すたじおうぇーど
えいゆうのくに
 ────────かつてこの世界は、混沌を極めていた。 五つの種族、五つの国。彼らは互いに争い合い、世界は激しい戦火の渦に囚われていた。戦地へと駆り出された数多の民が死に、魔力を過剰に吸い上げられた土地は荒れて作物ひとつ育たぬ枯れた地となった。人々は自身の国を、家族を、一つの慈悲もなく破壊して回る敵の国に、恨みを募らせていた。けれど心の隅っこのどこかで、ずっと平和を願っていた。  そんなある時。ある一人のミィマニア人──『リィキィ』がミーマニィル国の国王となる。それまで王政ではなかったミーマニィルの、初めての王であった。彼は四つの国の長全員を言葉巧みに説得し、『会談』と言う形での『無血終戦』を実現してみせた。待ち望んでいた平和が訪れた人々は歓喜し、三日三晩彼を讃える宴が続いたのだという。  その後、戦争を終わらせた彼の王が君臨する国、『ミーマニィル』は、人々に慕われ親しまれ、繁栄の時を過ごしていく────────。 「おお!ついに来たぞ、ミーマニィル!」  検問を潜り抜け、眼前に広がる賑やかな街並みに歓声を上げたのは、たくさんの荷物を抱えた旅人、といった風体の女性だ。検問の列を待つ間に読んでいたミーマニィルの史伝書を仕舞い込み、彼女は青い空を仰いだ。大きく深呼吸をして、念願のミーマニィルの空気を吸い込む。 街には曲線的な建物が多く、白い……石だろうか? 恐らく石造りと思われる建物が並んでいる。その建物たちの扉の代わりに、出入り口に下げられているのは、個性豊かで鮮やかな布だ。それが真っ白な街並みに彩りを与えている。 他国では中々お目にかかれない『ミィマニア人』が、建物の中を行ったり来たりと忙しそうに動いている様子を視認できた。ミィマニアの特徴である、色々な動物の混ざったキメラのようなその姿は、一目で彼らがミィマニア人であることが分かる。 「そりゃあ母国がこんなにいい場所じゃあ、別の所に行こうなんて思わないよなぁ」 旅人は納得したように頷く。  一括りにミィマニア人と言っても、彼らは様々な姿形をしている。単に、色々な動物の要素が混ざっているという部分もあるが、限りなく人の形に近い者から、完全に人の形では無い者まで、その姿は多種多様だ。 ミィマニア人には三段階の姿があり、生活のしやすい姿というものがそれぞれ違う。動物形態、半動物形態、それからヒト形態。ヒト形態は耳や尾、翼などは残っているが、その他はヒュマニア人──所謂人間だ──とほぼ同じ姿になる。  などと考えながら、旅人は道ゆくミィマニアの人々を眺めていく。 なんというか、今日は妙に人が多い気がする。しかしまあ、初めて来た国なのだから、自分が知らないだけでこれが普通の状態なのかもしれない。そう旅人は自身を納得させ、呟いた。 「それにしたって、すごい賑わいっぷりだなあ。やっぱ人気ナンバーワンの国は格が違う」 「んや、『祭典』が近いからだぜ」  斜め後ろから突然聞こえた、自身の独り言への応答に、旅人は驚きで目を丸くして振り返る。が、視界には何も入らず、はて? と首を傾げた。 「こっちこっち、下だよ下!」 「おぉ⁉︎」 再び聞こえた音の発生源に旅人が視線を下げると、丁度太ももの辺りに何やらモフモフとしたものが揺れている。飛び退いてその全容を確認すると、少し長めの三角耳に、ふわりとしなる尻尾、宝石を思わせる大きな金色の瞳、腰と頸あたりから生えている二対の翼。様々な動物の要素が混ざっているが、均衡の取れた美しいバランスを保つその姿は、その人物が『ミィマニア人』であることを示している。三段階の姿のうち、ちょうど真ん中の『半動物形態』だろうか、と旅人はあたりをつける。 その人物は、自身よりずっと大きい旅人の影に隠れるようにして、フード付きの長いローブの中身を見せてくれていた。彼女……いや、彼だろうか? 彼は旅人が自分の姿を見とめたのを確認したあと、すぐにその体をローブの中に隠してしまう。 「えぇっと、あなたは……」 「オレはセル。キミは旅人だろう? 少しお話しよーよ」 どちらともつかない中性的な声で『セル』と名乗ったミィマニア人は、ミィマニア人特有の美しさを持つその相貌で、フードの隙間からにこりと形の良い笑みを浮かべた。   セルに「奢りだ」と手渡された、串に刺さった『モッコロ』を受け取り、旅人は人気の少ない路地のベンチに腰掛ける。対面にある樽の上にひょい、と身軽に乗り上げ腰を下ろしたセルは、手にしていたモッコロにサクリと噛み付いた。