「では、此方の兵の管轄をそちらに移します」
「承った。炎成 の兵の精強さ、中央においても聞き及んでいる」
「それはなによりで御座います。では、これにて次期外征軍議を締めさせて頂きます」
長城砦 の一室。
主に軍議を執り纏める大部屋にて、炎成邑 の長──鷲相 と皇位継承権第一位の黒狼 は次回の外征の打ち合わせを詰めていた。
黒狼が長城砦に来訪してから、一週間ほどで纏まったのだ。
「議事録は止まっているかな?」
「既に」
記録係が投影端末(『マテリアル』を抽出して顕現・操作する装置。個々人が持つことが出来、決まった機能を行使し、後付けで様々な機能を追加出来る)の録音・記録機能が停止していることを確認する。
「じゃ、お疲れ様。内容は中央に送っておいて。あと黒狼様は何かありますかな?」
「では、貴方 とサシで話せれば、と。そういう訳だ。各自、退 くように」
皇太子直々の命に、双方の文官武官が退出していく。
二人のみでは幾分以上に持て余すがらんどう具合に、彼等はしばし沈黙する。
「次代の皇帝殿は堅苦しいのが苦手なようだねぇ」
先に沈黙を破ったのは砕けた口調の鷲相 からだった。
「この炎成 との付き合い方で在位が大きく変わってしまうからな。何もかも気を張り続けるよりも、楽に付き合える方が有利と考えたまでだ」
「だからって、崩した形で大丈夫とまで言われたのは驚きだよ」
「その方が貴方 を図り易い」
「あらら、随分買ってくれるねぇ」
タヌキめ……、と黒狼は内心呆れる。
彼が対面している炎成 の邑長 の鷲相 。『剛盤柔心 』の通り名を持つ武侠としての側面もある為政者だ。
広大な領地を、多数の副官からのサポートを受けているとはいえ、諸外国相手に時に剛 く攻め入り、時に柔らかく受け入れ、長城砦を破らせなかった手腕を持つ傑物である。
歴代の邑長 も大なり小なりここを過不足なく治めていたという。
そして、皇族というパイプを用いて中央に働きかけてきたとも。
「ここの街はどうだったかなぁ?」
そんな不気味な血筋とは裏腹に、目の前の武侠は柔和に治めている街の感想を聞いてくる。
「とても栄えていたかと。活気の面だけで言えば皇都よりも遥かに」
「いやぁ、それは息子達の努力のお陰だなぁ」
「謙遜を。貴方の教育の賜物だろうに」
「どうだか。ウチの方針は『自主性に任せる』だからねぇ」
ここまでやり取りして黒狼 はやり辛いと、内心渋面を作る。
歓談ではあるが、押しても引いても会話の形は崩さないで、足らず過ぎずの必要な言葉で鷲相 は話している。
(中央の剥き出しの連中の方が何倍もマシだな)
黒狼 は皇宮での、おべっかや取り入れられようとする、権力闘争に明け暮れる連中の方が遥かに分かりやすいと、アウェーにいる自覚を強くもつ。
「そう言えば此方の次男坊夫婦に会ったんだって?」
と、その父親は話題を変えてきた。
「あー……、まあなんというか、こう、掴みにくかったというか……」
「あらま、歯切れの悪い」
「聞き及んでいた割には大人しかったな」
皇太子はついこの前、街の大通りで大胆不敵に出会ってきた赫鴉 と白星 を思い返す。
そういえばこの砦に来てからは会ってなかったと少々疑問にも思う。
「ハハ、無理もないかなぁ。こちらとしても、たまに分からないし」
「貴方 が?」
「此方 をなんだと思っているんだい? 子は親の心が分からないし、親は子の心が分からないモノだよ」
「分からないことに心配はないのか?」
「んー? まあ、アレはアレなりに考えてるし、そこまでする必要はないかなぁ」
黒狼 はやはりと、中央とこことの様々なスタンスの違いを痛感する。
(こうも気安い距離を置ける関係か……)
彼は辺境邑 次男に羨ましさのような、なおさら興味を引き立てられるような、色々と絡み合った複雑な気分になる。
現皇帝である父を相手に日々様々な権謀術数を張り巡らせて、神経を尖らせている彼としてはなんとも言い難い気持ちがムクリと鎌首をもたげた。
「なんなら会ってみる?」
「機会があれば。今は目先ののことに集中せねばと」
