“LHR因子”
猫耳獣人の女性が定期的に摂取する必要のある因子。Leptin Human Rase レプチン・ヒューマン・レイスの略称で、摂取することで人との絶妙な均衡を保った関係を築けていた。
もし、摂取が遅れた場合は、獣の本能の方が上回ってしまい、見境がなくなってしまう。それを悪用した事件が発生したこともあり、以降。AIによる厳重な管理がなされるようになった。
人工的にLHR因子が作られるようにもなったが、やはり効果時間が限られていることや、定期的にホルモンバランスをチェックする必要があるなど、改良の余地が多く存在していた。
そんな中、研究者を驚かせたのは、好意を寄せた相手から摂取したLHR因子は、効果が人工物よりはるかに長いことが判明したことだった。そして、研究が進んだことで得られたのは、特定の相手に対する“好意”の有無で、LHR因子の効果がまちまちであることだった。
中でも特殊だったのは、相手を“嫌煙”している場合……つまり、嫌いという感情を抱いている状態だと、LHR因子の効果が人工物よりも劣る場合すらあったことだった。
「ほら、これ飲んで」
「えぇっ。は、はい。」
「う、うん。わかった。」
保健室に来ていた彩芽と穂乃花は、警告音が鳴ったことが学校に伝わり、保健室に呼び出されていたのだった。彩芽と穂乃花は、苦いこの錠剤が苦手だったため、仕方なく摂取していた。
「うげぇ。苦いよ。ねぇ。彩芽……」
「う、うん。苦い……」
思春期にあたる彩芽や穂乃花は、ホルモンの変動も激しいため、その度に安定剤としてのLHR剤を摂取していた。
『年頃だからかなぁ~』
首をかしげながらも、保険医の瑠香<るか>はカルテに目を通していた。瑠香の診断でも、若い年頃の彩芽や穂乃花はよく、アラームを鳴らす。
これが、特定の相手を見つけたからなのか、それとも思考回路がいろいろとアレなのかと、首をかしげることが多かった。そして、一番先に鳴った穂乃花に質問を投げかける。
「ねぇ。穂乃花ちゃん、彩芽ちゃん
「はい。何ですか? 先生。」
「はい。何でしょう。」
「あのさ、すきな人できた?」
「ん?」
「ぶっ!! な、なにを言ってるんですか?!」
ピピピピピ!!
口では否定しつつも、ホルモンバランスを計測するブレスレットからは、明らかに反応を示していることがわかる警告音が出る。
「あっ。」
「ふふっ。体は正直ということね。でも、彩芽ちゃんは鳴らなかったね。ということは、彩芽ちゃんのは誤差? うーん……」
「あの、彩芽ちゃんが鳴った時……」
穂乃花が切り出した直後……
ガラガラガラ
「先生!! 彩芽たちが……」
「あぁ、彩人くん?」
ピピピピ。
先生の方に向かって座っていた彩芽と穂乃花。その後ろ手にある廊下の入り口から入ってきた彩人の声に、敏感に反応したのは穂乃花のブレスレットだった。
先ほどよりは激しくは鳴らなかったものの、敏感に反応した穂乃花のブレスレットをみた瑠香はうっすらと察した……
『ははーん。穂乃花ちゃん。彩人くんが好きになったのね。もう、お年頃なんだから……』
瑠香が彩人を呼んだのは、他でもない二人が反応した場所に、居合わせていたからだった。しかし、これほど早く反応するとは、保険医の瑠香ですら初めてだった。
その一方、彩芽のブレスレットはというと、全くと言っていいほど反応する様子はなかった。誤差かとは思ったが、保険医として一応確かめてみることにする。ゆっくりと、立ち上がると彩人の方へとむかっていく……
「先生?」
「ちょっと待っててね。確認してみるから。」
「確認? 何のこと……」
瑠香はゆっくりと彩人に近づくと、クンクンと鼻を鳴らす。瑠香の鼻腔には、彩人のオスっぽい匂いが感覚を通じて、脳内へと届いていた。
『この子、結構。先天的に高い子ね。』
そう思い始めた瑠香は、一つの答えに行きつく……
『試してみようかしら……』
瑠香も獣人の保険医で、LHR因子については興味があった。
大学でも、LHR因子に興味を持ち、研究項目として専攻したほどだった。その中でも、ひときは興味を持ったのは、人の中にLHR因子を多く持つ個体がいること。まるで、獣人キラーのような、個体がいるということを。
その生まれる比率も算出し、数年に一度。この島に生まれることがわかっていた。ところが、瑠香が大学在籍中はおろか、見つけたパートナーと結婚するまで出会えなかったのだった……
『この子が、もしかして……』
瑠香がそんな思いを抱いているとは全く知らない彩人は、自分の両肩に乗せられた瑠香の手に、困惑してしまっていた。
「えっ? る、瑠香先生? どうしたんですか?」
「じっとしててね。すぐ済むから……」
「は、はい。えっ?!」
んちゅっ!!
