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WINGS&アイロミームproject(仮)
2019年11月4日 15:32
投稿カテゴリ : 記事

錦野 小雪 番外編『宿命の女の悲恋歌』

彼女に定められた宿命は、あまりに残酷で━━━まるで、呪いのようだった……。
 
 
【作者より】
WINGSのキャラクター、錦野 小雪(にしきの こゆき)の過去を描いた番外編です。
これを読めば、錦野先生の印象が180°変わるかも? 今まで語られなかった錦野小雪の過去に起きた悲劇を、ぜひ目の当たりにしてください。
 (※鬱展開、暴力表現等がありますのでご注意ください)

~~~~~~~~~~~~~~~

宿命の女(ファム・ファタール)。
 文学や美術の世界に登場する、男を誘惑して破滅に導く女。
 
 ……私はきっと、それだったのだろう。
 
 私の高校時代の同級生。真面目で、愚直で、前向きだった彼の末路を"破滅"と言わずして何と言えるだろうか。
 私の友達。真っ直ぐで、素直で、明るかった彼女の結末を"悲劇"と言わずして何と言えるだろうか。
 
 私は、宿命の女。その宿命がもたらす惨劇はあまりにも残酷で……私は、今でもその過去を直視できずにいる。しかし、それが残した爪痕は今でも私の胸に深く深く刻まれていて、時折、私の臓腑をグシャリと締め付けた。
 
 そう。それはまるで━━━
 
 
 「━━━まるで"呪い"のように、ね」

 ***
 
   「錦野先輩っ! あの……もし良かったら、その……お、俺と付き合って下さいっ!」
 
 高校三年生の秋。音楽に特化した学校であるこの聖歌学園高校においても、進路に向けた動きはやはり活発化する。そんな、皆が希望進路に向けてあくせくしている中でも、私の━━━錦野 小雪(にしきの こゆき)の生活は変わり映えのないものだった。
 
 「……ごめんなさい。 私、貴方のことよく知らないの」
 
 推薦入試で、早くから教育系の専門学校へ進学を決めていた私は、卒業までの数ヵ月間をただぼんやりと過ごしていた。授業も、実習も、行事も、全て何の滞りもなくこなしていた私は、自分で言うのもなんだが、周りから一目置かれている存在だった。
 
 「そ、そんな……」
 
 「第一、朝っぱらから下駄箱で待ち伏せして告白とか、ムードの欠片もないと思わない? その無駄に大きな花束とか、向こうでコソコソしてる連れの男子たちとか、女の子の気分を萎えさせるモノばっかり。 ……悪いけど出直してね、名前も知らない後輩クン」
 
 私が周りから一目置かれているのには、もう一つ理由があった。それは、異様に学内の男子から注目を浴びている存在だったからだ。
 きっかけは、高校二年生の春。クラス替えをきっかけにして、何故かクラスの男子女子から人気が出始めたのだ。もともと、美人だと持て囃されて生きてきた私でも、この光景は少し異常に感じた。席が近くなったクラスメイト達は、何故か執拗に私に絡んでくるし、私のウワサを聞いた男子生徒がこぞって私の連絡先を聞きにくるし、挙げ句の果てには、教科担当の男性教員が皆、私に執拗に優しくする始末。私が早くに推薦入試を決められたのも、私に優しくしてくれた中年の男性教員があれこれ手を回してくれたおかげだった。
 
 
 そう、異常だった。
 今まで人から告白なんてされた事もなかった私が、急に男子からモテるようになったのだ。俗にいう"モテ期"なのだろうか、と始めのうちは気に留めなかった。ところが、周りの環境はまさに"異常"と言うべきまでに変化していき、私の生活を一変させてしまった。ある日突然、別の人間の人格と入れ替わってしまったかのような変化に、私はあれよあれよと翻弄されていたのだ。
 しかし、その"異常"の理由は程なくして解明された。理由が分かってからは、私も周りへの対処に慣れてきて、次第にこの環境の中で意のままに過ごせるようになっていった。それはある種、「吹っ切れた」という感覚に近いのかもしれない。もうどうしようもない、という気持ちを得てからは、私の生活は幾分楽になった。そう……私は、私を取り巻く環境の変化が、私に降りかかった"呪い"によるものだと知ったのだ。
 
 
 「やあ。 おはよ、錦野さん」
 
 「……小雪ちゃん、おはよう。 もしかして、また男の子に告白されてたの?」
 
 「あら。 おはよう、早見くん、ルリちゃん。 ……これで通算28人目よ、嫌になっちゃう」
 
 「うーん……小雪ちゃん美人なんだから、一人くらい彼氏作れば良いのに。 そんなだから、"男泣かせの魔性"なんてあだ名まで付けられるんだよ?」
 
 「気にしてないわよ、そんなの。 私には彼氏なんて必要ない」
 
 「あはは……相変わらず君はブレないね」
 
 下駄箱で靴を履き替えていると、同じタイミングで登校してきたクラスメイト━━━若槻 瑠璃子(わかつき るりこ)ちゃんと、早見 光男(はやみ みつお)くんに出くわした。瑠璃子ちゃん……もとい、ルリちゃんとは中学の時からの付き合いで、高校二年生の時に初めて同じクラスになり、そこから仲良くなったという経緯がある。明るくて、笑顔が眩しい彼女は、クラスだけでなく学年全体を通して人気が高かった。
 