「まあまあ。出征までには少し時間があるし、ゆっくりするといい。邑長 権限で施設に顔パス出来るよう調整するし、なんならこの街の女を呼び出してもいいよ」
「顔パスは兎も角、女は自前で用意している」
「流石に安い釣り針過ぎたかぁ」
「ソレに付け込まれた例が幾つかあるからな」
しっかり管理出来てて重畳重畳、と鷲相 はケラケラと笑う。
対する黒狼 は全くと半目になっていた。
「女が大丈夫なら、食事はどうかな? 牛とか色々揃えてはいるけれど」
「過不足なく。自国、領内の物だけでなく、交易品、珍品までも出てくるので飽きがこないな」
「気に入ってもらえて何より。リクエストがあれば毟り取ってでも用意しようかねぇ」
「わざとらしく悪ぶるのはシラケるぞ」
「良い人過ぎるとナメられるからなぁ。理由をつけて悪さしたいんだけれども」
「また心にもないことを」
彼は下手に目の前の男から恩を買うのを警戒しつつも、連日提供された料理については素直に感心していた。
厚く柔らかい牛のヒレ肉、良く煮込まれほろりと溶ける熊の手、珍しさで言えば、遥か西方から取り寄せたという『大陸万獣 』と呼ばれる巨大な魔物の肝臓の一部などがあった。
「ここが栄える理由が良く分かる」
「中央にも卸してはいるんだけどねぇ」
「日常的に食えるとなると、ここの方がはるかに便利だ」
「それは違いない」
だな、と黒狼 は頷く。
中央でも美味い食事は提供されてはいるが、バリエーションという点からはこの炎成 に軍配が上がるとも感じていた。
「女に食事。両方大丈夫なら安心かなぁ」
「ま、贅沢を言えば、狩りが出来れば文句はないな」
「うーん、この季節なら山の方に行って虎なんてどうだろう?」
「悪くない。好みとしては竜なんだが、この際だ。今回の外征が終わって、手隙があれば用意を頼む」
「案外鬼が出たりして」
「尚更だ。皇太子としての箔がつく」
と、鷲相 は部屋に備え付けられていた時計を見て「そろそろ夕食の時間だねぇ」と席を立つ。
黒狼も存外話せたなと思いつつ、立って割り当てられた貴賓 室へと戻っていった。
***
「黒狼 様、今夜はいかがなさいますか?」
「今日はもう休め。俺は俺で少し用事がある」
黒狼は貴賓室での夕食を終えた後、夜伽 役も兼ねた従者を待機させ、部屋を出た。
(牛に虎。随分な場所に御自慢の息子を置くんだな)
彼は巡回中の警邏 の礼に対する労いの手振りで応えながら、不審がられないよう目的地へ進んでいた。
(丑寅 ……、北東の方角、つまりは鬼門。赫鴉 を厄除けにしているのか、あの白星がそれ程厄介か)
次代の皇帝が辺境邑 の次男坊に興味を持つ理由。
それは対照であった。
大層な肩書きがあっても、実績の少ない黒狼。
そこまででない位だが、多数の功のある赫鴉。
黒狼 は『公』としての外征遂行は勿論のことではあったが、『私』としては赫鴉なぜそこまで勲功を挙げているのか。その理由に関心があった。
二人はそう変わらない年代であった。
軍議後の鷲相 との会話では「機会があれば」とはぐらかしはしたが、本音としては直接話しが出来ればと思ってはいた。
(やれやれ。『他者と自身を比較する。その違いの理由を知りたがる』俺もまだまだ、だな)
彼は自身の青さに内心苦笑してしまう。
一方でスムーズに通路を通れることに驚いてもいた。
先刻、ここの長と話していた通りに、警邏は礼をするのみで黒狼に関わってこない。
彼自身の身分の高さというのもあるが、こうも易々かつ堂々と出歩けている都合の良さには驚いていた。
(練度伝達の高さなら、中央よりも上だな)
軍を率いる者としての目線から、彼は炎成 の兵士達が重視している部分を『質』だと当たりをつける。
つい先ほどの話で出た内容が既に周知されているのことが、何よりの証拠だった。
そして、『魔識皇剣 』の由来たる、達人とすら隔絶した領域での知覚を研ぎ澄まして、拾う音や視える構造・人員配置、匂う澱みない空気の流れ、肌で感じる適度な緊張感。
知覚出来る全てがこの炎成の『質』の高さを裏付けていた。
(その中での空白……! そこがアイツらの居室か……!)