それに倣い旅人もモッコロを口にする。出来立てだとわかる熱々のモッコロは、歯を立てると小気味良い音をたてて簡単に噛みちぎれた。サクサクとした衣の食感と広がる芋と肉の旨味に自然と頬が緩む。 「うまいだろー? ミーマニィル名物『モッコロ』!」 「ああ、これは美味しい。それにしても、悪いね、奢ってもらって……」 「いーんだよ。入国早々声かけちゃって、こっちこそごめんなー。ちょっとキミの話が聞きたくってさ、これはそのお駄賃ってことで」 そう言って、セルは残りのモッコロを平らげぺろりと口の周りを舐める。てちてちと毛繕いをしながら、言葉を続ける。 「キミのその風体、いろんな国を旅してんだろ?」 「そうだよ。四つの国を回りきって、このミーマニィルが最後の国なんだ」 「ほう! そりゃ良いな! たくさん話が聞けそうだ」  この世界には五つの国がある。ミーマニィル以外の国は全て訪問済みで、このミーマニィルで旅人の国を回る旅は完遂だ。 「キミが見てきた国の話、是非聞かせてくれ!」 セルは瞳を期待に膨らませて、旅人の見てきた国の話をせがんだ。 「────────で、アニマニールでは飼えるペットの制限が厳しくてね」 「ふうむ……やっぱ自分らと似た姿の動物を愛玩動物扱いすんのは、抵抗あんのかね〜」 「爬虫類とか昆虫系は許可されていたみたいだから、そう言うことなんだと思うよ」  うんうん、と頷きながら「まーオレもその気持ちはわからんでもない」とひとりごちてセルは旅人の話を促す。確かにセルの容姿はケモノのようで、共感できる部分があるのだろう。 「エルニールは国全域が木で覆われていて、流石自然大国って感じだったよ」 「エルフィア人って美人が多いって聞いたんだけど、実際どうだったんだ⁈」 「美人も美人、眉目秀麗頭脳明晰、魔法の名手がわんさか」  尖った長い耳と金の髪、妖精のような相貌に、その見た目に違わぬ優れた魔法の腕。自然と一体化したエルニールの国は、ミーマニィル王国の次に観光地として人気のある国だ。 「ほほお……旅人さんは、魔法とか使えんのか?」 「私? あまり得意ではないけれど、火の魔法を少々」 「おお〜! オレも魔法、けっこー使えるんだぜー」 「へえ。ミィマニアの人は、エルフィア人と並んで二大魔法使いと呼ばれるくらいだし、すごいものが使えそうだね」 「へへへへ」  と、随分話し込んでしまったみたいで、路地に差し込む光が赤くなり始めていることに旅人は気がついた。この国に来て、まだ宿すらとっていなかった旅人は慌てて立ち上がる。 「まずい、このままじゃ野宿だ……‼︎」 「げ、もうこんな時間か」 手早くセルに別れを告げて駆け出そうとする旅人を、セルは呑気に呼び止めた。 「まーまー、どうせ今から探したって空いてる宿なんかねーしさ。足止めしちゃった詫びも兼ねてうちに来いよ」 「え⁉︎い、いいのかい?」 「へーきへーき! この国に入れたってことはちゃんとした身分証とかあんだろ?」 セルの問いかけに、旅人は頷いて懐をあさる。取り出したのは、家紋と名前、魔紋認証のついたカードだ。 「おお? 結構いいの持ってんな……もしかして割とお嬢様?」 「ははは……第一子ではあったけれど運良く女で、後を継ぐこともなく好き勝手やらせて貰っているよ」 カードを覗き込んだセルは、その家紋と身分を見て満足そうに頷く。 「これなら拒否されることもなさそうだな! よーし、行くぞ」 「は、はい!」 🐾 🐾  月白の壁に、夕の陽を思い起こさせるブライドゴールドの宝石が、銀でできた枠にはめ込まれている。それは素人が見ても相当の価値があることを察せられる程の、豪華絢爛な建物……というか、城、だった。 「……セルくん?」 「ん? なんだー?」 旅人は目の前の建物を見上げて、ゴクリと喉を鳴らす。震える声で先導していたセルに問いかけた。 「これは……………………王城……………じゃないかな……………」 「城だな!」 元気よく肯定の意を吐かれた旅人はがっくりと頭を抱える。そんなまさか、いやしかし、王城、そしてそれを「うち」と称した目の前にいるミィマニア人────。 「君は、その……もう『継名つぐな』は授けられてたり?」 「ん? ああ。フルネームで名乗ってなかったなー」 旅人の震える問いかけに ぽん! と手を打ち、セルは改めて自身の名を口にする。 「オレの名前はセルキィ。