「で? これで構わねえか? 皇太子サマよ」
長城砦 、街側の外壁通路にて。
月明かりに照らされて赫鴉 と黒狼 がいた。
赤髪の美丈夫は柵にもたれ、横目で黒髪の美少年に砕けて話しかける。
「構わん。下手に飾られると余計やり辛い」
鬱陶しそうな口調を隠さず、黒狼 は夜更けでも活気のある街並みを眺めながら答えた。
「カカッ! ただでさえアウェーなんだ。中央の礼儀を押し付けた方が楽なんじゃねえの?」
「そのアウェーで今回の外征を全うするのが、俺の目的だ。形をどうこう言われる筋合いはない」
「ったく、もうチョイワガママの方がコッチとしちゃ、ラクなんだがな」
「タヌキ共との化かし合いに付き合うほど暇ではない」
「の割にゃ、なんで俺に用があるとか言うんだよ?」
辺境邑 次男は口端を上げて意地悪く問う。
その笑みを見て皇太子は頭痛がするかのように眉間に皺を寄せる。
「興味のようなモノだ。の前に一ついいか?」
「んだよ? ま、いい。夜はこれからだ。幾らでも付き合ってやんぜ」
「あー……、なんだ。その、アレだ」
皇太子は非常に言いにくそうに言葉を慎重に選ぶ。
隣の辺境邑 の次男を連れ出してからずっと知覚に引っかかっていた事柄に関するからだ。
いくら立場が上の者であっても、下手な言葉だと色々と問題があるので気を遣う必要がある。
「その……、香水に興味があるんだな」
「ああ、コレか。白星がマーキングさせてくれってな。ションベンの匂いだ」
「俺の気遣いを返せぇぇぇぇええええ!!!!」
赫鴉 が肩口の匂いを嗅いで、黒狼 は怒りの絶叫をあげる。
「ウンコよりいいだろ」
「そういう話じゃないだろうが! つか、なんつープレイしてんだ!」
「夫婦の営みに文句つけんじゃねえよ。それに俺もさっきのでかけてるから、双方ちゃんと理解と合意の上だろうが」
「聞いてない上に反応に困る情報を追加するな!」
ちなみに白星 が出迎えた時点で、彼の知覚に彼女のが認識されなかったのは、部屋を境に掛かっていた隠形 から出ていなかったからである。
「まー、ぶっちゃけ、俺のは少し余計だけど、アイツのコレと直前のセックスに関しては完全にお前に対する牽制だな」
ふー、と黒狼 は一息ついて溜飲をひとまず下げる。
加えて、皇太子相手に不遜極まりない状態・状況で臨んでいる横の男の意図に色々と納得する。
「俺が思っている以上に色々と警戒してるのか」
「そーゆーこった。これでも今からどういう言い掛かりつけられるか意外とヒヤヒヤしてんぜ?」
「操 という意味で俺に双方が見せつけた。加えて『傾天麗獣 』以外の女を娶 らない、噂を聞かないのは血縁、男女関係で付け込まれない為、と。……お前はどこまで見据えている?」
「んにゃ、前半はともかく、後半は半分しか合ってねえ」
赫鴉 は夜天の一番大きく明るい星を見上げて無邪気な笑みを作る。
天を「綺麗」と子供が言うのに似たそれだ。
「理由付けは色々出来っけど、大層なモンはねえよ。白星以外に興味がねえからな。縁談来ても全部断ってんのはソレが一番だ」
「……お前の家に益があるというモノでも?」
「まあな。そういうのは兄貴や弟妹に任してる。マー、分かりやすいワガママだ。飲んでもらえるのは有り難えことだよ」
カカッ、と月明かりでも映える赤髪の男が気分良さげに笑う。
対する艶の黒髪は不審感も露わに眉をひそめる。
「では今まで挙げた功績はそのワガママを通す為だと?」
「それも半分だな。確かにワガママの分以上に働いちゃいるつもりだが」
「では何が目的だ?」
「それが俺に対する興味か?」
「そうだ」
黒狼 は埒 のあかない問答に苛立ちを隠さない声色で問いただしてしまう。
そうだな、と対する赫鴉 は呑気に思案顔で一拍置くと、
「世界平和。イカしてるだろう?」
「……」
それを聞いて黒狼 は目を見開いて言葉を失ってしまった。