それは、一瞬の出来事だった。
彩芽や穂乃花も、先生がそんなことをするとは全く思っておらず、まさかの出来事に絶句していた。そして……
「えぇぇぇぇぇ!!」
ピピピピピ!!
そんな衝撃のキスは、思いのほか長く壁際に追いやられていた彩人に、足を絡める始末。そして……
「んあっ。」
「せ、先生?! い、いったい何を……。そ、それに舌入れます? 普通……」
「えっ?! 舌入れられたの?」
「う、うん。」
袖口で口を押えた彩人は、湯気が出そうなほどに真っ赤になっていた。
一方の瑠香はというと……
『あぁ、この子だわ。ほんと、今のパートナーと出会う前に会いたかったわ。絶対に離さないのに……』
『その点、この子たちは幸せね。うらやましい限りだわ』
ディープなキスを終えた瑠香は、うっとりとした表情で彩芽たちの追求を受けても上の空だった……
「ちょっと!! 先生。生徒に何してるんですか。」
「あぁ、ごめん、ごめん。思わず、研究者としての血が騒いじゃって……」
「それでも、生徒とキスとか……」
「わかったから、ごめんって。」
瑠香はムキになって抗議する二人をなだめつつ、自分の席に戻ると先ほどキスをした彩人に……
「あぁ、彩人くんは戻っていいよ。」
「えぇっ? 呼んでキスしただけ?」
「ぶっちゃけ、そうね。でも、重要なことが分かったわ。ありがと」
「えぇっ。は、はい。」
彩人を教室へ返した後、少し落ち着いた二人を向くと、ブレスレットとホルモンに関しての結果を話す。
「あなたたちは、大丈夫よ。まぁ、思春期ってのもあるだろうけど……」
「そうなんですか。」
「へぇ~」
「それでね。穂乃花ちゃん。あなた……」
「なんですか?」
問診や仕草で分かったことを穂乃花たちに伝える瑠香。
「穂乃花ちゃん。彩人くんのこと、好きでしょ?」
「なっ?! そんなわけ……」
ピピピピピピ!!
「あっ。」
「ほらね。それで、彩芽ちゃん。」
「あなたなんだけど……」
「なんでしょう。」
「あなた、そばに居すぎて、鈍感になっちゃってるタイプだね。」
「えっ?!」
彩芽は意外過ぎる答えに、驚きを隠しきれていなかった。そんな姿を見て、瑠香は学生時代の自分を重ねているようだった……
『あたしも、昔はそうだったなぁ~今のパートナーも……おっと、私のことは置いておいて……』
「確か、あなたと彩人くんって、腐れ縁よね?」
「はい。穂乃花とは、高校からですけど、彩人……彩人くんとは家が隣なので……」
「なるほどね。それで……」
「何かわかったんですか? 先生。」
「えぇ。」
瑠香はあのキスで分かったことを、彩芽や穂乃花に伝えた。それは、彼女たちにとって、薬にも毒にもなりかねない内容だった。
「彩人くんはね、LHR因子が多い体質なのよ。」
「LHR? あっ、あの薬の……」
「えぇ。ホルモンを抑える薬よね。人工的なものは、どうしても苦くなることが多くて……」
「はい、苦いですよ。あれ、どうにかならないんですか?」
彩芽や穂乃花たち獣人にとって、定期的に摂取する必要のあるLHR因子を含んだ錠剤。人工物は苦く、思春期の学生にとっては、苦行でしかなかった。
そんな人工的に作られた苦い薬を、飲まなくて済むのだから、彩芽たちだけでなくクラスの乙女たちが欲しがるのは想像に難かった。
「あぁ、あれね。どうしても人工物はそうなっちゃうんだけど、この学校の卒業について知ってる?」
「えっと、確か。パートナーとなる異性を選ぶんでしたよね? ねぇ。穂乃花。」
「うん。たしかそう。」
「そうね。大体あってるんだけど、その理由ってわかる?」
穂乃花たちは首を傾げつつも、自分なりの答えを言っていく……。それは、思春期の乙女らしい答えだった。
「いえ。単純に、カップルにならないと卒業できないとか?」
「いや、カップルにならないと卒業できないって、それはそれで、変じゃない?」
「そっかぁ。じゃぁなんで……」
ほほえましい表情で見ていた瑠香は、ふたりに答えを差し出した。それは、見慣れた錠剤だった。
「これが理由よ。」
「これって、いつも飲んでる錠剤……」
「あっ。もしかして……」
「彩芽ちゃんは、察しがいいみたいね。」
「ええっ。錠剤がなに?」
「実は、卒業の時にパートナーを選ぶのって、自分に合った薬を見つけるようなものなの。」
「ええっ。そうなんですか?」
驚きの表情をしている二人に、瑠香はひとつずつ説明していく。専門的な言葉は極力避けて……