付名は『セル』、継名は『キィ』」 「セルキィ…………『キィ』だって⁈」 「まだ授けられて日が浅くてさぁ。つい名乗るの忘れちゃうんだ」  『付名つけな』とは、子が生まれた際に親から付けられる名のことである。それには親から子への願いや思いが込められる。二〜五文字程度であることが多い。 そして『継名つぐな』………これはミィマニア人特有の文化であり、十六歳の成人を迎えた際に行われる儀式により、天から与えられる。魂や心の形を表した名で、こちらは二文字。 『リィキィ』────英雄の名を継いだ者は、ミーマニィルの「王」と「姫」となる。それが、この国に古くから続くしきたりである。王や姫に性別は関係なく、『リィ』を継いだ者は「王」に、『キィ』を継いだ者は………「姫」に。  旅人は国に入る際も読んでいた、『ミーマニィルの史伝書』に書かれていた説明を、脳内でそのまま反復する。あれは非常に分厚く、まだ全ての文を読み切ったわけではない。そのため名前について知らないこともあるかもしれないが、大方この認識であっている筈だ。 「姫様! どちらへおいでになっていたのですか⁉︎ あれほど夜遅くまで出歩いてはならないと申し上げたと言うのに……!」 「げぇっ! ジグニルっ」 「もう貴方様は下町の子供ではないのですよ! ……と、そちらの方は?」  セルの身分を察して硬直していた旅人に、突如として現れた身分の高そうなミィマニア人の言葉が、裏付けとして追い討ちをかける。 どうやら『ヒト形態』のようで、頭の上にちょこんと乗っている……狼だろうか? の耳と、腕に微かに浮かび上がっている鱗のようなもの以外は、ヒトの形だ。  セルキィにジグニル、と呼ばれた彼はあからさまに怪しむ顔で旅人を見ている。 「キミ、さっきの身分証!」 「えっ⁉︎ あ、ああ!」 セル……もとい、セルキィの声かけに肩を跳ねさせ、旅人は懐から先ほどの身分証を取り出す。身分証を見たジグニルは、何やら予想外だったのか、ぱちくりと目を瞬かせた。 「これは……随分と上等な証明書ですね。魔紋も……合っている。本人確認も完璧……」 ジグニルはじぃ、と値踏みするかのように旅人の身分証を睨みつける。そして一通り確認を済ませ、「ん゛ん゛!」と咳払いをしてから再び旅人に視線を戻した。 「オレの友達なんだ。宿を取り忘れたみたいでさ、一日だけ受け入れらんねーかな?」 「ふむ、ヒューマニル国の経済を握っているとすら言わしめる、大財閥のご令嬢とは……姫様のご友人となれば、城内への滞在も問題はないでしょう」 「あ、ありがとうございます」 無事今晩の宿を確保できた旅人は安堵の表情とももにジグニルに緩く頭を下げる。それにセルキィは満足そうに頷き、城の中へ足を向けた。 「じゃ今日はお別れだな。また話聞かせてくれ! ……今日はちゃんと城ん中いるからさぁ、引っ張るなよジグニル〜……」 「それではこちらの使用人に案内をさせますので、どうぞごゆっくり」 流石に夜まで話し込むのは駄目なのか、セルキィはジグニルに引かれるようにして城の中へと姿を消してしまう。  軽く手を振りそれを見送ると、入れ違いに使用人と思わしき人物がこちらへ歩いて来た。 「リンシイと申します。客室のご用意ができておりますので、こちらへどうぞ」 「リンシイさん。よろしくお願いします」 旅人の言葉に無表情で頭を下げて、リンシイは付いてくるように促す。  リンシイに案内され旅人が入った部屋は、王城と言うだけあって高級ホテルのような装いであった。 「こちらになります。何かありましたら、専用のベルでお呼び出しください」 「え、ええ……ありがとう、ございます……………」 一人部屋とは思えないほど大きい天蓋付きベッドに、緻密な意匠の施されたアンティーク机とチェア、踏むことを躊躇ってしまうような高級な糸で織られたカーペット。 実家が母国でも有数の財閥でなかったら、1mmの傷をつけてしまうことすら恐ろしく、今すぐに寝泊りを断って野宿を選んでいただろう。そう思うほどに上も下も高級品で満たされた部屋に、旅人はひくりと頬を痙攣らせた。窓枠に置いてある小花の生けられた小さな瓶ですら、割ってしまったら一体幾らの損害になるのやら、想像もつかない。 決してこの部屋に一つの傷もつけまいと心に刻み、旅人は王城という豪華すぎる宿部屋に身構えつつ踏み込む。  しばらく腰を下ろし長旅の疲れを癒していると、扉が二、三回ノックされ「御夕食をお持ちしました」と扉越しに聞き覚えのある声を掛けられた。