 「……あの、さ。 ちょっと、小雪ちゃんに話しときないなー、って思うことがあるんだけど……」
 
 「何? ……あぁ、早見君のこと?」
 
 「ちょっ!? こ、声が大きいってば!」
 
 「ん? 僕がどうかしたの?」
 
 「い、いやっ! 何でもないよ! ちょっと、小雪ちゃんと内緒の話があって……!」
 
 「……あぁ、そっか。 なら、邪魔にならんように、僕は先に行くね」
 
 わたわたと、分かりやすく慌てふためくルリちゃん。私は、ルリちゃんの可愛らしい反応を見るのが好きで、ついつい彼女をからかってしまうのだ。早見くんは、ちょっと不思議そうに首を傾げながらも、気にしてないよと言いながら爽やかに校舎内へと消えていった。
 
 
 ルリちゃんは、同じ学年である早見君に、密かに恋心を抱いていた。早見君は、聖歌学園高校の生徒会会長を務めている。頭脳明晰で誰に対しても優しく、そしてかなりのイケメン。学内の女子から人気が出ないはずがない、そんな人物だ。
 ちなみに、早見君とルリちゃんはもともと交友は深く、よく私も交えて三人で談笑をしたりすることもある。そうして交流を重ねていく内に、ルリちゃんは彼に惹かれていったのだそうだ。……まぁ、私からすれば何の魅力も感じないのだけれど。
 
 「それで、話って?」
 
 「うん…………あのね、私……明日こそは、早見君に告白しようと思うんだ……!」
 
 「ふぅん……なんで明日なの?」
 
 「えと……今日は、早見君の実家で稽古があるらしくて。 ほら、早見君の実家って日本舞踊の家元でしょ?」
 
 あぁ……と興味なさげに相槌を打ちながら、私はルリちゃんの熱心さに感心していた。まぁ、よく調べてるなぁ……ってぐらいの感想でしかなかったのだけれど。これが、恋心が人を動かすということなのかしら、と、私は表面に笑顔を作りながら、内心でそんなことを考えていた。
 
 「上手くいくといいわね。 私も応援してるわ」
 
 「……」
 
 「……ルリちゃん?」
 
 「……あっ、ううん、何でもない! ありがとね、小雪ちゃん! はぁ……なんだかもうドキドキしてきたよ~」
 
 「……ドキドキ、ねぇ」
 
 一瞬、私が苦い顔を浮かべてボソリと言葉を漏らしたのに、ルリちゃんは気がつかなかったようだった。
 
 
 「そういえば……最近はアレ、どうなの? もう治まってる?」
 
 「え? ……あぁ、うん。 もうだいぶ慣れてきた、かな。 でも、油断するとやっぱりイライラしたり泣いたりとかが出ちゃうから、気を付けないと」
 
 「そう。 ……あんまり無理はしちゃ駄目よ? 何かあったら、また私に相談して」
 
 「うん。 いつもありがとう」
 
 
 アレ……とは、一年ほど前からルリちゃんを悩ませているという、不可思議な現象のことだ。
 
 入学当初、ルリちゃんはとても大人しい子だった。大和撫子、と周りから呼ばれたりする程に、彼女はおしとやかで、控えめな性格だったのだ。
 しかし、近頃はそんな彼女の性格が崩れ始めているのだという。訳もなくイライラしたり、悲しくなったり、必要以上に笑ったり……なんだか、自分の感情が制御できなくなったみたいだ、とルリちゃんはそう話していた。
 そして、不可思議なのはこれだけではない。ルリちゃんの喜怒哀楽が、周囲の人々に伝播するかのように広がることがあるのだ。周りへの影響が強い……なんてレベルの話ではない。ルリちゃんが泣くと周りにいる人たちは南側泣き出すし、ルリちゃんが怒るとその場はたちまち乱闘騒ぎになる。私自身も、彼女に降りかかる現象を何度もこの目で見てきた。そしてそれが、理屈で片付けられない"異常"であると確信したのだ。
 
 
 「それじゃ、私は先に行くね!」
 
 「……えぇ。 また後でね」
 
 靴を履き替えて去っていくルリちゃんの背中をぼんやりと見つめる。窓から差す日の光が眩しくて、私はほどなくして彼女の姿を見失ってしまった。
 
 「明日告白する、か……」
 
 窓の光から目を背けつつ、ボソッと呟く。視線を落したその先、自分の影を見つめながら、私はあの日のことを━━━"呪い"について知らされた日のことを思い出していた。


 ***
 
 「単刀直入に言うぞ。 錦野 小雪……お前は、『聖唱姫の呪い』にかかっている」
 
 「のろ、い……?」
 
 ある日、私は見知らぬ同級生に呼び出された。
 指定されたのは、放課後の人気のない教室。そこには、サラサラした黒い髪の少女が立っていた。私の姿を見つけた彼女は、開口一番、"呪い"などという怪しげな単語を口にしたのだった。
 
 「……いや、いきなり呼び出しておいて何? イタズラにしては出来が悪すぎるんじゃないかしら。 そもそも、貴女誰なの?」
 
 「……失礼、自己紹介がまだだったな」
 
 コホン、と小さく咳払いをしてから、彼女は長い髪をフワッと揺らして、
 
 「私は板橋 遥(いたばし はるか)。 オカルト研究部の部長をしている者だ。
 実は、校内でお前の噂を聞いてから、ずっとお前のことが気になっていたんだ。 だから、勝手ながら、お前のことを色々と調べさせて貰った」
 
 「はぁ……生憎、私は恋愛そのものに興味がないの。 いくら相手が女の子だからって」
 
 「まぁ待て。 話は最後まで聞け」
 
