バビロンプロジェクト
第12話 グレン・タイドウの秘密
 深夜の廊下を、グレン・タイドウは一人歩いていた。  廊下は照明が消えて暗く、彼はカンテラを手にしていた。  自分の寝室を出て、廊下のつきあたりにある娘の部屋に向かう途中だ。  彼の娘ジェシカは、五年前に夕暮れ時に外に出て、行方不明になった。  どれだけ探しても見つからず、誰もが『人でないもの』になったのだろうと言った。  この街では、それはよくあることだったので。  だが、グレンはそのあとも娘の部屋をそのままにしておくよう、使用人たちに命じた。  鍵のかかったその部屋に入れるのは、彼と執事のマルコスとメイド頭のテッサリアだけ。  妻はジェシカが消えたあと、悲しみのあまり床に就き、今も寝たり起きたりの生活だ。昔を思い出して辛くなるからと、娘の部屋に足を踏み入れることはない。  そうやって、秘密は守られて来た。  グレンは娘の部屋の前で足を止めると、鍵を取り出し、扉を開ける。  中に入ると、そこも真っ暗だった。  綺麗に整えられてはいるが、人の気配はしない。  彼は慣れた足取りで部屋を横切り、奥の壁にかけられた絵を動かす。  すると、小さく歯車の動くような音がして、右奥の壁に入口が現れた。  中に入ると、そこから下へと降りる階段が続いているのが見える。  グレンはためらうことなく、足を踏み出した。  タイドウ家の屋敷は、古い。  このメサイヤの街が滅ぶ前に建てられたもので、何度か改修を繰り返してはいるものの、基本的にはその時のままだ。  この仕掛けは、建築当時、何かあった時に隠れるためにと造られたものだった。  長い階段を降り切ると、そこには再び廊下とそして扉が見えた。  グレンは、再び鍵を取り出し、扉を開ける。  中は、こじんまりした小部屋になっており、椅子や机と共にベッドが置かれていた。  彼は、カンテラの明かりを頼りに、ベッドの方へと歩み寄る。  そっと覗き込んだベッドの上では、女性が一人、眠っていた。  長い金の髪は褪せて艶がなく、その頬は病的なほど青白い。 「ジェシカ……」  グレンがそっと、その名を呼ぶ。  そう、その女性こそは、行方不明になったと言われている彼の娘、ジェシカだった。  と、彼の声に呼び覚まされたかのように。ジェシカはふっと目を開けた。 「お父様……?」  暗闇の中、父の顔を見分けたものか。それとも、ただの条件反射だったのだろうか。  彼女は父の名を呼び、薄く微笑む。  だが、次の瞬間、弾かれたように起き上がった。 「お父様! 私をここから出して! 出して! 出して!」  険しい表情で狂ったように叫び出す。 「ジェシカ、ジェシカ。おちつくんだ、ジェシカ。おまえがもう二度と、赤毛の男とつきあおうなどと考えず、この街を出ようとも考えないと約束してくれるなら、私はすぐにでもおまえを出そう。だが、それができないうちは、ここから出すわけには行かない」  グレンはできるだけ穏やかに、ここに来るたびに繰り返している言葉を口にした。  しかしジェシカは、険しい表情のまま叫ぶ。 「私が誰とつきあおうと、誰を好きになろうと、どこに行こうと、それは私の勝手よ! お父様に、止める権利はないわ!」 「権利はあるさ。私はおまえの父親で、タイドウ家の当主なのだからな」  低い溜息と共に、グレンは返した。 「だからって、私をここに閉じ込めていいわけないわ! 私を出して! 私をここから出してよ!」  青白い顔を凄まじい表情にゆがめてジェシカは叫び、激しく髪をふり乱す。  それは夜ごと日ごとに繰り返される――この五年間、繰り返されて来た会話だった。  五年前、ジェシカは街の外から来た男に恋をした。  男はロンドンで名前の売れた役者だという話だった。  グレンにとってはそれも気に入らなかったが、何より許せなかったのは、男が赤毛だったことだ。  この街では、赤毛や黒髪は不吉なものとして忌避されている。  グレンはその昔からの慣習を信じ、先頭に立って赤毛や黒髪の者を街から追い出す行動に出ていた。  なのに娘が赤毛の男とつきあうなど、許せるはずもない。  しかもジェシカは、彼が反対すると男と共に街から出て行こうとした。  当時彼女は、まだ十七だった。  父としてこの街の名士として、グレンにそれが許せるはずもない。  だから彼は、娘を捕えてこの部屋に閉じ込めたのだ。  男と駆け落ちするために、日暮れ前に駅へ向かおうとしている彼女を、人を雇って拉致させた。  この街では、こんな時間に外に出て行方不明になるのは、ごく当たり前のことだったから、彼女が消えても誰も何か事件性があるとは思いもしないだろうと考えたのだ。  もっとも、ジェシカが駆け落ちにこの時間帯を選んだのも、同じような考えからだったけれども。  夕暮れ時に自分が姿を消しても、誰も不思議に思わない――彼女はそう考えたのだ。  ちなみに男の方は、グレンが届けさせた偽の拒絶の手紙を信じてか、その日の最後の列車に乗って街から出て行った。  それからずっと、二人のこんなやりとりは続いている。  絶叫し、激しく拒絶の意志を示す娘に、グレンは辛抱強く声をかけた。 「おちついてくれ、ジェシカ。おまえは、このタイドウ家の娘だ。もっとまともで条件のいい相手を、いくらでも選べる立場なんだ。この街を出たいなら、そうだな……エドベリ男爵の嫡男はどうだ? 以前に、ロンドンに行った時に会ったことがあるだろう? おまえも感じのいい青年だとほめていたじゃないか」 「私は、動物じゃない! そんな、ただ番いにするためだけのような話をするのはやめて! 私は彼が好きなの! 彼と一緒に行きたかったの! ただそれだけなのよ……! それなのに……!」  ふいにジェシカは両手で顔をおおって、泣き始めた。 「ジェシカ、すまない。ジェシカ」  グレンは娘の肩を抱き、謝罪の言葉を口にしながら、ただ髪を撫でる。  しばらくそうしていると、ジェシカの嗚咽は次第に小さなすすり泣きに変わって行き、やがて疲れたように彼女はベッドに横たわった。  ぐったりと目を閉じた彼女の口から、ほどなく寝息が漏れ始める。  それを聞くとグレンはホッとしたように吐息をついた。  娘のこめかみに、小さなキスを一つ落とすと、ようやく身を起こす。  そのまま、来た時と同じようにカンテラを手にして部屋をあとにする。  鍵をかけて、少しだけ疲れた足取りで階段を昇り、仕掛けのある出入口から出て娘の部屋を横切り、外に出るとそこにも鍵をかけて、今度は自分の寝室へと向かうのだ。  この五年間、ずっとそうして来た。  そしてたぶん、これからもずっとこうして娘と問答を続けながら時が過ぎて行くのだろうと彼は思う。  自分の寝室に入ると彼は、そっとカンテラの火を消し、ベッドに横たわった。
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