樹木緑
第1話 プロローグ
僕には忘れられない夏がある。 まだ残暑も残る8月の校舎。 3階にある美術部部室。 真っ白なキャンバスと絵の具の匂い。 部室の窓から時折入るさわやかな風と木漏れ日。 途切れることの無い蝉の鳴き声。 入道雲と時折訪れるスコールとも呼べる雷と雨。 誰も居ない夏の校舎の大きな木々に隠された窓は、僕にとってはちょっとした、ほんの小 さな隠れ家的存在だった。 木造旧校舎の3階の隅にある部室には、ほとんどと言って良いほど人が来ない。 ましてや、もうすぐ終わろうという夏休みの後半では。 そんな誰も居ない少しだけ木漏れ日が入る午後の部室で、静かに微睡むことが好きだった。 僕の全てはあの時にあった。 愛する人のはにかんだ笑顔と僕を見つめるその瞳。 風になびく柔らかそうな黒髪。 僕の髪をかき上げるその長い指。 僕の頬をやさしく包むその大きな手。 頬をなぞりながらそっとくれるキス。 彼の唇から愛してるとそっと漏れる吐息。 隠れて何度も何度も熱いキスを交わしたあの校庭。 暑さなど感じもしなかった。 ただ、ただ、彼の中に溶けてしまいたかった。 彼以外何も欲しくなかった。 何を捨てても構わなかった。 彼が好きだった。 凄く、凄く、凄く好きだった。 彼は僕の世界の全てだった。 でも、僕の永遠はあの日に終末を迎えた。
ギフト
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