なんだ!? おねぇちゃんが泊まっている刻の宿の方から尋常じゃない魔力の放出を感じる。何があった!?
「ブルーノ、刻の宿がおかしいっ! ちょっと行ってくる」
「姫! 単独行動はっ」
彼が言い終わるより早く、パーティドレスのままバルコニーを飛び出した。魔力を纏った上で、フィジカルブーストまで重ねる。
「吹けよ風、我に翼を与えよ! ウィンドグライダー!」
一気に城門を駆け上り、満月の夜に飛び出したところで魔法陣が完成した。大地の楔 から解き放たれ、背中を押される感触を得る。急ごう、刻の宿はあっちだ。
家々の屋根伝いに、大きな弧を描きながら翔ける。上にジャンプするときはいいんだけど、落ちるときにスカートが膨らんで下着が⋯⋯。もう! これだからスカートは! いちいち抑える仕草が余計いやらしい感じがするのは僕だけ?
僕を見上げる大人達が、酔っ払いながら口笛を吹く。み、見世物じゃないんだからねっ! こっち見ないで! あぁ、頬が熱い。
🎲
時計台の屋根に着地してすぐ、辺りに違和感がないかを全身で探る。相変わらず凄まじい魔力の放出だけど、不思議と危険は感じない。
刻の宿の窓際にはおねえちゃん。歌を歌いながらスケッチブックにまた何か描いてる。まさか魔力はそこから!? 本当に世界の深淵だったの?
焦って駆け付けた僕が滑稽に見えるほど、なんの変哲もない静かな夜だった。変わったことといえば、刻の宿を中心に妖精達が辺り一面に現出し、おねえちゃんの歌に合わせ、優しいパステルカラーに発光して舞い踊っている。なんて幻想的な光景だろう。
僕の肩に止まった空色の妖精が「見て、見て」とスケッチブックを指差す。うん。あれは⋯⋯、誰を描いてるんだろう。優しそうな女の人の絵だね。おねえちゃんによく似ている⋯⋯ 。
あがった息もだんだん落ち着いて来て、気が付くと僕の隣に毛づくろいしているカリバー君がいた。やぁ、おかえり。ドラゴンからほうほうの体で逃げ出してきたことを物語る毛並みですね。
「ンニャー ⋯⋯」
かすかに聞こえてくるおねえちゃんの歌のこと? うん、そうだね。寂しくて辛いこともあるけど、頑張ろう、前を向こうって勇気をくれるね。
聞き入ってると、不思議な事にいろんな人の顔が浮かんできた。ブルーノ、控え目に見えて大胆に僕をサポートしてくれてる。傍にいてくれると安心するよ。スヴェン、君の明るさは僕だけじゃなく、ブルーノまでも救ってくれてる。君は知らないだろうな。
ランスロット、役職とはいえ、いつも危険な役回りを。無事で帰ってきて。君が傍に居ないと落ち着かないよ。ベアトリス、いつもドレスを着る僕を気遣ってくれてありがとう。父さん母さん、エクシア王国のためにいつも自分たちの事は二の次で⋯⋯。姉さん、姉さんはいつも弟の僕をオモチャにするフリして楽しませようとしてる(あれ? ホントに自分が楽しみたいだけ?)。
膝に置いた手の甲にポツポツッと水が弾けた。こんなに明るい満月の夜に、雨かな。空を見上げると温かい筋が頬をつたった。うそ。僕、泣いてる。ぬぐっても、ぬぐっても止まらない。
制御不能の出来事に戸惑いながらも、最後に浮かんできたのはトリスタンの笑顔だった。一緒に遊んで、怒られて、笑いあった⋯⋯。お別れしてから僕の時間は止まったままで、いつもあの嫌な夢の中でしか再会できなかったのに⋯⋯ あぁ、君の笑顔を思い出すことができたなんて! もう一度会いたいよ、トリスタン!
「ギニャーッ !」
おねえちゃんの歌声が止まった。
はぁ。はぁ。何これ。体が、胸が。こんな魔術知らない。おねえちゃんの魔法なのか分からないけれど、リジェネレーションでは届かないところをギューッと鷲掴みにされて、包み込まれて、温められた。
はは⋯⋯、前に涙を流したのなんていつの事だったかな。本当に面白いな、おねえちゃんは。ブルーノ、やっぱり君は当たってる。おねえちゃんと絵、何かあるよ。でも悪いものじゃない。
カリバー君の毛並みがツヤツヤに戻ってる。ドラゴンにむしられてハゲちゃったところもすっかり綺麗になった。
僕は今朝みたいにカリバー君を膝の上に乗せる。嬉しそうだね、カリバー君。喉が鳴ってる。今朝は堪能できなかったから、僕はカリバー君に顔をうずめ、モフモフした。おねえちゃんに明日会うのが楽しみだな⋯⋯。
こうして僕の長い一日が、ようやく終わった。