『CROSS・HEART』Story.1 白の狂気 1-1
───・…・†・…・───
な……に……
な……んだろ…………
わた……し……
逃げ………なきゃ……
早……く……
「でも」
何から――――――?
───・…・†・…・───
――ゆらゆらと揺れる、光。
重なりあった黄緑色の葉から零れた陽光は、木漏れ日となって森のすべてに降り注ぐ。新しい命が芽吹き出した地面にも、小さな虫にも、今は眠っているのであろう、夜になれば徘徊し出す異形の生命にも。そして腰を下ろし、揺らめく光を見上げていた少年にも。年の頃は十六、十七だろうか。薄茶色の髪に碧の瞳。彼は、深く長い息を静かにつく。
――平和、だ。
このまま身を横たえて眠ったらどんなに気持ちいいだろう。そして、そのまま目覚めなんてしなければ――……。
「……そろそろ行くか」
独り言ち、立ち上がる。
別に休まずとも歩ける距離ではあったのだが、急ぐ用事でもなくこうして少し休憩――もとい、ぼうっとしていた。だが、心地好い日和だといえ気が緩み過ぎるのも考えものだ。こうして余計な思考が浮かんでしまう。胸に沈殿したものを吐き出すように再び息をつくと、彼は歩き出した。このまま行けば空が朱くなる前には目的地に着くだろう。“目的地”、というほどのものではないかもしれないが。単に知り合いの家の近くへ来たゆえ顔見せに寄ろうと思っただけである。だけ、ではあるのだが――。
「面倒なとこに住んでるよなー……」
この通り、森のなかなのだ。比較的町の付近にある森とは言っても、やはり不便である。何故わざわざそんな場所に居を構えているのかというと、その知り合い――“彼女達”の特殊な仕事柄が理由である。特殊な仕事であれば、客も特殊な事情を抱えていて。特殊というものは、一般的に好奇の目が無遠慮に向けられることも多々あるわけで。客がそのような眼差しを向けられることがないよう、人目につかぬようわざわざこんな場所に住んでいるのだ。時折町に出ているようではあるが、彼女達も年頃の少女であるし、思うところもあるのだろうか。
一歩足を踏み出すごとにする草の音と、木々が風にざわめく音、鳥のさえずりしか耳に届く音はない。そのまま暫く進んでいくと、彼の背の丈程もある茂みに突き当たった。
彼は、思う。
――もし、例えばこの茂みの向こうとかに、『過去』を変える『何か』が転がっているとしたら、どんなにいいだろう。
左手で、目の前を塞ぐ茂みを掻き分ける。
『キセキ』なんてものじゃなくていいから、
「何か――……」
その呟きに込められたものは、何なのか。
そして――――物語は、はじまる。
「……え?」
茂みの向こう側は、日光を遮る樹木もまばらな、森の中では比較的明るく開けた場所だった。別に、それだけなら何も驚くことはない。
――――だが、
「な……?」
あったのだ。……否、『いた』のだ。驚くような、モノが。
白い、少女。それが、第一印象だった。
陽光を受けて淡い光沢を纏う純白の衣服が野草の上に広がり、その裾からは、赤いリボンが巻かれた服と同色のブーツを履く白い脚が覗いている。そして何よりも目を引くのは見事な銀髪だ。身を起こせば腰まで届くであろうそれは、草上をしなやかに流れている。
――そんな一人の少女が、自分の数歩先に身を横たえていたのだ。
長い睫毛に縁取られた瞼を閉じて、彼女は眠っているようである。
……というより、ただ“眠っている”だけでなければ困る。
(まさか死んでる……なんてことないよ……な?)
このまま身を横たえて眠ったら気持ちいいだろうとは思ったが、本当に寝る奴がいるか。獣も生息する森のど真ん中だ。眠っているにしても不自然極まりない。一瞬、見なかったことにして引き返すという選択肢が脳裏をよぎった。が、それはさすがに寝覚めが悪い。
意を決して、眠っている――だけだと思いたい――少女にそっと近付く。
……小さな寝息が聞こえた。規則正しいその音は少女が確かに生きているという証であり、彼は安堵の息をついた。とりあえず自分は、死体の第一発見者にはならずに済んだ訳である。
すると、草に覆われた緑の地面には不自然な白い何かが目の端に映った。
「帽子……?」
拾い上げて、少し離れた場所の彼女を改めて見下ろす。彼女が着ている白い服と意匠が似ている。飾りで付いている紅い玉も同じ物のようだ。
(そっとしておいた方がいい……よな?)
