WINGS&アイロミームproject(仮)
第十一章 『勝負と共闘の流星歌』(中編)
女子トイレになら、流石に翔登Pも来ないだろう……そう目論んで、舞は個室に数十分ほど籠っていた。 きっと、そろそろ変に思われているに違いない。早く練習に戻らないと、誤解されてしまうかもしれない。 ……でも…………。 (天からの声……また、聞こえなくなっちゃうかも……) あの時の不安が思い起こされる。ゾワッと身が震えるような感覚が、舞の足を引き留める。舞は、一人でずっと悩んでいた。 彼女は『抱演美(ダーク・エンヴィ)』という呪いにかかっている。呪いといっても、彼女のソレは災いというよりも、利益をもたらしてくれるものに近い。彼女は、死んでしまった人の声や霊的なものの声を聞くことが出来る。また、その霊的な力を身に纏うことも出来る。それが、『抱演美』の力なのだ。 舞は、ある人物の声を"天からの声"と称して、常にその天啓を受けていた。彼女にとってその声は支えであり、今では生活の一部といっても過言ではないほどに、当たり前のものになっていた。 ……しかし、ある時それが途絶えてしまった。ほんの数分程度ではあったが、いつも聞こえていた筈の"天からの声"が、聞こえなくなった瞬間があったのだ。 (……コバルト流星群の二人が来たあの日……何度心の中で呼び掛けても、声が聞こえなかった。 まるで、断線したみたいに……) WINGSのプロデューサー、秋内 翔登には、特別な力がある。『零浄化(ゼロ・ジョーカー)』という名のその力は、他の『聖唱姫の呪い』による力を抑制するというものだ。 まさか、とは思った。だって、今までは彼の近くに居ても、ノイズが走るみたいに声が聞き取りづらくなる程度で、声が完全にシャットアウトされる事など無かったのだから。でも……もしかしたら、という思いはどうしても拭えなかった。 「……戻ろう。 こんなことしてても、意味がない」 不安に押し潰されそうになりながら、そっと扉を開ける。天からの声が励ましてくれるけれど、それでも不安は押し寄せる。もし、原因が『零浄化』じゃないとしたら……? コバルト流星群を、声の主が避けているのだとしたら……? 色んな不安が入り混じり、舞の足取りを重くさせる。それでも、いつまでもこんなことをして立ち止まっている訳にはいかないのだ。 何故なら…… (コバルト流星群は、多分私に……私たちに、リベンジをしに来た筈だから) ~~~ 「……じゃあ、貴女は中学生の時に、舞さんと同じダンスの大会に出場していたということ!?」 「あぁ、そうさ。 ……そうして、僕は二度、同じ大会で『舞華』に敗れている。 全国ダンス大会でも、『ミラアイ』でも、僕は彼女たちに届かなかったんだ……」 そうだったのか……と、俺は無意識にそう呟いていた。舞の過去については、以前、つぐみ達を介しながら聞いたことがある。しかし、まさかこんな形でその因縁の相手と再会することになろうとは……舞はおろか、優菜だって思ってもいなかっただろう。 「必ずリベンジを果たすと誓って、僕はプロの養成所に入り、本格的にダンスのレッスンを受け始めたんだ」 「YES! その養成所で、私とユーナは出会ったのよねー♪」 「あぁ。 キャリーとなら、より理想に近いパフォーマンスが出来る。 きっと『舞華』にも負けない最高のダンスが出来る。 ……そう思っていたのに」 優菜は、そこで一度言葉を切ると、悔しそうに歯噛みしながら地面に視線を落とした。 「『舞華』は……3年前からパッタリと大会に出場しなくなった」 「あ…………」 ズキン、と胸が痛む感覚に見舞われる。舞が大会に出場しなくなった理由……それを、俺たちは知っていた。だからこそ、詩葉も絵美里も、苦い顔で俯くしかなかった。 「僕は、彼女たちに真意を確かめに来た。 WINGSのメンバーには、籠辻君の名前は見当たらなかったけど……岳都君がここに居るということは、きっと彼女もこの学校に来ているんだろう?」 