おそらく部屋まで旅人を案内してくれた使用人、リンシイだろう。 旅人は漂ってくる食欲をそそる香りに、ぐう、とお腹の虫が鳴いた音を耳に捉えた。 「どうぞ」 「失礼致します」  運ばれてきた食事は、流石にセルキィ……この国の姫が食べている物には及ばないだろうが、それでも十分に美味しそうである。高価な食材が惜しげもなく使われているし、何より城内専属のシェフが作った物なのだろうから、料理の味は確かなものだ。 「食事を終えましたら、呼び鈴を鳴らしてください。我々使用人どもが食器を下げに参ります」 ぺこりと深く頭を下げ、リンシイは手早く部屋を後にする。それにお礼を告げて、旅人は運ばれてきた料理を見る。 再び腹の虫から空腹を知らされて、そう言えばこの国に着いてから、モッコロ一つしか口にしていないな、ということに思い至った。セルキィに奢ってもらったモッコロは大変美味しかったが、長旅をしてきたばかりの旅人の胃には、少々物足りない量だった。  それではさっそく、と行儀良く手を合わせてから、まずは黄金色のスープを口に運ぶ。出来立てなのだろう、旅人は湯気のたつホカホカの料理たちに、舌鼓を打った。 「ふー、おいしかった」  使用人たちにより食器が下げられていくのを見送り、旅人は満足そうに腹をさする。  ふと窓を見上げると、大きな白い月と数えきれないたくさんの星が空を飾っている。もうこんな時間か、と旅人はアンティークの椅子に腰掛け、なにやら手記を取り出し書き込み始めた。これは旅の記録をするもので、今までに訪れた四つの国、その中での様々な体験が綴ってある。  いくら大財閥のご令嬢と言えど、婚約者を探そうともせずに旅ばかりしている娘に、そうホイホイと大金は渡せない。こうなると、旅をするための資金が尽きてきてしまう。 そこで旅人は考えたのだ。旅を、『趣味』ではなく『仕事』にしてしまえばいい、と。 彼女の綴った【異国旅行記】は、旅に向ける並々ならぬ情熱と、実家から送られる仕事用の軍資金……金の力による破天荒な旅路が大いにウケ、重版に重版を重ねる大ベストセラーである。  今日の出来事を忘れぬうちに手記にまとめ、ふう、と一息ついた旅人は再び窓から空を見上げた。まさかの王城招待、という展開の濃すぎる一日となってしまったため、書き上げるのに随分と時間がかかってしまっていた。 ちらりと壁にかけられた時計を見ると、もう日付けが変わる時間だ。廊下の方から時折感じていた、仕事に従事する使用人の気配もなくなり、ほとんどの人が寝に入ったことが察せられる。 自分もそろそろ寝よう、と立ち上がり窓の方を振り返って─────────。 「よぉ」 「~~~~~~~~~~~~~~ッ⁉︎」  喉から出そうになった大声を、バシン! と自身の手で口を塞ぐことで、抑え込む。心臓も一緒に出てきそうになったのかという程驚いて旅人は後ずさった。 旅人が急な展開にあたふたとしているうちに、窓の外枠に張り付き手を振っていたその人物はするりと部屋に入ってくる。 「おいおい無用心だな〜……いくら王城っつってもさ、鍵くらい閉めとけよ」 「せっせせせせ、セルキィく………様⁉︎⁉︎」 「さ、サマとか付けんなよぉ! オレたち友達じゃんか!」 心の距離を感じる! と不満を漏らすのは、どこからどう見たってセルキィその人である。セルキィくん、と言いかけて姫であることを思い出し、慌てて言い換えたが、どうやらお気に召さなかったようだ。旅人は心臓を落ち着かせるために深呼吸をし、現れた人物が知っている者であることに胸を撫で下ろした。 「ど、どうしてここに……? 今日はお別れだって言っていたのに……」 城前で別れる際に、セルキィは確かに「今日はお別れだな」と口にしていたはずだ。 「だぁから言ったろ、今日はお別れだって」 ぴっ!と時計を指差して、セルキィは悪戯が成功したような笑顔を浮かべる。 時計が表す時刻は、零時十二分。ついさっき、もう日付が変わる時間だ、と思ったばかりの旅人はあっと声を上げる。 「もう昨日の出来事だけどな!」 なんという屁理屈、まさか最初からこうするつもりだったのか、と旅人は驚愕してぽかんとセルキィを見つめ………その邪気のない笑顔に、気が抜けてつい笑みを溢した。 「……紅茶も何もないけれど……歓迎するよ」 「へへ! やった、そうこなくっちゃ」 セルキィは嬉しそうに尻尾を振って、ぼすんと遠慮なくベッドに腰掛ける。 「昼間ん時の話の続き、しよーぜ!」  