4月18日 東京都郊外 花札町
舗装したての綺麗なレンガ道を、庭園のように整った芝生が囲む。発電用風車の風は木々を涼しげに揺らし、そこから見え隠れする木漏れ日は、今日も道行く人を照らしていく。
ただ新学期早々、朝のニュータウンは騒がしかった。
女の子が泣いている。持っていた風船をうっかり手放し、木の枝に引っ掛けてしまったのだ。
「ほらほらそんな泣かないでも、風船はちゃんと戻ってくるって」
そんな女の子の前で、しゃがみながら励ます男子校生、真城 創伍 は、幼馴染の緋蓮寺 織芽 と共に、人助けをしていた。
「まったくぅ! なんでソウちゃんじゃなくて私がこんなことしなくちゃいけないのよー!!」
「しゃあないだろ、オ レ ン ジ 。運動神経の良いお前の方が確実だ」
「上を見るんじゃなぁい!! パンツ見えちゃうでしょーがー!!」
「あだっ――」
木の上から、織芽の革靴が創伍の顔に直撃。風船を取るのは彼ではなく、緑の髪留めと橙色の頭髪が渾名の由来である織芽だ。まるで山猿のように容易く十メートル程の高い木を登り上がる彼女は、学力とスポーツは校内上位、空手部主将を務め、全国大会にも優勝の経験も有る。付き合いの長い創伍だからこそ、運動神経の良い彼女が適役と判断したのだ。
「はいはい……。ごめんな、うるさい姉ちゃんで。あの姉ちゃんがちゃんと風船を取ってくるからさ」
だが元気な子供の証拠か、女の子は全く泣き止まない。
創伍は織芽と違い運動神経が悪く、正直この人助けは、彼のあ る 予 感 により、半ば本意ではない。見て見ぬフリも出来た。
しかし、彼のどうしようもない程のお人好しな性格が、この子を助けたいと本能的に動いたのである。
「ほら……泣かないで!」
運動神経が悪いなら、自分には自分に出来ることを――創伍は少女の前で徐ろに手をこね始める。
すると彼の手から、ポンっという音を立てて花が飛び出した。
「…………?」
女の子がピタリと泣き止むと、創伍は慣れた手つきで彼女の腕に触れる。
「手、伸ばしてごらん」
女の子の袖からスルスルと出てきたのは、小さな万国旗。
「……わぁ!」
「これあげるからさ、元気出してくれ。女の子は笑顔が一番だ」
そう、彼は何より手品を得意とする。暇な時、手品の練習をしては人前で披露し、人を笑顔にさせることが好きなのだ。逆にそれ以外は一切の取り柄がない。
「ありがとう、お兄ちゃん!!」
「どういたしまして。おーい織芽! こっちはもう大丈夫だ。まだ取れないのか?」
「いぎぎぎ……もう他人事みたいに! 待ってなさいってのー!」
無事に少女は泣き止み、残すは風船だけだ。
織芽はというと、三メートル程の高さまで登ったか、枝先に引っ掛かった風船へ懸命に手を伸ばしている。しかし、あと数センチというところで届かない。
「……もう少し……で……」
「頑張れ! あとちょっとだ!」
「ん……! 取れたぁ!」
「おぉ! ナイスオレンジ――」
遂に風船を掴む……が――
「わっ――」
「織芽!!」
足を滑らせた織芽が、木の上から落ちてしまう。地面に落下したら怪我ではすまない。創伍は迷わず駆け出し、織芽を受け止めようと滑り込んだ。
「わぶっ!!」
ドサリという重い音と共に芝生が舞う。間一髪、創伍は自分自身をクッション代わりに下敷きとなって織芽を受け止め、地面へ仰向けに倒れた。
「いったたたた……ありがとソウちゃん。私としたことが足を滑らせて……」
「……お、おぉぉ……。おう、何のこれしき」
「ん……? どったの、ソウちゃん」
落下の衝撃で目が眩む二人。ただ創伍だけは、視界に映る光景に対し反応に困っていた。何故なら起き上がった織芽の体勢は創伍の腰の上に馬乗りとなり、彼女の今日の下着を惜しげもなく晒した開脚状態。しかも仰向けになっている創伍の両手は、無意識に織芽の大きく実った蜜柑のような双 丘 をワイシャツ越しに鷲掴みしていた。
「~~~~~~っ!!」
「…………」
顔を赤らめる織芽と、冷や汗を流す創伍の姿は、同じ学園の生徒達の目に滑稽な姿として映る。
「ハハハハ、今日もナイスコンビだなお二人さん」
「真城ぉ、今日もついてねぇなっ!」
「やーだ、真城君ってば朝からエッチ~」
(あぁ……やっぱりこういう事になるのね)
スマホのシャッターライトという脚光と、馬鹿笑いという喝采を浴びる創伍は溜息交じりに「今日も予 感 が 的 中 したな」と小言を漏らしつつ、起き上がって声を張り上げた。
