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クロスクオリア
2019年4月19日 14:32
投稿カテゴリ : 記事

『CROSS・HEART』Story.4 小さな盗人(前編) 4-2

「――で、リセが寝たら来いって……どういうお誘い?」
 その日の夜、一日かけて辿り着いた街『シリス』の安宿の廊下。フレイアは古ぼけた壁に背を預け、今しがた自室の扉から現れたハールへにっこりと笑みを向ける。この町に着く少し前、リセには聞こえないようこっそりと伝えられた事柄はそれだった。
「馬鹿。……お前さ、本当にグレムアラウドまで行くのか?」
「今更どうしたの」
「あの国に住んでる種族が何なのかは知ってるよな」
 はっきり口にこそしなかったものの、問うていることは大方把握できた。はっきり言うとすれば、つまりは――――気味が悪くないのか、と。
「……ハール君はそういう人?」
「いや、オレは別に……。ただ、普通の人間ならそういうのが当たり前だろ」
「ハール君考え方古いよー」
 最終確認のつもりだったのだが、あっさりと終わってしまった。しかしかの国とその住人に関して知らなかったはずはないゆえ、彼女としてはグレムアラウドまで付いて行くと申し出た時点でそれを含めて了承済みであるということだったのだろう。
「……それで、だ」
 ここからが“本題”である。これから長期に渡って行動を共にするのであれば、もう一つ告げなくてはならないことがある。
「――――リセが、そんなコトを……?」
 ハールは、フレイアにリセの身に起こったこと――そして、リセが“起こしたこと”を包み隠さず伝えた。これにはさすがのフレイアも驚きを隠せず、信じられないという目でハールを見上げる。
「何、それ……二重人格ってヤツなの、かな」
「それは分かんねぇけど、とにかくその状態になると敵味方関係無くなっちまうみたいで……オレも、あの時は相当ヤバかった」
 とりあえず、リセにはそういう部分があるから覚えておいてくれ、と言う。そんな簡単な言葉で納得できるはずはないであろうが、こう言うしかないのだ。自分とて未だに信じ難い。フレイアは無言で頷くと、なぜそれをリセに告げないのかと問うた。
「まだ目を覚ましてから日が浅いし、ただでさえ記憶がないのにそんなことまで背負うなんて……重すぎるだろ」
 ハールは視線を落とし、その惨状を思い出しながら言葉を紡ぐ。
 ただ破壊することのみに享楽を見出し、何の躊躇いもなく実行する。薄朱の唇は歪んだ三日月を象り、金の瞳に狂気を躍らせるあの姿は、普段の彼女からは想像もつかない。
「それにオレも危なかったなんて知ったら、あいつきっと……」  
 そしてその衝動は対象を選ばず、勿論、自分も――――
「……やさしーじゃん」
「違う、オレがそういうの嫌なだけ」
「んー? じゃあお人好しとでも言っておこうか」
「だから違……っ」
「おやすみー」
 フレイアは再度返ってくる反論にからかうようにして笑うと、彼にさっさと背を向け、片手を軽く振りながら部屋に戻ってしまった。
「……またそれかよ」
 その言葉は、今までココレットやレイシェル、それに唯一の親友と呼べるであろう人物から何度も向けられたものである。