北東に歩みを進めていく内に、不自然が明確に知覚出来ていく。
黒狼が寝泊まりしている広々とした客室より、二回りほど広い空間がその方角にポッカリと空いていた。
(あの二人を読み切れなかった時と同じ空白……。術式と勁力操作の合わせ技の隠形 か。全く、『溶け込む』ではなく『消す』のは挑発のつもりか?)
一般の兵士に黒狼が長城砦 の各施設を素通り出来るのを通達されているのに、その上の立場の役職が知らないだろうか。『否』の一言である。
彼はその空間の一番近くの警邏である兵士を過ぎて、更に数分を急く歩で進んだ。
「ここか」
眼に痛い程に赫く飾られた長方形の景色と、真逆の味気ない四角い空白を識る。
映るそれを境に音も振動も消失していた。
黒狼はこの一週間、砦全体に知覚を拡げてはいた。
その間は『ここ』は、他の空間とさほど変わらない低出力の隠密術式が掛かっていた。
が、彼が自由に動けるとなる瞬間に消失したのだ。
(随分丁寧に大胆不敵ときたな)
皇太子はつい先日の接触との既視感を覚えながらも、備え付けられている呼び出し鈴を鳴らす。
『しばしお待ちを』
一拍置いて、有線通信術式から白星 の声が響いた。
更に一拍置く。
扉の鍵が開く音。
鮮やかな金の髪に、上から兎、狐の耳。そのすぐ下に龍角。
目を惹く美貌とそのはっきりとした曲線の肢体。
妖しさや異質さを兼ね備えながら、なお万人が見惚れる女、白星 が出迎えた。
「お待たせ致しました。御用件は?」
「……」
「どうかなさいました?」
「……どうやら取り込み中のようだったな」
彼女の姿に彼は一瞬呆気に取られてしまった。
女は衣一枚で帯は碌に結ばれておらず、胸元から臍下まではだけて、その片方だけですら両手で掴んですら有り余る肉実の先端を飾る輪がはみ出ており、下腹部は呼気の度に濃密であろう秘林が見え隠れしていた。
加えてその地肌には珠のような汗が浮いてる。
澄まし顔ではあるが、何をしていたのかは明白であった。
「日を改めよう」
「お気になさらず。御身のご事情の方が遥かに優先されるべきでしょう。それに終わっていますし」
「夫の方を慮 ってのことだ」
ああ、と白星は頷くが、
「そこまでではないかと。赫鴉 様でしたら、もう御準備の方はよろしいかと」
「は?」
皇太子は気の抜けた返事を返してしまう。
「お呼び致しますので、少々お待ちを」
「いや、おい……!」
彼の制止を知ってか知らずか、三禍憑 の女は身を翻すと奥に戻っていった。
「これはこれは、黒狼 様におかれましては、御機嫌麗 しゅう御座います」
何拍かの後、そうわざとらしく仰々しい挨拶で出てきたのは、件の赫鴉 であった。
初対面時の着流しとは反対に正装であった。
「……随分と気長に準備をしてたようだな?」
「いえいえ、滅相も御座いません。黒狼 様に粗相など出来ずと気を揉んでおりまして。大慌てで身支度を整えた次第で御座います」
「全く白々しいな。まあいい。場所を変える。ついてこい」
「御意に」
黒狼 は作って貼り付けたような赫鴉 の笑みに、少しばかりの気の重さを感じるのであった。