『CROSS・HEART』Story.1 白の狂気 1-5
――話は、大陸に住む各種族から始まる。
リィースメィルに存在する種族は、人間だけではない。『人間族』『エルフ族』『鬼族』『獣人族』、そして『魔族』の五つに分類される。
「……ほーう」
「え、マジで知らないのか」
これらも、この大陸では常識だ。記憶喪失とは本当にこういうものなのだろうかと疑問に思ったが、基礎的なことも交えながら説明することにする。
遥か昔、各々の種族は各自で国や集落をつくって生活しており、武力での衝突も無く、平和な時代を送っていた。この時代を夜の来ない白夜のように、明るく、闇に染まらなかったことから『白夜時代』という。
――だが、その平和の象徴である光を、少しずつ、端から蝕み始めたモノが在った。それは、深く、冷たく、暗く、誰もが持っている感情である――“恐怖”という、闇。
その頃、高い魔力を持ちそれを使役することに優れている魔族は、より多くの有益な魔法を編み出し、生活を格段に豊かなものにしていた。それと同時期に、魔法では魔族に劣る人間は科学に精を注ぎ、発展させていた。それは両種族共、生活をより実りあるものにする為の平和的なものであり、互いに技術を教え合い、種族同士の親交を深めるものでもあった。
しかし、その状態が永遠に続くことはなかった。とある種族が不穏な動きを見せ始めたのだ。
他でもない、人間である。
もとより強大な魔力を持つ魔族が、長きにわたる知識の蓄積とその圧倒的才能、そして人間からもたらされた科学を併せることで瞬く間に国を富ませ、その気を起こせば全種族を配下に収められる程、彼等の国『グレムアラウディア』は大国となっていたからである。人間の国『リネリス』王国の国王は、魔族に支配されることを恐れ、ついに――――……先手を打った。
『白夜時代』の平穏は、種族の力の均衡が保たれていたからであって、一部種族の力が強くなってしまったその時、今まで水平だった天秤は傾き、白夜にとうとう夜が来た。数百年余り続いた『白夜時代』は終焉を迎え、『暗夜時代』が幕を開ける。
魔族の力に怯えた人間の、グレムアラウディアを統治下に置くという、身勝手な理由で始まった戦争。リィースメィル大陸第一次大戦の開戦である。現在から二一八年前のことだった。
戦争はリネリスの一方的な奇襲から始まった。当然、他種族を支配する、ましてや戦うなどという考えは微塵も持っていなかったグレムアラウディア。即席で軍隊を編成し、持ち前の技術力でどうにか応戦したものの、結果、敗北。だが、必死の抗戦の成果として、リネリスの配下に置かれるという事態は免れた。が、国土を大きく削られ、『閉ざされし地』と呼ばれる大陸の端に追いやられることになり、国名を『グレムアラウディア』から『グレムアラウド』に改名させられた。開戦から五年で終戦となったこの戦い、今日では『聖戦』と呼ばれており、終戦の年より『聖暦』という年号が使われることとなる。その戦い以降、人間は元来魔力の高い魔族を「悪魔」と例え、罵り、唾棄するようになった。
現在では公に差別は撤廃され、種族の生まれ持った特性・文化であるとされている。しかし長い時のなか書物や口頭で伝えられ、国民の心に深く根を張った戦火の理由は、彼らに対する暗い眼差しを変えることを許さなかった。
――『天恵たる神聖な魔法を敬わず、我が物のように使役し続けたが故、制裁を下した』。
その言葉は、羨望と嫉妬、畏怖に染まった瞳を正当化するに十分であった。
そして時代を経て理由は薄れ、『欲深き悪魔』への感情だけが残る。
「……ここまではいいか?」
ハールはリィースメィルの歴史を、まるで教科書を音読しているかのようにスラスラと語る。ふと横を見ると、少女は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「えぇと、ここはリネリスで、グレムアラウドっていうのが、魔族の国」
少女は頭の中を整理し、確認するようにゆっくりと言う。内容的にはそれ程難しくはない筈なのだが、一気に言われると飲み込みにくいのだろう。
「戦争を起こしたのがリネリスで、勝ったのもリネリス……って、あれ、魔物は?」
「あと少し先」
「ふおー……」
少しばかり機械的に説明しすぎたかとハールは思ったが、何となく理解していそうだったのでそのまま進めることにする。
「じゃ、続きだな」
「ふおぉ……」
内容が複雑になる予感に少女が若干身構えた。――その時。
――どくんッ
「……――、ッ!?」
弾けたのかと錯覚する程、心臓が大きく脈打った。
「それで、今度はグレムアラウドが――」
突然の不穏な脈動に驚きはしたものの、とにかく、今はハールの話を聞くことに専念する。
自分の左胸に手を当てると、鼓動は駆ける悍馬の蹄音の如く、早く、大きくなっていた。
彼女が抱く不安を体現するように、木々がざわめく。
――ガサ、
(あれ、でも……)
ハールの説明する声が途切れた。そして肌に触れる空気が動いた気配はないことに気付く。
――風では、ない?
