キィィカリカリ、キィィカリカリ。
あの夢が終わっても、金切り音は続いていた。一体、何の音? 僕の部屋は上階だから、鳥の鳴き声が間近で聞こえることはよくあるけれど。
エクシア王国、王都エクセリアの王城。まだ真夜中だというのに、爪先で堅いものを引っ掻いたような不快音に起こされた。
音のする方を見るとカリバー君がいる。悪戯をして締め出された子供みたいに必死で窓を引っ掻いてるんだ。どうしたの、外はまだ暗いし、何より危ないよ。とりあえず中にお入り。
「ニャ 」
どういたしまして。⋯⋯ニャ?
「ミニャニャ、ニニャーー 」
なぜかカリバー君の言っていることが理解できる。君、しゃべれたの?
ベッドに腰かける僕の膝の上で猫らしく丸まり、スンスンと鼻を鳴らしてつぶらな瞳を向けてくる。う~ん、可愛い。このモフモフに顔をうずめて僕も二度寝したら嫌な夢を見ないで済みそう。 カリバー君のモフモフを堪能しようと顔を近づけるとまた何か聞こえてきた。
朝の、鐘までに? ふむふむ。エ⋯⋯クスカリバーを⋯⋯抜け。え? みんな、には、もう言って、あるにゃ…zzz
にゃ、にゃんだって!?
エクスカリバーってアルカディア大湿原の大岩に刺さったままのあれだよね? サトシ・ヤマモトの、抜いたら姫と国を、えーっ!
急いで立ち上がって侍女のベアトリスを呼ぶ。カリバー君が膝から床にベタンと落ちたことなんてどうでもいい。だってこの期に及んで三度寝きめてるんだもん。
寝間着のまま飛び出したくても王族たるもの服装には気を使わなくちゃいけない。も~急いでるのに! お母様とお姉様がノリノリでデザインした、女の子用の冒険者服。手際よく着替えを手伝ってくれるベアトリスも、いつもより緊張しているみたいだ。
『御使い現れ刻が動く。選ばれし者は剣を抜き国と、姫を護るだろう』
十六年前、建国者サトシ・ヤマモトが国王であるお父様に残した言葉。真実であるかどうかについては誰も疑っていないけど、それは何時で、選ばれし者と、姫が誰なのかについては、いくつもの物語が出来るほどに国民の興味を引いて来た。もちろん、僕も頭の片隅では気にかけていたんだ。
それにしても、サトシの言う御使いの正体が、まさかカリバー君だったなんて。彼に名付けられ、彼と冒険を共にしたカリバー君。普通に考えれば、信じていいに決まってるけど⋯⋯、ねぇ? これは誰も予想しなかった。
カリバー君はこう見えて一応立派な妖精なのだけれども。薄い羽根でキラキラ飛ぶのだけが妖精じゃないんだよ。気まぐれでちょっと、⋯⋯いや、かなりドジなのが玉に瑕でね。今回だって、まさか御使いが寝坊するなんてサトシも思わなかったろうなぁ。本当に朝の鐘はもうすぐ鳴るんだから!
急いで着替えを終え部屋を出れば、既にランスロットが準備万端といった体で待ち構えていた。
「姫様。外で皆待機しております」
「わかった。ありがとうランス。行くよ!」
城の外に出ると、ブルーノが馬を引いて来た。僕の相棒ドゥン・スタリオン。彼も何かを察したのか、静かにそれでいて鋭い目で僕を見返してくる。スヴェンや他の騎士たちも既に騎乗してるようだね。あとは僕の号令一つだ。
「朝の鐘までにアルカディア大湿原を目指す。皆遅れるなっ!」
東の空がだんだん白んできていた。
🎲
霊峰マクスウェルから吹き降ろされる風に、抜身のままのエクスカリバーはもう長い事さらされている。僕も何度かこっそり抜きに来たことがあるから分かるんだけど、光沢がずっと昔から変わらない。経年劣化という言葉とは無縁なんだな、エクスカリバーは。さすがです。
大岩の周囲の土は、岩ごと持ち帰ろうとする人に掘られた形跡がいくつもある。この剣はそんな欲深い人間たちを何年見下ろしてきたんだろう。
でも今日の僕は違うよ。カリバー君がわざわざ知らせに来てくれたんだから、どうか僕を選んでほしい。
「ミニャ、ニャンニャイ 」
大岩の影からひょっこり出て来たカリバー君が、偉そうに僕に言う。君いつの間に? というより、どうやって僕らより早く来たの?