時計の短い方の針が三を回る頃、そろそろ話のネタも尽きてきた旅人は少し眠たそうなセルキィを見て、切り上げ時かな、と適当に話をまとめ上げる。 「私、実は作家をやっていてね。もし良かったらそれを買って話の続きを読んでよ」 「知ってるー、【異国旅行記】だろ〜? 全巻もってるぜー」 眠いのか間延びしたセルキィのその言葉に、旅人は目を丸くする。 今までに話して聞かせたものは、全てその本に記してある。全巻を所持しているというのなら、旅人の話などいちいち聞かなくともその内容を知っていた筈だ。それとも、持ってはいたけれど読むほどの興味が湧かなかったか──────。マイナスな思考に陥り、旅人は悲しげに目を伏せた。 旅人の疑問を察知したのか、セルキィは誤解を解くように少々慌てた様子で続ける。 「ぜんぶちゃんと読んだよ! すげー面白かったし! 話を聞きたがったのはその……本で読むのと本人に直接聞くのじゃ色々違うだろ! ………それに………………」 「それに?」 言い淀んだセルキィに、旅人は首を傾げて問う。沈んでいた表情は、セルキィの「面白かった」という言葉によって反転して明るいものになっている。 「………オレって姫じゃん。だから……二人きりになったら、なんか問題起こしてくれねーかなぁ……なんて」 「…………え?」  囁くような微かな言葉は、昼間の音の多い世界であれば聞き取ることはできなかっただろう。音すらも眠りについてしまったかのような、静かな夜にあって初めて、旅人はこの言葉を拾うことができた。 それはどういう意味か、と問いかけを投げようとするよりも早く、セルキィは俯かせていた顔を上げて言葉を紡ぐ。 「祭典! ……ってオレが言ったの覚えてるか?」 「『祭典』…………あっ!」  それは、この国に来てすぐ、セルキィに声を掛けられた時だ。 "───それにしても、すごい賑わいっぷりだなあ。やっぱ人気ナンバーワンの国は格が違う───。" "───んや、『祭典』が近いからだぜ───。" その時のやりとりを思い出して、旅人はつい声を出す。ずっと尋ねようと思っていたのに、話をせがまれるうちに忘れてしまっていた。 「……どうして、『リィキィ』の名を授けられた者が王と姫になるのか、知ってるか?」 「いいや、そこは……まだ知らないよ」 この国に来る前に『ミーマニィルの史伝書』をある程度読んではいたが、なんせ非常に分厚く、最後までは読み切ることができなかった。おそらくその未だ読んでいない部分に記されていたのだろう、思い当たる節のなかった旅人は素直にかぶりを振る。 「『リィ』も『キィ』も、ある文字を省略した言葉なんだ」 ほぼ当て字だけどなー、とケラケラ笑い、セルキィは説明を口にする。 「リィ──『リプケ・ニ・ツィルク』、魂のカケラ」 「キィ──『キアト・ニ・ツィルク』、記憶のカケラ」 セルキィが使った言葉は、昔の、それこそ戦争に明け暮れていた時代に使われていた、古い言葉だ。丁寧に今の言葉での意味も教えてくれる。  魂と、記憶のカケラ。それが何の、と言われたらやはり、かの英雄『リィキィ』のものなのだろう。 「英雄の魂を持つ王と、英雄の記憶をもつ姫。二人揃って真の英雄……ってわけ」 「それなら、『姫』じゃなくて『女王』でも良いのに」 何気なく思ったことを口にした旅人は、それがどうやらこの話の核心だったらしいことを、セルキィの纏う空気の変化から僅かに感じとった。 「姫は王への『供物』なんだ」  供物。それは例えば、亡き人へ贈る花であったり、神への貢ぎ物であったり。姫……生きた人の供え物とは、『生贄』……なにやら嫌な二文字が旅人の頭をよぎる。 古今東西、王族や良い所の娘と言うものは、他所の家との繋がりを得るための手段として使われることが多い。身分が身分なため、旅人自身、所謂攻略的な見合いと言うものを行った記憶が少なからずある。まあ、今こうして好き勝手旅をしている以上、その全てを断ってきているわけであるが。 しかし『供物』だなんて、随分と皮肉の利いた喩えだと旅人は眉を寄せた。 「祭典ってのは、王の即位の儀式をやる祭りなんだけどさ〜。その儀式の内容が、『姫』の『記憶』を捧げるってものなんだ」 あっけらかんと放たれた言葉に、旅人の顔がさらに渋いものへと変わる。 「姫の中にある英雄の記憶のカケラと、それを捧げられた英雄の魂のカケラを持つ王。……これで、王は真の英雄、てね」 そう言うことか。