「今日も売れなかった、か。」
僕はそっと肩を落とした。
そこは同人誌即売会の会場で、僕は幾つも並べられた長机の一角にいた。
机の上には何冊もの自作小説が重なっており、それは開会の時から変わっていなかった。
「それに比べて…。」
お隣はずいぶんと盛況している様子だった。何人もの立ち読みが入れ替わり立ち替わり、薄くはない冊子をめくる。やがて立ち読み客は値段を確認し、支払い、冊子を手に次のブースへと向かった。
隣のブースの男性は愛想のいい笑顔を浮かべ続けていた。開会前には軽い挨拶もした。
「お隣なんですね。よかったら私の本を読んでいただけませんか?」
そういって冊子を手渡された。あまりにも自然に渡すものだからついつい手に取ってしまった。そして、その後に慌てて自分の冊子を渡した。彼は嬉しそうにそれを受け取り、大切に読みますね、と言った。彼の冊子には、夢中になって読むに足りるだけの文が書かれていた。
人当たりのいい性格なのだろう。だったらなんでそんな人間が小説なんて書いているのか、と疑問に思った。やがて人の流れも落ち着いてきた頃、
「あなたはよくイベントには参加されるんですか?」
僕に語りかけてきた。
その頃、僕はどうして自分の冊子は売れないのか、と歯がゆさをかみ殺していたので、咄嗟に返事が出来なかった。
「じつは私はこういったイベントに参加するのは初めてで、ずいぶんと緊張していました。」
鼻をかきながら、人好きのする笑顔を浮かべている。
「僕には、とてもそんな風には見えなかったな。立ち読みも耐えなかったし、問題なく対応も出来ていましたよ。」
「だといいのですが。」
「まあ、あなたからしてみれば、私の方はずいぶんと落ち着いて見えたでしょうがね?」
「そうですね。」
ひがみの一言は軽い笑顔で流されてしまった。
「失礼ながら、宣伝活動などはされましたか?」
「宣伝?」
そうです、と彼はあごに手を当てた。
「ものを売るというのは、良いものを、良さがわかる人に知ってもらって初めて成り立ちます。どうにもあなたはその活動をされていないように見える。」
「ここは即売会ですよ。書きたいものを書いて、それが良ければ売れる。よくなければ売れない。それだけでしょうよ。」
「それは少々夢見がちと言わざるを得ませんね。」
彼は苦笑した。
僕は彼の余裕が腹立たしかった。
彼はとうとうと語った。
「はじめ、この会場に着いたときには、不安で胸がいっぱいでした。私の本は読んで貰えるだろうか、手に取って貰えるだろうか、と。」
「でもそんな気持ちは吹っ飛んでしまいました。あなたが私の本を読んでくださっているのを横目に見ていました。面白い、と思ってくださっているのが見て取れました。だから、私は自分の本に自信を持つことができたのです。」
「私はあなたの本を良いものだと思います。後はそれを知ってもらうことができれば、今日のような思いはしなくてすみますよ。」
僕は、自分の思い込みを正され、しかし素直にそれを受け容れることが出来なかった。
「あなたの本は良いものです。この本を書いた僕が保障しますよ。」
そういって彼は名刺を差し出した。
「ぜひともこれからあなたの活動を応援したい。こちらに連絡をいただけませんか?」
「いいんですか?」
僕はその評価が嬉しかったし、しかしそれを素直に表現できないもどかしさもあった。自分の人格の不出来が恥ずかしかった