「んだよ。いいじゃねえか。『世はことも無し』が好きなんだがな」
「はぁ……」
「お、納得した……、つうには浮かねえ顔だな」
特大の溜息を聞いた次男はここに来て、ようやく相手の方に顔を向ける。
そこにはいたる所に深い皺があり、真正面から映る景色を射貫く鋭い光があった。
彼はそれから様々な色──だが一つとして好いと思えるモノはなく──を読み取ってしまう。
「とんだ妄言だな」
「ア゛?」
呆れる声と固く濁った返し。
両者は負という点で共通であり、険悪という鏡で分たれていた。
「聞こえなかったか? なら、もう一回言ってやろう」
一呼吸の間。
「バ・カ・げ・て・る。流石に聞こえたか?」
「……理由を聞けるか?」
「区切ってハッキリと言ったからだ」
「世界平和の方を聞きてえ」
む、と皇太子が少々面食らう。
赫鴉 が向き合って彼を捉えているからだ。
今までふざけ半分だった態度をひっくり返しての対応だった。
たが、臆することなく、
「まず世界をどう定義する?」
「ソイツは……」
一瞬間が空いてしまう。
「詰まった時点で論外だ」
「……ッ」
「お前なりに何か定義はあるのだろう。だが人に言えないようであれば、『無い』と同義だ。お前自身ですらマトモに観測出来ないモノを、他人が見えると思うな」
美丈夫は頬をかいて、視線を何度か外して中空を見上げてから戻す。
「……参ったな。ナンも言い返せねえ」
「少しは足掻け。素直に負けを認めるな」
「オメエ、この場じゃ勝ってんだぜ? もうチョイ余裕持てよ」
「『勝って兜のナントヤラ』、だ。それにまだまだ聞きたいことがある」
美少年は不夜の街並みを一望する。
夜空に地平。
その境目までに大小様々な灯りがともっている。
大通りを大動脈として、そこから徐々に枝分かれている。
枝と枝の合間に建物が所狭しと並び、そこの毛細から人々が入っては出るを繰り返している。
「いい街だ」
「だな」
つられていたのか、赫鴉 もその脈動を眺めていた。
「だが、お前はどういったつもりで関わった?」
「連中が平和に暮らせれば……、なんだがなあ」
「それだけか」
「それだけだ」
彼の問いは確信を持って発せられたモノだった。
答えた彼は自身の不足を認めて出たモノだった。
「そこに飢えはないだろう」
「ソイツはいらん争いまで呼ぶんじゃねえのか?」
「それをどうするのかを含めて俺達の役割だ」
参ったな……、と次男は空を仰いでしまう。
皇太子は街並みを、更に地平の先までを、見つめていた。
「俺は今回の外征を絶対成功させる」
隣の男はその宣言を聞くことしか出来なかった。
「それをもって外に行けることを示す。少なくとも、俺が皇帝に相応しい勲 を立てる」
「……その手伝いをしろと?」
ようやく絞り出せた彼の言葉はどこか弱さがあった。
「いや、お前には何も請わない。ただ、その妄言に必要ならお前が来い」
「そうだな……」
赫鴉 は頭をかいて少し隣と景色を見比べた。
夜においてなお際立つ艶の黒の影を眩しいと思う。
そして、もう一度「そうだな」と置いて、
「飢えは確かに考えてねえな」
「認めるのか」
「少なくとも意識したこたあねえ。目の前のことに精一杯だったし」
黒狼 はあいも変わらず強い瞳だった。
隣の男をそう見るべきだと判断しているからだ。
「言い訳か?」
「皇太子サマの器は下々の陳情を受け付けないってか?」
「よく言う。が、構わん。言ってみろ」
「有り難うごぜーます。で、だ。言い訳としちゃあ、居場所を作りたかったってヤツ」
許しを得て話す男の顔は、かつてを振り返るむず痒 さにはにかんでいる。
それを見る皇太子はそこから一つの思い──様々に積み重ねて、その上で選んだ一つがあり──を感じ取ってしまった。
「随分と青臭いことを言い出すな。色々と腐心せずとも得られると立場だと思うが」