 板橋……とかいう女は、机に置いていた図鑑みたいに分厚い本を手に取ると、パラパラとページを捲っていった。
 
 「『聖唱姫の呪い』。 かつてこの学校でアイドル活動をしていた少女五人が、不慮の事故によって亡くなった……その怨念によって生まれた呪いだ。 私は、その呪いにかかってしまった生徒を探して忠告をしている。 ……といっても、現状見つけられているのは、君一人だけなんだがな」
 
 「へぇ、災難ですこと。 オカルト小説を聞いて欲しいのなら、他を当たって……」
 
  「……彼女らの亡霊に見繕われた少女は、様々な異常現象に見舞われ、卒業式の前日に命を落とすと言われている」
 
 「……え?」
 
 "異常現象"という言葉に、思わずピクリと反応してしまう。最初は、バカバカしいと思って聞き流そうとしていた。しかし、その呪いが異常現象を引き起こすと聞いて、それが一気に現実感を帯びた。
 
 身に覚えがあった。私は、"異常"と呼ぶべき現象を何度も経験しているのだ。
 
 
 「お前は、老若男女問わずあらゆる人から人気があるらしいな。 特に男子生徒……君の傍に寄った者は皆、ドキドキすると言っていた。 私も今、異様にドキドキしている。 ……これは、お前の呪いによって引き起こされている現象なんだ」
 
 「これが、呪い……?」
 
 「『安断手(アンダンテ)』。 他者の心拍数を操る呪い。 ……お前はこれにかかっていると見て間違いない筈だ」
 
 私は、ずっと不安だった。
 自身を取り巻く異常の原因が、どうしても分からなかったからだ。
 ……しかし、答えは意外な形で私に知らされた。私が想像だにしていなかった真実が、その答えとして突きつけられたのだ。私の呼吸は、次第に荒くなっていった。
 
 「ねぇ……貴女さっき『呪いを受けた者は卒業式の前日に命を落とす』とか言ってたわよね!? それ、本当なの!?」
 
 「……あぁ、そうだな」
 
 「何よそれ……どうすれば良いのよ!? 私はまだ死にたくないの! 何か……何か助かる方法は無いの!?」
 
 この時、私は半分我を忘れていたと思う。"死にたくない"という惨めな欲望に突き動かされ、心が焦りで満ちていたのだ。板橋の両肩を掴んでグワングワンと揺さぶっていると、彼女は声を上擦らせながら叫んだ。
 
 「落ち着けっ! 方法がない訳じゃない!」
 
 「……! なによ、ちゃんと助かるんじゃない。 あーあ、心配して損したわ」
 
 「……」
 
 助かる術があると知り、ホッと胸を撫で下ろす私。一方の板橋は、どこか気まずそうな……怒られるのが嫌で何かを隠す子供のような顔で俯いていた。
 
 「……浄歌聖唱(ジョーカー・セッション)という儀式を行えば、呪いを取り除ける。 助かりたいのなら、それを試せば良い」
 
 「じゃあ……さっさとその儀式を始めてよ」
 
 「……私には無理だ。 浄歌聖唱(ジョーカー・セッション)には、呪いを浄化する零浄化(ゼロ・ジョーカー)という力を持つ人物の協力が必要なんだ。 しかし……」
 
 「しかし……何?」
 
 「……この学校には、お前の他にも呪いに見舞われている生徒が存在する。 お前以外に、四人な。
 ……しかし、浄歌聖唱(ジョーカー・セッション)は、その内の一人しか救うことが出来ない。 一度儀式を行うと、零浄化(ゼロ・ジョーカー)はその効力を失って、二度と儀式が出来なくなるらしいんだ……」
 
 
 ……ふぅん、なるほど。
 つまり、私が救われると、他に呪いで苦しんでる子たちが救われないということか。 彼女はそれを危惧しているのだろう。
 
 
 しかし……
 
 「面識のある子とかならともかく……どうして私が見ず知らずの人に気を遣わなきゃいけないの? そりゃあ人が死ぬのは嫌だけれど、だからってみすみす自分の命を諦めるほど、私はお人好しじゃないの」
 
 「だが……」
 
 「第一、本当にそんな呪いにかかってる子が大勢いるの? 私が今までに、自分の異常以外で変な現象を見たことなん、て………………」
 
 
 ……私は、ずっと忘れていた。
 
 異常なんて、自分の身の回りでしか起きていないと思っていた。
 
 私に、自身の異常のことを相談しに来た親友がいたというのに。
 私を頼って相談しに来てくれた、私と同じように悩んでいる友達がいたというのに。
 
 
 「……ねぇ、その本ちょっと見せてくれる?」
 
 「? ……あ、ああ」
 
 私は、板橋から分厚い本を受け取ると、無言でページを捲っていった。
 呪いの歴史が刻まれた章、呪いが生まれたきっかけを記した章……そして、呪いの種類について書かれた章。
 私は、目を凝らしながらその章を見ていった。さっき板橋が説明していた『安断手(アンダンテ)』とかいう呪いについての記載もある。しかし、私はそこを読み飛ばした。そして━━━
 
 
 「…………惑聖恋(マッド・セイレーン)」
 
 探していた……いや、探しながらも、心の中では見つからないで欲しいと願っていた項目が、見つかった。 ……見つけてしまった。
 
 
 惑聖恋(マッド・セイレーン)。
 自分の声を聞いた者の心に作用し、呪いを発した人自身が抱いている"感情"を周りの人間に押し与えることができる呪い。要するに、自分の感情を人と共有するという力。その作用はまさに……ルリちゃんが、私に相談してきた異常の内容と同じだった。
 
