13 petal chrysanthemum
第二章 「博物館」
ごろごろと地面にまで響く余韻から、近くに落雷の落ちた音であると気付く。  すでに雨は上がって、木々の枝葉が雫を掃っている。微かに立ち上る靄は、風により彼方へと連れ去られていく。あいかわらず天空は低く、厚い雲に覆われ、六月の陽光はどこにも感じ取ることができない。  鳩はもういなかった。小屋の前にも、電線の上にも。ただ、小屋の前の路面に赤黒い塊を見て、夢の記憶が、持ち越した感情と深く接合しあい、鮮明に甦った。  公一は小屋から恐る恐る道路に出ると、また歩き出した。  歩きながら夢の内容を考える。  不思議な夢だった。  公一は射殺された鳩の立場など考えたこともなかったし、巨大な鳩が話した言葉には戸惑いを感じるほどだった。本当に公一自身の脳が作り出した虚像なのだろうか。忘れていて思い出せないことはたくさんある。そういった記憶の残骸が、勝手に組み上がった亡霊の一個なのか。あるいは、寝ている公一に憑り付こうとした本物の亡霊なのか。  祖父の散弾銃を触らせてもらったのは、公一がまだ幼いころのことで、重くて持つことすらできなかった。完全に忘れていたのに、夢のなかでは完璧に再現されていた。  鳩の脚につけられていたタグは、どういうことだろう。今まで、公一は脚にタグの付いた鳩を殺したことも、見た事も無い。しかも伝書鳩ではないと否定し、自分を競技者といい、〈アラシ〉と名乗った。そして何より不可解に思えるのは、鳩が虫を食べないという話だ。聞いた時、公一には新鮮な驚きの感情があった。新規の情報のはずである。本当だとすれば、雛には何を食べさせているのだろうか。  でたらめ、の可能性もある。公一の脳が作り出した嘘の話。  いずれにせよ、オカルトな現象でないとすれば、脳の不思議としかいいようがない。  (とりあえず、確かめてみよう)  出かける気力をすっかり失った公一は、目的地を変更した。  公一が住む町には、一つだけ博物館がある。公一が愛してやまない、心の癒しを得られる唯一の場所でもあった。  街のはずれに、小高い丘を包んだ森がある。その森の入り口に、飾りのついた金属性のアーチがある。それをくぐると、緩く長い坂道を、公一は駆け上がった。  やがて高い塀と、巨大な鋼鉄の門が、公一を出迎えた。噴水や、彫像がある庭の奥に、蔦に覆われた化粧タイル張りの洋館が、太古の遺跡のような佇まいで聳えていた。  〈桂川万物博物館〉  入り口の脇にある木製看板の文字は経年により掠れて、知らないものには判読できない。  受付の小窓は閉ざされている。裏表に開館・閉館と書かれた立て看板も縦に置かれて、開いているのか閉まっているのか、解らない。ただ、入り口のドアは日の出から日没までなら常に開いている。入ってすぐの右側にも受付の小窓があり、金属製の箱が置かれている。公一はその箱のコイン投入口へ百円硬貨を入れた。  薄暗い内部は無人である。  数年前から、こんな状態だった。客はおそらく、公一のみであったろう。近隣に大型の娯楽施設がたくさん出来たせいで、人々から忘れ去れてしまった場所なのだ。公一が子供のころ、祖母に連れられて来ていたときには、来館者も何人かいて、受付にも人がいた。公一は受付の小窓から見えた青白い手だけを記憶している。その手の持ち主すら、今はいない。  もっとも、夜には確かに誰かが施錠し、館内も邸内もぞんざいな手入れの痕跡はある。両親の会話から推測する限りでは、資産家の個人宅であり、その不思議なコレクションの数々も、すべて趣味で集めたものらしい。邸内は広大で、用途不明な建物が点在し、その全容は密生する樹木が覆い隠していた。  博物館自体も大層な規模で、複雑怪奇な構造もつ。  常連の公一でさえ、来るたびに配置が変更されたような印象に戸惑うのだ。外壁にも館内にも行き止まりの通廊や、階段がある。はしごが無ければ使えない高さに、無意味な扉がある。中でも、公一の好奇心を捕らえて離さないものが、館内から外部へと続くガラス張りの回廊だった。緩やかな傾斜で地下へと下っている。照明がなく、外光さえ侵入を畏れ、暗黒に閉ざされるその先には、果たして何があるのか。そこは常に鉄格子に閉ざされていて、公一は未だ立ち入ったことがない。  (確かここにあったはずだけど)  鳩の骨の標本が、館内のどこかにあったはずだ。ベルリン標本と題される、始祖鳥が発掘された石版のレプリカと合わせて、始祖鳥と同じポーズをとった鳩の骨の標本があり、その展示物の前に、鳩の生態が説明されたボードがあったはずだ。それを読めば、鳩が何を食べるのかが解る。  (どこだっけ?)  一階のどこか、窓際と記憶しているが、正確な場所は定かでない。そもそもこの博物館は、一般的な解りやすい分類陳列はされていない。  受付を背にする格好で、椅子に腰かけた老人の蝋人形が置いてある。白髪長身で、生きているかのように生々しい。