Mochizuki's Circle
第2話 我が子を探して
 ――忌まわしい赤毛の男が帰って来たそうだ。  ニナが最初に聞いたのは、そんな噂だった。  赤毛の男、カーバンクル家の双子の片割れ。  領主に助けられて命拾いした子供。  そんな子供が成長して戻って来たと。 「十二年前、グレン・タイドウがご領主様に意見して、ようよう街から出したというに」 「寄宿学校を卒業したからと、この街に戻って来たそうな」 「なんということだろう……!」 「伯爵様は、なぜこの街のならわしを守ろうとされないのかしら」 「恐ろしい……! 何も起こらなければいいのだけれど……」  街の人々は、寄ると触ると、そんなふうに声をひそめて囁き合った。  そう、このメサイヤの街では、赤い髪も双子も禁忌なのだ。  赤や黒の髪の子供は生まれた時に殺されるか、街から出されるのが決まりだった。  また、双子や三つ子は、一人を残して他は同じく殺されるか街から出されるのが決まり。  ましてやカーバンクル家の子供たちは、双子で赤毛だった。  子供たちの母親は二人を産んですぐに亡くなり、父親は二人が四つの時に街から姿を消した。  凍えと飢えで死にかけていた双子を助けたのは、この街の領主であるアッシュローズ女伯爵だった。  だが、双子の一方はそのおり、介抱の甲斐もなく死んだ。  ただの双子ならば、残った方はそれでこの街で生きて行くことを許されただろう。  だが、彼らは赤毛だったので、残った子供も死かこの街から出るか以外、許された選択肢はなかった。  そこで女伯爵は、彼が六歳の時、街の外の寄宿学校に入れた。  その子供が、戻って来たというのだ。 (その子は、ロイだわ!)  その噂を聞いた時、ニナは即座に思った。 (私の子供は生きていたのよ。……伯爵様に助けられ、名前を変えて、生きていたんだわ!)  そして、なんとかして息子に会いに行かなくては――と考えた。  そう、ニナには赤毛の双子の息子がいた。  生まれてすぐに夫の父に取り上げられ、引き離されてしまったけれど。  そのあと、二人とも死んだと教えられたけれど。 (そう……あの時、私も夫のマイクもどれだけお義父さんに懇願したことか。私たち、子供たちを連れて街を出てもいいとさえ、言ったのだったわ。あの時、お義父さんは頑としてだめだとしか言わなかったけれど、きっと本当は子供たちを哀れに思って、伯爵様に託されたのよ。だって、お義父さんにとっても、あの子たちは初めての孫なんですもの)  ニナは、そんなふうに思ったのだった。  それから数日後の、霧の深い夜のこと。  ニナはアッシュローズ伯爵家の屋敷の庭の一画にいた。  霧が彼女を、この場所に導き入れてくれたのだ。  更に霧は、まるで彼女を誘うように、庭から屋敷の中へとゆっくりと流れて行く。  そのあとを追ってニナは、おぼつかない足取りで歩き出した。  と、ふいに霧の中から長身の人影が現れる。 「ロイ!」  夜の闇と乳白色の霧の中でも一際目立つ赤毛を見るなり、ニナは叫んだ。 「ロイ! ロイ! ああ、私を待っていてくれたのね? 私はあなたのお母さんよ!」 「残念ながら、俺はあんたの息子じゃない」  だが、赤毛の少年の口から出たのは凍るように冷たい一言だった。  ニナの表情が、たちまち凍り付く。 「何を言っているの? ロイ。あなたは私の――」 「俺はそもそも、ロイなんて名前じゃないし、あんたのことも知らない」  おずおずと口を開く彼女に、少年は再び冷たい声音で返した。 「あ……。そうか、そうね。あなたは生まれてすぐに私から引き離されて、このお屋敷に連れて来られて、別の名前を与えられたから、だから自分はロイじゃないと、そう思っているのよね」  しばしの逡巡のあと、ニナはようやく笑顔になって呟くように言う。  だが。 「だから、俺はあんたの息子じゃないと言っている。……お袋は俺たちが生まれてすぐに死んでる。親父は、今は行方知れずだが、少なくとも四つまでは一緒に暮らしてた。いい加減、目を覚ませ。……目を覚まして、思い出せ」 「思い出せって……なんのこと?」  再び愕然としながらも、ニナは問い返した。 「あんたが、もう死んでいるってことをだ」  少年の鋭い言葉に、ニナは目を丸くする。だがすぐに、笑い出した。 「私が、死んでいるですって? 何を言っているの?」 「ならあんた、この屋敷にどうやって入って来た」 「どうやって……?」  問われて彼女は、思わず首をかしげた。 