「いや、それは……」   「解散? ダンスを止めた? ……どっちにしろ、本人に理由を聞くまでは、僕は引かないよ。 学校祭で、あるいはミラアイでWINGSと戦ったとしても、それは『舞華』と戦ったことにはならないんだ。 ……だから、あの二人に会うまでは、僕は━━━━」 「━━━━華ちゃんは、交通事故で死んだ」   「え……?」 淡々としたその声は、優菜たちの背後から聞こえてきた。皆がバッと一斉に、屋上の階段の方へと視線を向ける。そこには、渦中の舞がポツンと立っていた。 「お待たせ、二人とも。 練習遅れてごめんなさい」 「舞、お前……」 「……あれ、翔登Pも一緒? それは尚更ごめんなさい」   ペコリと頭を下げる舞。まるで普段通りの彼女に対して、因縁の相手を目の当たりにした優菜は、目を見開いてわなわなと震えていた。 「交通、事故……?」 「そう、交通事故。 華ちゃんはもう居ない。 居るのは私だけ」 舞の声は、いつもながらの平淡な調子。……けれど、今の俺たちになら分かる。彼女の瞳の奥にある悲痛さを……覚悟と情動の入り雑じった、感情の渦を。 「そんな……嘘だ……」 優菜は膝から崩れ落ちた。舞とは対称的に、絶望という感情を前面に押し出しながら、彼女は狼狽えていた。 「知らなかった、そんな事……。 じゃあ……僕は一体、何を目標に戦えばいいって言うんだっ!!」   「ユーナ……」 行き場のない感情を、まるで神に救いを懇願する教徒のように叫び散らす優菜。明るく溌剌とした印象のキャリーも、この時ばかりは眉を潜めて悲しそうな顔を浮かべていた。 誰もが、優菜にかける言葉を見つけられず、苦い顔で押し黙る。……ただ一人、それでも無表情を崩さない舞だけを除いて。 「……僕は」 しばらくしてから、優菜はゆっくりと立ち上がった。深く俯いたままでその表情は分からないが、それでも、その吐き漏らすような重い声で、彼女の感情は僅かながら感じ取れる。 「僕は……『舞華』を超える」 呪文のように呟かれるその言葉。もう存在しない『舞華』というグループの幻影を、彼女はまだ見続けているようだった。 「……君たちは、学校祭で野外ライブをするんだったね」 「あ、あぁ……そのつもりだ」 「……なら、勝負しよう」 えっ……? と、俺や詩葉、絵美里、松本が声を揃えて驚いた。 「WINGSのホームグラウンドであるこの学校でのライブで……どっちがより多くの観客を集められるか。 どちらのパフォーマンスがより優れているか、勝負しよう」 まさか、プロであるコバルト流星群の方からそんな勝負を持ち掛けられるなんて、思いもしなかった。無論、野外ステージでライブをやると決めたその日から、コバルト流星群と戦う様相になることは意識はしていた。だが、こんな真っ向から勝負を挑まれる展開になるなんて、一体誰が予想できただろう。数日後に迫った学校祭ライブが思わぬ方向へと動き出す様を、俺はただポカンと口を開けながら見ていた。 「Wow! 何だか面白そうデスネー! 一緒にお祭りを楽しみマショー♪」 「……キャリー。 これは遊びじゃないんだ。 ……僕の生涯をかけた真剣勝負なんだよ」 キャリーと優菜の気迫は、相反するもののようだった。対して、二人を交互に見つめてから、ふぅ……と息を吐いた舞は、 「……分かった。 私は『舞華』を背負って戦う。 天からの声も、きっと燃えていると思うから」 優菜は、じっと舞の目を真っ直ぐに見つめてから、フンッ、と鼻を鳴らしてその場を去っていった。その後ろ姿は、見ていて辛くなる程に重々しかった。「待ってよユーナぁ~」と言って追いかけていくキャリーの背中を見つめながら、俺たちはただボーッとつっ立っていた。 「……なんだか、とんでもない事になりましたねぇ」 呆れた目で、松本が呟く。流石の俺も心配になって、舞に声をかけた。 「舞……大丈夫なのか?」 「問題ない。 あの二人が来た時からもう、こうなることは覚悟してたから」 舞の表情は揺るがない。