里音書房
第4話 近ノ衛家 伝統譚 -Slipperは伝統-
スパァァァァァァァァン!!!!  屋内に響いたその音は、音のわりに痛くはなかった。痛くはなかったが、美知留が気絶する分には十分だった。遠くなる意識の中、美知留は慌てふためく咲夜の声が聞こえていた。 「ちょっと! 美緒! 勢いよく叩きすぎよ!!」 「あっ! しまっ! し、しっかりして~~!!!!」  遠のく意識の中。美知留は思っていた…… 『かわいくても、威力は強いのね……』  そう思いながら気絶してしまった美知留だった。  美知留は、良く勉強をさぼることが多く、学校の宿題は家でやらずに学校にいるときにやってしまうという荒業をしていた。ただ、長期休みに関しては話は別だった。  同じ趣味の親友も多かった美知留は、当然。楽しいこと優先。休みの終盤になってから、慌てて仕上げるという状況に陥っていた。 「ひぃぃ~勉強やだぁ~」 「あなたが、後回しにするからでしょ!」 「そ、そうだけどぉ~」 「わがまま言わずにやる!」 スパァン!  美知留の母の愛情のあるスパルタは、音こそすごい音がしたが、全然痛くないという。愛情あふれた叩き方だった。  そんな母のことを思い出していると、耳元ではあたふたしている咲夜や美緒の声が聞こえていた。 「えっと……」 「あっ! よかったわ。このまま起きなかったら、どうしようかと思ったわよ。」 「咲夜さん。それに、美緒ちゃん。えっ?!」  自分がしてしまったことに、よほどショックを受けたのか、美緒は美知留の横で号泣しかけていた。 「み、美緒ちゃん。大丈夫だから、泣かないで……」 「う、うん。」  咲夜や美緒からしたら、来客の美知留を叩いたことで医者を呼んだとなると、世間的にも波風が立ってしまう。そんなことをするわけにいかない咲夜。そんな咲夜は、気になっていたことを美知留に聞いたのだった。 「で、なんで、あたしたちをひいばやそぼなんて、言ったのよ?」 「えっ。あ、それは……」 「いいなさいな、こう見えて。包容力はある方だから……」  咲夜の質問に、美知留は戸惑っていた。まさか、自分が子孫であることを言ったら、それはそれでややこしいことになってしまいそう。  かといって、下手なことを言っても、咲夜にはばれてしまいそう。そこで考えたのは、当時。日本と交流が多かったロシア出身であることにした。  この時代の日本人からしたら、美知留の身長はデカすぎるため、そこをごまかすことにした。 「えっと、両親がソビエトで……」 「あら、ソビエトなの? あたしの父も貿易商で行くことがあるのよ……」 「いろいろと、危なくなってきたので日本に……」 「なるほどね。あなたも苦労したのね……」  とっさについた嘘だったが、たまたま歴史好きだった美知留ならではの答えだった。咲夜も信じてくれたようで、美知留も一安心だった。 「どうりで、高身長だと思ったわ。それにあのハイカラな服はやっぱり、ロシアの流行りなのね!」 「う、うん……」  美知留はすっかり忘れていた。咲夜は新しい物好きだということ。実際は、流行ってすらいない恰好だったが…… 『ごめん。ひいば、未来で主流になる恰好なの……』  咲夜は美知留が脱いだ服をしげしげと眺めていた。性別が違えば変態じゃないかというほどにまじめに。  そんな咲夜はさらに疑問が浮かんだようで、美知留に質問を投げかけた。 「あ、これ。洗濯はどうするの? クリーニング?」 「そんな、大げさな。洗濯機でいいですよ。」 「洗濯機? 何それ……」 「えっ?!」 「ん?」  この当時の洗濯といえば、洗濯板が主流。この数年後に輸入販売が始まるが、美知留の行った当時にはまだ輸入販売すらされていなかった。 「えっと、こういう四角いやつで、ドラムがぐるぐる回って……」 「ほうほう。そんなのがあるのね……」  困惑する美知留をよそに、なるほどと。まじめな顔をしながらメモを取っていた。ただ、美知留には咲夜の目がお金のマークになっているのが気になっていた。その様子に、美緒が美知留にささやいた。 「お母さまは、新しいものが大好きなのよ。そこに来て、あなたが知らないものを身に着けているから、興味津々なのよ。」 