「“LHR”ってなんの略称かわかる?」
「えっと、確か。種族とか何かでしたよね。」
「そうね。レプチン・ヒューマン・レイスの略ね。」
「ヒューマンは知っての通り、『人』。レイスは『種族』ね。」
「はい、それくらい知ってますよ。先生。」
「じゃぁ、最後のレプチンっていうのが肝なのよ。」
「レプチン?」
首をかしげながらも、考えをまぐらせている様子の二人を見て、瑠香は若い二人たちが答えにたどり着くのを楽しみにしていた。ところが……
「わかりません。」
「ギブアップ~、色素か何か?」
「ええっ? 待ったく、粘液よ。粘液。」
「えっ?! 粘液!!」
「そうよ、人種の粘液っていう意味があるのよ。」
思春期の乙女たちには、刺激が強かったのか、熱でもあるんじゃないかと思うほどに真っ赤になった二人。
「人種の粘液を解析して、人工的に作ったのがあの薬なのよ。」
「だから、苦かったんだ……」
「そう、でも、私が獣としてじゃなく、こうして人のように生活できているのは、これがあるからなのよ。」
「でも、先生は薬じゃないですよね? どこから……」
思春期の乙女二人に、噛んで含ませるようにかみ砕いて説明する。
「ほら、私はパートナーから補給してるのよ……」
「あっ、先生。結婚されて……あっ。」
「気が付いた?」
ピピピピピ!!
察しのいい彩芽のブレスレットが、いきなりなり始めていた。真っ赤になった彩芽と、気が付いているようで、気が付いていないような表情の穂乃花と個性が分かれる結果となっていた。
そして、察しがいい彩芽が、ブツブツといい始めたことで、穂乃花も気が付いたようだった……
「だから、さっき。あんな……キス……」
「えっ? さっきのキス? あっ!」
ピピピピピ!!
「ふふふっ。ほんと、あなたたちは、正直よね。」
「そうよ、キスすることで、唾液を摂取してるのよ。」
「き、キスでだ、唾液を……」
真っ赤になりながらも、瑠香の説明を一生懸命に聞いていた二人に、瑠香はアドバイスをした。それは、彼女たちの卒業だけでなく、これからの生活すら左右しかねない言葉だった。
「いい? ふたりとも、しっかり聞いてね」
「なんですか? まだ何かあるんですか?」
「そうです。先生は私たちを辱めて、楽しいんでしょうけど。こっちはそれどころじゃないんです。」
「はいはい、わかったわ。これが最後よ。」
「彩人くんはね、他の子に取られちゃだめよ。」
「えっ?」
瑠香は、キスの時に感じて、得たことを彩芽たちに伝える。
「彩人くんはね。数年に一度しか現れない、因子が強く出る子なの。」
「えっ?」
「その因子は、汗や体臭にも影響を与えるから、穂乃花ちゃん。敏感に感じ取っちゃったのね。」
「つまり……」
「えぇ。彩人くんはね。私たちのアイドルってこと。」
“アイドル”という言葉に敏感に反応した二人に、よりわかりやすく今後のことを伝えた瑠香。
「これから、彼。彩人くんを狙ってくる輩が来るかもしれないから、取られないようにね。」
「は、はい。」
「それと、くれぐれも、彩人くんとキスはしないこと。いい?」
「なんでですか? 先生がしたのに、ずるいですよ。」
「そうです。 なんでです?」
「それはね。“濃すぎる”のよ。因子が……」
素朴な疑問が二人を襲った。それは、必要な因子なら、多少濃くても摂取した方がいいに決まっていたから。
苦い薬を飲まずに、少なくて済むのならなおのこと、濃い方がいいものと思っていたふたり。しかし、ことはそう簡単ではなかった……
「えっ? 濃すぎちゃダメなんですか?」
「ねぇ。苦い薬だけでも嫌なのに、少なくて済むのなら……」
「そう思うでしょ? でもね、取りすぎると逆効果なのよ。特に、あなたたちのような若い子にはね。」
「この因子は、取りすぎると逆に興奮しちゃうのよ。厄介なことに……」
「こ、興奮って……」
「えっ。まさか……」
見合った彩芽たちが想像する通りの内容が、瑠香から語られた。
「えぇ。えっちな気分になっちゃうから……」
「え、えっちな……」
「そうね、あなたたちがキスしちゃったら、止まらなくなるほど……ある意味、毒ね。」
「うわっ、そんなに?」
「えぇ。だから、あなたたちに言ったのよ。ほかの子に注意してって、群がってくるかもだからさ。いい?」
「は、はい。」
そうして、瑠香は彩人が特別であることと、取られないようにすることを伝えたのだった。