だからこそ、俺たちは何となく安心することができた。彼女の迷いのない言葉や行動は、いつも俺たちの心の支えになっていた。 「よし……こうなった以上はやるしかないな! 皆! 明後日の本番に向けて、頑張るぞ……!」 おーっ! と、松本を含めた四人の手が掲げられる。学校祭まで、あと三日。……この時の俺はまだ、その学校祭が波乱の展開になるということなど、知る由もなかったのだった。 ~~~ 「━━━━そんじゃ、改めて流れ確認しとくよー? WINGSのステージは、午後3時半開演。 で、舞の要望で、コバルト流星群のライブと敢えて時間が被るようにしたから、だいたい一時間弱の長丁場になるよ」 「ねぇ……このタイムテーブルだと、20分も休憩ってことになってるけど、大丈夫なの?」 「あぁ……実はその20分間には、ちゃんと秘策を用意してあるんだ。 ……な、江助?」 「おう! バッチリ準備してきた!」 「……一応言っとくけど、時間が余ればの話だからね? 場繋ぎ的な意味でやるだけだし、必要なかったらやんないから」 ……いよいよ、学校祭当日が訪れた。 外部からのお客さんも多いようで、校内はどこもかしこも賑わいまくっている。 そんな中、ドンと中庭にセッティングされたステージは一般客の目を引くようで。ライブ開始までまだ20分ほどあるというのに、もう観客席は埋まり始めていた。 ……ただ、 「━━━━ねぇねぇママー! チラシには、コバルト流星群のライブは体育館で行われます、って書いてあるよー?」 「あら、そうなの? じゃあ、このステージは別のヤツなのかしら。 行きましょ」 何も知らない一般客らの多くは、チラシに大々的に記されたコバルト流星群のライブを目当てに来たという人たちだった。だから、このステージをコバルト流星群のライブステージだと勘違いし、後から気づいてそそくさと去っていくという人も少なからずいる。そういう人たちを見る度に、俺たちはひっそりと顔をしかめた。でも、こんな事でいちいち落ち込んでいられない。これは、勝負なのだから。 秘策って何だろ……? と首を傾げるつぐみを宥めながら、俺は、ステージの裏側に作られた簡易テントの方へと目をやった。 「そっちの方は、準備できてるか?」 「ヒギッ!? ……ア……き、機材とかは、大丈夫、です……フヒッ……」 「衣装もちゃんと用意してありますよ! 勿論、つぐみ先輩の分も! ……フヒッ」 「いや、欅さんに衣装の準備頼んだの誰だよ……。 ……まぁとにかく、皆手伝ってくれてありがとな。 長丁場だからどうしても裏方に人手が必要で……三人が手伝ってくれて本当に助かるよ」 工藤さん、欅さんの二人がえへへっ、と笑みを浮かべる。ちょうど、テントから出て来た松本さんは、何かのコードを抱えながら、はぁ……とあからさまに大きなため息をついた。 「ったく、何で私までこんな事……。 ……学校祭が終わったらお家デートするって約束、ちゃーんと守って貰いますからね? セーンパイ♪」 「ちょ、こらっ! その事は皆の前で言うなって言っただろ!」 「ふふふっ……これなら、松本さんが途中で裏切ったりする心配は無さそうですね」 ライブ前だというのに、俺たちの空気は和やかなものだった。皆が、ライブステージに立つことやその準備を楽しみにしているかのような、そんな雰囲気さえ感じられた。……ただ一つだけ気がかりなのは、普段から無口な舞が、いつも以上に黙り込んでいることぐらいだった。 「さて。 時間も迫ってるし、そろそろ準備を始め━━━━」   「━━━━ほう、立派なものだな」 「っ!?」 不意に、背後から声がかけられた。ゾク……と背筋に怪しく染み入るようなその重い声の正体は、校長先生だった。 「体育館が使えないと知って、諦めるかと思っていたが……まさか、自分たちで舞台を拵えてまでライブを決行するとはな。 驚いたよ」   「あ、ありがとうございます……」 校長の態度は、あくまで柔和なものだった。しかし、その黒い瞳の奥にどんな真意があるのか……俺たちには分かりかねた。 