「霧が……そう、霧が私をここまで連れて来てくれたのよ」  ややあって呟くように言う彼女に、少年は肩をすくめる。 「屋敷の門には鍵がかかっているし、下男たちが警備に当たっている。ついでに言えば、番犬だっている。なのにあんたは、誰にもなんにも見咎められずに、この庭までやって来た。変だと思わないのか?」 「だって、本当に霧が……」  言い募る彼女に、少年はつとそちらを指さした。 「ああ。たしかに霧はあんたと一緒に来た。だがそれは、あんたが霧の中に棲む『人でないもの』だからだ。自分の体をよく見てみろ」 「え……」  彼の言葉に潜む有無を言わせぬ勢いに、彼女は思わず自分自身を見やった。 「……!」  そのまま、小さく息を飲む。  彼女の体は夜の闇の中に半分透けて、ほとんど霧と同化してしまっていたのだ。  そんな彼女に、少年は続ける。 「あんたは、十二年前に死んだんだ。自分が産んだ双子の子供たちを取り戻そうとして、夫の父親に殺された」 「あ……」  その言葉と共に、ニナの脳裏にいくつかの記憶が、鮮明によみがえる。  夫と共に、双子の子供たちを連れて行かないでと義父に懇願したのは、本当のことだった。  けれど義父は無慈悲に彼女と夫を突き放した。  それでも必死にすがる彼女を、義父は邪険に突き飛ばし、倒れた彼女は壁に頭を打ち付け、そのままこと切れた。  事故だったのだ。  だが、彼女の死もまた、赤毛の双子のせいだとされた。  双子はその日のうちに、冷たい水につけられ命を奪われた。  屍は街の外に捨てられ、その母であるニナは己の息子たちに殺された憐れな母として葬られた。  けれど、彼女の魂は神の御許へは行かず――そもそも、当人には死んだことさえ自覚されていなかったゆえに。  ただ霧の中をさまよううちに、いつしか『人でないもの』へとなり果てたのだ。  そしてただ、引き離された己の子供たちを探し続けていたのだった。 「そんな……! それじゃ、私の子供たちは……子供たちはもう……」  よみがえった記憶に、彼女は小さくかぶりをふって呟く。  信じたくなかった。  自分は――そう、自分のことはいい。  けれど、息子たちは。  ただの事故だった彼女の死を、自分たちのせいにされ、その先に広がっていただろう未来と共に断ち切られた。  そんな事実を、信じたくなかった。 「嘘よ! 嘘! 嘘! 嘘! 嘘! 子供たちは、生きているわ!」  暗く虚ろな穴と化した眼窩を見開き、彼女は叫ぶ。 「生きているわ! あの子たちは、死んでなんかいない! そう、あなたはロイじゃないわ。でも、ロイは、ロイとカイルは生きている。生きて、どこかで私が迎えに行くのを待っているのよ!」  半ば霧と同化した指を少年に突きつけて言うなり、彼女は踵を返した。 「待っていて、ロイ。カイル。きっと私が、迎えに行くからね」  どこか夢見るような笑みを浮かべ、彼女は呟くとそのまま、すいっと霧に溶けるように消えて行く。  それと共に、まるで潮が引くかのように乳白色の霧はあたりから消えて行った。  やがて、庭は何事もなかったかのように、ただ細い月の光に照らされ、しんと静まり返っているばかりになった。 「あくまでも、自分の妄執にすがりつく……というところか」  少年はさっきまでニナがいた場所を見やって呟くと、小さく肩をすくめる。  そして、低い吐息をつくと、踵を返して屋敷の中へと入って行った。 + + +  ニナがその後、どうなったのかは、誰も知らない。  ただ、その数日後からメサイヤの街には、さまざまな奇妙な出来事が起こり始めた。  たとえば、霧の深い日に道ですれ違った女性らしき人物から「私の子供たちを知らない?」と声をかけられたり、真夜中にぐっすり眠っていた赤ん坊が火がついたように泣き始めたり。  霧の中を、子供のものらしい名を呼びながらさまよう女の姿を見たという者もいた。  だが人々は、次第にその怪異に注意を払わなくなって行く。  この街では、この程度のおかしな出来事は、日常茶飯事だったからだ。  ただ一人、赤毛の少年だけがこれらの噂を耳にして、小さな吐息をついた。 「事実を受け入れれば、楽になるものを」  ひそやかに呟いて、軽く眉をしかめる。  それは本当だが、そう容易いことではないと知っていたがゆえに。  ともあれ。  メサイヤにまた一つ、新たな怪異譚が生まれたのである。
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