オープン当初こそ、ごった返すような混雑ぶりだった店。ラビティシアは、休日こそ人気の店となっていたが、平日はそこまで混むことはなくなっていた。
そんなこともあり、平日はもっぱら暇なときも増えてきたのだが、別の忙しさが追加されていた。それは、歌劇団のオフィシャル事務所も兼ねたことだった。
「ルナ? だいぶ慣れた?」
「うぅ~。まだ、怖い……」
「ルナなら、できますよ。きっと……」
「リリアまで……」
アリナの店の二階が空いていたこともあり、二階に事務所を構えることになった歌劇団は、家賃の代わりとして店でバイトするようになっていた。
ただ、ルナティアは火が苦手ということもあり、料理をしようとしても腰が引けてしまっている。それを克服するために、お客の少ないときはキッチンで練習をするようになっていた。
最近では、日ごろの練習の甲斐もあってか、アリスほどではないにしろ、それなりのものが作れるようになっていた。
「うん。これくらいなら合格?かも……」
「やったぁ~~」
満面の笑みのルナは、歌劇団の興行以上の笑顔になるほどに、喜んでいたのだった。そして、時計が昼を指したころに、店へ一人のお客がやってきた。
「アリス様はいるかな?」
「はい~」
「お、息災のようだな。アリス様。」
「えっ?! ラビティウス国王?! どうしてここに?」
「ん? 来てはまずかったか?」
「いや、そんなことはないんですが……」
アリスの店にやってきたのは、最初に会った時の国王といった装いではなく、普段着のようなラフな格好をし、訪ねてきていた……
「護衛もつけなくて、出歩いていいんですか? 国王でしょう?」
「いいんだ。今日は公務で来ていないからな。それに、ラフィアが世話になっているしな。」
「げ。お父様……」
「『げ』とはなんだ、ラフィア。ずいぶん、のびのびとやっているようじゃないか……」
「そ、それは……」
ラフィアが王城にいつかずに、アリスの店に入りびたっているということは、王城内でも有名だった。しかし、ラビティウスはというと、咎めるということはなく、むしろうれしそうな表情をしていた。
「なに、咎めるつもりはないんだ。むしろ褒めたいくらいだ……」
「お父様……」
「お前が公務が苦手なのは知ってるし……」
「へっ?」
「堅苦しい勉強が苦手で、家庭教師をつけたとしても、抜け出しているのは、いつものことなんだろ?」
「お、お父様……や、やめて……」
アリスの前では、王女でありながら、カジュアルでフットワークの軽いできる子でいたいラフィア。しかし、父で国王からそういわれてしまっては元もこうもない。これまで、アリスを陰からやさしく支えるラフィア王女だったが、その実。なんだかんだで普通の女の子だった。
「ラフィアさん……」
「ち、違うんですよ。公務が苦手とか、勉強が苦手とか……」
「大丈夫ですよ。ラフィアさん。いえ、ラフィア王女。」
「のぉ~~。アリス様。王女って呼ばないでぇ~」
ラフィアは、王女と呼ばれるのが嫌なのは、アリスも知っていた。こっちに来た頃から自分のことをラフィアとしか名乗らず、ラフィア王女と呼ばれるのを嫌っている節が垣間見えていた。
アリスがラフィア王女と呼ぼうとすると、いつもきまって、『ラフィアでいいわ』と自分から敬称をつけないように指示するほどだった。
アリスからしてみれば、敬称で呼ばす、フレンドリーな王女のひとりとした印象だったが、その実。ラフィアは公務そのものや王女としての肩書そのものが苦手だった……
「あたしは、王女って柄じゃないのよ。知ってるでしょ? アリス様……」
「のびのびするのが好きなのに……」
「ふふふ。」
クスクスと笑うアリスをよそに、父であり国王にすべてをぶちまけられたラフィアは、ガックリと頭を落としていた……。
その様子を、目じりが下がり国王ということを除けば、単純で親ばかな娘を溺愛する父親のような表情になっていた。
「それで、王様はラフィアを見に来ただけですか? それともほかに?」
「あぁ、ここに来たのには二つあってなぁ、ルナティアというものに、会いに来たのだが……いるか?」
