バビロンプロジェクト
第9話 後日談
 夜の散歩を終えて屋敷に戻ったカーマインを、ひっそりと迎えたのはアビスだった。  彼が一緒だと『人でないもの』は近づいて来ないかもしれない――と考えたカーマインは、アビスに屋敷に残るように言って、出かけたのだった。 『収穫はあったのか?』  尋ねるアビスに、カーマインはうなずく。  そして、よいどれ亭のハーディのことを、彼から聞いた話をアビスに語った。 『ふうん……。つまりは、その男がエリカの祖母の兄ってわけだ。にしても、因果な話だな。甥っ子も自分も、そして義弟も霧の中――おそらくは、「人でないもの」になっちまってる、と』  話を聞いて、アビスは口元をゆがめて肩をすくめる。  それへカーマインは、咎めるような声を上げた。 「そんな言い方、やめろよ。……彼も、エリカのおじいさんも、結局はそのいなくなった子供、イーサンを探すために夜、外に出てしまったんだ。僕も、気持ちはわかる……と思う」 『ふん。……それはそれとして、「人でないもの」にもそうやって、話すことのできる奴がいるっていうのは、収穫じゃないか?』 「あ、うん」  小さく鼻を鳴らしてから言うアビスに、カーマインもうなずく。 「そう……なんだよな。最初は僕、彼のこと人間かと思ったし。たしかに、ちょっと変なところはあったけど。あそこ、たしかに昨日の昼間行った時は、空家だったんだ。それに、彼の顔も、結局最後まで見えなかった。でも、話の内容にはちゃんと筋が通ってたし、僕と普通に会話することもできてたしね。ただ……」  言いさして、彼は考え込んだ。 「いったい何が、彼らを『人でないもの』にしてしまうんだろう? 夜中に外に出て、『人でないもの』と話までしたにも関わらず、僕はこうして無事に戻って来ることができた。僕と、ハーディさんやイーサン、エリカのおじいさんとの差は、なんなんだろう?」 『さてな。……何か条件があるのか、それとも単なる偶然のなせる技なのか。そのあたりは、今の段階じゃなんとも言えないな』  アビスもしばし考え込んだあと、言う。そして、ふと思いついたように付け加えた。 『夜中に外に出て、行方不明にならなかった人間を探してみたらどうだ? もし、そういう人間がいるとして、何人かから話を聞けば、行方不明になって「人でないもの」になってしまった者と、戻って来れた者との違いが、わかるかもしれないぞ』 「なるほど、そうか」  カーマインも顔を輝かせてうなずいたものの、すぐにまた思案顔になる。 「けど、その夜中に外に出て大丈夫だった人を探す方が、もっと難しい気がするな。……まず、自分からそんなこと言いふらさないと思うし」 『……言われてみれば、そうだな』  アビスもすぐにうなずいた。  そう、この街では夜外を出歩くことは、一種の禁忌なのだ。  むろん、『人でないもの』に連れて行かれてしまって行方知れずになる確率が高いから、というのが理由だ。  しかし、いつのころからか夜出歩くのは、「危険を顧みない」「街の規範を守らない」ことであり、総じて「常識知らず」といった風潮が街には蔓延するようになっていた。  なので、夜間に外を出歩いて無事だった人間が、それを他人に話すことは、ほとんどないだろうと考えられるのだった。 「……でも、そういう人と話せたら、たしかに何かわかるかもしれない」  カーマインは、その考えを頭のどこかにしまい込むかのように呟くと、小さくあくびをする。 「けど、今夜はもう寝るよ。さすがに眠いし、なんだか疲れた」  言って彼は、そそくさと服を着替えると、ベッドへともぐり込んだ。  アビスはそんな彼を苦笑と共に見やると、静かにベッドの足元へと移動した。  翌日の午後。  カーマインは、エリカの書店を訪ねた。  ちょうど、午後のお茶の時間で、エリカはカウンターの奥の衝立で仕切られた空間へと彼を誘う。  エリカと向かい合って座り、お茶を少し口にしたあと、カーマインはどうやって話そうかと少しばかり思案した。