創造世界
第10話「英雄達の休息」2/3
  W.E本部 26階東棟大浴場 露天風呂  本部の東棟に設置された大浴場はまるでリゾート地であった。南国のビーチを彷彿とさせるような木々のオブジェに、広々としたジェットバス付きの浴槽。獅子の口や女神像が掲げる水瓶からは、惜しみなく温泉が掛け流される。  そんな楽園の中で、創伍は仰向けで湯船に浸かりながら満天の星空を眺めていた。 「はぁ〜〜〜〜……極楽って、こういうことを言うんだな」  自宅の狭い浴槽で不自由したことがない創伍は、こんな広い風呂を独り占めして良いものかと入浴前に躊躇していたが、いまや温泉の心地良さに包まれ、ずっと浸かりたいとまで思っていた。 「………………」  疲労が抜けていく間、長かった一日を振り返る。今までの茫漠とした日々とは違い、今日の出来事は創伍の記憶に確かに残ることだろう。 「それにしても……」  ――そう、斬羽鴉のことも。 「アイツ……強かったな」 「そうだね、ホント強かったね!」 「お! シロもそう思うか?」 「うん! 撃たれた創伍を助けようとした際に、彼に銃を向けられた時はどうなるかと思ったよ〜」 「ホント……ヒバチ達が助けに来てくれて良かったよな……」 「そうだねぇ……」 「………………」 「………………」  そして……シロと一緒に風呂に入っていることまでも―― 「のわあああああぁぁ〜!?!?!?」  極楽気分で浸かっていた創伍は一気に現実に引き戻され、パニック気味に叫び出す。 「…………? どしたの創伍??」 「どしたのじゃない! ここ男風呂だぞ!? 女風呂でアイナ達に洗ってもらえって言ったでしょ! なんでこっちに来てんの!?」 「だって誰も居ないんだもん。つまらないから、創伍とお風呂入りにきた!」  湯船には、道化と英雄、男と女、陰と陽、シロと創伍の二人のみ。幸いにもシロは羽衣をタオル代わりにして華奢な身体を隠している為、ギリギリ混浴と言い訳がつくが、傍から見れば少年が幼女と風呂に入るという犯罪一歩手前の光景。それだけは何としても防ぐべく創伍はシロの両脇を抱えて風呂から出ようとする。 「ダメだ戻りなさい! こんなところ誰かに見られて社会的に殺されたら元も子もないんだから……」 「イーヤーだー! 創伍と入るのー!!」  湯船でジタバタ暴れられ、足元が覚束無い。とにかく急いで風呂から出ねばと、焦る創伍に―― 「うひゃあ〜! 噂通りの絶景だねぇ! こんな露天風呂が貸切なんて、特別チームに参加して大正解だわ!」 「今日は久々に疲れたなぁ〜……! やっと水風呂に入れる……」  追い打ち。止まらない不幸の追い打ち。入ってきたのは、シロと同じように白いタオルを纏いながらも、しなやかな肢体と豊満な肉付きで創伍の目を惹きつける、美影乱狐と白蓮華つららであった。 「「あれ??」」  だがそれは本来あり得ない光景であった。鉢合わせたシロ以外の三人には、何故という問いが浮かんでいたから……。 「シロ……お前何かしたか……?」 「んー? 女湯誰もいなかったから、みんなが一緒に入れるように、女湯と男湯の暖簾を取り替えたの!」 「やっぱりぃぃぃ……!!」 「おかしいな、ここ混浴?? それとも真城が女湯に来ただけ? 一緒に入りたいのは別にいいけど……」 「いや〜……お二人さん。お盛んなのは構わないけど時と場所をだね」 「ちっがああああぁぁぁうっ!!」  シロの天然ぶりが、創伍に俗に言う「ハーレム展開」というものを齎すのであった。  ……  …………  ……………… 「イイ湯だねぇ〜……」 「はぁ〜……生き返るぅ〜。不死身だから死んでないけど……」 「わーい! 創伍見て見て! 魚の真似ー!」 「…………」  成り行きで一緒に入浴することになった創伍は、寛ぐ乱狐や呑気に泳ぐシロとは真逆に縮こまっていた。  萎縮する創伍を見て、水風呂に浸かっているつららが声を掛ける。 「どったの真城君。男の子ってこういう展開大好きって聞いてたけど? 萎えた??」 「なっ、萎えてなんか……! だいたいその逆でもないですよ!」 