カリバー君が膨 れたほっぺを抱え、歩きながら時折 草原にペッと唾を吐く。私を睨みながら。目が口程に物を言うのは万物共通なんだね⋯⋯、本当にごめんなさい⋯⋯。
「す、すみませんでした。勝手にスケッチブックを」
「いえ! 悪いのは私です!」
謝るのはこっちだよ! 穴があったら入りたい!
「姫ーーーー!」
⋯⋯姫? 遠くから呼びかける男の人の声。見渡せば三人ほどの冒険者風? の恰好した人達が駆け寄ってくる。
「ランス⋯⋯、達か」
アーシャちゃんが右手を高くあげて答える。お姫様なの!?
程なく、ランスさんと思われる金髪の長髪イケメンお兄さんがアーシャちゃんの前まで来て膝を付き、臣下の礼を取った。
「姫様! 護衛を振り切っての単独行動はお慎みください。姫様に何かあっては⋯⋯、お顔はどうされました?」
そう。彼女のほっぺもカリバー君同様、くっきりと靴跡を残して腫れている。
ランスさんはすぐに、アーシャちゃんの後ろにいる私の顔に鋭い視線を投げた。次に私の靴。背後に伸びる地面の足跡にも。⋯⋯ひぃっ! 睨まれてる。あ、明らかに私が犯人だってバレてる!
臣下の礼を取っていたはずの左手が、腰のサーベルの鍔 を押したことを、微かな金属音が教えてくれた。右手がサーベルへと伸びる。こ、このパターンは考えてなかった。 パターンD:異世界人 に斬られて死亡。
「なんでもない。オークに少しやられただけだ」
アーシャちゃん!? 見え透いた嘘にランスさんは怪訝な顔をした。私の足が生まれたての仔鹿ばりにガクガク震えて止まらない。
「ランス聞け。オークは二匹いて、一匹は仕留めたが残りは逃げた。すぐに結晶化したから上位種 とみて間違いない」
「上位種 ですか? それを単独で仕留めるとはさすがです」
「お世辞はいいよ。ボクはエクセリアに戻る。ランスは他の者と合流し、逃げたハイ・オークの討伐を頼む。ボクらの足跡をたどっていけば見つけられると思う。群れがあるようなら偵察任務に切り替える。上位種がいるって事は、かなり高い確率で群れがあると思うから気を付けて。残りの二人はボクらの護衛をお願い。それでは出発するぞ」
「「「はっ」」」
去り際に一瞬ランスさんと目が合った。「次は無い」目がそう語っていた⋯⋯。い、今のところはお咎 め無しでファイナル・アンサー? 覚悟を決めたつもりでいたけど、全然足りなかった。怖くて胃が捻じれそう。
「姫。後ろの子は?」
ひぃっ、別なのが来た! 茶髪のツンツンスタイルのちょっぴりイケメン兄さん。腰に手を当てて、やる気のない立ち方してるけど、この人も仲間だよね?
「エクシアさんだよ。オークに襲われていたところをボクが助けた。エクセリアまで保護する」
アーシャちゃんが素早く小声で「家名を名乗るのは貴族だけだから隠しておいてね」と言った。ここ貴族制なの? う、うん、分かった。
「じゃあこの子が例の? よぅ、よろしく。スヴェンだ」
例の?
「よ、よろしくお願いします」
握手をしたら手をぶんぶん上下に振られた。腕ちぎれる!
「しかしうちの妹と大して変わらんな。いや、アイツの方が年上か」
「なに、フローラ嬢はもうそんな年齢か?」
「ブルーノが最後に会ったときはまだこんなんだったろ? もう今年から生意気に看護師やってるよ」
「そうか。息災でなにより」
ブルーノさんという人がスヴェンさんの隣に立った。冒険者服を着てるけど、所作も滲み出る雰囲気も貴族みたい。黒髪を肩まで伸ばして切りそろえてる辺りにも真面目さが伺える。
私は少しの安堵と共に、よ~やく異世界転移を実感した。本当にこの世界で家族・友人と暮らしてる人を見たら、ストンと心に落ちるものがあった。
はぁ。ぶっ飛びすぎて言葉もない。固定概念の断捨離。自分探しの旅をする必要もなく私の人生目標は至ってシンプルなものになったよ。『生き抜く』でファイナル・アンサーです。
🎲
先頭からスヴェンさん、アーシャちゃん、私、ブルーノさんの隊形で、エクシア王国へ向かうことになった。いろいろあったけど命拾いできてほっとした~。ランスさんは怖かったけどね⋯⋯。
現実世界にいた時のいつもの癖で、首からぶら下げたペンダント時計を見る。まだ向こうは九時過ぎなんだ。そういえばこっちもまだ十分午前中のお日様っぽい。実際は何時なんだろう。
「それ、時計ですか? そんなに小さいの、ボク、初めて見ました」
「父の形見です。お母さ⋯⋯、母がくれました」
「すみません。悪いこと聞いちゃって⋯⋯」
「いえいえ」
スヴェンさんが歩きながら、気に喰わない顔付きで私達を何度も振り返る。変なこと言ってないと思うけど何だろう。
「芸術品みたいですね」
「これでもすごく精確だって母が」
「それは貴重ですね! 時計は貴族くらいしか持たないので、大切に仕舞っておいた方が絶対いいですよ?」
安全大国日本とは違うものね、確かに盗まれたら大変。リュックに仕舞ったその時、急にスヴェンさんが立ち止り、列も止まった。
「君たち、ほぼ同い年だろ? なんだその堅っ苦しい会話は。聞いてる方の身にもなれ! はい、敬語なし。名前も呼び捨て」
突然なに!? この兄ちゃん、冗談キツイ。ほら、お姫様もびっくりしてるじゃないの。
「はい。嬢ちゃんから。アーシャって」
「そんな、無理無理無理! 呼び捨てなんて!」
ランスさんに斬られる。
「じゃ、あだ名ならいいっしょ? 嬢ちゃんは何かあるの?」
「えくすこたんって親しい人からは⋯⋯」
「ハハ。魔術通貨と一緒じゃん。じゃぁ俺もえくすこたんって呼ぼ~っと」
出た、魔術通貨EXC 。まずはこれが何なのか知りたいなぁ。しかし、異世界来てまでFantasfic のハンドルネームで呼ばれることになるとは。
「姫は幼い頃、あーちゃんというあだ名で呼ばれていましたね」
真面目そうなブルーノさんが華麗なアシストをした。貴族制って意外と緩いの? 今の日本の方がよっぽど上下関係厳しいですか? えぇい、女は度胸!
