里音書房
第四話 治療と特性
 彩人と千棘が、階段の踊り場で事故的なキスをしてしまった直後、彩芽は保険医の瑠香の元へと急いでいた。というのも、彩芽は焦点のあっていない千棘の表情を見てしまっていたこともあり、ショックを受けていた。 『早く、先生に知らせないと……』  学校の一階にある保健室は、彩人たちがやらかしてしまった場所から、だいぶ離れてしまっていた。そのため、近くの他の先生にと思っていたが、こういう時に限って、先生とはすれ違わないもの。  彩人たちの場所から駆け出して、息を切らしながら彩芽は保健室へと飛び込む。すると、ちょうど瑠香が書類に目を通していたところだった……  息を切らして駆け付けた彩芽に気が付いた瑠香は、彩芽の表情から、事の重大さを理解したようだった…… 「どうしたの、彩芽ちゃん。そんなに慌てて……」 「はぁ、はぁ。る、瑠香先生。あ、彩人が……彩人と転入生が……」 「彩人くんがどうかしたの?」 「転入生の子とキスしちゃって……」 「ええっ!?」  瑠香が懸念していたことがこうも早く起きてしまうとは、瑠香自身も想像だにしていなかった。そして、そんなことがあれば、先生たちに一斉に連絡が来るはずだったが、彩芽が保健室に来るまで瑠香の元には、連絡すら来ていなかった。  千棘の様子や、彩人の様子を詳しく瑠香に伝えると、ものすごい速さで支度を始めると、その場所は?と聞き耳を立てながら、瑠香は階段の踊り場へと向かう。 「彩人くんたちは、どこ?」 「学習棟の階段踊り場です。」 「わかったわ。今行く。」  LHR因子が他の子よりも濃厚に出る彩人が、他の獣人の子とキスをしてしまったと思った瑠香は、鎮静剤と注射器を持ち保健室を駆け出していった……  一方そのころ……  階段で千棘と彩人を見守っていた穂乃花はというと、理性と興味で板挟みになっていた。 「せめて、彩人くんだけでも起きてくれないかな……」 「千棘ちゃんは、気絶しちゃってるし……」  壁にもたれかけさせた二人を、穂乃花はゆすったりして起こそうとはしてみるものの、全く起きる様子はなかった。  千棘がキスをしてしまった瞬間を目撃した穂乃花は、千棘のうっとりとした表情に興味をひかれてしまっていた。それは、とても艶っぽくうっとりとした表情をしていた千棘。彩人とのキスがそんなに気持ちいいものなのか?と思わず想像してしまう。  おりしも、目の前には気絶している彩人の姿があり、周囲にはほかの生徒もいなく無防備な彩人がいる。そのため、キスをしてもバレないんじゃないかという、錯覚すら芽生え始めていた…… 『す、少しだけなら……。いや、ダメよ……』  そんな思いが浮かんでは消えを繰り返していた穂乃花だったが、彩人の気絶の様子を見守っていた穂乃花は、自分が何かをしても起きないだろうという考えが浮かんでいた。  そのため、ちょっとだけならと、思春期独特のドキドキとした感情が、穂乃花の中に渦巻き始めてく……  それは“ダメ”と言われているからこそ、より“やってみたい”という感情が、穂乃花をイケナイ道へと突き動かす。  ゆっくりと、そして確実に近づいていく穂乃花の顔は、近づくたびに穂乃花の鼻に彩人の匂いを感じ始めていた。  LHR因子は体臭にも含まれているため、においだけでも人によっては気絶する場合すら秘めている。ただこの時の彩人は、汗をかいていなかったということもあり、そこまで強く発現していなかった。  それでも、穂乃花の鼻は敏感に感じ取り、近づいていくたびに、うっとりとした表情になっていく穂乃花…… 『す、少しだけなら。ちょっと、ちょっとだけ重ねるくらいなら……』  自分に都合のいいことは頭の中でどんどん広がるもので、たとえ“してしまった”としてもすぐ離せば大丈夫だろうと、勝手な解釈すら始めてしまう……  そして、そんな勝手な解釈は暴走をはじめ、自分の中で勝手な結論を導き出していく……それは、純粋な興味に裏打ちされた、単純な好意そのものだった…… 『いいよね。少しだけ……。少しだけだから……』  ゆっくりと近づく穂乃花と彩人の距離は、息のかかるくらいの距離まで近づき、もう少しで触れてしまう……その時。 「ほ、穂乃花!?」 「えっ。あっ! あ、彩芽?! こ、これはね……」 「穂乃花。あなたね……」 「せ、先生!?」  急いで駆け付けた瑠香は、注射器を取り出して穂乃花を見下ろしながら一言。 「あなたも打つ? 鎮静剤。」 「い、いえ。」 「大丈夫よ。ちょっと、チクッ! っとするだけだから……」 「ひぇぇ~」  瑠香の持っている鎮静剤。人種には効かないものの、猫耳獣人に向けて特別調合されたもので、打たれると極度の眠気に襲われる。そのため、過度に興奮した年頃の乙女には、即効性が強かった。  しかし、痛い上に眠くなる。それに何よりも制裁の意味もあった鎮静剤は、決まって恥ずかしい場所に打たれることが多かった。 「いまなら、すぐに打てるわよ。そのおしりに……」 「ひぇぇ~ごめんなさ~い!!」 「あら、そう。」  