「じゃあどったのよ。さっきから難しい顔して」 「考え事してたんですよ……」  嘘ではないが、実のところは煩悩を退散させていた創伍。先の斬羽鴉のことで不安が残っていたのだ。 「今日で終わりじゃない……今日から始まったんだなって思って……」 「……どういう意味?」 「創造世界に初めて踏み入れて、いろんな物が見れて、その……刺激的というか、怖い反面とても面白かったんだ。幼い時のことを殆ど覚えてない俺が、今日一日を鮮明に思い返せる……。それって良いように思えて、逆に怖いんだ。これから先あの斬羽鴉とか、それよりもっと強い奴と戦うと思うと……もしかしたら明日にでも死んでしまうんじゃないかって……」  不幸体質の創伍が今日まで生き存えたのは、現実逃避で絵を描き続けたことによる記憶喪失のおかげでもある。だが残った記憶は、死んでしまったら何も残らない。自分だけでなく、その記憶に映る人達の関係を失うのが怖いのだ。  だがつららは、そんな創伍の悩みを笑い飛ばす。 「アッハハハハ! キミ面白い事言うね」 「……つららさんは殆ど不死身だから、簡単に言えるだけでしょ」 「違う違う! あたしだって死ぬの怖いよ。多分キミ以上にね! でも不死身ってのも結構不便なもんだよ。痛いもんは痛いし」 「え……?」  死を恐れない勇敢さとは真逆な返答に、いつしか創伍はつららの言葉に耳を傾けていた。 「でも……アタシは死ぬのが怖いから戦うんじゃない。死なないために戦うんだよ。まぁいつでも自分がナンバーワンっていう芯は揺るがないけど、ビビっててもしょうがないじゃん??」 「…………」 「それに真城君だって覚悟決めたんでしょ? シロちゃんと一緒に戦うって、皆を守ってみせるって。半端な覚悟じゃあカラス野郎にも勝てなかっただろうしね。でも自分の身を守れるよう強くなることも、誰かを守ることにもなるんだ。だから命はもっと大事にしないとね」  我が強いアーツだからこその価値観だが間違ってはいない。創造世界ここに来た以上は、自分よりも強い存在を恐れるより、誰かを守るために自分が強くなることも大事なのだ。 「って、アタシが言っても説得力ないか」 「いや……その通りかもしれないです。俺もちょっと軽率でした」 「謙虚だねぇ。まぁ嫌いじゃないよ、そういうとこ」  乱狐とお湯を掛け合って遊ぶシロの姿を見て、創伍は胸の内で強く感じた。  シロに応えるためにも、強くならねば――と。  迷いが晴れ、疲れもすっかり消えた創伍は風呂から上がる。 「いろいろありがとうございました。じゃあのぼせる前に、俺は先に出ます」  ところが―― 「真城君、ちょっと待った」 「はぇ??」  脱衣所へ向かおうとした創伍の肩に、つららの冷たい手がヒヤリと当たる。 「今日は特別チーム招集の記念すべき一日目。同じ風呂に入った仲だ。先輩がお背中くらいは流してあげるよ~♪」 「はいぃぃ!?」  そして半ば強引に洗い場まで連行されると、つららが手ぬぐいにボディソープをかけ、創伍の背中を洗い始めたのだ。 「いやいいですって! 風呂入る前に洗いましたから!!」 「遠慮しない遠慮しない。実は今日の創伍君に、アタシ少し惚れたんだ。まぁ男らしさはダーリンに劣るけどね」 「じゃあヒバチさんの背中洗ってあげればいいでしょ!」 「気にしない気にしない! これも親睦を深める交流ってことで♪」  冷たいつららの手が肌に触れる度、創伍の全身が魚の様にビクついてしまう。そんな二人の珍妙なやり取りに、シロと乱狐が気付かないはずがなかった。 「あっ! 乱狐姉ちゃん見て!! 創伍とつららお姉ちゃん、楽しそう!!」 「背中流しっこ? 面白そうだし、あたし達も混じってみる?」 「うん!!!!」 「わっ! 馬鹿やめろ!!」  面白可笑しく手拭いを泡まみれにして、創伍をもみくちゃに洗いまくる。泡塗れの創伍は一刻も早く抜け出さねばと、脱衣所に駆け出したのだ。  そんな折に……。 「ふぅ……」  脱衣所の扉が開き、創伍の目と鼻の先に、アイナが現れた。 「あ、アイナ……!?」 