「あ、あーちゃん! よろしくね? へへ」
ぎこちない挨拶になっちゃったけど、確かにこっちの方が私も気が楽だ。なれるものならお友達になりたい。
「えくすこたんが呼んでくれてっぞ。姫さんも。ほら“えくすこたん”」
家来二人にあーちゃんが詰め寄られてる。まるで親そのもの。この二人、家来なんだろうけどあーちゃんの保護者だ! んもぅアーシャ、黙ってないでお友達にご挨拶なさい。お父さんも何とか言って下さいな。こら、アーシャ、そんなだと仲良くなれないぞ? スヴェンさんは母親で、ブルーノさんが父親ってとろこかな。
肝心のアーシャちゃんはプレッシャーでまた顔を赤くしながらアウアウしてる。あの、無理しなくていいから⋯⋯。
「あ、う。⋯⋯え、えく⋯⋯えくす⋯⋯」
アーシャちゃんが一歩を踏み出そうとしてる。それがどんなに大きな一歩か、アーシャちゃんの頭から立ち上る湯気で分かる。お姫様だからきっと同年代のお友達を作りにくかったんだね。がんばれ! がんばれ! 私とブルーノさんとスヴェンさんの気持ちが一つになった。固唾を飲み、三人の握る拳に力が入る。
「ぉぉおねえちゃん!」
「「「はい?」」」
🎲
「サァ、中継点に着いたらそこでひと休みシヨー。オネーチャンはボクのスグ後ろダヨ? 安全ダカラネ♪ ミンな~レッツゴ~!」
あーちゃんが壊れた。インコが喋る”オネーチャン”のイントネーションで、右に左に歩いてる。
「エクシア王国に着いたら、一緒に建国祭を見て回ろうね、お姉チャん」
「もうすぐ、グレート・アルカディアという湖が見えてくるよ? オネェCHAN☆楽しみにしててね」
「王都エクセリアはすごく美しいんだ。御姉ちゃんにも早く見せたいな」
「“おねえちゃん”が安定するまで後二時間とみた」とブルーノさんが呟く。スヴェンさんの肩に乗るカリバー君もうんうん頷く。そうなんだ。ま、呼ぶ努力をしてくれてるならいっか。
それにしても、ふふ、可愛い妹ができちゃった。一人っ子だからすごく嬉しい。ありがとう、神様。ひょっとしてこれが誕生日プレゼントですか?
あ。
「スヴェンさん。今日って何月何日ですか?」
「ん? 6月11日だけど?」
私の誕生日。あっちの世界と一緒だ。
「ブルーノさん! 建国祭って⋯⋯」
「建国記念日に行われる国を挙げた祭典のことですよ。今年で十六回目を迎えます」
私だって今日十六歳だよ?
「もしかしてここって、アルカディアですか?」
「そうだよ! ボクの愛するエクシア王国もアルカディア大陸の一部さ! おねえちゃン!」
おしい、もうちょっとだったね。
やっぱりここは、スケッチブックに突然書き出されたアルカディア。EXC とか、エクシア王国と私の名前が一緒だとか。今日ここに特別に呼ばれたのかなぁ。こんなに一致するなんて偶然なのかしら。うーん、どう思う? カリバー君。
――ペッ
「⋯⋯」
「わぁ、カリバー君。汚いなぁ。やめてよ」
あーちゃん、いいの。私が全部悪いんだから⋯⋯。でもカリバー君。罪を憎んで人を憎まずという言葉を知ってるかい? 私だってこんなところに来ちゃったけど、誰も恨んでないんだぜ? 君もいつまでも根に持ってないでさ。
――ペッ
猫の恨みは深い。私は中継点で、みんなにカリバー君の好物を聞こうと心に決め、歩き続けた。