なにやら胸糞の悪い物の鱗片を感じとって、旅人は自分の表情がどんどん険しくなっていくのを自覚した。  セルキィ曰く、捧げる記憶は『英雄』の記憶のカケラだけで、それ以外の、セルキィ自身の記憶は捧げないらしい。けれど、大規模な魔法で無理やり記憶を抜き取るものだから、脳への負担が激しく、特に記憶を管理する機関に深刻な損傷が与えられてしまう。そのため、記憶のカケラ以外の、セルキィが今まで生きてきた全ての記憶までも、亡くしてしまうのだという。 今まで生きてきた記憶の、全てを亡くす。それはつまり、何も知らない赤子に逆戻りということになる。 「全部忘れて、亡くして、やり直し! 幸い祭典後は、死ぬまで国が城での生活を補償してくれるらしいから、赤子同然になったオレが下町に放り出されることはない」 仮にも国の『姫』だ、祭典後は象徴的なものとして大切に大切に城に置かれるのだと、セルキィは自嘲気味に述べる。 「ま、こんなんでも大変重要な役割であるわけでだな。名誉で光栄、オレは責任を持ってこれを完遂しなければならない」  小鳥の歌が鼓膜を揺さぶり、天蓋越しに差し込む陽の光に目蓋を焼かれ、ゆっくりと夢の世界から帰還する。 起き上がった旅人は、重い目蓋を擦りながら壁の時計を見やった。短い針は八、長い針は三を指しており、学ぶ身分にある若者であれば、そろそろ家を出る準備をしている頃だ。 昨晩は遅くまで起きていたというのに、このような早い時間に起きてしまったのは、セルキィとの会話が尾を引き良く眠れなかったからだろう。その証拠に、夢を見るような浅い睡眠しか得られなかった。 旅人は清々しい朝の空気とは正反対な、どこかしこりの残る気持ちで用意されていた朝食を取る。夕食よりもあっさりとした食事は、それだけが理由とは考えられないくらい味気なく感じた。  ──あーあ、愚痴っちゃった。ごめんなー、暗い話して。 なんて言っておちゃらけた様子で笑っていたセルキィの笑顔は、最初に会ったときの笑顔や、話を聞かせていたときの笑顔と何ら変わらなくて。だからこそ旅人に、僅かな違和感を覚えさせた。 随分と素直で、警戒心の薄い子だと思っていたけれど。旅人が思っていたよりも、ずっと隠すのが上手いのかもしれない、と。  朝食を終えて、旅人は手早く荷物をまとめ上げる。流石にそう何日も王城でお世話にはなれないし、旅人はある程度街を観光したのち今日中にこの国を立つつもりであった。 ……明日、祭典の日が訪れる。『儀式』を見届ける勇気を、どうしたって旅人は持つことができなかった。  城門の手前で、昨日に続き出口まで案内をしてくれたリンシイに、深々とお礼をする。それを相変わらずの無表情で受け取り、けれど昨日会った時よりも深く下げてくれた頭に、旅人は少しだけ、彼女の好感度が上がったような気がした。 「旅人さん!」 「……… ! 、セルキィくん」  リンシイに背を向けるよりも早く、城から駆け寄ってくるセルキィの声が旅人に届く。セルキィの後に続いているのは、昨日も会ったジグニルだ。 「よかった、間に合った! 今日帰るって言ってただろ? 見送りしようと思ってたんだけどちょっと寝過ぎちゃってな」 「まあ、昨日は…………」 遅かったから、と言いかけて、ジグニルとリンシイもこの場にいることを思い出し言葉を濁す。 セルキィは昨晩、なんと窓から来たのだ。こっそり抜け出して旅人の部屋まで来たであろうことは、想像に容易い。 「そんじゃ、元気でなー! また遊びに来いよ!」 「……うん。また……顔を出すよ」 『また』が来たときには、きっとセルキィは今までのセルキィではなくなっているのだろう、と複雑な心境で旅人は応えた。 別れを惜しむのもほどほどに、旅人はセルキィ達に背を向けて城門を潜ろうと一歩を踏み出す。 「……キミが、何か問題を起こしてくれたらな、ってやつ」 使用人たちに聞こえないよう、小さな囁くような声でセルキィは語りかける。 その声に反応して、旅人は振り返った、ことを。 「もしそうなったら、混乱に乗じて逃げてしまおうか、………なんて、」 ──思ってたんだ。 ……少しだけ、後悔してしまった。 🐾 🐾  華やかなパレードの音楽と、白い街並みにどぎつく映える、パレード用の豪華で鮮やかな馬車。それに乗り込んだセルキィは、慣れないヒトの形態とごてごてと重い装飾のなされた衣装に、無意識に息を吐いた。 馬車の外側から聞こえてくる歓声がうるさい。 慣れた笑顔を浮かべながらも、頭の上にある三角の耳は、できるだけ外の音を拾わないようにと馬車の内側へ向く。 