「――――お人好し」

 その後に決まってつけられるのは、

「だからいつも苦労する」
そして、恐らく、きっと、多分、親友であろう者からはその続きがあり――

「そのうち死にますよ」

 一人深夜の廊下に残されたハールは、暗くもなく、重くもない溜め息をついた。


「よーし、じゃあ、今日も元気に行きますかー!」
 ――翌朝、フレイアは宿の前でよく晴れた空に握った手を突き出しながら言った。その明るさは今日の太陽に負けず劣らずである。対してハールは、よくも朝っぱらからこんなに溌剌と声を上げられるものだと、ある意味感心するのだった。
「お、おーっ?」
 リセもフレイアに合わせて見よう見まねで片手を上げる。そんな彼女達を見つつ、フレイアを同行させたことは完全に肯定できずとも間違いではなかったのだろうとハールは思う。二人きりだった時よりもリセの言動が明るくなってきた気がする。これだけ快活なフレイアの側にいればそれも頷けるというものだ。
「ほらほらハール君も一緒に! おーっ!」
「いややらねぇから!」
 ……感化されすぎても困るが。二人ともこの調子になられたら、ついていける気がしない。と、それはさておき。
「ハール、行こっ」
「あぁ」
 リセにそう声をかけられ、ハールも歩き出そう――とした、その時。    
 ふと、三人の耳に、声が届いた。
「――――あれ?」
 リセは突然後方からした声に、振り返る。
「……誰か、泣いてる?」
 その声は、まだ幼さの残る泣き声。
「みたいだな――って、おい、ちょっと待……!」
 ハールが制止の言葉を言い終わる前に、リセは声のする方向へと走っていってしまった。残る二人は、しょうがない、という面持ちでそのまま成り行きを見守ることにする。
 泣き声の主は、五、六歳くらいに見える少年だった。
「どうしたの? 迷子?」
 しゃがんで少年に問い掛けるリセ。しかし、彼は顔を手で覆って泣き続けるばかりで、それに対する返事はない。
「お父さんかお母さんは? あ、お兄ちゃんでもお姉ちゃんでもいいんだけど……誰か一緒にいないの?」
 その質問にも少年は答えず、リセは少し迷うと、泣いている理由は迷子以外にあるのだろうと考えた。
「……どこか、痛いのかな?」
 リセは顔を覗き込み、優しく微笑みかける。――すると、少年の肩が小さく反応した。その動作にもしや正解かと期待する。理由が分かれば、彼の涙を止める手助けができるかもしれない。
「やっぱり痛いの? ころんじゃったとかかな?」
 暫く、少年は無言だった。……しかし、
「……あのね」
 初めて、彼が言葉を発した。ようやく喋ってもらえたことに安堵の表情を覗かせるリセ。
「うん、なあに?」
「痛、…………くないよ」
「へ?」
 突然、頭から常時感じていた小さな重みが消えた。
「え……!?」
「もーらいっ!」
 慌てて立ち上がる。目の前で泣いていたはずの少年の手には、リセの帽子があった。今までその手で覆われていた顔を見てみれば微塵も泣いてなどいない。むしろその逆の表情で、ただ、その大きな黒い瞳に、面白いものを見付けた子供特有の光が浮かんでいるだけだ。
「な、返してっ……」
「やーだよっ」
 少年は帽子を背中へ隠すと、身を翻して走り出した。
「待って!」
 反射的に伸ばした手を、彼はまるで猫のようなしなやかさでするりとかわす。
そして、人をからかう子供のお決まりとも言える行動――舌を出して、帽子を持っていないもう一方の手で、片方の目の下をひっぱる。
「お願い返してっ……、それ、とっても大切な――」
「じゃあな!」
 リセの懇願も虚しく少年はそのまま路地裏へと入っていってしまう。異変に気付いたハールとフレイアがリセの元へ着いたのは、丁度その時だった。
「遅かったか……」
「ありゃー、油断してたねぇ……」
 予想外の事態に困惑するハールと、けろりと状況を受け入れるフレイア。そんな二人を、リセは切羽詰まった形相で振り返る。
「どうしよう! 帽子、盗られちゃった……っ」
 彼のごく一般的な身なりからして、生活に困窮した家なしではなさそうである。つまるところただの悪戯なのであろうが、それにしても質が悪い。
「どうって、捕まえるしかねぇだろうが……あの路地に入っていったよな?」
 言うと、ハールは先程少年が消えた家と家の間の狭い隙間を覗く。向こう側はそれなりに人通りの多い道のようで、往来する人間が現れてはすぐに消えていく。この道幅では、三人の身体では通れないだろう。もしかしたら、それを見越されたのかもしれない。
「……多分、もう結構離れてるな」
 視線をリセとフレイアへと戻す。
「とりあえず、あっちの通りに行ってみるか」
「う、うん……」
「了解っ」
 ……――――そうして、一行は大通りへと歩を進めた。