 『自分の感情を抑えられない』
 『自分の感情が、周りに伝播する』
 
 
 ……ああ。 間違いない。
 
 ルリちゃんは……若槻 瑠璃子は、惑聖恋という名の呪いにかかっている。
 
 
 「惑聖恋がどうかしたのか? まさか……」
 
 答える代わりに、私は本をバサッと地面に落として力なく項垂れた。さっきまでは、自分が助かればそれでいいとばかり考えていた。でも……ルリちゃんにも、私と同じ危険が迫っているのなら、話は別だ。
 ……私は、私の命と親友の命とを、天秤にかけなければいけなくなってしまったのだ。
 
 
 「……誰なの?」
 
 震える声で呟く。え……と、戸惑いながら尋ねる板橋に向けて、私はもう一度言った。
 
 「呪いを浄化できるとかいう儀式……それ、誰の力を借りなきゃいけないの?」
 
 しばらくポカンとしてから、板橋は慌ててポケットから小さな手帳を取り出して、ページを捲っていった。手帳には、ミミズが這ったような字がびっしりと刻まれている。彼女は、その中から一枚のページを見つけ出し、私の方へ差し出した。
 
 
 「零浄化(ゼロ・ジョーカー)。 呪いの力を抑制できるとともに、浄歌聖唱(ジョーカー・セッション)を行うのに必要な力を持つ。
 ……私の調べによると、その力を持っているのは━━━」
 
 息を飲む。嫌な静寂が、私の心臓を刺した。
 
 
 
 「━━━早見 光男、という男だ。 この学校の生徒会長の……お前も知っているだろう?」
 
 
 
 …………あぁ、そうか。
 
 その瞬間、私は全てを悟った。
 
 これは、精巧に作られた運命の劇だったのだ。
 私はどうやら、その劇に用意されたお膳立て役らしい。
 
 
 ルリちゃんは、惑聖恋という呪いにかかっている。
 その呪いを浄化する力を持っているのは、ルリちゃんが恋心を抱いている、早見 光男。
 浄歌聖唱(ジョーカー・セッション)によって助けられるのはたった一人だけ。
 
 だったら、答えはもう決まっているじゃない━━━
 
 
 
 「━━━つまり、私が死ぬのがハッピーエンド、ってことね」
 
 
 「なっ……!?」
 
 声をあげたのは、板橋だった。
 まぁ、それもそうか。さっきまで生に執着して、自分だけ助かろうとしていた人間が、急に、自らの命を投げ出したのだから。驚かれて当然だろう。
 
 「待て! どうしてそうなるんだ! もしかしたら、まだ他に方法があるかもしれない。 だから、そんな簡単に死ぬなんて……!」
 
 「……ありがとう。 貴女の説明、何故だかよく分からないけれどすごく理解しやすかったわ。 自分でも驚いちゃうくらい腑に落ちた。 ……だから、もう良いの」
 
 何故だろう。肩の力がスゥーッと抜けたような感覚だ。焦りと不安と恐怖に侵されていた筈の私の心は、今、死んだようにその機能を停止した。
 
 「私の心配なら要らないわ。 多分……報われるのは、ルリちゃん一人よ」
 
 「錦野……お前……」
 
 完璧すぎる台本ほど、つまらないものは無い。寸分の違いなく演じられる"運命"という名の群像劇には、私のようなちっぽけな存在は、抗うことすら許されない。ただ決まったエンディングに向かって、淡々と時間が過ぎていくだけだ。
 でも……私はそれで良いと思った。どんなにつまらない展開でも、どんなに飽き飽きする運命でも……そのヒロインがルリちゃんであるならば、私は満足だ。かけがえのない親友が、完璧なシナリオでハッピーエンドを迎えてくれるのなら、私は喜んで薔薇の花を投げ入れよう。この時、私はそう決意した。
 
 「じゃあね。 忠告ありがと、博識なオカ研部長さん」
 
 「……」
 
 驚くほどあっけなく、私は教室を後にした。板橋は、声をかけることすらせず、ただ棒立ちで私の背中を見つめていた。
 
 これから先、彼女はどうするのだろう? ……しかし、そんなことは私の知ったことではない。運命という名の結末は代わらないし、私が変えさせない。
 コツ、コツ、と廊下に私の足音だけが静かに響きわたる。ギラリと光を孕んだ夕暮れ時の月明かりが、窓から私の後方を照らしていた。

 ***
 
 
 あの日以来、私は板橋という子と出会っていない。同じ学年なのか、後輩なのか、はたまた去年のうちに卒業したのか……それは、私には分からない。いや、知りたいとも思わなかった。
 あれから、私は火が消えたように何事にもやる気を示さなくなった。いずれ死ぬと分かっているのだから、今何かを頑張ったところで何の意味もない。私は、差し障りのない程度に勉学と人付きあいとをこなしながら、空っぽの毎日を生きてきた。……そんな中でも、変わらず男は寄ってきたのだけれど。
 
 
 キーン、コーン、カーン、コーン……
 
 退屈なホームルームが終わり、クラスメイトが次々と席を立っていく。窓の外はほんのりと橙色に染まり、うろこ雲が棚引いていた。
 
 「ルリちゃん。 帰りましょ」
 
 「あ……ごめんね小雪ちゃん。 私、今日委員会の集まりがあるの。 だから、先帰ってて」
 
 「あぁ、そうだったの。 別に気にしないわ。 集まりって、そんなにかからないでしょう? 図書館で時間つぶして待ってるわ」
 