「えぇ。呼びますね。」
そうして、厨房で練習をしていたルナティアを呼んでくると、王は目を丸くして驚いた。
「本当に瓜二つなのだな。」
王様の前に立ったルナティアは、少し緊張した様子でキョロキョロとしていたが、アリスは全くそのことを気にすることはなく……
「やっぱり、王様もそう思いますよね。でもほら、こっちの耳は……」
「あ、ちょっ。んん?!」
「確かに、本物の耳だな。」
アリスとルナティアが横に並んだ姿に、王様もその容姿が似ていることに驚いていた。そして……
「これなら、アリス様に行ってもらってもいいかな……」
「へっ?」
「それが、今回来た理由の三つ目なんだ。」
それまで、おちゃらけた様子のラビティウスだったが、改めてアリスに説明を続けた。それは、一個人のラビティウスとしてではなく、国王のラビティウスとしての言葉だった……
「アリス様。ネザーラビティアという国は知っておられるか?」
「えっと、確か隣国で……」
「あぁ。そうだな。しばらく、暗い話をするが、いいか?」
「はい。」
そうして、俯き加減になったラビティウスは、ひとつひとつ説明を始めた。それは、ラビティウスが経験した、つらい過去の一端だった……
王都ラビティアと隣国のネザーラビティアは、ラビティウスの前の世代から仲のいい隣国として、交友が深かった。当時の王子だったラビティウスも隣国の王子、ネザーラティオスと交流も多く、遊び合う仲だった。
交易に優れた王都ラビティアと、地下資源の豊富さが群を抜いていたネザーラビティア。そのため、ネザーラビティア製の地下資源は、高値で売れるようになっていた……
「ある日。それが一変したんだ。交易先とのゲートが閉じてしまったんだ……」
「あ。」
「そう。クラリティアとの取引だ。」
「最初は、事故の影響で閉じたのだとされたが、次第にネザーラビティアの人たちは、こう考えるようになっていた……」
“ラビティアが交易を牛耳るために、ゲートを閉じたのだと…”
「全く、そんなことはなかったが、国民のうわさは絶えなかった……」
「私の代になった直後に、そんな噂が立ちだしたものだから、ネザーラビティアは一気に攻勢<こうせい>ののろしを上げたのさ。」
王都ラビティアと隣国ネザーラビティアとの戦争は、数年間続き多くの死者を生んだが、ネザーラビティアの当時の国王。ラティオスの死をもって決着を迎えていた。
「かつての友を討たなければいけなかった私は、ふさぎ込んだ。」
「どうしてゲートが、こちら側に。せめて互いの中立の場所にゲートがと、何度思ったことか……」
「そして、今回。アリス様に来てもらう際も、クラリティア側に残っていた、アリナ様がいたからに他ならない。」
確かに、アリスがクラリティアにいたころに、時々。アリナが聞き耳を立てている様子を見たことがあった。そして、その直後に、アリナが数分いなくなることが多かった。
「それからは、情勢も安定し、何度となく使節を送ってはいるが、その都度追い返されているようで……」
「まさか、お父様……」
「あぁ、ラフィアは察しがいいな。アリス様に国王としてお願いがある。」
「な、なんですか……」
“アリス様に使節として、隣国。ネザーラビティアに行ってほしいんだ”
国王としてのラビティウスの正式な依頼で、アリスはネザーラビティアに行くことをお願いされたのだった。
アリスにとっても危険なのには変わりない。身を守る技術がいくらあっても、守り切れないこともある。ラビティウスの申し出に、否定しようとする意見は当然出てきた。その一人が、アリナだった。
「アリスが行くなら、あたしも行く。それでいいでしょ?」
「あぁ、アリナ様も行ってくれると嬉しい。護衛という意味でも、英雄のご子息だからな。」
そんなアリナを見ていたラフィアも当然……
「アリナがいいのなら、私も……」
「それは、ダメだ。」
「なんで……」
「お前は、王女だからな。」
「でも。ほかにも姉さんたちもいるでしょ。公務なら……」
