私はこれまでずっと勘違いをしてきた。
自分には絵の才能があるのだと思っていたのだ。
実際、私は周囲の人間と比べるとダントツで絵が上手かった。だから、私は自分は絵の天才だ、などと自負していた。
しかし、その自信は芸大進学によって見事に打ち砕かれた。私は芸大の中では凡庸な存在に過ぎず、卒業制作こそなんとか完成させたものの、評価はあまり芳しくなかった。そこで失った自信は取り返すことができず、いつしか絵を描くことを苦痛に感じるようになり、やがて筆をとることを止めたのだった。
あるとき、偶然高校の友人と久しぶりに会って、酒でも飲もうという話になった。自然な流れで話のネタは仕事についてになった。
「サラリーマンってのも大変だよ。好きでもなんでも無い仕事をさせられるんだから。その点お前は良いよな。おまえ、芸大に行ったんだろ?好きな絵を描いて仕事してるのか?」
「俺はもう自分の絵を描くのはやめたよ。今は絵画教室を開いて、子どもに教えてるだけだよ。」
「ふーん、あんなに絵が上手かったのに、勿体ないな。」
「そうかもな。」
お前になにが分かる、という言葉は歯を食いしばって飲み込んだ。やがてお開きになった帰り道で私は無性に腹が立って、道端に落ちていたカンを蹴飛ばした。
芸大には私よりも才能があるヤツも私の十倍努力するヤツもいた。その中で私は数居る生徒の一人にしかなれなかったのだ。私とて何もしなかったわけではない。むしろ、それまで以上の努力をしてきたつもりだった。しかし、それでも教員たちの評価という結果には繋がらなかったのだ。だから、自分には絵の才能など無かったのだ。そう悟るしかなかった。いや、悟ったふりをしていた。ただ、自分の絵が上手くないことの言い訳を探していただけだった。
絵画教室では、子どもにも絵を描くことを教えていた。特に小学生には美大への進学を意識すること無く、のびのびと描かせていた。そして時折、ちょっとしたアドバイスをするにとどめていた。小学生など好きなマンガやヒーローの絵を描くことが多い。そうした絵はちょっと形の狂いを整えてやるだけで見違えるようになるものだ。子供たちは私がアドバイスをする度に魔法を見たかのように驚いていた。
あるとき、小学生の生徒に聞かれたのだ。
「先生はどんな絵が好きなの?」
「私は抽象画が好きだったね。君は?」
「僕はマンガ!」
その時、ただ好きな絵を答えることすら苦しかった。自分の絵を思い出したくなかったのだ。
生徒は無邪気に笑って言った。
「先生、絵を描くのって楽しいね!」
絵を描くのが楽しい。
それは久しく忘れていた概念だった。思えば物心ついたときから、親や友人にお前は絵が上手いと褒められて、それを喜んでいた。芸大では比較対象が私以上に絵が上手い人たちとなり、上手いと褒められることが無く、やる気が萎えてしまった。
しかし、この生徒はどうだ。
技術的にはまったくもって下手くそだ。しかし、彼の描く絵にはいつも活き活きとした魅力があり、そしてなにより彼自身が楽しそうだった。
「もう一度、描いてみようかな。」
絵を描くのが楽しい。そんな単純なことすら忘れていた。そうだ、絵は上手いかどうか、才能があるかどうかじゃない。絵を描くのは楽しいんだ。
そう思うと心がすっと軽くなった気がした。
そうして私はもう一度筆をとった。