――ガサッ、
「……!」
なおも続く木葉が重なり擦れる不自然な音。少女がハールに目を向けると、彼の表情は緊張を孕んだものになっていた。
「……七頭」
「え……?」
ハールが呟いた内容の意味が分からなかったことと、異質な森のざわめきがもたらす不安から眉をひそめる少女。
――そして先程から治まることなく更に大きくなる鼓動も無視することはできず、無意識のうちに胸を押さえる。
「いつもは火焚いておけばわりと大丈夫なんだけどな――」
ハールが腰に下がる半球の紅玉に触れると、それは光を内に灯した。そしてその光から何かを引き抜くような動作をすると、長く伸びた紅い光は一瞬で“何か”を形成する。
何か――適度な長さの柄と鋭く且つ優美な銀が溶けあった無駄の一切ない刄は、月光を反射し鋭利な光を放つ。それは、極東の島国独自の伝統的な武器である『カタナ』に似ていた。
その紅玉は先程彼女が綺麗だと言ったもの。これは一体何かとか、どうやって中に納まっていたのかといった疑問が浮かびこそすれど、実際に口に出すような余裕は到底持ちえなかった。
「よりによって一人じゃない時にってどういうことだよ……オレが説明するまでもなかったな」
「……え?」
反射的に一歩ハールに近付く。
「――『魔物』」
鼓動が、止まらない。どきどきするとか、そういった生易しいモノじゃない。それは心臓が、胸を突き破って出てきそうなほど。
――そして、身体が熱い。まるで、焔がなかで激しく燃えて、はぜているように。
「……――、っ」
明らかに異常な体調の変化に肘を抱く。冷汗が、一筋頬を伝っていった。
「絶対、離れるなよ」
こちらに背中を向けるハールは、そんな彼女の容態に気付かない。
「……っ――ん」
何とか、返事をする。こんなことになるのなら、まだ症状が軽いうちにハールに言っておくべきだったかもしれない――――
頭が、痛い。クラクラする。
目眩がひどい。目の前が霞む。
(なんで、どうしてこんな急に――)
しかし、そんなこと今更だ。今は言える状況ではない。
茂みの向こうに息を潜める『何か』と対峙するハール。
自分のなかで、突然暴れ始めた熱い『何か』に恐怖する少女。
――そんな双方に、咆哮と共に黒い影が無数、飛び掛ってきた。
「……やっぱ七、か」
その影――、一番近くに降り立とうとしたそれを、ハールは左手に握る剣で凪ぎ払う。もう慣れてしまった肉を断ち切る感覚。けして気分のよいものではないのだが、こちらも生命がかかっているのだ。仕掛けて来たのもそちらからな訳だし、慈悲をかける必要もない。何しろ相手は――――
『グル……ァッ!』
狼のような容貌だが、明らかにそれと違うのは尾が二股に分かれている所である『魔物』は、一頭が斬られたことに怯んだらしく一旦動きを止めた。しかし、餓えた獣特有の血走り殺気を含んだ眼は、二人から逸らさない。
殺伐とした短時間の空白――――
微かに空気が動いた。
「――来るぞ」
「――っ、……」
次の瞬間には、魔物が疾駆していた。ハールは目の前で牙を剥いた一頭の喉を素早く斬る。断末魔の嫌な聲。これだけは何度聞いても嫌悪感を隠せない。首を落とさなかったのは、少女が近くにいるという配慮からだった。
「……きゃっ!」
気付くと、魔物でも分かるらしい『弱い方』に一頭が飛びかかろうとしていた。身体を反転させて横凪ぎに斬り屠る。刄から玉のような赤が滑り落ち、地面に滴った。
ぴしゃリ。
生暖かい水が、彼女の頬に一滴。
どくんっ、
もう、心臓が壊れてしまうのではないだろうか。鼓動する度に、痛い、痛い。
どくんっ、
斬られた瞬間の、『生き物』が『肉片』になる一瞬がフラッシュバック。
顔についた水が『血』だという事に、今気付いた。
その時――――。
「あッ……!?」
身体の奥から、燃え盛るモノが溢れたのを感じた。それは、今まで抑えていた鍵が壊れて、抑制の効かないモノが波のように押し寄せる感覚。
熱く、熱く、身体全体を満たしていく。侵食していく熱はやがて視界を奪い――……
――――白いヒカリで、埋めつくされて。
意識は、そこで途切れた。
コメント