有原悠二の小説、詩、絵など
生きるということ、死ぬということ
 目を覚ますと、――そこは海だった。  海、と表現していいのかは分からないけど、ただ一つ分かっていることは、寝て起きたら目の前の世界が水の中に沈んでいたということだけだった。  ぼくはたまたま登山に来ていた。それも日本一の標高の。季節はちょうど冬で、他に登山客は見受けられず、だからきっと、生き残っているのはぼくだけなんだと思う。  これが夢だったらいいのだけど、と思いながら、山頂付近を何度も往復して、寒さと喉の渇きで夢ではないことを痛感する。  ぼくはそっと水に近づいてみる。  冷たかった。凍えるほど。しかし、もういっそのこと――。  思えば、こんな時期に山に来たのだって、そもそもそのためだった。   自殺。  ぼくは長い間、死ぬことばかり考えていた。  生きるということは、虚無の連続だと思う。特にこれといった理由はないのだけど、なんとなく仕事をして、なんとなく怒られて、なんとなく無駄な時間だと理解しているのになんとなく無駄な時間を過ごして、そうしてそのまま年を取っていくことに、ぼくは非常に大きな虚しさを感じていた。  ――なんとなく。  生きる理由がないように、死ぬ理由だって特になくてもいいんじゃないかって、ふと思い立ってから、ぼくはいつしか死に場所を求めていたような気もするし、実はそれはずっと以前からあったようにも思う。  親だって生きているし、友達もいる。彼女だっていたこともある。体も健康で、まあまあ若い。それでも人は死にたくなるんだってことを、ぼくはなぜか無視できなかった。  ちょっと出かけてくる。  そう言って気がついたら、山に来ていた。  水の中に飛び込もうか。  そうしたら確実に死ねるだろう。  しかし、ぼくは中途した。もし本当に生き残っているのがぼくだけだとしたら、果たしてぼくはいったいなんのために死ぬのだろうか、と。  踵を返して、一泊した山小屋に戻る。管理人も誰もいない小屋だけど、非常食と水はいくらかあった。  どうせ近いうちに凍死するか、飢えて死ぬ。それなら――。  ぼくはしばらくの間、生きることにした。  数ヶ月後、ぼくはまだ生きていた。非常食も水も、とっくの昔に食べきっていたのに、ぼくはまだ死んでいなかった。  これを奇跡と呼ぶのなら、ぼくはこれからも奇跡を信じるだろう。  あれほどまでに冷たかった山頂に、日が照りだして、そして気温はぐんぐん上昇し、今では常夏のように快適だった。そのおかげか、定期的に雨が降り、水は確保できた。そして雨のおかげか、食べられそうな草木がどこからともなく生えだし、中には果物のような実を結ぶ植物も現れた。  ぼくは死ななかった。  だからもう少しだけ、生きようと思った。  それでも――。  孤独だった。  来る日も来る日も。  ぼくは一人だった。  でも。  ぼくはそれを求めていたはずだった。  だからここに来たのに。  その矛盾と戦いながら、眠って、起きて、また眠って。  いったいどのぐらいの月日が経ったのか、ぼくはついに決心した。  旅に出よう、と。  山小屋を壊して、簡単な筏を作った。  世界は広い。  まだどこかにこうして生きている人間がいても不思議ではないはずだ。  ぼくはワクワクしていた。  そして、はじめてこの山に来たときのことを思い出していた。  死ぬということは、きっとこういうことなのかもしれない。  海は凪いでいた。  どこまでも。  キラキラと光る太陽を反射して。  輝きを揺らしながら。  ぼくは生きている。  この実感を。  この感激を筏に乗せよう。  あの向こうまで。  きっと奇跡は続いている。  どこまでも。  いつまでも。  ぼくは山を後にした。  ただ広がる海原の中、風に任せて、ゆっくり、のんびり。  もしかしたらぼくはまだ探しているのかもしれない。  死に場所を。  でもそれはきっと、この世界には存在しない。  死ぬということは、生きることだから。  ぼくは今、この瞬間、生きている。  そう、ぼくは生きている。
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