「あぁ、なるほど……」 「それでさ、その手に持ってるものは何?」 「えっ? これ、スマ……はっ!!」  美緒に聞かれ、何気なく触っていたスマホ。当然、この時代にあったら大変なことになりかねない代物。美知留の持っていたスマホケースもブラック、まさにブラックボックスである。そこで美知留が閃いたのは、スマホの裏にたまたまつけていた鏡だった…… 「て、手鏡デス……」 「手鏡? ずいぶん変な形ね……」  まじまじと見る美緒。変なところを押されて、光ってしまっては元もこうもないので、美緒が咲夜を向いている隙に電源をオフにしたのだった。  縦長のスマホは、ケースにかがみを内蔵している。何の気なしに買った美知留だったが、まさかのこのタイミングで役に立つとは思ってもみなかった。 「ほら、こうすると……」 ぱかっ! 「おおっ。ずいぶん薄い鏡ねぇ~やっぱり、あっちのは進化してるのね……」  鏡台の鏡が主流なこの時代。よほど興味をそそられたのか、咲夜より美緒の方が興味津々だった。  一通り興奮が収まったのか、咲夜が謝り始めた。それは、美緒が思いっきり叩いたことで、気絶してしまったことのお詫びだった。 「ほんとごめんなさい。うちの子、美緒が思いっきり叩いちゃって。」 「い、いえ。慣れっこなので……」 「慣れっこ?」 「あ、いや。別に……。それで?」 「それでなんだけど……着替えたことだし、散歩がてら食事行かない?」 「いいんですか?」 「いいのよ、お詫びだし……」  よほど、美緒が叩いてしまったことが気になっていたのか、咲夜が先導する形で、外食をすることになった美知留。ちょっと楽しみな気持ちもあり、複雑な感じだった…… 【おまけ】  それは、美知留が着替えたときのこと……  美知留は、当時の身長からしたら高身長になる。つまり、着替える服は当然、小さくなる。 「……何か、カッコ付かないわね?」 「は、はい。それに……」 「それに?」 「胸が……キツイ……」  美知留の何の気なしに言った言葉。確かに、同じ近ノ衛家でも胸が大きい美知留。それはブラを何回か買いなおしたほどだった。それが、今回。邪魔をしていた。 「し、仕方ないわね。こうしたら?」 「あぁ。これなら……」  咲夜たちが用意したのは、使用人用のメイド服だった。ただ、洗練されたハイカラなデザインだったため…… 「あ、あの。これ、両肩が出てるんですが……」 「仕方ないじゃないの、合うのがないんだから……」 「だけど……」  美知留以外の使用人が着ても、そこまで気にならなかったが、美知留が着ることで、より胸が主張しハレンチ度が増していた。 『なんだろう……負けた気がするのは、何かしら?!』  胸元を気にする美知留をよそに、咲夜と美緒には妙な対抗心が生まれたのだった…… 【ここで出てきたこと・当時の日本は大正、昭和時代】 洗濯機 1928年に東芝の前身、東京電機株式会社が輸入販売をしたのが日本初。純国産になったのは、1930年になってからのこと。 ドライクリーニング 明治39年に東京・日本橋に白洋舎が最初のクリーニング店。その後、神戸や大阪などに、続々と増えていく。 ソビエト連邦 1914年から1991年まで存在した共和国で、現在のロシアの前にあった国。ゴルバチョフ大統領が有名。 スリッパ:Slipper  明治10年ごろから使われ始めたスリッパ。当時、ハイカラとされていたスリッパ。Slipperと当時表記されていたらしく、大正時代の文明開化を引き継いだ形の明治時代。  ハイカラ好きの咲夜は、当然。その手軽に履けることで屋内用としていち早く導入していた。 【作家からのお知らせ】  修正済みではありますが、報告までに第2話にて… 「美知留がたどり着いた当時の明治22年」とありますが、設定上1話にて55年と発言しているので、修正しました。  ご迷惑と混乱を招きすみませんでした。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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