 「本当? ……分かった。 じゃあ、すぐ終わると思うから、待ってて」
 
 ごめんね~、と声をあげながら、ルリちゃんは筆箱を片手に教室を去っていった。相変わらず元気な子だ。机で頬杖をつきながら、私は、彼女の母親にでもなったような気分で彼女の背中を見つめていた。
 
 
 「……あら?」
 
 ふと、ルリちゃんの机に目をやる。そこには、パンパンになった鞄と、透明のクリアファイルが一枚置いてあった。クリアファイルの中には、『美化委員会議レジュメ』と書かれたプリントの束が入っているのが見えた。
 
 「全く……世話がやけるんだから」
 
 やれやれ、と息を吐きながら立ち上がり、私はクリアファイルを手にした。そして、校門へと向かう学生らの波に逆らうようにして、廊下を西へと進んでいくのだった。
 
 
 
 
 「えっと……美化委員会の会議って、どこでやってたかしら?」
 
 しばらく校舎をウロウロしている内に、学内はすっかり静かになってしまった。聖歌高の校舎は無駄に広いため、生徒がたむろする場所は限られている。その穏やかさはメリットだが、こうして道に迷いやすいという弊害もついてくるのが困りものだ。
 
 「この階はもう見たし、次は上の階に……きゃっ!?」
 
 バサバサバサッ!! と音を立てて、クリアファイルからプリントが散乱する。ファイルを持ち変えようとした拍子に、口が下を向いてしまったらしい。床が濡れてなかったのが幸いだわ……と呟きながら、私はせっせとプリントを拾い集めていく。
 
 
 「……ん? これって……」
 
 プリントの束の中に一つだけ、色の異なる紙がある。私は、クリーム色の分厚いそれを拾い上げた。どうやらこれは、手紙のようだった。
 
 「もしかして、ラブレターか何かかしら? ……ルリちゃんってば、意外とガサツなとこあるのね」
 
 封筒の裏側には、端に小さく『早見 光男』と名前が書かれている。これじゃ、どっちが差出人なのか分からない。それに、よく見ると封筒はなんだかしわくちゃで、まるで誰かが握り潰したみたいになってしまっている。……いや、もしかしたらこの手紙は失敗作で、ルリちゃん自身が握り潰したりしたのかもしれない。どちらにせよ、それをクリアファイルに入れたままにするのはどうなのだろう、とは思うけれど。
 
 
 「…………」
 
 私は、無言で辺りを見渡した。多分、後ろめたい気持ちを抱えていたからだろう。そうして、周りに誰も居ないことを確認すると、私は封筒の封を開け、そーっと中に入っていた手紙二枚を取り出した。
 
 (少しだけ。少しだけなら……)
 
 ルリちゃんには悪いと思いながらも、私は手紙を開く手を止められなかった。ルリちゃんは、どんな言葉で彼を射止めるのだろう。明日、彼女の恋はどんな風に華々しい展開を迎えるのだろう。ルリちゃんの為に命を捧げる覚悟を決めたのだ……その先の展開をチラ見するぐらいの恩恵は、私にもあって良いだろう。
 トクン、と心臓が跳ねる音が聞こえる。外は、だんだんと暗くなりつつあった。私は、きゅっと唇を結びながら、恐る恐る、手紙の中身に目を通していった━━━━━━
 
 
 ………………

 …………

 ……
 
 
 『 錦野 小雪 さんへ
 
 突然こんな手紙を渡してごめん。 本当は会って直接話すべきなんだろうけど、勇気がなくて。 だからこうして、手紙に自分の気持ちを込めました。
 
 僕は、錦野さんのことが好きです。 初めて君に出会った時から、僕は君を見るたびにドキドキしてたんだ。 よく、若槻さんと一緒に話をしたりする機会があったよね。 あの時もずっと、僕は君のことばかり見ていた。 君しか見えなくなっていたんだ。 君はいつも『彼氏なんて必要ない』と言っていたけれど、僕には君が必要なんだ。
 
 勿論、早見の家が君に迷惑をかけてしまうかもしれないことは分かってる。 けど、それでも僕は君のことを諦められない。 むしろ、君と一緒なら乗り越えられるような気さえする。 我が儘でごめん。 でも、僕は本気です。
 
 それから、呪いのことも。 君が、『聖唱姫の呪い』というものにかかっていると聞いた時は、ビックリしたよ。 そして、その呪いを解く力が、僕にあるということを知って、さらに驚いた。 いや、正直に言うと、嬉しかったんだ。 僕が、君を苦しみから救ってあげられる、って。
 
 これは、運命だと思う。 僕が君に恋をしたのはきっと、僕が君の呪いを解く力を持っていたからなんだと思う。 だから、僕に君を救わせて欲しい。 
 
 僕の、彼女になってくれませんか。
 
 来週の月曜日、君の答えを聞かせて欲しい。 放課後、音楽室で待ってる。
 
         早見 光男 より』

 
 ……

 …………

 ………………
 

 
 「……………………なに、これ…………」
 
 
 パサリ、と私の手から手紙が落ちた。
 好奇心で揺れていた筈の私の心は、いつの間にか、恐怖心で揺れていた。
 
 
 なんで? どういうこと?
 
 早見くんは、ルリちゃんと結ばれる運命じゃなかったの?
 
 救われるのは、ルリちゃんの筈じゃなかったの?
 
 どうして…………どうして、早見 光男は私に惚れているのっ!?