少しがっかりしたような表情をした後、瑠香は彩人の横に寝息を立てる千棘の腕に手際よく鎮静剤を打ち込む。すると、火照ったような頬をしていた千棘の表情は、落ち着いたようだった。  それから、彩芽と穂乃花が千棘を両脇で抱え、彩人を瑠香が抱えて保健室へと運びベッドへと寝かせる。  瑠香はどうして、講師陣に通知が来なかったのかが気になっていたが、それはいとも簡単に判明した。 「あちゃぁ。ブレスレットが壊れてる。この子、そんなに乱高下が激しいのかしら……」  瑠香はブレスレットをゆっくり外すと、ところどころつなぎ目が黒くすすけていた。そして、用意していた予備を装着してみると、普通通りに起動を始めるが…… バチン!! 「うあっ!! 壊れた。もしかして、この子……」  瑠香が用意していた予備のブレスレットが、火花を散らせて一気に使い物にならなくなってしまった。その様子に、心当たりがあった瑠香は、慌てて保健室内にあるデスクに座ると、生徒一覧を調べ上げる。。  新たに登録された千棘の情報を調べ上げた瑠香。すると、そこには特定備考があった。その中には、特殊敏感体質であることが書かれていた。  特殊敏感体質は、彩芽や穂乃花が定期的に飲む錠剤を、そこまで必要とはしない。そのため、うらやましがられることもあったらしい千棘だったが、引っ越しをしてきてからは、まったくの知り合いがいない状態での転入だったよう……  当然、転入後は入寮することになっていたが、引っ越しの荷物もそこまで多くなかったため、自分の部屋には立ち寄らず直接、学校へ来ていた。  その際に、前もって支給されていたブレスレットは装着していたものの、道中のどこかで破損してしまったようで、その結果。彩人とキスをしてしまった時に、講師陣に通知が来ない状態になってしまっていた。 『この子。元付けてたのって、仮のブレスレットだわ。これじゃぁ、壊れるのは、当たり前か……』 『それに、この子。もしかして……』  瑠香は千棘を診察しながら、ブレスレットが壊れた可能性のひとつひとつを、しらみつぶしにチェックしていく……  元から壊れているというのは、まずありえないために除外したとしても、通学中に強打したにしては、壊れすぎだった。  しかし、これでは、瑠香が予備として持っていたブレスレットですら、破損してしまった理由の説明がつかない。  そこでひとつの可能性が出てきた。それは、千棘のホルモンの乱高下が激しすぎるため、安全装置がオーバーロードしてしまい、壊れてしまうということ。  もし、千棘が感受性の高い子で、ホルモンの乱高下が激しい子なら、彩人とキスをしてしまたことにによる、卒倒してしまったことは納得の結果だった。  それに、千棘の感受性の高さと、彩人のLHR因子の量の兼ね合いで、この惨状が出来上がっていたのだった。 「ん~。ここは……」 「あ、起きた? 千棘ちゃん……」 「えっと……」 「ここはね、保健室よ。あなた。覚えてる? 階段での出来事……」 「階段……あっ!!」  瑠香は意図したわけではなかったが、階段での出来事を思い出してしまった千棘は、耳まで一気に真っ赤になってしまい俯いてしまう。  その姿に、若かりし頃の自分を重ねて、思わずほほえましく感じる瑠香は、やさしく千棘をサポートする。 「あなたはね。ある子と、その。しちゃって、酔った感じになったのね。」 「よ、酔った……」 「えぇ。その子は、私たちの必要とする因子を多く作り出せる子なのよ。その子としちゃったもんだから、あなたは気絶しちゃった。そんな感じね。」  思春期真っ只中の千棘は、当然。恋愛やキスといったことに瑠香以上に敏感。そのため、千棘は自分の唇を触って“あの時”の感触を確かめてしまっていた。  そんな、初々しい反応を見ていた瑠香は、ゆっくりと立ち上がると、千棘にショック療法をほどこしてみた。実際のところ、こればっかりは互いに慣れなければいけないというのもあった。 「でね。その子なんだけど……」 ジー 「なっ?!」 「隣に寝てるのよ。キスしちゃった子」  彩人はイケメンというほどではなかったが、それなりに端正な顔立ちをしていた彩人。それは、彼女たちのような思春期の女子でなくても、かわいい容姿をしていた。  そのため、千棘は彩人のことを改めてみた後で、深呼吸をして落ち着かせていた。 『千棘ちゃんは、自分の性格を理解してるのね……でも……』  肩で呼吸をしながら落ち着かせていた千棘だったが、それでも体は正直なようで、瑠香はティッシュを千棘に差し出した。 「まぁ、慣れていくしかないわね。千棘ちゃん。ほら、鼻から出てるわよ?」 「えっ。あれっ? えっ?! は、鼻血?!」 「ふふふっ。千棘ちゃんはとても敏感な体質だってことは、こっちの子にも言っておくから。」 「は、はい。」  こうして、千棘の波乱だらけの学校案内になってしまったのだった……
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