「……だがね」 と、校長はそこで目線をステージの方から俺たちの方へと移し、 「せっかく『コバルト流星群』にライブの依頼をしたというのに、これでは君たちが彼女らのライブを邪魔しているようなものじゃないか。 『コバルト流星群』は、厚意で我々の学校祭に足を運んでくれたというのに……君たちだって、彼女らのライブを見たいんじゃないのか?」 「ぐっ……」 痛いところを突かれる。どうやら校長は、素直に俺たちのライブを応援してくれている訳ではないらしい。錦野や松本の時みたいに、あからさまに敵意を向けられている訳ではないが……それでも、校長が俺たちの行動を迷惑がっているということは、分かるような気がした。 「……でも、これは勝負なんです」 ただ……俺はどうしても辛抱できなかった。 「……勝負?」   「はい、コバルト流星群の二人と約束したんです。 どっちがより多く観客を集められるか勝負しようって」 「そう。 だから、ここで降りる訳にはいかない」 舞も加勢する。きっと、今回の学校祭ライブで最も熱意を持っているのは、舞だろう。彼女の澄んだ瞳に宿る炎が、それを何よりも物語っていた。しかし、校長はその瞳を敢えて避けるようにしながら、 「学校祭は、君たちやコバルト流星群だけのものじゃないんだ。 関わっているスタッフ、一般の参加者、そして他の生徒たち……そんな大勢を前にして、それでもその"勝負"とやらに拘り続け……」 「━━━━関係ありません」 決然と、舞はそう言い放った。 「私は、『舞華』の意志を背負ってステージに立つ義務がある。 コバルト流星群の……板橋氏の思いに誠心誠意応える責任がある。 ……そう。 これは天からの声が私に示してくれた、たった一つの……………………」   ……不意に、舞の言葉が途切れた。 何とも中途半端な切れ方に、皆が「ん?」と首を傾げて彼女に注目した。当の本人は、校長と対峙していることをすっかり忘れているかのごとく、キョロキョロと辺りを見回して焦っていた。 ……そう。 焦っていたのだ。 直前まで、いつも通りの落ち着いた表情を崩さなかった舞が、この時、俺も初めて見るような蒼ざめた表情で慌てふためいていた。まるで宝物を失くしてしまったかのようなその絶望の表情は、俺たちの心にも不安をもたらした。 「お、おい舞………どうしたんだよ……?」 「がっくん……?」 皆が口々に舞の名前を呼ぶ。しかし、舞はそんな余裕など無いといった様子で、 「華ちゃんが……居ない…………」   そう呟いた後、舞はダッ! とその場から駆け出してしまった。 「お、おい!?」 ライブの開始まで、あと十分弱。もう五人はステージ裏にスタンバイしておかなければならない時間だ。こんなタイミングで、舞は一体どこへ行こうというのか。 「……校長先生。 アンタ、舞に何かしたの?」 凄みのある形相で、夏燐が詰め寄る。まさか……と思ったが、校長はあくまで落ち着き払ったまま、 「私が? 私が彼女に催眠術か何かでもかけたと言いたいのか? ……下らない。 それより、彼女を追わなくて良いのか? これでは君たちのライブは台無しになってしまうぞ」 ……何となく、初めて錦野先生と会ったあの時のことを思い出した。 多分、校長が舞に何かをしたという訳ではないのだろう。だから、目の前で澄ました顔をする彼を、明確に"敵"と定めることは出来ない。……それでも、その場から逃げる舞と、敵意を向ける校長との構図は、あの時と同じような歯痒い気持ちを俺たちの胸に植えつける。   「じゃあ、私は失礼するよ」 たった一言、校長は舞を心配する素振りも見せずに、手を振ってその場を立ち去った。後に残された俺たちは皆、目に見えて焦っていた。 「どうするの!? ライブ開始までもう時間ないよ!?」 「とにかく、誰かが舞さんを追わないと!」 「でも、裏方も結構手一杯だし、誰かが持ち場を離れるのは……」 皆が騒ぎ出す。客席では、既に十数名の生徒や一般客らが、WINGSの登場を待ち構えている。 