 
 
 混乱する頭が酸素を欲して、鼓動を早める。バクバクと鳴り響く心臓を落ちつかせるために、無意識に呼吸が荒くなる。私は、床にまだ散らばったままのプリントを片付けることさえ忘れ、ただ茫然と立ち尽くしていた。
 
 
 「……なんで、この手紙をルリちゃんが……?」
 
 ようやく呼吸を落ち着かせた私は、手紙の文面にもう一度目を落とし、状況を整理しようと試みた。
 今日は月曜日。手紙にある『月曜日』が今日なのだとしたら、この手紙は一体いつ渡される予定だったのだろう? 早見くんは今日、稽古があるから学校には居ない……そう、ルリちゃんが言っていた筈なのに……。 そして何より、なぜその手紙がルリちゃんの所持するファイルに入っていたのだろう?
 謎は、謎を呼ぶばかり。肝心の答えは全く見えることがなく、私は思わず頭を抱えた。そして、私はこれからどうすれば良いのだろうか……という焦燥感が、私の心を揺さぶり━━━
 
 
 
 「━━━錦野さん……?」
 
 「っ!?」
 
 聞き覚えのある声の筈なのに、私はゾクリ、と寒気を感じながら硬直した。落ち着きのある優しい声音を受け、恐る恐る後ろを振り返る。そこに立っていた早見くんは、私の手に握られていた手紙を見ると、
 
 「その手紙……! ……良かった、ちゃんと若槻さんが届けてくれたんだね。 30分待っても来ないから、フラれちゃったのかと思ってたけど……ありがとう、ちゃんと来てくれて」
 
 「なんで……今日は稽古があるはずじゃ……」
 
 「稽古? いや、それは明日だよ。 ……誰から聞いたの?」
 
 あ、あ……と震える声を何とか堪える。立っているだけで精一杯の私を、早見くんは優しい目で見つめていた。そして、徐に私の手を掴み、
 
 「……来て。 ここじゃ、誰かに見つかるかも」
 
 「あっ……」
 
 有無を言わさず、私の手を引く早見くん。なす術なく彼に誘導されながら、私たち二人は、薄暗い音楽室へと入り込む。窓の外は真っ暗で、ザアザアと雨が降る音が聞こえていた。
 
 
 「……その手紙を読んでくれたってことは、もう僕の気持ちは伝わってる……よね?」
 
 「…………」
 
 私は答えない。いや、答えることが出来なかった。頭の中は真っ白で、焦点も定まらない。そんな、生きる人形と化していた私に対して、早見くんは一方的に話を進めていった。
 
 「……答えは、まだ聞かないでおく。 その前に、これ」
 
 彼が手渡したのは、一枚の楽譜だった。よく見ると、五線譜の下には、赤と黒のボールペンで小さく歌詞が書かれている。歌え、ということなのだろうか……?
 早見くんは、無言でピアノの前に座ると、小さく深呼吸をした。そして、ゆっくりと鍵盤に手を添えると、繊細な手つきで楽譜に記された曲を爪弾いていく。
 
 「~~♪」
 
 黒で書かれている方の歌詞を、早見くんが口ずさむ。優しくもあり、力強くもあるその歌声は、真っ白になっている私の頭にも響いた。その声でハッとした私は、慌てて赤い字で書かれた方の歌詞を追っていく。この行為が何なのか、自分が何をしているのかも分からないまま、私は、何かにすがり付くように、歌だけに意識を集中させた。
 
 「~~♪」
 
 ピアノの音と、二人の歌声が、雨音を掻き消した。少なくとも、自分が歌を歌っている最中だけは、困惑や恐怖、不安、焦り……そういった感情を忘れることが出来た。だから、私は必死に歌声に力を込めた。
 
 「~~~♪」
 
 ……そして、伴奏が静かに止む。再び雨音が音楽室を包み、私は元の空間へと戻された。
 
 「ねぇ、これって……」
 
 私が質問し終わる前に、早見くんは立ち上がって私の方へ歩みよった。そうして、そっと私の手を取ると、彼は私の両手をギュッと手で包み込んだ。
 
 ……その瞬間だった。
 
 
 グワンッ!! と、大きな衝撃があったかと思うと、急に私の身体が熱くなった。まるで、私の中から光が漏れ出るかのように、じわじわと身体全体が熱を帯びていく。私がバランスを崩しかけると、すかさず早見くんが両手を握る手に力を込めて私を支えた。
 そうして、十秒ほど謎の不思議な感覚に見舞われた後、私はやっと解放された。足に力が入らず、よろめいて尻餅をつく私。はぁ、はぁ……と、息も絶え絶えになる中、私はようやく彼に質問をした。
 
 「ねぇ……これは、一体何なの?」
 
 
 聞かれて、早見くんは優しく微笑む。
 
 
 ━━━しかし、次の彼の言葉を聞いた瞬間、彼の笑顔は私の中で、悪魔の微笑へと変わった。
 
 
 
 「……これで、君は呪いから解放された。 浄歌聖唱(ジョーカー・セッション)で、君の安断手(アンダンテ)を浄化したんだ。 ……もう、君は苦しまなくて済む。 君は、卒業式前日に死ななくて済むんだ」
 
 
 
 「……………………は?」
 
 
 目の前すら真っ白になった。
 私の中の希望が、ガタガタと音を立てながら跡形もなく崩れ去る。
 息を吸うことすら忘れ、私は、目の前で笑う男の顔を見上げた。
 
 
 「……君が、どんな答えを用意していようが構わない。 勿論、YESと言ってくれたら、これ程嬉しいことは無いよ。 けど、もしNOを突きつけられたとしても、僕はそれを受け入れるつもりだ。
 ……でも、君の命だけはどうしても救いたかった。 君の未来だけは守りたかった。 ……どんな結末やったとしても、僕は、君に生きてて欲しいと願ったんだ!」
 
 
 男の声は、ぼんやりと私の頭に響いた。
 
 
 「分かってる。 君の他にも、呪いにかかってる人が居るかもしれへん、ってことも。 ……僕も悩んださ。 この上ないほど悩んで、悩んで、苦しんだ。
 ……でも、決めたんだ! 僕は錦野さんを救うって! 他にどんな犠牲を払っても良い! 僕は……僕の大切な人を守ろうって決めたんだ!」
 
 
 男の目から零れた涙は、ポツリ、と無機質に床に落ち、広がった。
 
 
 「……僕は、君が好きだ。 心の底から愛している!
