サークルイメージ
クロスクオリア
2019年8月24日 12:07
投稿カテゴリ : 記事

『CROSS・HEART』Story.4 小さな盗人(後編) 4-14


「いやー、楽しかったねーリセっ」
「うん、とっても楽しかった!」
「あー、そりゃ良かったなー……」
 先刻まで空を支配していた茜色も大部分は紺青に染まり変わり、三人は夕闇のなか再び宿を探し歩いていた。
 結局あの店を出た後もフレイアが飾り窓に誘われ、立ち止まってはリセを引き入れてしまう、という行為が数件繰り返された。勿論ハールがそれに付き合わされたのは言うまでもない。普通に歩くのとは違って、女の子の歩調に合わせるのは、なかなか疲れるものだ。おかげで今日、ハールは生まれて初めて店内への勧誘効果のある飾り窓の存在を呪った。
「うん、よかった!」
 先程の事も内訳に入れ、多少なりとも皮肉を含めたつもりだったのだが、いかんせん彼女には効果が無い……というか、皮肉だと分かってもらえない。むしろ純真に満面の笑みさえ向けられては、これ以上皮肉を言う気も失せるというものだ。
 それに、彼女のなかでは既に先程の発言は頭の片隅にもないようだし。どうやら赤くなっていたのにも深い意味はなかったらしく、突発的なものだったようだ。もしや、照れ屋なのかとも思う。恥ずかしかったり誉められたりすると、つい思っていることと逆の行動をとる人間も少なからずいるが、彼女もその類なのかもしれない。素直そうだと思っていたら、変なところで屈折しているものだ。……とにかく、向こうがそうなら、こちらもなかったことにしようと決める。
「お、あそこに宿屋が――」
「あっ、その向こうに小物屋さんが!」
「……っておい!」
 制止も虚しく、リセの手を取ると軽い足取りで先を行くフレイア。そして金髪を躍らせ振り返ると弾けるような笑みを向けてきた。
「もうすぐ日が暮れちゃうよ、そしたらお店閉まっちゃうよ! でも宿屋は夜でも開いてるよ!」
「あーもう……」
 実に明確な行動理由の説明である。納得できるかはまた別の話だが。しかし、まあ――――しようと思えば、できなくもない。
「……今日だけなら、いいか」
 この一日の彼女の仕事ぶりを考えれば、これくらいの楽しみはあってもいいはずだ。
「ねえフレイア、買い物って買わなくても楽しいんだね……!」
 服や装飾品を見ながら、いつかこんな素敵なものが似合うようになれたなら、手に入れられるようになれるなら、と考えただけでも心が踊る。だから、先刻の少女たちはあんなに楽しそうだったのか。
「そうそう! でもー、買ったらもっと楽しいよ! まあ今はそんな余裕ないけどねー」
 ――彼女たちと同じように隣に友人がいて、あの笑顔を理解できたことが、とても嬉しい。 
「そのうち魔物倒して賞金もらったら、いっぱい可愛いもの買っちゃお」
 そう片目を瞑ってみせたフレイアの言葉に、リセは胸の前でぐっと手を握る。
「わ、私も倒せるようになったら……!」
 手をそのままに、しっかりとフレイアを見つめて。
「そうしたら……二人合わせて持ちきれないくらい買えちゃう、かな」
 後半は少しだけ、声が小さくなっていった。が、瞳には、確かな光を灯らせて。
 その素振りはなんの変哲もない会話の内容にそぐわず、まるで意を決して言ったかのようで――
 やや目をしばたかせていたフレイアだったが、意味を理解するとゆっくりと微笑む。
「そうだね」
「……っじゃあ、その時は私がこれで荷物係になるね!」
「よろしく」
 帽子に手を添えたリセの表情が、小さな蕾が春を迎えたように綻んでゆく。
 以前の自分は分かれないけれど、“彼女”に戻るためだけの自分になるのは嫌だと思う。二人に近付くために――二人の隣にいられる人間になるために、進みたい。
 今はまだできることは少ないけれど、その一歩一歩を確実に踏みしめて。こんな風に、できることを少しずつ。
「なぁ、オレは宿とってるからお前らだけで――」
「えー、ハール君もー!」
「…………そうですか」
 ――遠くから自分を呼ぶ声に、溜め息交じりの曖昧な了承。そして彼女たちの“買いもしない買い物”は、日が落ちる直前まで続いたということである。