ふぅ……と細く息を吐き出し、決意を固めた。このステージは、何としても成功させなければならない。とにかく今は、一刻も早く舞を連れ戻さないと━━━━ 「……詩葉!」 この中で、舞を連れ戻すのに適任だろうと思われる人物を指名する。呼ばれた詩葉は、ピクッと肩を動かしつつ、 「……舞さんを追いかけろって言うんでしょ?」 「あぁ。 ……頼めるか?」 「任せておいて。 理由はどうあれ、必ず連れ帰るから」 「で、でもっ! ステージはどうするの? このままじゃ、三人だけになっちゃう……」 心配そうな顔をしながらつぐみが言葉を挟む。その不安げな感情が微かに俺にも流れてくるが、それでも俺は笑みを浮かべた。 「心配しなくても大丈夫だ。 ……何せ、こっちには"秘策"があるんだからな」 「げっ……」 後ろで、夏燐が小さくうめき声を上げた。こうなることを想定していた訳では勿論ないが、俺たちの"秘策"が輝くタイミングは、ここ以外ないだろう。夏燐には悪いが、付き合ってもらうしかない。 「……じゃあ行ってくるわね。 皆、頼んだわよ」 「ああ、任せとけ!」 詩葉の背中を九人で見送る。観客席は、もう半分ぐらい埋まっていた。もう時間はない。WINGSのライブ開演まで、あと三分を切っていた。 ~~~ 「━━━━皆ぁー! 今日は集まってくれてありがとぉー!」 江助が音響のBGMの音量を落とすと同時に、つぐみ、音色、絵美里の三人がステージに上がった。客席の最前線に控えていたWINGSファンクラブの会員さん達が、熱狂的な叫び声を上げる。それが、ライブ開演の合図となった。   「皆さんこんにちは! 私たちは、聖歌学園高校を中心に活動しているアイドルユニット、WINGSです!」 「……って言っても、今ここに居るのは全員じゃないんだけどね~」 観客席からも、「あれ? 副会長は?」とか、「舞ちゃんが居ない……何で?」などとブツブツ声が漏れる。が、そんな不安そうな観客たちの声を掻き消すようにして、つぐみは声を張り、 「そう! 今日は新たな試みとして、WINGS内で二つのユニットを作って楽曲を披露しようと思います! ……いやー、ライブの時間はたっぷりあるし、ずっとやってると疲れちゃうからね。 えへへ」 アハハハッ、と観客の笑い声が響く。掴みはどうやら成功らしい。 「フヒッ……流石つぐみ先輩……アドリブとは思えない、このMC力……フヒヒ……」 「だな。 ……ところで、夏燐はもう準備出来たか?」 「今やってますー! ……夏燐先輩、もうちょっとだけ動かないで下さいねー……?」 俺の後ろでは、簡易メイク台に座った夏燐を相手に、欅さんが格闘していた。この様子だと、もう少し時間はかかりそうだ。……やっぱり、あの三人にあのまま一曲やってもらうしかない。 「私と、のんちゃんと、エミリー! この三人で、WINGS・チームblanc(ブラン)でーす!♪」 「"blanc"っていうのは、フランス語で『白』って意味なんだよ~」   「ってことは、あとのお二方のチーム名は『黒』なんでしょうか?」 「おっと! それは二人が出てきた時のお楽しみって事で♪ えっと、それじゃあ……」 チラ、とステージ脇に視線をやるつぐみ。そこには、カンペを構えた松本の姿があった。松本の……もとい、俺が出した指示は、『そのまま一曲』。つぐみ、音色、絵美里の三人は、ほとんど一秒にも満たない素早さで目配せをした。そして、舞台裏のテントに手だけでOKマークを出す。俺と江助も、互いに目を見合って頷いた。 「よし! 流すぞ……!」 江助がPCを操作して、曲を流した。 本番前……この場に居ない二人のパートをどう割り振るかを、口頭で決めた。リハも無しの試みに、つぐみ達はぶっつけ本番で挑む。 「「「羽ばたけ!♪ 明日へ駆けるheart beat~!♪」」」 後はもう、時間との勝負だ。 つぐみ達三人の成功と、夏燐の準備完了と、そして、舞の帰還を……俺はただ、じっと待ちつづけるのだった。 ~~~ 「━━━━舞さん!」   ガタン! と、詩葉は屋上に通じる扉を勢いよく開け放った。屋上へと続く階段は、一般客が立ち入らないようにテープで封鎖されている。そのテープが一部剥がれていたのを見つけた詩葉は、屋上に舞が来ているのではないかと推察したのだ。 「…………」 果して、舞の姿はそこにあった。 彼女は、手を天高く掲げながら微動だにしない。詩葉が扉を開けた際に大きな音がしたにも拘わらず、彼女が後ろを振り返ったのは十数秒ほど経ってからだった。 「……詩葉氏」 「このライブがいかに大事なものかということは……私が言うまでもなく、貴女が一番理解しているはずよね。 同じく、貴女にかかっている責任についても」 「……」 言葉の上では、詩葉は舞の勝手な行動を責めていた。しかし、彼女の口調は刺々しいものでなく、むしろ穏やかだった。それは、仲間を信頼しているが故のもの。皆で培ってきた絆があるからこそ、詩葉は舞の行動に何か意味があるのではないかと、そう信じることが出来たのだ。その事を感じ取ったからこそ、舞はもう言い訳しようとしなかった。 「天からの声が、聞こえなくなる時があるの」 「え……?」 「最近になってから、たまに。 抱演美(ダークエンヴィ)の力が効かなくなって、天からの……華ちゃんの声がふと途切れてしまうことがある。 今さっきも、そうだった。 だから、あんな風に取り乱してしまった。 ……ごめんなさい」 こんな風に素直に頭を下げる舞を、詩葉は初めて目の当たりにした。 天からの声は、彼女にしか聞こえない。つまり、彼女の言葉の真偽を確かめる手立ては何も無いのだが、それでも、詩葉には舞が嘘を述べているようには思えなかった。   「コバルト流星群と勝負するのに、華ちゃんが側に居ないのは、私にとっては大問題。 だから、声が聞こえる所まで来た。 コバルト流星群には……特に、板橋氏には、ちゃんと『舞華』として立ち向かわなければいけないから」 舞の表情は、いつものポーカーフェイスとは違う、至極真剣なものだった。プロとして、『舞華』として活動してきた過去があるからこそ、舞はダンスに関しては一切自分に妥協しなかった。 舞は知っている。大舞台で、あと一歩が届かない悔しさを。誰かに敗北するということの屈辱を。……だからこそ、コバルト流星群に挑まれた勝負に、『舞華』は真剣に応じなければならない。それが、かつての"勝者"としての最低限の礼儀だから。そして、舞がかつて華と約束したことだから。 両手にグッと力を込めながら、舞は真っ直ぐに詩葉を見つめ、その眼光で以て自らの意志を語っていた。   ━━━━その時だった。 不意に、ブーン……と詩葉のスマホが音を立てた。彼女は手に持ったままだったスマホを起動させ、送られてきたメッセージに目を通して、それから、クスッと小さく笑みを溢した。 「そうね……貴女の気持ちは痛いほど分かるわ。 ライバルの存在、誰かとの約束、そして、自分自身のプライド……そういうものが動力源となって、自らを突き動かす。 けれど、一方でそれはプレッシャーとなって自身に襲いかかったりもする。 ……ただ、貴女が抱えているものはきっと、私のそれとは似て非なるものなのでしょうね」 でもね……と、詩葉はゆっくりと歩みを寄せる。そうして、キョトンとする舞の眼前に、自身のスマホの画面を突きだした。 それは、アイドル研究部のグループトークの画面。そしてそこには、つい先程翔登から送られてきたメッセージが表示されていた。 『舞は見つかったか?』 『もし舞に会えたら、伝えてくれ というか、もし本人がこれ見てたら、それでも良い』   『今のお前は「WINGS」だ 「舞華」だけがお前の居場所じゃないんだぞ』   『だから、一人で抱え込むなよ』     ハッ、と舞の目が見開かれる。言葉一つ一つの重みが、舞を縛っていたものに突き刺さっていく。 「先に翔登くんに言われてしまったわね」 詩葉は、やれやれといった様子でため息をつきながら、舞に微笑みかけた。 