バビロンプロジェクト
第10話 チェファの茶器
 一八九四年の暮れも押し迫ったある日のこと。  カーマインはエリカの書店の奥で、お茶の時間を楽しんでいた。  その彼に、エリカがふと尋ねる。 「『チェファの茶器』というものを知ってる?」 「いや」  かぶりをふって、カーマインはカップをテーブルに置くと問い返した。 「それは、なんなんだい? 有名な陶芸家が造った茶器とかかい?」 「ううん。そうではなくて……奇妙な曰くがあることで有名なものなの」  エリカはかぶりをふると、自分の知る話を語り始めた。 ×××  それは、東洋の出来事なの。  昔――といっても、百年ぐらい前かしら。  東洋のある国に、とても腕のいい陶芸家がいたの。  若いころから、素晴らしい器を造ると評判で、二十を過ぎるころには王様のための器を造ることが許されるまでになったの。  その彼が、ある時、恋をしたの。  相手は妓生キーセンだったそうよ。  楽器を演奏したり、踊ったり、地位のある人々の接待をしたり、性的な奉仕もしたっていうから、私たちの感覚で言うと、高級娼婦といった感じの身分の女性だったらしいわ。  だから、女性の方は彼を好もしく思っていたとしても、その想いに応えることはできない立場だったの。  彼の方も、それは当然わかっていたでしょうね。  でも、恋に落ちた彼は、毎日のようにその妓生の元に通い詰めたんですって。  その妓生はお店で働いていたし、彼はそれなりにお金もあったから、店側は客として来る分には追い返す理由もなくて、毎日歓待していたそうよ。  でもそのうち、陶芸家はそうしたことに耐えられなくなったの。  だって、彼の方は恋しい女性に会うために、毎日そこに通っているわけでしょう?  でも、女性の方は「客だから」彼と会っているわけだもの。  それに、女性の方の立場が立場だから、彼が大金を出して「彼女と同衾したい」と言えば、女性も店側も断れないわけなの。  けど、それは自分の恋心に応えてもらったことには、ならないでしょ?  だから彼は、なんとかして女性の心を自分にふり向かせたいと思うようになったの。  そして、全身全霊を込めて、一組の茶器を造ったの。  それが、『チェファの茶器』よ。  『チェファ』は、その妓生の名前だって言われているわ。  完成した茶器は、妓生に贈られたけれど――。  その翌日に、彼女は死んでしまったの。  理由は、はっきりしていないわ。  彼女も陶芸家に想いを寄せていて、でもそれを表に出すことはできないから苦しくて自害したのだ、という人もいたわ。  一方では、他に陶芸家を好いている女性がいて、その人が嫉妬して殺したんだとか、同じ妓生に妬まれて毒を盛られたんだとか、誰かに殺されたっていう説もあるの。  でも、ともかく、彼女は死んでしまった。  そしてそれから、その茶器を使うと怪異が起こるようになったの。  若い娘がかならず一人、死ぬようになったのよ。  たとえば、何人かでお茶をしていて、その茶器を使ったとするでしょう?  そしたら、そこに同席していた若い娘が一人、突然倒れて死んでしまうの。  男性ばかりだったり、女性でも中年の人やご老人ばかりだったりすると、問題はないらしいのね。  でも、若い娘がいると、だめなの。  そのかわり、死ぬのは常に一人だけなのだそうよ。  若いお嬢さんばかりがいる場合でも、死ぬのは一人なの。  怪異は、妓生の呪いだと言う人もいたわ。  あるいは、想いがかなわなかった陶芸家の呪いだとも。  陶芸家は、妓生が死んだあと、何もかも投げうって姿を消してしまっていたの。  彼も自害したんだって言う人が多かったから、それで彼の呪い説も出たのね。  ともあれ、そんなわけで、『チェファの茶器』は次から次へと持ち主を変えて行ったそうよ。  そして、最後にそれが確認されたのが、このメサイヤの街の茶葉商人ファ・ランドーの所ね。  といっても、それももう、ずいぶんと昔のことみたい。  ファ・ランドーは、得意客である貴族から、茶葉と一緒にそれをゆずり受けたらしいわ。  犠牲になったのは彼の娘で、そのせいでランドーは商売に身が入らなくなって、奥さんとの仲も悪くなり、とうとう店は潰れて彼自身も死んでしまったそうよ。  その後、茶器の行方はわかっていないんですって。 ×××  語り終えて、エリカはカップの中身を飲み干した。 「……不思議な話だね」  黙って話を聞いていたカーマインが、呟くように感想を漏らす。 「ええ。ただ、最後にこの街にやって来たっていうのが、なんだか面白いって気がしない?」 「まあね。……でも、そんな話をどこで?」 「常連さんに、東洋の茶器を集めている人がいて、その人から聞いたのよ。その常連さん、『チェファの茶器』の行方を追ってるんですって」  問われてエリカが言った。 「そうなんだ……」  カーマインはうなずいて、お茶を一口飲むと口を開く。 「……それ、もしかしたらもうこの世にはないのかも」 「どうして、そう思うの?」 「僕だったら、娘を死なせた茶器を、そのままにはしておかないって思うからね。人に譲るとかじゃなくて、壊してしまうと思うんだ」  エリカに問われて、彼は言った。 「あ……。そうか、そうよね」  壊す、という選択肢は思いつかなかったようで、エリカは軽く目を見張ってうなずく。  だがすぐに、悪戯っぽく笑って言った。 「でも、壊したくても壊せないものなのかもしれないわよ。でなきゃ、こんな話が伝わっていないって気がしない?」 「まあ、それはそうだけど……」  言いさして、カーマインは苦笑する。 「どっちにしても、ただの推測には違いないわけだけどね。でも、壊されたのなら、もう被害者も出なくて済む」 「それはそうね」  エリカもうなずくと、彼のカップが空なのに気づいて尋ねる。 「お茶のおかわりはどう?」 「うん、もらうよ」  うなずいて差し出された彼のカップに、新しいお茶を注ぐためエリカは立ち上がった。  あたりに再び、紅茶のふくよかな香りが満ちる。  彼女は自分のカップにも新しいお茶を注ぐと、腰を下ろした。  二人は、紅茶の味と香りを楽しみながら、再びたわいのない会話を口にする。  こうして、午後の時間は静かに過ぎて行くのだった――。
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コメント

ミルキークイーン
ここまで一気読みしてきました。メサイヤの街にまつわる物語がしっかり構成されていてとても面白いです。怪異が発現する理由が気になりますねぇ。