の屋敷の敷地の中であっても、日が落ちて外にいるのは危険なのだ。  最後の日の光が地平線に消え去る前に、ベアトリスはなんとか安全な屋内へと入ることができた。  扉を閉める前、ふと背後をふり返ると、たった今たどって来た道が濃い乳白色の霧に埋もれ、消えて行くところだった。  その霧の中に、ちらりと女の子の白いエプロンドレスの裾がひるがえるのが見えた気がする。 (あの子はこの霧の中でも、ただひたすら母親を待ち続けているのかしら……)  呟く胸に、カーマインから聞いた話がよみがえった。  夜の闇と霧の中に消えた人を探すために夜に外に出て、そのまま戻らなかった者の話だ。  その者は『人でないもの』となり、しかしながら求める人とは出会うことができず、ただかつての家の前で扉が開いて戻れる時を待っているのだという。  あの女の子――エミリーもまた、そんなふうにあそこで母親を待ち続けるのだろうか。  再び胸が痛むのを感じながら、ベアトリスは扉を閉め切り、屋敷の奥へと入って行った――。
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