 ……だから、聞かせてくれないか? ……君の、答えを」
 
 
 男は、真っ直ぐに此方へと手を差し伸べて、嗤う。
 私には、それら全てが、私を欺いて貶めようとするメフィストの姿にしか見えなかった。暗い部屋が、より一層深い闇を纏ったように写っていた。
 
 パリンッ……と、私の中で、ガラスのような何かが壊れるような音が聞こえた。
 
 
 
 「……答え? そんなの決まってるわ」
 
 
 ガラスの靴は、破片すら残さずに砕け散った。
 運命という名の脚本は、真っ黒の灰と化した。
 
 
 ━━━この時、私は私を失った。
 
 
 私は、早見の胸ぐらを両手で掴むと、そのまま奴の身体を壁へと叩きつけた。ガンッ! という重い音が響く。早見は、ぐっ……! と小さく呻きながら、何が起きたのか分からない様子で、目を白黒させていた。
 
 
 「嫌いよ。 私、貴方のことが嫌いで嫌いで仕方ないの。 ……今ここで殺してやりたいくらいにね!!」
 
 もう一度、奴の身体を揺すって壁に叩きつける。雨の音が一層激しくなる中、音楽室には、鈍く汚い音が何度も何度も響いていた。
 
 「痛っ……くっ……なん、で…………ぐぅっ……!」
 
 「貴方は……貴方はルリちゃんを踏みにじった!! ルリちゃんの気持ちだけじゃなくて、ルリちゃんの未来までもを蔑ろにした!! 許さない……絶対に許さないっ!!」
 
 「がはっ……や、めっ…………」
 
 私は、前が見えていなかった。
 自分が今どこにいて、何をしているのかさえも覚束無い状態だった。
 
 
 ……狂っていたのだ、きっと。
 運命も、希望も、未来も、信念も、宿命も、そして自分自身も……。
 一つネジが欠けた瞬間、全てが崩れ落ちていくように。
 
 ルリちゃんが主演の舞台は、"私"という名の狂った悪役によってめちゃくちゃに潰された。
 
 ルリちゃんを蔑ろにしたのは彼じゃなくて、"私"なのに…………。
 
 
 
 
 「はぁっ、はぁっ……はぁ………………」
 
 
 あれから、何十分経っただろう。私は、雨音だけが響く真っ暗な音楽室に佇んでいた。
 足元には、地面に付して動かない男が転がっている。その上には、グシャグシャにされた二枚の楽譜と、手紙が捨て去られている。
 惨状、と呼ぶのが相応しいだろうか。私の目の前の状況と、私の未来は、もうズタズタになっていた。
 
 「…………」
 
 真っ暗な天井を見上げる。明かりがないとこんなにも暗く霞んで見えるのか、と初めて気づかされた。すうっ……と私の頬を伝ったのは、乾いた涙だった。
 
 
 
 「━━━小雪、ちゃん…………?」
 
 声がする。私は、この展開をなんとなく察していた。
 ありきたりな結末すぎて、笑いすら込み上げてくる。私は、振り返ることもせず、ただぼんやりと天井を見上げたまま動かなかった。
 
 「なに、これ……一体何がどうなって……!?」
 
 パチン、と慌てた様子で音楽室の電気をつける彼女。そうして、私と、私の目の前で倒れている男の姿を目の当たりにする。予想通り、彼女は言葉を失って立ち尽くしていた。
 
 「はや、み、君……? それに、この手紙……なんで…………?」
 
 「……見れば分かるでしょう? 私、彼をフッたの。 タイプじゃなかったから」
 
 「何それ…………なんなのよそれっ!!」
 
 女は、いつになく激昂していた。
 
 「私、いろいろしたよね……? 早見くんから頼まれた手紙、小雪ちゃんが読んでくれるように、わざとファイル置いて行ったんだよ? 委員会があるって嘘ついて、二人が話し終わるまで隠れて待ってたんだよ? ……私の、早見くんへの想いを押し殺して、早見くんの幸せの為にずっと我慢してたんだよ!!?」
 
 
 ああ、そういう事か……。
 
 彼女は今日のために、色々な嘘を並べてお膳立てをしてくれていたらしい。きっと、自分で手紙を渡すのが嫌だったから、こんな回りくどい手段を取ったのだろう。彼女の独白で、疑問に思っていた全ての辻褄が合った。
 
 「私、悔しかった……。 早見くんから手紙を預かった時、胸が張り裂けそうなくらい苦しかった……。 ……でも、早見くんが本気で小雪ちゃんのこと好きだって言ってたから……私、心を殺して、早見くんのために色々尽くしてきたんだよ?