その右側にある館内の案内図を、公一は覗き込んだ。  (????)  肝心の文字が剥離してしまっている。自分で探す他はない。  建物は三階建てで、一般人に開放されているのは二階までだった。一、二階の壁面をぐるりと回って探したけれども見つからない。  (場所が変わったのかな)  迷路のような回廊には無数の小部屋がある。そのすべてを公一は確認してまわった。  (無いな・・・・撤去されたのか)  見落としがないよう、何度も同じ箇所を重複させつつ隈なく見ていく。  公一は最後の小部屋の前で立ち止まった。二階のほぼ中央、他から孤立した六畳ほどの部屋がある。大きな柱のような印象を受けるが、ドアがひとつあるのだ。ただし、このドアが開放されていたことはいまだかつて一度もない。  ところが  (開いてる?)  異様に分厚い重いドアは、初めて内側に開いた。  吹き抜けの空間がそこにあった。  三階を突貫し、高く屋根に穿たれた明り取りの窓から頼りない明かりが落ちてくる。  不気味な部屋だった。  四方の壁に生物標本が塗りこめられている。底辺は小さな昆虫や、爬虫類、魚類で、上にいくに従い除々に大型になっていく。進化における樹形図とも異なるようだ。  三個から四個の固体がグループを形成しているが、共通項が公一には理解できない。  そのとき、ふと空気が撓み、  「バタン」  と、ドアが勝手に閉じた。  (えっ!?)  振り返った公一は息をのんだ。ドアの内側にはノブがない。どころか、ドアにさえ生き物が埋め込んであり、ドアと壁の境目もよく目を凝らしてさえ不明瞭であった。押しても叩いても、もはやびくともしない。  (どうしよう、閉じ込められてしまった・・・・)  夏至の近いこともあり、陽光はまだまだ絶えないだろう。携帯電話で時間を確認すると午後六時四七分。公一の記憶では、閉館時間は午後七時だったはずだ。電波はなぜか圏外である。  消滅したものとは別に、もう一箇所、ドアはあった。ただ、それも、手が届かない高さにある。位置から推測して、三階フロアに通じているものらしい。  (困ったな。どうしよう)  つかの間、公一は大声で人を呼んでみた。応答はない。  博物館の管理人か、誰かが見つけてくれるまで待つしかないのか。しかし、それはいつのことだろう。このまま放置されたら、三日後ぐらいには確実に死んでいる。  途方にくれて、公一はしばらく呆然となった。まさかと思う。閉館の施錠に現われる管理人が、必ず発見してくれるはずだ。楽観的に構えて、今はできることをするしかない。  (あのドアまで辿り着ければ)  あるいは、脱出できるかも知れない。  壁に塗りこめられた標本は、薄暗い中では本物にしか見えない。手で触れると石のように硬くなっている。十分、手掛り、足掛かりにはなるから、プロのロッククライマーなら難なく登攀するに違いない。しかし、公一はプロではない。  何度登っても、ドアの底辺に届くあたりで滑り落ちた。あきらめず繰り返すうち、指先の感覚を失い、やがて握力を喪失した。 泣きたくなる気持ちを堪えて、床に座り込み、登攀路を考える。真下から登れないのなら、別の方法を考えなければならない。  時間は午後七時半に近い。  管理人の足音は聞こえない。  三階のドアを正面に見て左側の壁に大型の動物が多い。しかも中ほどには角を持つ生き物が並んでいる。そこまで登り、右に平行移動できれば、ドアを開けて出ていくことが可能だろう。ドアの左右には、全裸の若い人間の男女が一体づつ並んでいる。その女性の足の甲に乗り、女性に抱きつくことができれば成功だ。  (しかし、あれは一体なんだ?)  公一は、壁面の標本を登攀の為にじっくりと観察して、その意図と、ひとつの謎を発見した。  この部屋は異種間の交配がテーマに違いない。よく似た、本来別々の種を掛け合わせると何が生まれるかが、表されている。と、するなら、人間の下にいるあれは何だろうか。この空間のルールに従えば、人間は何かと何かの異種間交配により誕生したことになる。片方は類人猿であるとわかるが、もう一方の生物が欠けているのだ。壁には確かに、何かが埋め込まれていた痕跡がある。頭の大きな、痩せた人間の子供? そこにいた何物かが取り除かれている。  (よし、もう一度やってみよう)  回復した握力を確認すると、公一は別ルートの登攀を始めた。  何故初めからそうしなったのか、と思うほど簡単に、ドアの高さにまで登ることができた。登ってみると意外に高くて恐ろしい。上手く着地しないと怪我をする高さだ。  ようやく、女性像の隣まで辿り着き、その足の甲に公一は自分の右足をかけた。足の甲以外で手掛りになりそうな箇所は下顎と、乳房しかない。公一は一息に女性に取り付いて、ドアノブに手をかけた。瞬間、  「げっ!?」  驚いて、公一は床に落ちた。
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