それでも、彼女には伝えておくべきだと思ったので、思い切って口を開く。 「実はゆうべ僕、日が落ちてから外に出たんだ」 「え?」  エリカがお茶のカップを運ぶ手を止めて、目を見張った。 「その……夜外に出たら、本当は何が起こるのか、知りたくて。それに、君のおじいさんを探す手がかりが、何かあるかもしれないとも思ったんだ。だから――」  幾分おずおずと言って、カーマインは昨夜のことをできるだけ詳細に語った。  エリカはただ目を丸くして話を聞いていたが、彼が語り終わると、深い吐息を一つついて、そちらをふり返った。 「『よいどれ亭の主、ハーディ』という人のことは、聞いたことがあるわ。ここで、おじいさんと暮らすようになってから、近所の人に教えてもらったの。でもそれまでは、その人のことは知らなかった。……母さんに兄がいたってことも、祖母のことも。母さんは、何も話してくれなかったから。……たぶん、話したくなかったんだと思う」 「そう……なんだ……」  言ってから、カーマインは問う。 「僕、よけいなことをしたのかな……?」 「ううん。……その人が、本当に私の大伯父にあたるハーディさんなら、貴重な話だと思うわ」  エリカは小さくかぶりをふって、答えた。 「近所の人の話は、事実も含まれてるけど、憶測も含まれてて……ハーディさんは、イーサンが行方不明になって妹だった祖母も死んでしまって、全てを悲観して姿を消したんだって、私は聞かされてたの。『よいどれ亭』は、彼がいなくなって、すぐに閉めたんだって」 「ハーディさんには、奥さんとか子供とかはいなかったのかな」  そういえば、そんな話はしなかったなと思いながら、カーマインが尋ねる。 「子供はいなかったみたい。奥さんは病弱な人で、店の経営には一切関わってなかったそうよ。だから、ハーディさんがいなくなって、店をどうしたらいいかもわからなくて、閉めたんだって。……それからずっと、あそこは空家らしいわ」  エリカは言って、思い出したようにお茶を口に運んだ。 「ハーディさんが家に入れないって言ってたのは、そのせいなのかな……」  カーマインもお茶を口に運びながら、呟くように思いつきを口に出す。 「さあ……」  エリカも首をかしげた。カップをテーブルに置くと、ようやく皿に盛って置かれた焼き菓子に手を伸ばす。 「なんにせよ、おじいさんが夜に外に出たのは、イーサンを見かけたからかもしれない……というわけね」 「……たぶん」  カーマインは曖昧にうなずいた。  そうなのだ。  昨夜ハーディから聞いた話と、エリカの祖父が姿を消した日の言動を考え合わせると、そういうことになる。  エリカの祖父は、夜の闇と霧の向こうに、何十年も前に姿を消した息子の姿を見つけて外に出たのだ。そして、戻って来なかった。  エリカは黙って、手に取った焼き菓子を口に運ぶ。  それが全て口の中に消えたあと、残った紅茶を飲み干して、彼女はようやくカーマインの方を見やった。 「おじいさんは、イーサンに会えたのかしら。……イーサンも、おじいさんも、どちらも『人でないもの』になってしまったのかしら。それで、戻って来ないの?」 「それは……」  カーマインは、言葉に詰まる。  イーサンを探すために外に出たハーディも、結局彼を見つけることなく『人でないもの』になってしまった。そしてハーディは、エリカの祖父には会っていないようだった。  三人とも、同じこの付近で行方がわからなくなっているにも関わらず、出会うことはかなわなかったのだ。  ハーディも、そしてカーマインも。 「……ごめん。それは、僕にもわからないよ」  カーマインはうなだれて言った。 「……謝ることはないわ。それは、あなたのせいではないし、あなたを責めているわけでもないもの」  低く言って、エリカは立ち上がる。 「お茶、すっかり冷めてしまったわ。入れ直して来るわね」  そのまま彼女は、ポットを手にすると踵を返した。  カーマインは、ただ黙ってその背を見送ることしかできなかったのだった――。
2