「さ、気にしないであがってちょうだい」
「おじゃまします……」
先ほどの繁殖宣言のあと、僕はベステルタに半ば無理やり自宅に連れ込まれていた。めっちゃ腕つかんでくるんだもん。優しいけど、恐ろしいほど力が強かった。後で確認したら痣が出来てた。もう傷物なんだけど?
「いきなりとって食べたりしないから安心して?」
「ははは……」
にこやかに笑うベステルタ。
いやいや、さっきがっつり繁殖って言ってたじゃん。なんだか病院に連れていかれる犬の気持ちが分かった気がするよ。
「ごめんなさいね、何もないところで」
彼女の家は、家と言うか岩場をくりぬいて作られた人工的な洞窟だった。入り口には大きい茶色い布がかけられていて、のれんのようになっている。
「それはフレイムベアの毛皮ね。防火性と通気性があるから助かっているわ」
え、ベアって、クマってこと? 尋常じゃないくらい大きいんだけどこの毛皮。そんな化け物がこの森をうろうろしてるのかよ。
「まぁ、すぐにベッドに入ってもいいんだけど、ケイは緊張しているみたいだし少しお話ししましょうか」
ベステルタはそう言うと黒塗りの高そうな机と椅子を引っ張り出してきて僕を座らせる。上にティーセットのようなものが乗っていた。めちゃくちゃ場違いだなこの家具。
「このテーブルとティーセットは昔助けた商人がくれたのよ。この森にしか生えない茶葉を摘みに来たらしくてね。護衛の暴れる冒険者がめんどくさかったわ。あの子元気にしてるのかしら」
亜人にお礼するなんて今時珍しいもの。
そう言って手からおもむろに熱湯を出し、容器を満たしていく。これあれだろ、生活魔法ってやつでしょ。僕のスキルにあったやつ。何の説明も無かったけど。後で訊かなきゃ。
ていうかやっぱり冒険者いるんだね。うん、ここ異世界だ。
「いきなり繁殖って言ったのは謝るわ。でも理由があるのよ」
「理由?」
彼女はコップに液体を注ぎ勧めてきた。とてもいい香りがするんだけど飲んでも大丈夫かな……。この状況盛られてもおかしくないんだよな。
「変なものなんて入ってないわ。わたしたち亜人が飲むお茶、この森の特産品、コス茶よ」
僕は意を決してぐいっと飲む。口の中にふんわりと甘い花の香りが香ったあと、すっきりした苦みが舌を覆う。おおう、これ美味しいな。高級なハーブティー飲んでるみたいだ。
「美味しいよ。ありがとう。それで、亜人ってやっぱり他にもいるってことなのかな」
「ええ、いるわよ。でも数はもうあんまり多くないの。百人もいないと思うわ。わたしたちはそう簡単には死なないけどこのままじゃ絶滅ね」
ベステルタもくいっとコス茶を飲み干す。纏う雰囲気は猛獣のそれなのに、仕草に気品があってちぐはぐしている。見た目は豪快オラオラ系なのにね
「理由があるの?」
「いくつかあるのだけれど、一番は繁殖ね。まずわたしたち亜人にはオスがいないのよ。だから外部から取り入れるしかないの」
いきなり重いな。しかもかなり致命的な問題だ。ていうか亜人って種族の名前なのかな。ちょっと混乱する。
「ごめん、確認なんだけど亜人って種族名?」
「厳密にいうと違うわ。昔はちゃんとした言い方があったらしいけど、知っている亜人が死んだり離れ離れになったりしてもう分からなくなってるのよ」
ベステルタはうつむいて悲しそうな表情をする。美人は悲しそうな顔しても絵になるな、なんて考える僕はクズ人間だな。
「話を戻すわね。種族的な理由で亜人はオスがいない。だから定期的に外部から種を貰っていたの。昔は言葉が通じなくても人と亜人は手を取り合って暮らしていたと聞いているわ。亜人はみんな優しい子しかいないのよ。だから行動で理解し合えた。でも、もう、千年以上前の話らしいけどね」