 それなのに……何で? ねぇどうしてなの!?」
 
 早見くんのため、か……。 皮肉ね。
 さっき彼女は"心を殺して"なんて言っていたけど、私の心もとっくの昔に殺されていた。
 
 だからだろうか……。
 
 私は、彼女に対して罪悪感とか、同情とか、そういう感情を全く抱かなくなっていた。
 
 
 「へぇ……災難だったわね。 貴女がどんな思いで工作していたのかなんて知らないけど、その結果がこのザマよ? 無駄な努力、って感じよね」
 
 「……ふざけてるの?」
 
 ズン、ズン……と殺気が込もった足取りで近づいてくる彼女。私は、煩わしさをため息に込めて息を吐いた。ふと、ピアノの上にあった分厚いスコアブックが目についたので、手に取ってパラパラと捲る。ビッシリと書き込まれた文字から察するに、これは下で転がっている男の所有物のようだった。
 
 「私、ずっと友達だと思ってた……。 小雪ちゃんになら、早見くんのこと譲っても良いって、そう思ってた。 ……でも、全部間違ってたんだね」
 
 女は、今にも泣き出しそうだった。
 
 「許さない……絶対に許さないっ!!」
 
 キッ! と、私を睨みながら距離を詰めてくる彼女。あぁ、きっと殴りかかるんだろうな。そりゃそうだ。目の前に立っているのは、恋敵でありながら、自分の愛する人に危害を加えた、悪魔なのだから……。
 
 「ああああああッ━━━!!」
 
 そうして、突進するかの如く迫ってきた彼女を━━━
 
 
 
 ━━━ガンッ!!
 
 
 「い゛っ……あ、ぐっ…………」
 
 
 私は、スコアブックで躊躇なく殴り返した。
 
 
 目を狙った。動けなくなるように。
 一瞬の判断に、私は何一つ躊躇うことはなかったし、自分でも驚くほどに冷静だった。……まぁ、心が死んでいるのだから、当たり前か。
 
 私の目論み通り、女は左目を押さえながら力なく踞って倒れた。自分の足元で呻き声をあげる女に目もくれず、私はトコトコと音楽室を後にする。パチン……と左手で電気のスイッチを押すと、音楽室は息を引き取ったかのように暗く、静かになった。
 
 「…………」
 
 外は、激しく雨が降り続いている。それなのに、私の中の涙は、カラカラに乾き果ててしまっていた。真っ暗な廊下を突き進んでいく私の目は、死んだ人間の目のようになっていたことだろう。
 これが、運命。最低最悪の悲劇的な結末こそが、私に課せられた運命。……私にとっての『宿命』だったのだ。
 
 ***
 
 ━━━━あの後、二人は救急車で病院に運ばれた。
 ルリちゃんの方は、命に別状は無かったみたいだけど、早見くんの方は、頭に強い衝撃を与えられたせいで、後遺症が残る危険性があるとのことだった。なんだか、彼の実家はすごく大騒ぎしていたらしいけれど、詳しいことはよく分からない。
 
 ちなみに、私は警察に逮捕されることもなければ、慰謝料を請求されることも、他人から罪を咎められる事さえも無かった。聖歌高の生徒も教師も、誰もが皆私に好意を持っていたから、「錦野さんがこんな事をする筈ない。 きっと、何か事情があったんだ」と言って、手厚く私を保護してくれたのだ。安断手(アンダンテ)の呪いから解放された筈なのに、私の周りの人間は、何一つ変わらなかった。
 
 ……そう、呪いといえば、私は聖歌高を無事に卒業し、死ぬことなく今も生きている。風の噂で聞いた程度だけど、ルリちゃんは退院して間も無く飛び降り自殺を謀って亡くなったらしい。また、聖歌高の生徒が相次いで不慮の事故にあって死んだ、という話も聞いた。確か、板橋という女生徒もその一人らしい。
 ……皮肉ね。呪われて死ぬべきだったのは私なのに。私は、他の誰よりも生きてちゃいけない存在の筈なのに。
 
 
 宿命の女(ファム・ファタール)。
 文学や美術の世界に登場する、男を誘惑して破滅に導く女。
 
 ……私はきっと、それだったのだろう。
 
 私の高校時代の同級生。真面目で、愚直で、前向きだった彼の現状を"破滅"と言わずして何と言えるだろうか。
 私の友達。真っ直ぐで、素直で、明るかった彼女の最期を"悲劇"と言わずして何と言えるだろうか。
 
 私は、宿命の女。その宿命がもたらす惨劇はあまりにも残酷で……私は、今でもその過去を直視できずにいる。しかし、それが残した爪痕は今でも私の胸に深く深く刻まれていて、時折、私の臓腑をグシャリと締め付けた。
 
 そう。それはまるで━━━
 
 
 ━━━まるで"呪い"のよう。
 
 
 
 「……私は、今も呪われている」
 
 清々しい青に染まった空。そこに聳える、西洋チックなクリーム色の校舎。私は、『聖歌学園高校』と書かれたその校舎の校門前に立っていた。
 
 「……呪いの因果から、私はもう逃れられない」
 
 真っ黒のスーツに身を包み、首から下げた名札を揺らす私。これは、私が身体を売って、心も売って、他人さえをも利用して手に入れた名札だ。生温い風を頬に受けながら、私は、虚ろに目を開いて微笑んだ。
 
 「……だったらせめて、終止符は自分の手で打たなくちゃ……ね」
 
 
 私は、呪いの因果を終わらせるためにここに来た。
 最低最悪な運命の連鎖をひっくり返すために、ここに来た。
 他の誰でもない、私のために。私自身の呪いを解くために。
 
 
 ……私は、宿命の女(ファム・ファタール)。
 
 無数の屍を足掛かりにしながら、自らに定められた宿命を断ち切るために……宿命に抗うために進む女。
 
 
 「……さぁ、始めましょう。 血塗られた運命という劇の最終章を、ね♪」
 
 
 そうして私は、呪われた学校へと足を踏み入れた。
 
 
 END