「はーいみんな、朝から御観覧いただきどうもありがとう! でも早くしないと学校始まっちゃうぞ。ご所望なら俺の手品はいくらでも見せますがね、織芽のオレンジの下着は見世物じゃありませんからね。ほら撤収撤収!」
「色まで言うなバカタレー!!」
「いぎゃぁああああああっ!!」
朝から織芽の盛大な卍固めを喰らい、今日も創伍にとってい つ も 通 り の日常が始まるのだ。
* * *
花札学園 部室棟
様々な部活動の備品が置かれた物置が如く部室棟にて、創伍は自分が所属するゲーム研究会の部室へと向かっていた。
「やれやれ……今日はあ ぁ い う パ タ ー ン で来ましたか。でも状況が状況だったからな、しゃあなし」
織芽の卍固めで痛めた体をさすりながら、創伍は達観したような独り言を呟く。彼にとって今朝の出来事は、起きるべくして起きたようなものなのだ。
真城 創伍は、日本一と言っても差し支えないほどの不幸体質だ。事あるごとに彼だけが不幸な目に遭い、他の人々が幸を受けていくという出鱈目な法則が憑き纏っている。テストでは、してもいないカンニングの濡れ衣を着せられたり、徒競走においては石も無いのにつまずいて最下位に落ちたり……例を挙げようとすれば軽く千は超える。ここまで来ると、創伍からすれば今朝のはまだ可愛いレベルらしい。
「まぁいいか……織芽には悪いけど、皆にはウケていたからな」
ただ彼は、そんな今の立場を受け入れている。この不幸体質は創伍の命までは取らない。あくまで彼が表舞台に立つことを許さず、常に誰かを立てることを強いているのだ。だから、さっきの少女を助けたことにおいてはお咎めがない。
そんな「道化 」のような自分を見て、みんなが笑顔になってくれればそれで良いとも思っている。
「……後は放課後まで篭ってりゃ、今日はもう大丈夫っしょ」
今日は春休み明けの始業日。午前中に学校が終わる為、全員帰宅するよう言われている。だが創伍だけは、夕方まで手品の練習で部室に篭る。なるべく不幸現象による被害を最小限に抑えつつ、一人で過ごすのが日課なのだ。
「よっし、今日は何を練習しましょうかねぇ」
部室前に立ち、ようやく一息吐ける自分だけの時間に安堵し、ドアを盛大に開ける。
――その矢先、室内に違和感があることを彼の鼻が真っ先に感じ取った。
「……ん?」
鉄分を孕んだような異臭。部室はカーテンを締め切っているため真っ暗で、臭いの元は判らない。だが間もなく、床にも視覚的な違和感――コンクリート床の色はいつもと違い、引いて塗られたような赤い色が足元に見えた。
「うわっ……?!」
血だ。床が誰かの血で赤く染まっているのだ。奇っ怪極まりない状況に、創伍は何があったのかと、すぐに壁の電気スイッチを点ける。明かりが灯ると、室内に異様な光景が広がった。床一面に流れている鮮やかな血は、部室の中央にある長テーブルから滴り落ちたものであった。
「っ……!」
血の跡を辿ったその先を目に、戦慄した。テーブルの上に、血の持ち主だったと思われる人物が横たわる。今となっては死体だ。首から裸足にかけてズタズタに切り刻まれている。
だが、まだ違和感は終わらなかった。倒れている死体をよく見てみると――
「お……女の子……?」
幼い少女だった。白い長髪、白い羽衣と白い薄着のワンピースを着た白ずくめ。白一色の少女の体は、傷口から流れ出た血によって赤く染まっていた。まるで白紙のトランプカードに朱の数字を刻んでいるようで――
「綺麗だ……」
ふつう死体を見たら、こんなことを言う筈はない。けれど少女は、気持ち良さそうな寝顔で眠っており、無意識に感嘆の言葉を漏らした創伍はいつしか少女の死体に見とれていた。
「んっ、うぅ……」
「っ!?」
目を大きく開き、絶句する。死んでいるはずの少女の口から、なんと声が漏れたのだ。
「うー……んっ」
傷の痛みなど何処吹く風、少女はゆっくりと起き上がる。創伍は何をしてやればいいか分からず、ただ見ていることしか出来なかった。
華奢な身体をうんと伸ばし、少女は眠りから目を覚ます。瞼の下からはルビーのような赤い瞳がうっすらと現れ、その眼で部屋中を見渡した。テーブルの上で小さな体を動かしながら部屋の中を一周見回すと、ようやく創伍と顔を合わせる。
「……………………」
「……………………」
互いに見つめ合い、置き時計の針が時間を刻む音をはっきりと聞き取れる程の沈黙が続く。
そして――
「おはよっ、創伍♪」
少女は創伍の名を呼び、痛がりも怯えもせず、健気な顔で挨拶をしてきたのだ。
* * *
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