気分はさながら、荒れた土地神を鎮めるために、氾濫した川へと向かう生贄の娘。 (……神などいないのに) 『リィ』の名を授かるのは、名家の息子や真っ当な血筋の者。 『キィ』の名を授かるのは、下町にいる……少し、貧乏な、一般市民の中でも下の者。 そもそも、天から名を授かるだなんて大仰に言っているが、実際に名を授けるのは『天』でも『神』でもなく『司祭』──が、天からのお告げを賜って名付ける。 ……お告げ。 鼻で笑ってしまいたくなる。 司祭とは代々同じ家系が務めており(もちろん貴族である)、それはもう、国とは深く深く繋がっている。 代々祭典を行い、王の誕生を祝い、頭でっかちな貴族サマ達は古くから続く伝統を守ることに余念がない。けれどいいところの娘や息子が『姫』として全ての記憶を失うのは、少々問題がある。 (つまりそういう、ことだったりするのである)  笑顔を振りまきながら、高い位置にある馬車の中から観衆を眺める。諸手を挙げて、歓声を上げて、新たな王の誕生を祝している。その下にある一人の献身など、誰も気には留めない。 唯一気に留めてくれそうな家族なんかは、名を授かる少し前にいなくなってしまっていた。………こんなところにも陰謀めいたものの影を感じてしまい、流石に捻くれすぎかと自分を笑う。  身体は生きている。 から、何だというのか。 何もかも、全ての想い出を、記憶を亡くして、空っぽになったそれは、果たして人造のクローンとどう違うと言うのだろう。クローンなんて、どんなに同じ見た目でも、その後の人生が違うのならば心も思考も言動も、きっと別人のそれとなるだろう。 いくら身体がそこに在っても記憶が伴わなければ、それはセルキィとは言えないと、セルキィオレは思っている。  ガタン、と馬車が揺れ、馬の蹄の音が途切れる。パレードは終わりを迎えたようだ。 名を授けられ、城に来て、ここ最近ですっかり見知った顔となったジグニルが外側から馬車の扉を仰々しく開いた。首を垂れて、こちらへ手を差し伸べる。 セルキィは心も体も男女両方のものを持っているため、美しい男にエスコートされたってそこまで嬉しくはない。しかも、死地へと導くエスコートである。 微妙な心境で彼の手を取り、けれど予行練習のとおりにしとやかに馬車から降りた。……群衆の求めるお姫サマの像に反吐が出る。  ジグニルのエスコートが終わり、組まれていた腕を解かれ、祭典での役目を終えたジグニルはそっと裏舞台へ身を引いていく。流石姫専属の執事なだけあって、手慣れたエスコートである。 ……勘違いをしないでほしいのだが、別に、ジグニルを嫌っているわけではない。彼のこなしている役割は嫌いだが。けれど何かを堪えるように、微かに震えた腕で引かれてしまっては、嫌おうという気は起きないだろう。  ジグニルに腕を引かれて来たそこは、大きな魔法陣の描かれた場所だ。高い高い台の上、ド派手な杖を握りこちらを見下ろす司祭に促され、セルキィはその魔法陣の中央へと歩み出る。 すると、司祭の立っている台の奥の方から、金糸の髪を靡かせて、司祭以上に高価と分かる服を着込んだ者が姿を表した。『インリィ』………これから、国王となる人物だ。自分は姫だというのに、彼を初めて目にしたという事実に気がついてしまい、耐えきれず口の端が歪む。 彼が自身と同じ模様の魔法陣の元に立ったことを確認して、セルキィは次の行動を思い出すために連日行っていた練習を頭で反復させた。  まずは片膝をつき、次に祈るように手を組み、そして首を垂れる。丁度のタイミングで涼やかで美しい鐘の音が響き、姿の段階をゼロ、『真化』という段階に変化させる。自身の生物の部位を急速に進化・発展させる────ミィマニア人が、もっとも美しくあるとされる姿だ。 ばさり、と頭部と腰部の翼が音を鳴らして空を切り、自分の姿がより美しく見えるよう体勢を整える。 淡々と、儀式が行われていく。  あの人は、旅人は、またこの国を訪れるのだろうか。 ……なんて他愛も無いことを考えながら、魔法陣が起動された時の光を、目蓋越しに感じた。 (あーあ) (死にたくないなあ) 🐾 🐾 《一年後》  なんだか懐かしい光景に、旅人は思わずと言った様子で目を細めた。 門を潜った先にある、曲線的な真っ白い石造りの街並み。以前来た時の、文字通り祭り前の賑やかさはないものの、相変わらず街は沢山の人で溢れている。  