「えっ……きゃあっ!」 「どわぁぁぁ~~~!!」  まさかのバッドタイミング。しかも泡塗れの創伍は、不運にも足元の石鹸で足を滑らせてしまい、アイナを巻き添えに派手に滑り転がった。 「イタタタタ……もう何なのよ一体……って……」 「ご、ごめんアイナ! これには話せば長くなる事情がありまして……」  状況を把握しきれてないアイナと創伍が互いに起き上がる。創伍は自らの潔白を証明しようとしたのだが―― 「何してるのアナタ……!」 「へ??」  不幸、限度を知らず。なんと転んだ創伍は、アイナが巻いていたタオルを手に掴んでいたようで、一糸纏わぬアイナの裸体をその目に焼き付けるのであった。 「……っ!!」  言葉にならない叫びが、創伍を赤く染めるのであった。  道化英雄——ここに没す(社会的に)  * * *  W.E本部 談話室  特別チームのメンバーに用意された広々とした専用洋室、言うなれば憩いの場。高級感溢れる室内には、数千冊の書物を入れた本棚が立ち並び、漆塗のソファやテーブルの上には煌びやかなシャンデリアが輝いている。その中でメンバー達は寛ぎながら、夕食が運ばれるのを待っていた。  シロとアイナの二人を除いて……。 「こらぁ! シロ待ちなさーい!」 「エヘヘヘヘ! やーだー!!」  つい今し方、創伍はアイナによって大浴場を自らの血で赤く染め、危うく女湯に紛れ込むという男としての尊厳を地に貶める惨劇に見舞われた。やがてシロの悪戯が原因と判明すると、赤面したアイナは魔術でシロを追い掛け回し、シロは羽衣でピョンピョンとウサギのように跳んで逃げ回る。 「別にいいじゃないのアイナちゃん。素っ裸見られたくらい減るもんじゃなし」 「べ、別に気にしてませんから!! それよりもシロのことです! こっちが下手に出ればイタズラばかりして……! 本部ここでの規律を教えないと、またいつ同じトラブルが起こるかも知れません!」 「アイナ、もういいって……誤解が解ければそれでもう……」  顔が腫れに腫れて原型を留めてない創伍が滑稽に見えるのは、道化の性というものだ。乙女から平手打ちを喰らって嫌な男はいないが、限度を超えたら痛いものは痛い。それでも創伍は誤解させ解ければ全て良しとするから、この先思いやられる。  すると―― 「さぁさぁ諸君、お待たせしたね。今日は遠慮せずどんどん食べてくれたまえ!」 「イヤッホー! 飯だ飯!!」 「やっと来たか。待ちくたびれたよ」  いくつもの盆を持った長官と、動物の顔をしたアーツの料理人達がゾロゾロと入ってきた。  出された料理は、現界では見たことがない珍料理の数々。ヒバチ達は待ってましたと喜びながら素早く席につき、一斉に料理をかっ食らう。 「おぉ! 長官の手料理もあるのか!!」 「軽い趣味のつもりが、この数年で腕も上がったからね。注文があったら言ってくれ。各異界から取り寄せた食材で最高の料理を作ってあげよう!」  意外にも長官の趣味は手料理らしい。見てるだけで涎が出そうな品々は、とても軍服を着た人が作った物とは思えない。おまけに赤いハートが刺繍された桃色の丸く可愛らしいエプロンをしており、何ともシュールな格好をしている。真面目なのかウケ狙いなのか、創伍は別の意味で目のやり場に困った。 「っかぁ〜、うめぇ!! やっぱガブリコーンの肉はどんな焼き方でもうめぇや!」 「う〜ん……この冷えたタイカイカイマグロの刺身の為に生きてるっ!」  自前の瓢箪酒を飲みながら羊肉らしき物に齧り付くヒバチは、自分の腕に切った肉を乗せては、好みの焼き加減を加えたりと火炎能力を最大限に活用する。  つららは刺身と思わしき物をシャーベット状に凍らせ、醤油に付けて恍惚とした顔を浮かべていた。 「…………」  ゴクリと喉が鳴るような唾を飲む。遠慮を知らないシロとは違い、創伍は監視保護下の立場であるため、ヒバチ達に混じってこんな豪華な料理を口にしていいものかと、今になって他人行儀に躊躇してしまう。 「さぁ、真城君もいかがかな」 「えっ……いいんですか?」 