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クロスクオリア
2020年2月21日 11:57
投稿カテゴリ : 記事

『CROSS・HEART』Story.6 星宿の地図 6-3

「……――ハールッ!」

「イズム君……!?」
 リセはたった今イズムと老婆が出て行ったドアを振り返る。しかし彼女が戸に手をかける前に、それを勢いよく開け放った者がいた。
「お前らは此処に居ろ!」
「ハール君!? でもッ、」
「いいから! ヤバかったら呼ぶ!」
 フレイアに言い含めると開けた扉はそのままに、彼の声がしたであろう方へ走る。屋内でも届いたということからしてかなり近くのはずだと思いながら、家の角を曲がる。

 目に飛び込んできたのは――――蒼。

 そして右手では蒼い魔力の帯で一頭の魔物――この辺りに多く生息する狼型――の前脚を縛し、左手で同色の光の壁を創り、老女に飛び掛かってきたもう一頭を抑えている友人の姿だった。
「……ッ」
 舌打ち。ハールは携帯水晶から引き出した赤い光を、顕現した勢いでそのまま左方向の魔物に向かって薙ぐ。耳障りな聲。剣が完全に現れた時には、その刀身に赤が絡まっていた。そして速さを殺さずそのまま縛られた一頭の両前脚を斬り捨てる。
 ――二頭の他にも後ろに数頭控えている。群れだ。
「早く家の中へ!」
 地面に崩れるように座り込んでいた老婆の身体がイズムの声にびくりと跳ねる。しかしその細い脚は震えて立ち上がろうとはしない。恐怖で逃げるということすら頭にないようだった。見かねたハールが腕を引っぱり上げ、大きくふらつきながらも半ば強引に立たせる。彼女ははっとした目でハールを見上げると、がくがくと揺れているのか頷いているのか判別がつかない動作をしてから身を翻し自分の足で走って行った。魔物が彼女を追いかけて行かないこと、そして家の扉が閉まる音を確認する。
「女性なんですからもう少し優しく立たせて差し上げるべきじゃないですか?」
「言ってる場合かよ」
「お二人は?」
「待機させた」
「……縄張り争いに負けて下りてきた、という感じでしょうか」
「だろうな」
 よく見ると浅深の度合いは様々だが、群れは各々傷を負っていた。そしてそれらは魔法や武器によるものではなく、牙や爪によるものだと見て取れた。先刻老婆の話のなかで魔物が増え始めたという部分があったが、恐らく個体数が増えたがゆえに群れの数も増え、縄張り争いに敗北し行き場をなくした群れが人里まで下りてきた、というところだろう。群れの頭であろう個体は、逆立った毛皮に包まれた胴に血を滲ませていた。
「手負い相手にするってのも何だかな……」
「でもあちらさんやる気みたいですよ」
 地を這うような唸り声を牙の隙間から漏らす。目の前で仲間が屍となったにも拘らず、怯む様子は見られない。またその眸から殺気が消える気配もなかった。何にせよ、去るつもりがないのであれば、それ相応の対応をするだけである。
「呼びつけてすみませんね。僕だけだったらよかったんですけど、女将さんもいたものですから」
「そうだな、お前だけなら間違いなく放っておいた」
「酷いですね……とりあえず、来たついでに手伝ってもらえませんか?」
 イズムは右手に魔力を再び灯しながら言う。リセが瞳に狂気を躍らせていたときの白い輝きとは異なる、夜が間近に迫る空に似た、深く光る蒼。
「はいはい」
 そしてあの白ともう一つの違いは、隣で、何度も見たことがあるということ。
「でも、やりやすいでしょう?」
 ハールは刃の切先を、幾つもの殺意に染まった眸へ向ける。
「守るものがないですから」
 そして、無数の影が跳躍した。
「――そうだな」
 その言葉は魔物の咆哮に掻き消え、相手に届いているかは分からなかった。



 ハールが出て行って間もなく、開け放したままの戸口に人影。
「女将さん!?」
 足を縺れさせ、ほとんど崩れ落ちるようにして部屋へ飛び込んできた老婆をリセが慌てて支える。
「大丈夫ですか!?」
「魔物が、あたしは、何にも……っ、ただ、あの子たちが……」
 息も絶え絶えに言うと息を深く吸い込み、細く長く吐いた。フレイアがゆっくりとその丸まった背を撫でる。
「二人なら、多分大丈夫ですから」
 彼女はそれを数回繰り返し老婆が若干落ち着いてきたことを確認すると、窓まで歩いていき、蒼い光が漏れる方向に目を向けた。
「大丈夫ですよ。……全くもって」
 窓越しに小さく見えたのは、鮮やかに翻る鋭い銀の光。
「……わぁ」
 無駄な動きの一切無い、幾重もの蒼い光の帯。
「ヤバかったら呼ぶって言われたけどさー……」
 それを見つめながら、苦笑するフレイア。
「アタシのでる幕ナイですよね?」
 イズムの魔力によって具現化された蒼い光の帯が、魔物の脚を捕えた。するとその隙に銀刀が縛された脚の主の躯を滑り紅く染める。――――淡々と続くその行為は、もはや『作業』と呼んでも差し支えないだろう。声はおろか、目配せといった類の合図すらないように見受けられた。
 そしてまた一頭を片付けた――直後、左右から跳躍。殺意に染まった双牙がハールの斜め上両側から降下する。
「速ー……」
 空間が、時が止まったかのような、とは、この感じのことを言うのか、と、弓使いの少女は思う。
 赤が散ったかと思うと、次の瞬間には地に伏していた。自らが絶命する、という直前の感覚すら覚えないまま逝っただろう。
 勿論イズムも補助に徹しているばかりでは無く、帯で魔物を抑止しつつも、暇さえあれば光球で応戦する。また、『防御魔法』というのだろうか、光の壁を創り、不意を衝いてきた魔物も抑えていた。 
「……あれ、嘘じゃなかったんだねぇ」
 “あれ”とは、イズムが同行した初日にハールについて言及したことだろう。
「ハール君何であんなに剣できるんだろうねー。何か使い方が、狩人っぽくない……ような」
 老女を椅子に座らせ、隣に歩み寄ってきたリセ。彼女はどういうことかと訊くようにフレイアへ顔を向けた。
「何か、根本が違う気がする……相手の想定が、その辺の魔物だけじゃないような感じ。別に詳しくないから、ただの感想だけど」
 リセは窓の外へと視線を遣った。少し離れた場所で、銀と蒼が閃いている。
「イズム君もあれだけ戦えるなら、正直狩人やらないの勿体ないなー。まぁ危険が伴うしねー」
 暫くの間。リセから言葉が返ってこない。
「とにかく、すごいよねーって話っ」
 少し殺伐とした話をしてしまったかと、笑みを作ってそちらを向く。するとそこには、唇を引き結んだ横顔があった。
「……うん」
 隣に佇む少女は、未だに窓の外を見つめていた。まるで、何かを見逃さないようにしているかのごとく、微かな緊張を孕んだ表情で。そして予想外の真剣な声に、フレイアは思わず目を丸くする。
「すごい、ね」
 その呟きはフレイアに向けられていたのか、自分に向けられていたのか、或いは、他の誰かなのか。
 金の瞳には、蒼い光が揺れていた。

コメント

杏仁 華澄 4年前
ハールの髪は午後の紅茶のミルクティーの色に近いと思っています。