出来事が出来事だったため、あまり詳しくは書けなかったけれど、【異国旅行記〜ミーマニィル編〜】は人気な国なだけあり飛ぶように売れ、本日は第二弾を書くために一年ぶりに取材に訪れた次第であった。  ……一年前。あの、祭典の前日──。城の前で、セルキィから別れる際に告げられた言葉を思い出した。 あれはきっと、セルキィが最後の最後で漏らした本心だったのだろう。「逃げ出したい」と口にしたセルキィに、旅人は何をしてやることもできなかった。  セルキィはミーマニィル王国の姫で、国の一大行事を間近に控えていて。対して旅人は、ヒューマニア国の中でも有数の財閥の娘。もしあの日、城の者たちに身分が割れていた旅人が、なにかをしてしまったら。旅人がやったとバレなかったとしても、あの日城に訪れていた部外者は旅人一人であったのだから、まず真っ先に疑われることとなっていただろう。そうなれば、旅人とこの城の者という個人間での問題では済まされず、それぞれのバックにいる財閥や貴族、ひいては国同士の問題となってしまう。 ……もしも自分が、お偉いさんの娘などではなく、ただの旅人だったら。身分も立場も気にすることなく、まっすぐセルキィに手を差し伸べることができたのだろうか。ふと、そんな考えがよぎる。 もう過ぎたことだ。今更「もしも」の話なんて、それは自分の中にある罪悪感を、一時的に紛らわせているにすぎない。  街並みに歩いて、ふと、あのときモッコロをかじった路地裏を思い出す。あやふやな記憶で道を歩いていくと、薄れた記憶の中でも比較的鮮明な路地が姿を現した。 以前のように、ベンチに腰掛けようとして……………向かいの、樽の上からサクリと咀嚼音が届いた。 「…………………セルキィ?」 「んあ?」 てちてち、と食べ終わった口周りを舌で舐め、樽の上を陣取るその人物は、目下にいる旅人へ視線を投げた。 フード付きの長いローブで姿は見えないが、旅人はなによりもそのローブに見覚えがある。 「あー、もしかして、さいてん前のおれの知り合い?」  その口ぶりと、前より僅かに舌足らずな印象を与える口調に、『祭典』は無事完了してしまったことを旅人は測り知る。 「んんー。そのかっこう、で、ヒュマニア人。たびびとさん、かな」 「っ⁉︎ お、覚えているのかい⁉︎」 「はは、まさか。」 思わずぱっと顔を上げてセルキィを見たが、望んだ言葉の代わりにばっさりと否定の言葉を投げられる。 「ぜーんぶわすれてる、けど、知っている」 以前よりも作り物じみた笑顔で、フードの隙間からへらりと笑う。 「前のおれの、きおく。全部ノートにのこしてあったんだ」 「……そっか。……それでも、また会えて嬉しいよ。……私は………………君に、何かをしてあげることも、何かをできる可能性すら、何も……考えすらせずに、まるで逃げるみたいに……」 「今のおれは、それを体験してないからなー。せめることも、ゆるすこともできない」 わずかに困った空気で、セルキィは首を傾けた。 彼の言葉に息を詰まらせる。旅人は震える声で「…そうだよね」と返すのが精一杯だった。 口調が以前と似通っているのも、その記憶を記したノートが影響しているのだろうか。 「ああーごめん。落ちこませてしまった? 前のおれは、ねこを被るのがずいぶん得意だったみたいでなー。きおくがないから、前ほどうまく被れないんだ」  ──ああ、やはり。 以前のあれらも、変わらず作り物だったのだろう。 旅人はすとん、と納得してしまう。あの日一度だけ感じた違和感は、間違ったものでは無かったということか。 「おれさあ」 樽に座ったまま、セルキィはどこか遠くを見る目でひとりごちる。 「この国をでて、どっか遠いところへ行きたいんだぁ」 「……………。そっ、か」    その日の夜。王城の庭の木に、城に燃え移りそうなほど明明と夜を焼く炎が立ち上がったと言う。城は混乱に陥り、みな徹夜で消火活動にあたり、その功労あってか朝方にはなんとか火を消し止められたそうだ。しかし庭の草木の殆どが、燃えかす同然の炭と化してしまったらしい。 火器などは一切置いておらず、恐らくは魔法での放火であろうと、ミーマニィルの人々は囁いた。   数日後、ある国のある酒場。 目新しいものはないかと情報を集めに来ていた旅人の耳を、異国のお姫様が行方不明になったのだと、風の噂が掠めていった。
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