樹 琴葉
書類の心理戦
一瞬、訳がわからず、ポカンとする。 嘘だろ。 性格ゲロブスじゃねぇか。 書類を突っ返そうと軽く小走りで追うと、玄関から壮年の男性がお供を連れて下りて来る。 ゲロブス美少女の前まで来ると、足を止めて、だらしない笑顔を作る。 美少女はすかさず敬礼の姿勢を取ると、 「本日より鎌倉署に配属されました『如月弥生(きさらぎやよい)』と申します。若輩にて至らないところも多々ありますが、宜しく御指導、御鞭撻のほどお願いします。」 と、挨拶した。 壮年の男性、もとい、我が鎌倉署の署長である『大崎』がわざわざ出迎えるとは、、、。 俺は、自分が始めて署長に挨拶した時のことを思い出す。 確か、署長室を入り、同じように挨拶をしたときは、ゴルフのパットの練習中で、振り返りもせず、背中しか見えなかった。 あぁ、いとうクンね、頑張ってとだけ言われた気がする。 完全にタイミングを失った俺だが、署長の睨むような視線を浴びる。 「ん?伊藤巡査長。何か御用ですか?」 いつもは『伊藤巡査長』なんて呼ばないし、そんな口調じゃないだろと思いながら、書類の件を説明しようと横目で美少女を見る。 視線は合わず、表情からは何も伺えない。 チクるみたいで気が進まないが、こういう女は初めの格付けが大事だ。最初に甘やかすと、つけ上がるのは目に見えている。 俺は署長に話しかける。 「いや、実はですね。この書類、、、」 そう言いかけると、美少女が頭を下げ割って入った。 「大崎署長、大変申し訳ありません。私、前配属の高津署にこの書類を返却し忘れてしまいまして、、、。」 俺は、途中で割り込まれたことに腹が立ったが、 自ら謝り、事情説明し出したことに、感心して驚いた。 なんだ、それほど悪い子じゃなかったんだな。 そう感じて、少し表情が緩む。 ちょっと自分がチクろうとしてたことに大人げなさを感じて後悔した。 「こまっていたところを、こちらの『伊藤巡査長』が、届けて下さるとお申し出下さったんです。」 へ? やられた。 このクソガキ、、、と思ったが、すでに署長は 「ほぅ、、、。」 と少し感心した感じで俺を見る。 完全に先手を取られた。 ここから俺が何を言っても巻き返しは不可能だ。 軽く『如月弥生』を睨むと、俺はすぐに切り替えた。 こうなったら、『いい人アピール作戦』だ。 「そうなんですよ、署長。今日はもう上がりなんで、この後予定もなかったですから。そこに、この子が、困ってるっていうじゃないですかぁ、、、。俺、困ってる人を見ると放っておけなくて!」 俺は勝ち誇ったように横を見る。 相変わらず、視線が合わず、表情からは何も読み取れないが、 一矢報いた。 書類を届けるという雑用は発生したが、仕方ない。 こんなヤツの歓送迎会も興味が失せた。 どうせろくでもないドブスが合コン参加に違いない。 きっとそうだ、違いない。 合コンへの未練がない今、最善は、署長の評価をあげておくことだろう。 「たいしたことのない書類ではあるのですが、一応署内の情報が記載しておりますし、元は私が引き継ぎミスをしたのが原因ですから。本来なら上司の許可を取ってから正式に『伊藤さん』にお願いすべきでしたが、、、ご報告ご相談が逆になってしまい申し訳ありませんでした。」 そういうと長い黒髪が横顔が隠れるほど頭を下げた。 相変わらず表情は伺えないが、俺は頭を下げさせるところまで逆転劇を持っていけたことに満足していた。 大人をナメるなって話だ。 署長は 「いやいや、いいんだよ。気にすることじゃないよ。伊藤巡査長の好意を無下にするのもアレと思う、君の優しさじゃないか。」 と全く怒る素振りを見せない。 女に甘いなぁと思う。 「私は遠慮させていただいたんです。自分で届けると。でも、伊藤さんがどうしても自分が届けるときかなくって、、、。届けるかわりに、前の部署の子を集めて合コンをセッティングしろって言うんです。私、怖くなっちゃって、、、断り切れず、つい書類を渡してしまいました。本当に申し訳ありません」 再び深々と頭を下げる。 今度は横に流れた黒髪の隙間から、口角がつりあがるのがしっかりと確認できた。 署長の顔が見るからに怒りに満ちあふれていく。 「俊輔、お前、なんてことを!」 「いや、違うんですよ、署長。」 「何が違うんだ!違くない。」 「いや、騙されないで下さい、署長。」 もう、何を言っても無駄だった。 他の署員はもちろん、通行中の一般市民もいる中、数分間の叱責を受け、その間に俺に許されたセリフは 「はい。すみませんでした。」 ただそれだけだった。 最後は 「伊藤さんも元々は親切心で届けて下さると仰って下さったんです。それを、今日の私の歓送迎会にお誘いしたばっかりに、変に勘違いさせてしまったみたいで、、、。署長、全ては私が悪いんです。どうか許してあげてください。」 と、なぜか恩を押し付けられて助けられた。 「みろ、如月さんは本当に優しい人間ができた方だ。お前もよく反省して、御礼を言いなさい」 署長は腕組をして、完全に俺を見下ろしている。 「すみませんでした。お許しいただきありがたいございます。」 俺はかつてない悔しさで一杯になりながら、小娘に頭を下げた。 「さ、馬鹿は放っておいて行きましょう。署内を案内します。」 と声が聞こえ、二人は立ち去って行ったが、俺はあまりの悔しさに頭をあげれなかった。 「書類はしっかりと届けるんだぞ!」 遠くから署長の声が聞こえた。
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