「それがどこかでうまくいかなくなった?」
「その通り。ある時、一つの宗教が立ち上がったの。アセンブラ教っていうんだけど、こいつらが亜人排斥を掲げたのよ。その頃人間たちは戦争が続いていて疲弊して争いあっていた。人間を再び一つにまとめるのに共通の敵が必要だったのね。それが私たち亜人」
あー、いつの時代も世界も人は同じことをするんだね。
「わたしたちは人よりずっと強いのだけれど、オスがいなければ繁殖できない。いろいろ譲歩を重ねているうちにどんどん弱い立場になっていったわ」
「言われるがままだったの? 正直、強気に出てもよさそうだったけど」
「そうね、当時は毅然とした態度で抗議したと聞いたことがあるわ。でも、人間たちの方がそこら辺の駆け引きがうまかったの。『亜人が我らを脅している!』『男たちを連れ去って食うつもりだ!』『人間を滅ぼすつもりだ!』なんて言ってあっという間に封じ込められてしまったみたい」
なるほどなぁ。人の歴史は闘争の歴史って言うしね。そこら辺の駆け引きは人の方がうまいか。気を付けないとな。
「それに、『みだりに人を殺めてはいけない理由』もあったのよ。これはまたその内話すわ」
その話も気になるけど、脱線してしまいそうだ。続けよう。
「無理やりさらったりしなかったの?」
「何度もそういう話はあったわね。でもわたしの知る限りではさらってないはず。それに、その頃にはわたしたちはすっかり恐怖の象徴になっていて、姿を見るだけで失神するし、いざ事に及ぼうとしたらショック死する人間やなかには自殺する人間がでてきてね。もう疲れてしまったわ。当たり前だけど、他人を傷つけることなんてしたくないのよ」
きついな。見られて失神、ショック死、自殺なんてされたらどんなに強大なメンタルの持ち主でも相当ダメージくらいそうだ。
「どこに行っても排斥されて、最後にたどり着いたのがこの絶死の森。ここなら人は来れない。森の恵みもある。
ほとんどの亜人はもう今の状況を諦めてしまっているわ。自分の見た目が人を傷付けて、不幸にするなら、迷惑をかけずに森の奥に引きこもろうって」
そういうベステルタの瞳は力強く輝いている。
「でもまだわたしは諦めていないの。少しでも亜人がまた幸せに生きられるようにしたい」
ベステルタの凛とした表情はとても魅力的で、いい匂いがしてクラクラして…。なんだか身体が熱い。あれ、なんかおかしいぞ。
「ケイ、ごめんなさいね。わたしは亜人の中でも変わっていて、あまり優しくないの」
獰猛な肉食獣が目の前にいた。不可視のオーラが立ち上っていて、僕を凝視している。あっ、ダメだこれ。食われる。捕食される。
「コス茶は普通に飲む分には美味しい飲み物……。でも濃い目に煮出すと発情を促す効果があるのよ」
ぺろり、と舌を出して僕の頬を舐める。うわ、盛りやがった。身体があまり動かない。でも、身体が燃えるように熱くて、特に一部分が爆発しそうだ。
さすがに抗議しようと彼女を睨み付ける。こんなことしなくてもきちんと組伏せてくれたら乗っかるのに。
「よかった……。あなた、ほんとうに亜人で発情するのね……。よかった、本当に。これなら守れる……亜人たちの未来を……」
うなされるように呟くベステルタを見ていたら何も言えなくなってしまった。
……まあ、いいか。
「では、失礼するわね」
さっきまでのシリアスな雰囲気が嘘みたいに覆い被さってくる。同情の気持ちを返して欲しい。
「さあて、頑張ってもらうわよ?」
今思ったんだけど、これって種馬じゃない?
そのあと杭を打つような一定のリズムと僕の情けない声が、洞窟にしばらく響き渡ったとさ。