「なら、納得できるだけの理由を説明をしてみろ。ラフィア。」
これまで、自由気ままにできていたのは、王都の範囲内だったこと。そして、はなれたとしても、王都のからさほど離れていない地域だった。
しかし、今回。ラビティウスが依頼した先というのは、喧嘩っ早く身の危険が高いということもあり、ラビティウスがおいそれと頭を縦に振るわけにはいかなかった……
「今まで、アリス様におんぶにだっこだった。」
「最初は出迎えるつもりで、迎えに行ったけど、今はこうしてアリス様と一緒にいるのが楽しい。」
「そんなアリス様が旅立つというのなら、私も一緒に行きたい。」
精いっぱい父のラビティウスを説得しようと、言葉を紡いでる姿に心を打たれたのは、もう一人のアリスだった。
「ラフィア様が、そんなに行きたいのなら、店は任せて。」
「ルナ……」
店をオープンした直後は、お客として来店していたルナティアだったが、料理を学ぶうちに、楽しくなっていたようでぐんぐん腕も上がっていた。
ルナティアの率先したことで、マネージャーのリリアも仕方なくといった表情をしつつも、ルナティアの背中をついていくことにした。
「もう、仕方ないですね。ルナ。」
「リリア……」
「あのルナが、ここまで乗り気なのもなかなかだし……。それに……」
「それに?」
含みを持たせつつ、リリアはニヤッとしながら一言……
「劇団のアイドルが店をやってたら……二重に設け…おっと……」
「あんた。なかなかえげつないわよね……」
アリスの周りには、いつの間にか賑やかな人が集まって、朗<ほが>らかな輪が出来上がっていた。その様子に、ラビティウスは納得といった表情をしていた。
『クラリティア人だからなのか、それとも、アリス様だからなのか……』
王都には、こんな伝承が残っていた。
“クラリティアの民は輪を保ち、硬い絆で結ぶことができる。それは、種族の垣根をも超える。”
王都ラビティアは、多くの種族が共存して国家を形成しているが、真に一つというわけではない。
薄暗い路地に行けば、いまだに盗みの類も発生している。その多くが貧富の差によって生まれる、妬み・嫉みから生まれるもの。まして、オス個体は喧嘩っ早い性格の個体もいる。
そのため、完全に平和というわけでもなかったが、治安はいい方に部類していた。しかし、ラビティウスの目の前ではまた違った様子になっていた。
種族の違いはもちろんのこと、この店がオープンしてからというもの、周囲の治安すら改善されていた。
「わかった、その代わり。ラフィア。」
それから、出発に向けてそれぞれ準備を始めることになった。
ラフィアは今までにないがしろにしていた公務や、実技に積極的に参加し技術を学び、ラビティアの王女としてそん色ない仕草を身に着けていった。
ルナティアも、身のこなしや所作を身に着けていく。それは当然、よからぬことを考える輩対策も織り込まれていた。
そして、数か月の時を経て、ようやく……
「ルナ。任せるね。」
「アリス。アリナちゃんも、本当に行っちゃうんだね。」
「そんな、死にに行くんじゃないんだから……」
「そうだけど……」
旅支度をしたアリスとアリナ。そして、皮の素材をふんだんに使った服と、王女でありながらも、動きやすい服装になったラフィアが、アリスたちについていくことになった。
アリスが一歩外に出ると、そこには近所の住人たちが、アリスを出迎えていた。そのどれもが、アリスの出発を応援していた。
「アリス。ちゃんと帰ってくるんだよ。」
「ちゃんと帰ってきたら、お尻触らせてくれよ。」
「こら、あんた何を言ってるんだい!」
「ふふっ。みんな。」
人だかりの中には、混雑中に倒れ掛かったときに支えてくれた住人もいた。その時、たまたま、その住人の手に座る形になってしまうという事故もあった。当然、その後アリナに制裁されたのは言うまでもなかった……
店の近所だけではなく、どこからともなく集まった住人も、アリスの門出を見送っていた。
住人の門出に見送られ、アリスたちはネザーラビティアに向け出発したのだった……。
※王都ラビティア編 fin