有原悠二の小説、詩、絵など
それぞれのガイアたち
   一、 「――ガイア理論という言葉を聞いたことがある人もいるかとは思いますが、つまり星は生きているのです。なにも空想やファンタジーではなく、実際に。  一つ、昔話をしましょうか。昔、ある星に人間が住んでいました。その人間は栄え、進化し、科学を発展させていきました。そして戦争が繰り返され、星は汚染されていきました。  ある日、一人の男の子が生まれました。その子は生まれたときは他の子と特になにも変わりありませんでしたが、成長していくにつれ、その過程が長すぎるのか、いつまでも大きく育っていったのです。そして気がつけば誰よりも大きくなり、それでも成長は止まらず、いつしか家を跨ぎ、山を超え、雲を突き破りました。そこでようやく酸欠によって絶命すると思われていたのですが、不思議と彼の心臓が止まることはなく、さらに成長を加速させていき、とうとう宇宙に到達しました。すでに人類の科学力では彼の巨大さに対処する能力はなく、人類は大きく混乱し、中には彼を星からの使者と呼び崇拝するもの、宇宙からの侵略者だと叫び弾圧するもの、悲観して自殺するもの、能天気になんとかなるさと思うもの、色々な立場の人間が現れて消えていきました。つまり、あまり変わらなかったのです。  話はここからです。彼はますます巨大になっていき、ついにその体重を星が支えられなくなり、その中心に沈み込むように亀裂が入ると、星は粉々に砕けてしまったのです。彼はそれでも絶命することはなく、ますます巨大になっていきました。次第に体が引っ張られるように公転をはじめ、彼の中に重力が生まれ、腕や足は彼の中心に収まるように丸まっていき、筋は裂け、骨は粉々になり、そしていつしか一つの大きな球体になったのです。あとはもう分かりますよね? 砕けたはずの星の欠片が彼に衝突しながら彼だった球体は次第に回転を速め、熱を持ち、そして冷やされていく。それが星の原型であり、正体なのです。  ……聞こえますか? 今もこの下では、その彼の心臓が脈打っているのです。さ、ここまででなにか質問のある人――」  一人の男の子が手を上げる。 「彼はどうして死ななかったのですか?」 「はい、いい質問です。ではまず死についての定義をしたいと思いますが、あまりにも長いので割愛させていただきます。簡単にいうと彼は正常だったのです。だから死ななかった」 「病気ではなく?」 「……あなたは死が正常だと思うのですか?」  煙草の匂いが窓ガラスをすり抜けて漂ってきた。みんなは鼻をつまんで少しでも長生きしようと試みる。    一、  男は顕微鏡をのぞき込んで言った。 「こいつらはいいよな、それこそ本当の単細胞で」  彼は働き詰めでもう一週間は家に帰っておらず、目の下はクマで黒く滲んでいた。 「まあそう言うなよ。この小さな細胞のおかげで俺たちは文字通り飯が食えているんだから」  彼らは雇われ科学者として日々細胞についての研究に従事していた。彼らが観測しているのは個々の肉体を形成している原始的な細胞の一つだったが、なにせ細胞の寿命は短く、だから彼らは何度も同じような実験を繰り返さなければならなかった。 「いったいいつになったら終わるんだろうな」 「本当だよな、まるで不老不死になった気分だよ。もしこの細胞に意志があったら、そう思われているだろうさ」  はじめに口を開いた男がふふ、と笑い、手で煙草の仕草をして出て行った。 「まったく、いい気なもんだよ」  その声は研究室に響き渡る冷凍庫の唸るような音にかき消され、残ったのはかすかな笑い声の余韻だけだった。    一、  ――恒星は思う。もうすぐ寿命が来ると。そしてそれが終わりでも始まりでもないことを、おぼろげだけど知っていた。どこで知ったのかはすっかりと忘れたが、かろうじて放つ光の中に、その命のサイクルを書き込もうと思った。無意識に近い自然体で。    一、  娘が猫とじゃれている。彼女が急いで洗濯物を取り込んでいる。窓の外は雨だった。俺はそれをパソコン越しに眺めている。溜まっている仕事と、これからの支払いを考えると胃が痛くなったが、俺はその光景が好きで手を止めた。  気がつくと娘が隣に立っていた。 「これ、あげる」  チョコレートだった。彼女が洗濯物を持って入ってくる。それに向かって猫が鳴く。  時間が流れていくのが分かる気がした。俺はパソコンを閉じて、ベランダに出た。雨はますます勢いを増し、ますます世界を濡らしていく。ポケットから煙草を取り出して、口にくわえはしたが、火をつける前に辞めようと思った。  部屋に戻ると、猫が俺に向かって鳴いた。彼女は洗濯物を畳み、娘はユーチューブを見ていた。  俺は煙草をゴミ箱に捨てた。明日も雨が降る気がした。    一、 (あたしの体は縮んでいっている。はじめは年のせいかとも思ったが、背が縮むというよりは、体全体が小さくなっているのだ。病院にも行った。脳外科にも精神科にも足を運んだ。どこも異常はなく、そんなことは気のせいだと言われた。そうだろうか。いままで何十年も生きてきたのに、本当にあたしは自分の体に異常がないと言い切れるのだろうか。  医者は体を見る。心を見るのは、あたししかいない。それを認めさせる方法なんて、よく考えたらないのだ。分かり合おうとするから期待して裏切られる。そんなこと、離婚してからあたしが誰よりも分かっていたはずだったのに。  半ば強引に娘の親権を奪い取って、それが正解だと、正しいことだと信じて生きてきた。実際にアイツは極度のナルシストで、無自覚な差別主義者だったから、あたしの精神はいつもすり減っていた。  あれから何年も立って、新しい人とも出会え、娘も笑顔の似合う女の子に育ってくれたのに、それに比例するかのようにあたしの体は小さくなっていっているのだ) 「ねえ、お母さん、どうかしたの?」 「ううん、なんでもないよ」 (不思議なことに、誰もそのことには気がつかない。あたしだけしか認知できないのか、それとも本当にただの幻覚の類なのだろうか。いや、そんなわけがない。実際にあたしの身長は日々短くなっていっている。まるで少しだけ背の低い自分がいるパラレルワールドの世界に毎日連れて行かれているみたいだと思う。でもいったいなんのために? そしてあたしはこの先どうなるのだろうか) 「ねえ、今日の晩ご飯、わたしが作ろうか?」  見上げると娘の笑顔と衝突して、あたしはいま、自分が自分の世界にいるのか娘の世界にいるのか分からなくなって、そして静かにうなずいてにっこりとほほ笑むのだった。
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