 フレイアは、少々、というには固すぎるベッドの上で寝返りをうった。板底がぎしりと鳴る。今まで背を向けて寝ていた少女と向き合う形になった。
 安宿ではあるが、節約の為に一人部屋を借りて二人で使っている。当然ベッドも一つなので、二人で一緒に寝ていた。別段フレイアはそういったことを気にする質でもないので不満も何もない。むしろ、一人より二人の方が楽しい。一人で孤独――かどうかは人の判断によるが――に隣の部屋で寝ているであろうハールを思うと、得した気分になる。
 目の前で瞼を閉じているリセの顔を見つめる。記憶喪失という深刻な問題を抱えているにも関わらず、その唇から漏れる寝息は赤子のそれのように安らかだ。
 小さく息をついて、目を閉じる。疲れてはいたものの何となく眠れずに寝転がっていただけだったが、そろそろ本格的に睡眠に入ろうか。
「…………」
 が、眠りに落ちる前ほど、今日一日で起こった事を思い出すもので。
 朝、宿を出て、リセが帽子を盗られて、皆で探して、手分けして……
(もしアタシが人の帽子を持って悪戯するなら、悪戯された人の困った顔も見たいって思ったんだ……)
 ついくすりと笑ってしまった。しかし本当に彼と同じ思考回路だったなんて、自分もまだまだ子供だと思う。そうしてリセを捜したら案の定後ろの方で隠れていて……何だか面白くなって、自分まで尾行を始めてしまったのだ。……そしてその後――――
 次に起きた出来事を思い出す。蒼い瞳を憂いに細めた。
 ――いくら平和そうに見えても、それは単に『見える』だけだ。こんな町中にだって魔物はいる。
 仮に、あの時自分があの場に居なかったら。旅人狩もそうだが、もう一つ、あの少年には命に係わる危険が迫っていた。
 彼には『腐る』という表現で留めておいたが、実際のところそれでは済まなかったはずだ。もし少年が美しすぎる蝶をその手で包んでいたならば、掌が焼かれ、皮膚はただれ、そこから毒が全身に回っていただろう。ただし致死量ではない。確かあの種の魔物は、殺さない程度の怪我を負わせ、仲間の足を引っ張る為に造られたと聞いたことがある。戦時中には、人道や道徳といったものなど、なんの価値も無かったのだろうか。戦後、罪も無い子供が危険に晒されるとは、未来にまでも傷跡を残すなどとは、考えなかったのだろうか。
(弟、か……)
 もう一度、寝返りをうつ。ぎしりと、軋む音が身体の下でした。
 今にも、崩れてしまいそう。
「暗夜時代は……」
 薄汚れたカーテンの隙間から、窓の向こうの暗い空が見えた。数多の小さな星が、その命と引き換えに、儚く、確かな光を放ち、瞬いていた。

「終わらない……?」
 
 今日の夜空は、こんなにも煌めいているのに――――……


───・…・†・…・───

 〈少女〉は、ある程度の広さを持つ庭園に居た。そこは周りをぐるりと木々に囲まれ、花もそこかしこに咲いている、自然豊かな場所だった。
 彼女は夜にふと外の空気が吸いたくなって、家から出て来たのだった。あの中には、心から慕う、愛らしくも気高い『少女』が居る。
 彼女の髪色によく似た漆黒の空を仰げば、まるで水晶を砕いて散らしたかような星が瞬いていた。彼女は宝石よりも、こういった、絶対に人の手が届かない純粋な煌めきを放つものの方が好きだった。
 暫し、見惚れる。ふと、この星空を『少女』にも見せたいと思ったが、夜風に当たると風邪を引いてしまうかもしれないという不安が過り、結局は一人で見るに留めておくことにした。自分でも、なかなかの過保護だというのは分かっている。
「…………ッ!」
突如、ざわりと背筋に冷たい気配が這い登った。違う。これは、『少女』の気配では無い。と、すると――――
「何奴!?」
 素早く反転し、携帯水晶も無しに何処からともなく剣を出現させる。隙の無い構えが、彼女の凛とした麗容を引き立たせた。
 目の前に佇んでいたのは、一人の男。見慣れないその人物に微かに眉をひそめ、黒く澄んだ明眸で彼を見つめた。
「……誰だ」
 冷厳な口調で再度問う。が、男は答えない。
 ――おかしい。彼女は思う。この場所には特殊な結界が張られており、限られた人間にしか立ち入る事は出来無い筈――――
 張り詰めた緊張と静寂。その中で、〈少女〉は剣を一度下ろした。だが、いつでも切っ先を彼に向ける事は出来るように。そのまま男に歩み寄る。近過ぎず遠過ぎない距離で止まり、声を紡いだ。
「お前は、何者だ」
 未だ答えようとしない男に苛立ちが募るが、あくまで冷静に振る舞うよう努めた。暫し待つ。
 ――しかし、彼は無言のままだ。その様子は、ひどく整った氷像のようだった。だがそれを否定しているのは、深く、鮮やかな二つの瞳。

 ――――刹那。

「……ッ!?」
 視界から男が消えた。それは消えたというのが的確な表現だった。有り得無い。こんな至急距離で自分が見失う程に俊敏な動きをするなんて――――
 ――背中に鈍い痛み。途端に目の前がぼやけた。
「――――ッ……」
 脚にから力が抜け、崩れそうになる身体。――ふいに、腕を引かれた。
「…………っ」
 薄れ行く意識の中、引き寄せられる身体。微かに聞こえたのは、自らの掌から抜け、落下した剣が芝に落ちる音。そして最後に見たのは――――ルビーのような深紅の瞳。

 それは、彼女等と同じ、星空の下。

───・…・†・…・─── 

コメント

杏仁 華澄 5年前
いつもご覧いただきありがとうございます。沢山の作品のなかから見つけて選んでいただき、お付き合いくださっている方がいらっしゃることに驚きと喜びでいっぱいです。
今回でStory.4は終了となります。オリジナルの公開が2007年、加筆修正が2012年、シーン追加を2018年に行いました。書いたのが昔すぎて読み返すのが恥ずかしいところもかなりあるのですが、(リアルに中学生が書いたやつ……)できるだけ原型を残しつつ整えてきた話です。去年数年ぶりに書いたカテリナちゃんでしたが、普通に動いてくれて嬉しかったです。
私の趣味のせいでハーレム物か?というくらい女性の登場率が高いのですが、次回は遂に…………いや女の子も出てきます。プラマイゼロでした。女の子が好きです。
長く書いているくせに未だに完成の目処も立っていない話ですが、今後もお付き合いいただけたら幸いです。ありがとうございました!