少女の物であることは間違いないであろうし、わざわざ起こして確認するのも可笑しな話である。少し考えたが、帽子を彼女の近くに寄せて、この場は立ち去ることにした。しゃがんでそれを彼女の手元に置こうとしたその時、少女の長い髪に手が触れ――――ふと気付く。
先ほどより近づいたことで分かったが、それはただの銀髪ではなかった。光の加減で、淡いピンクにも、水色にも色を変えていたのだ。二色の光を湛える白銀である。
思わず息を呑む。このような不思議な色の髪を目にしたのは、初めてであった。不思議であり、そして、すごく――……
「ん……」
微かに、少女の瞼が動いた。そして、ゆっくりとそれを開く。
現れたのは――黄金の瞳。
「――……あ」
起こしてしまったのか、それとも自然に起きたのか――少女は、目覚めた。
「――……?」
まだ寝ぼけているのか、焦点の定まらない目を虚空へと向けている。その間数秒。
ふと、彼と視線が交わった。
「きゃ……!?」
瞬間、少女は目を見開いて飛び起き、地面に座ったまま後退った。状況が掴めない彼を、彼女は怯えた目つきで睨む。
(……何かオレ、超警戒されてる?)
こちらをじっと睨み続ける彼女。
――肩が、小さく震えていた。
(……怖がってる?)
どうやら相当自分に怯えているらしく、その姿はまるで捕食者と遭遇した小動物のそれを連想させた。オレ何もしてないんだけど、と思いつつも、ここまで少女を怖がらせてしまったことに激しく自己嫌悪する。とりあえず半歩距離をとって、目線を合わせた。
「……悪い、驚かせたよな」
未だ自分を警戒している少女に笑いかける。だが、もしかしたら、多少苦笑混じりになってしまったかもしれない。
こういうことは……苦手だ。
自分のことなので分かってはいるが、改めて思う。
「別に怪しい者じゃないんで……そんなに警戒しないでくれると、嬉しい」
そして少女の手元に置いておいた帽子を手に取り、彼女に差し出した。
「君の?」
彼女はそれを見つめる。暫くそうしていた後、小さく紡がれた言葉。
「……わからない」
細い指先を口元に寄せ、考え込む仕草をする。
「それは――……違うって、こと?」
彼はその言動を、自分の物ではないという意味として受け取った。……が。
「わからない……ッ!」
先程よりも大きな声に、彼は驚く。
「えっ?」
「全部……ッ、わからない……ッ!」
声から滲むのは、焦燥と混乱。そして彼を見据える目は、今は怯えに染まったものではなかった。
それは、助けを求めてすがるような、潤んだ瞳。それから感情が溢れ、流れ落ちる。
「!?」
ぱたぱたと、彼女の握った手の甲に雫が弾けてゆく。
「ふぇ……っ」
(なっ泣き!?)
「わかんな……っ」
(っていうか……)
「ひッ……くっ、……うわーんっ!」
(オレが泣かせたコト確定――ッ!?)
いよいよ本格的に泣き始めた少女。頬を伝って、後から後から零れていく涙。
「ふ……、えッ」
正直どうしていいかまったく分からない。言葉をかけようにも、動揺している状態で気の利いたセリフなど思いつくはずもなく――いや、平常心だったとしても微妙なところだが――いやいや今はそんなことどうでもいい、というより泣かせた元凶(?)である自分が何か言ったところで寧ろ逆効果なのでは……
しかし焦っている間も、彼女は泣き続ける。
「わ、わかったから」
とりあえず泣き止んでもらおうと、曖昧な言葉をかける。このままでは、色んな意味で大変困る。
「分かったから、とにかく泣き止め? そして落ち着こう、な!?」
「うえー……っ」
「何かよく分かんないんだけどよく分かんないんだなっ?」
もはや意味不明。
「えっ……く、ふぇ……!」
彼女が泣き止む気配は一向にない。……というか、
(泣きたいのはこっちだ――っ!)
「ふぇー……!」
「わかったからーッ!」
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