第二投　天使がわたしに微笑んだ

　まさに一閃！
　光刃が、私へと伸びるオークの右手を斬り飛ばした！

「グガァオオオオオオオオオォォォォォォォ！！！！！」

　右手が腕から離れ、虚空を掴み、空高く跳ね上がる。その墳血は容赦なく私に降り注ぎ、スケッチブックをも染めた。臭⋯⋯い、気⋯⋯悪、うぐ、うぷ⋯⋯。

「⋯⋯⋯⋯わず、⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯其は」

　⋯⋯誰かの声。
　その隙に、もう一匹のオークが私の方へ猛スピードで突進してきた！　憤怒と殺意の雄叫び！

「グゥオオオオオ「真命捧ぐ聖域！！」――――――」（サンクチュアリ）

　呪文だ！
　オークの叫び声に重なって、たしかに聞こえた！　同時に世界から音が消える。やだやだやだ、音はどこ！？　恐怖で私の耳がおかしくなったんだ！　あぁ、オークが！　来ないで！！
　あのでかい牙と爪で八つ裂きにされるんだ。オークは腕を頭上に大きく振りかぶると、容赦なく振り下ろしてきた。私は目をつむり、身を固く丸め倒れ込む。

「おかあさん！！」

　⋯⋯あれ？　運良く即死できて、ここはもう天国なのかな。いずれにせよこの状況に似合わない静寂と平穏を感じて、私はわずかに目を開けた。するとオークは爪を突き立てる勢いそのままに《《それ》》に弾かれ、弧を描き、遠く彼方へ吹き飛んでいくところだった。
　私⋯⋯、光のドームの中に⋯⋯、いる？

『もう大丈夫だよ、お姉ちゃんは僕が守るから』
by RYO様

　ドームは世界と私を完全に遮断して、まるで無声映画のような光景を見せてくれた。
　白い影が、光纏う剣を下段に構え、音もなく、片手のオークめがけて湿原を駆け抜けてくる。そして迷いなく巨体を間合いに入れると、すれ違い様の振り抜き！
　脚の腱を断たれたオークはバランスを欠き、残った手で空をかきながら後ろへ傾いでいく。背後に回った白い影は剣を首筋に宛がうと、オークは自らの重さで刃へと沈み込んだ。
　溢れ出る鮮血、断末魔の表情、脈動する巨体。なぜ見たくないものに限って目を反らせないの⋯⋯。忘れかけた吐き気がぶり返して思わず口を抑えた。一方、視界の端に、なりふり構わず泥を蹴り上げ走り去るもう一匹のオークの背中が入った。

　ついにオークが事切れた。それでもなお、油断なく血濡れの剣を構え、警戒心の塊の様な剣士を見ると、三匹目のオークがいるんじゃないかと恐怖でいっぱいになる。
　ん？　目が⋯⋯、視界がおかしい？
　視界が霞んだように感じて、ゴシゴシこすった。でもそれは勘違いで、勘違いするのも仕方ない事だった。だって初めての光景なんだもの。湿原の草花や、私とスケッチブックに降りかかった鮮血が淡く発光して赤い霧になるなんて。
　ダイヤモンドダストのように繊細な光の粒はやがて空中でギュッと一つにまとまり、大きく四方八方に光を放つと、今度は塊となって力尽きたように草の上に真っ直ぐ落ちる。
　刹那の攻防が残したのは、陽光に美しく輝く宝石のような一粒だった。

§

　はぁ、はぁ、鼓動が強すぎて息苦しい。音無し４Ｄ映画じゃないよね？　ドッキリじゃないよね？

　白い剣士は辺りを見回し、大きく肩を下げた。やっと構えを解いてくれたんだ⋯⋯。瞬間、光となって消える剣。それと同時に光のドームはだんだん薄くなり、私の世界に少しずつ音が戻ってきた。
　小鳥のさえずり。草花が風にこすれ合う音。あぁ聞こえる、生き物の音。
　恐怖で硬直した体は、悪意のない生き物たちの鳴き声すらなかなか受け付けてくれない。でも白い剣士の、戦いを終えて緊張が解けた吐息が聞こえると、不思議と私も肩の力が抜けていった。指先はまだ冷たいけど、足の先は少しポカポカしてきた。

　突然現れたこの子は誰？　姿はまるで⋯⋯、空から舞い降りてきた天使みたい。
　背まで伸びたシルクのような銀髪が逆光に映え、高原の風になびいて小さな羽に見えた。多分私よりも背が小さい、小顔の⋯⋯女の子。
　銀髪の少女は手が届くほどの距離まで近づいて来て膝をつき、蒼く透き通った目を合わせてくれた。　

「⋯⋯っ、はぁ、遅くなって⋯⋯、ごめんなさい。お怪我は⋯⋯、ありませんか？」

　心配と申し訳なさと労わりと、そんな感情を顔一杯に載せて途切れ途切れだけど声をかけてくれた。

　ぐす、ぐすん、うあぁぁぁぁ！

　気が付けば、返事をする代わりに震える体を無理やり動かしてしがみついてた。
　怖かった。泣いて、絶望した。喰われるかと、本当に死ぬかと思ったんだもん。この子、まだ肩で息してて、呼吸が速くて、⋯⋯温かい。でも私は震えがなかなか収まらないよ。耳の奥もまだ痛い。

　けどいいの！　生きてるから！　

「あっ、あのっ！　ちか、いっ⋯⋯」　

　何かジタバタしてるけど構わずそのままホールド。ガチホだっ。
　私、大泣きしてるんだけどね、かすれた馬のいななきみたいな声しか出てないの。絶対に顔もヒドイに決まってるよね！　お願い、お披露目はもう少し落ち着いてからにさせて下さい。　

「⋯⋯。もう、大丈夫ですよ」　

　とっても澄んだ鈴の音のような声で優しく抱き返してくれた。背中をトントンしてくれる。え～ん、涙が止まらない。ヒドイ顔がよけい復旧不可能になっちゃうよ⋯⋯。

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