「相槌有り難う。ま、確かに俺一人分ならな。けどもう一人ってなると、中々どうして、大変じゃねえのと」
「『傾天麗獣 』、か」
「そうだ。言っちまえば居場所の上にバケモンを迎え入れようってんだ。マー、色々必要だわな」
「嫁をバケモノ呼ばわりとはな」
皇太子の嫌味に次男坊は少しも顔を動かさなかった。
ただ「カカッ」と喉を鳴らして答える。
「いいじゃねえかよ。『俺』は『俺』で『オメエ』は『オメエ』。『オメエ』が『バケモン』でも違いはねえだろ」
「随分な博愛主義だ」
「いいだろう? 愛は広く深くてナンボだ」
赫鴉 は柵に背もたれて、背を逸らして街を見た。
逆さから見る眼下のそれは、かつて柵より小さかった頃と大きく変わってはいなかった。
営みがあり、その中で折り合いを付け合ったり、時にぶつかったりを繰り返してきた。
それを見てきた。そうしてきた。
「親父や兄貴に散々駄々こねて、師父 に頼み込んだり、砦や下の連中に何度も土下座かましたりな。そのもう一人とバケモン分空けるのが大変だったって訳だ」
でよ、つまりは、と、
「世界平和っていうのは嘘じゃねえけど、最初じゃねえんだわ。根底にあったのは『白星 といられる居場所が欲しい』。
で、『じゃあ、平和にすれば少しはアイツといれるソレが手に入る』つう願いなんだよ」
「で、その為に政務に関わった、と」
「失望したか? 民を背負う皇族の自覚が足りねえって。『伏禍豪槌 』の正体がコレだって」
「そうだな」
相槌を置く。
その上で黒狼は化け物を側に置いた男を見る。
「俺相手に惚れてる奴の匂いを付けて来る度胸は買ってやろう、とは思う」
「そうかい。『魔識皇剣 』にそう言ってもらえるたあ有り難え」
「というか、どんだけ警戒してんだ。色も形も濃過ぎるんだが?」
「噂に違わぬ『魔識 』の景色。ソイツを聞いたらアイツも喜ぶだろうよ」
「肝心の女は最初から、ずっとこっちをこの上ない半目で見てくんだ」
かく言う黒狼 も、白星 の姿をとっているその臭いに半目である。
「カカッ! 可愛いだろう? きっと毎日俺が揉んでるデカ乳を押し付けてんだ。ほうら、このあたりにヤワかいのに力を少し入れると押し返すハリの良い……」
「やめろ……! マジでそれだからやめろ……!」
側から見れば自身のすぐ横の虚空をこねくり回す笑顔の赫鴉 に、言った通りの知覚情報が入ってきて青筋を立てる黒狼 が制止をかける。
「はあ……」
「おう、辛気臭え顔しても揉ませてやんねえぞ」
「違う。クソデロ甘いノロケかまされて胸焼けがした」
彼はもう一度ウンザリした溜息をついて、横目で楽しそうな顔の男を横目で見る。
「けど、幸せなのは本物だな」
「ソイツあ恐悦至極」
「世辞じゃない。お前のは本当だと『識 れ』た」
「……!」
「呆けるな。俺が俺の通り名を出して保証したんだ。幸せを誇れ」
「……オメエ、怒ったり褒めたり忙しいヤツだな」
赫鴉 は開いた口端上げ、目尻を緩く曲げる。
黒狼はそれを見て「ウザい」と舌打ちをし、目を背けた。
「……明日の御前試合、期待してるぞ」
「シクれねえ理由が増えたな」
「お前じゃなくて、部下の方だろうが」
「下のシクじりは上がケツ持つモンだぜ?」
挑戦的な口調の彼は中空、具体的にはやけに下の位置をまさぐっていた。
その位置にあるモノについて『識 れ』る彼は吐き捨てるように、
「持つついでに揉んで訴えられてろ」
「残念。ケツの揉み心地も白星が一番だから、そこまでの義理はねえなあ」
「一番、というのは他のも揉んだか」
「んにゃ、伝聞」
「だろうな。第一、かけあって喜んでるような倒錯者共には無縁の話だ」
「飲んだり、飲ませたりもしてるぞ!」
「だから要らん情報を追加するな! てか日常化してんのか!」
夜空に威嚇の吠え声が響いた。