「貴女が『舞華』として勝負に臨むのなら、その責任は伴って然るべきかもしれない。 けど、今の貴女は『WINGS』の一人なの。 メンバーが、支えてくれる仲間が側にいるのよ。 勿論、貴女に声を届けてくれる華さんだって例外じゃない。 ……全部を一人で解決することだけが自立じゃないって、前に皆が私に教えてくれたじゃない」 「……っ!」 衣装の裾をキュッと握りしめながら、舞は顔を上げた。詩葉の笑顔の後ろに、翔登やつぐみ、音色、絵美里……皆の笑う顔が浮かぶ。皆が、自分を支えてくれている。優しく手を差しのべてくれている。舞は、そういう温かさを肌で感じていた。 「詩葉氏……」 ちょっぴり声を震わせながら、舞は小さく呟く。 「……なんか、成長したね」   「なっ!? す、素直に「ありがとう」とでも言ったらどうなのっ!」 照れ隠しをする詩葉を見て、クスッと笑う舞。詩葉の方も、全くもう……などと呟きながら困ったように笑っていた。 「……ありがとう、詩葉氏。 でも……」 舞の表情は、決然としていながらも、もうさっきまでのように強張ってはいなかった。 「少しだけ、華ちゃんと話がしたい。 だから、もう少しだけ待って欲しい。 ……お願い」 深く頭を下げる舞。詩葉は少し考えてから、優しい声で、 「……分かった。 その代わり、必ず戻ってくるのよ?」 「勿論」 顔を上げた舞は、そのまま詩葉に向かってそっと小指を差し出した。一瞬戸惑いながらも、すぐにその意図を理解した詩葉は、自分の小指をそっと舞と絡めさせる。きゅっ、と結ばれる小指と小指。これで、約束は形となった。 言葉を交わさず、すぐに階段へと駆けていった詩葉の背中を、舞は黙って見つめていた。一迅の風を背中に受けながら、彼女はそっと目を閉じる。     「……華ちゃん」 その瞬間から、彼女と、"天からの声"のコンタクトは始まっていた。 「……私、ずっと『舞華』に縛られてた。 華ちゃんがこうして側にいてくれることが当たり前で、これからもずっとそうしていけるんだって、そう思ってた」 けど……と、舞は一人で言葉を紡ぐ。 「……それじゃ、駄目なんだよね。 華ちゃんがもうこの世にいないって、かつて受け入れることが出来てた筈なのに……。 ……ううん、きっとあの時も、本当の意味では華ちゃんの死を受け入れられてなかった。 はじめは、華ちゃんが見えなくて、孤独で……それからは、華ちゃんが側にいてくれるようになって……でも、だからこそ私は、"華ちゃん以外の周りの人たちの存在"を、ずっと見ていなかった」 ひゅう、と風が吹き抜ける。舞は、何かを聞き届けたように口端をゆるめ、 「……私、今度は自分の力でステージに立ってみる。 『舞華』としてじゃなく、『WINGS』として。 ……だからさ、華ちゃん。 私のこと、ちょっと遠くから、見守っててくれる?」 それが、舞の導き出した"自立"の在り方だった。 頼ることと、依存することとは違う。今までの舞は、華の存在を心の拠り所にしながら、それにすがりついて生きてきた。けれど、きっとそれでは前へ進めない。階段を登っていくためには、後ろでも横でもなく、前を向いていなければならないのだ。 ふぅ、と静かに息を吐く舞。風がそよそよと彼女の前髪を揺らす。学校祭の喧騒は屋上にも届いていたが、今の舞には、"天からの声"だけしか聞こえていないようだった。 「……うん。 ありがと」 舞は、すがることを止めた。けれど、心の奥にはしっかりと華の存在があった。これから彼女は、"離れない"ことではなく、"離れても繋がっている"という感覚によって支えられていくことだろう。 失われた過去への羨望(envy)から解き放たれた一人の少女は、自らが居るべき場所へと向かう。新しい絆とともに繋ぐ演美を、あのステージで見守って貰うために━━━━  つづく
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