「早くじゃないよ! 寝坊したのは誰ですかっ」
「姫様?」
「あっ。ご、ごめん。独り言」
皆には聞こえないんだ。
ふぅ、いよいよだね。エクスカリバーに手をかける。いくよ!
⋯⋯。
ピクリともしない。
もう一度、今度は力任せに両手で上にぐいぐいと引き抜いてみる。
⋯⋯抜けない。
そんな、ウソでしょ?
エクスカリバー、お願い。僕ほど君を純粋に欲している人間はいないはず。僕にはトリスタンとの約束があるんだ。叶えるために君の力がどうしても必要なんだよ。
――コォーン、コォーン⋯⋯
魔力時計の朝の鐘⋯⋯、鳴ってしまった。あぁ、遅かった⋯⋯。
その刹那、足裏から大岩を突き上げるほどの魔力を感じた。魔素の奔流がエクスカリバーを掴む僕の手をつたって無理やり体内にねじり込んで来る!
あまりの振動に頭の芯から強いめまいがきた。後ろに大きく反りかえると、美しい青空を飛ぶドラゴンの影、そしてランス達が慌てた様子で駆け寄ってくるのがぎりぎり見えた。
🎲
暗い⋯⋯。しまった、あの夢の続きかな。もう見たくないよ。
突然、背後に気配を感じて振り返った。いたのは女の子だ。異国の服を着て、特徴的な丸い帽子を頭に乗せてる。
その子が僕に近づいて来たので、咄嗟に身を固くした。いつも光に殴打されていたからつい反射的に。でも女の子はいきなりスケッチブックに絵を描き始めた。可愛らしい声で歌を口ずさみながら。
僕⋯⋯、を描いてるの? ここは僕の嫌いな夢の中なのに、この子の歌を聞いてると心が穏やかになってくる。
女の子は口角を上げるとスケッチをやめ、僕の後ろを指差した。トリスタン! いつの間にか僕の後ろに立っている。表情が僕の夢と違ってすごく穏やかだ。
女の子はトリスタンと僕と手を繋ぐと、突然ズンズン歩き出した。まるで道案内するかのように。ちょっと待って、一体⋯⋯これは⋯⋯どう⋯⋯い⋯⋯う⋯⋯。
「⋯⋯さま!! 姫様っ!!」
ランスロットの声にぼやけた頭が覚醒する。岩に倒れ込んだみたい。ぶつけたおでこがちょっとズキズキする。
「僕どのくらい気を失っていた?」
「数秒かと。お怪我は?」
「平気」
体を起こして周りを見回すけど、エクスカリバーの姿はどこにもない。大岩には主を失った穴がぽっかり空いていた。
みんなが熱の入った目を僕に向ける。危惧、驚嘆、不可思議といったところか。けど僕に直接問いかけてくる者はいない。僕の一挙動を固唾をのんで見守っている。
大丈夫。エクスカリバーはもうここにある。感じるよ、僕の体の内に。
「ニャニニ、ミニャニャニ !」
突然、カリバー君が焦り始めた。もう三度寝をきめたまぬけ猫の面影はなく、しっかり僕の頭の中に直接イメージを送り込んでくる。女の子だ。湿原で一人、絵を描いている。
「姫、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。え、あ、早く逃げて! 皆、姫君を探して!」
姫は目の前にいますよ、といった顔を三人ともがするが構っていられない。体中を魔力で覆い尽くして、無理やり走り出す。
イメージがどんどん鮮明になってくる。あれは、オークか! まずいぞ、しかも二匹だ!
「命の源なる魔の力を、我に与えよ! フィジカルブースト!」
足元の魔法陣へ魔力を大量に流し込む。通常ではありえない速度で光が満ち、体が軽くなった。イメージにあった場所は遠くではない、微かに心当たりがある。
「ウオオオオオオォォォォォ!!!!!!!!」
魔物の咆哮だ。急げっ! 僕は全力で跳ぶように駆けた。