「遠慮などいらん。W.Eで一日を頑張った者には、それに見合った労いをせねばならん。君達も例外ではないよ」  長官が懐から大きなメニュー表を取り出してテーブルへと置いた。 「好きな物を選ぶといい。何なら現界の料理だって作れるからね」 「じゃあ……お言葉に甘えて!」 「わーい! いっぱい食べるー!!」  その一言で、創伍の抑えは完全に外れた。急いで着席しシロと二人でメニュー表の料理を選び始める。 「創伍! これすごく美味しそうだよー!」 「シロ、これ良さそうじゃないか!? ……ってサイズでかいなオイ。他のにしよう」 「これも美味しそう! ちょっとゴツゴツしてるけど」 「……おぉ、これも……なかなか」 「これも結構……美味しそう……かな?」 「………………」 「………………」  品目はどれも見映えは良い。だが、創伍達の顔には珍味への期待感よりも、疑問の方が強く滲み出る。  一例を挙げてみると―― 『バハムートの丸焼き』 『グリーンスライムの内臓』 『ビッグ・ニードル・エスカルゴの逆ぶっ刺し焼き』 『ハイドラゴンフライの丸揚げ』 『閻魔闇光えんまあんこうの刺身』 『ブラッディ・ワームの脳味噌蒸し』 「どうかな? どれも創造世界の絶品食用アーツを取り扱った珍味なのだが――」 「あの…………」 「何だね?」 「……普通のお子様ランチとカツ丼って頼めません?」  果たしてこれらは美味い以前に食べられるものなのかと…………ゲームに出てきそうな魑魅魍魎に所謂カルチャーショックを受けてしまった。  ……  …………  ……………… 「待たせたね、カツ丼とお子様ランチだ」 「おぉぉっ……!」 「美味しそう……!」  注文して約十分。作り立てのお子様ランチとカツ丼が白い湯気を立ててテーブルに運ばれ、二人を釘付けにする。自炊もまともに出来ない創伍には、久々に食べるカツ丼の卵の黄身がまるで金塊に見えた。シロのも、国旗の付いたオムレツの他にもポテトサラダにハンバーグ、フォアグラに加えてミニショートケーキと、初めて食べるお子様ランチに瞳を輝かせる。 「「いただきますっ!」」  二人揃ってご馳走を口へと運び―― 「うっめぇ……!」 「ほいひぃ! こえふごくおいひぃよ!」  一口目から至福に満たされた。程良い固さの豚カツと、白米とフワフワの黄身が絶妙に絡み合うことで食がどんどん進んでいく。シロも初めての物を口一杯にし、言葉にならない歓喜の声を上げるのであった。 「良かった……どうやら味に問題はなさそうだな」 「すっごい美味いっすね! 見た目に反してこんなに料理が上手なんて」 「お褒めの言葉ありがとう。私も現界の料理が好きでね。レシピ本を買って練習した甲斐があってこそだよ」 「ってことは、今もその鍛えた腕前で自炊してるんですか?」 「そうとも。後はたまの週二日、食堂に紛れ込んで隊員達に振舞っていてね。指示系統や書類業務を除いたら、私が隊員にしてやれるのは、これくらいの事だからな……」 「…………」  初対面の時の印象が引っくり返る。長官はただ図体がデカいだけでなく懐もデカいのだと、そんな彼に作ってもらったカツ丼の最後の一口を、創伍はしっかりと噛み締めた。 「長官さん……」 「ん? どうしたかね」  食べ終えた創伍は、長官に頭を下げる。 「今日はいろいろとありがとうございました。すぐには難しいですけど、なるべくこっちの生活に慣れるように頑張ってみます」 「ハハハハ! そう言ってもらえて嬉しいよ。分からないことがあれば、いつでも相談してくれたまえ。勿論……『仲間』としてな。それじゃ――」 「仲間……」  つららが風呂場で言っていた「親睦の深め合い」——異世界に来た以上は食文化もその一環であると、楽しそうに話す長官やヒバチ達を見て学ぶ。 「——ごちそうさまでしたっ」  まずはこのもてなしに対して感謝し、合掌。創伍はもっと積極的にこの世界を知っていこうと強く感じた。  * * *
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