WINGS&アイロミームproject(仮)
第十三章 『終幕と告白の遠渡歌』(前編)
「やっほー、皆! さぁ、今日も卒業式前日ライブに向けて、準備がんばりましょー!」 冬の立ち込める、どこか物寂しさすら感じさせるこの季節でも、彼女のその明るい声は、いつも通り部室の中をほんのりと温かくした。 ガラガラガラ……と立て付けの悪い扉を開くと、部室にいた同志たちが、笑顔で彼女を出迎えた。壁の黒板はビッシリと文字で埋められ、机の上には、衣装がデザインされたスケッチの紙や別の資料なんかが乱雑に拡げられていた。 「やっと来たな。 もう皆で話し合いを始めてるところだぞ」 「いやー、今日掃除当番だったもんで……。 で、衣装は決まった?」 「はい! 先日持ってきて頂いた案を採用することにしました!」 大人しげな少女からの報告を受けて、彼女は……翼はニッコリと頬を弛ませた。 「後、準備するものは他にあったっけ?」 「あぁ……ライブの途中で、皆が一人ひとり手紙を読んでいく、という話をしたよな? 私と翼はもうその原稿を書いたんだが、他の三人も、できるだけ早めに用意しておいてくれ」 「あら、私は陽花ちゃんの分と一緒に、こないだ文乃ちゃん家に届けておいた筈だけど……?」 目元にホクロがある少女がそう言うと、黒髪のキリッとした少女は首を傾げて、 「うん? そうか……なら、家に戻った時にもう一度確認してみよう。 和良は?」 「すみません! まだ中身が決まらなくて……あ、明日までには必ず渡しますから!」 「ま、まぁまぁ。 まだライブ開催まで時間はあるんだし、そんな焦らなくて大丈夫だと思うよ」 大人しそうな少女がしきりにそう謝るのを、皆の後ろで資料の整理をしていた男の子がやんわりと宥める。いつも通りの喧騒……もとい、いつも通りの温かな雰囲気が、彼らのいる『WINGS部』の部室を包み込んでいた。 和田 翼(わだ つばさ)。 井森 文乃(いもり あやの)。 新田 奏(にった かなで)。 後藤 陽花(ごとう ようか)。 園田 和良(そのだ かずら)。 彼女たち五人は、もうすぐ行われる聖歌学園高校の卒業式の、その前日に行われるフェスティバルに向けて着々と準備を進めていた。部の名前にもあるように、彼女たち五人は『WINGS』というアイドルユニットを結成しており、これまで学内で様々な活動を行っていた。 空前絶後の少女アイドルブームが起こっている今━━━━昭和50年代の波に乗る形で、彼女たちは絶大な人気を得ていた。ただ、そんな彼女たちももう高校三年生。卒業式前日のライブを最後に、WINGSは最後を迎えてしまうのだ。 「マーくん。 ライブで歌う曲、もう何にするか決めた?」 陽花が、部室の奥で唸る男の子に声をかける。彼は、資料の束とにらめっこをしながら、穏やかな声で、   「ごめん、まだ絞れてない……。 今までの曲、どれも良いものばっかりだから……」 「じゃあさじゃあさ! 今までの曲全部合体させて、スペシャルメドレーみたいにするってのは?」 「今から編集するんじゃ、間に合わないんじゃないかしら?」 「うーん……新曲を作ろうにも、もう時間が━━━━」    ━━━━その時だった。 コン、コン……と、控えめなノックの音が、部室の戸から聞こえてきた。その瞬間、皆はスッと黙り込み、顔を見合わせる。戸の一番近くにいた翼が、コクコクと数回頷いた後、そっと戸の方へ向かった。そして、恐る恐るといった様子で、ガラガラ……と少しずつ戸を開いていった。     「…………こんにちは、皆さん」 戸の前に立っていたのは、背が低くて、真っ白な長い髪が特徴的な少女だった。右手にはプリントの束を、左手には古風なトランプのカードみたいな紙を持っていた彼女は、挨拶の後にゆっくりとお辞儀をした。   「ひばり、ちゃん…………」 翼は、その名を呼ぶと同時に、微かに顔をしかめた。 後ろに居たメンバーも、彼女の姿を見るや否や、気まずそうに視線を斜め下へと投げた。その中で唯一、男の子だけは、彼女の姿を見た途端パッと瞳を輝かせ、そのまま戸の方へと駆け寄っていった。 静かな部室に、男の子の声だけが響く。彼に話しかけられている件の少女━━━━ひばりは、真っ直ぐに部室内を見つめながら、ただじっと、その場に立ち続けていた。      第十三章『終幕と告白の遠渡歌』      「……いよいよ、だね」 暗がりの中で、一人が小さくそう呟いた。その声を耳にした途端、皆がピクッと肩を震わせ、握り合った互いの手に力を込めた。 ここは、体育館のステージに繋がる通路の一角。申し訳程度の電球がぶら下がるだけの狭い空間に、俺……秋内 翔登と、五人の少女たちは立っていた。つぐみ、詩葉、音色、舞、絵美里の五人は、この日の為に用意した、白いドレスのような衣装に身を包んでいる。皆、きらびやかだった。普段部室で下らない話をして盛り上がっている時のあの少女たちとは、全然違う。まるで、今まで人間の姿をしてきた天使たちが、その本来の姿を解き放ったかのように……そんな風に、俺の目にはつぐみ達五人の姿が映っていた。 「今日が……私たちにとっての、最後の舞台なのね」 「ミラアイの時も緊張しましたけど……でも、今もその時と同じくらい緊張してます……」 詩葉も絵美里も、声が僅かに震えていた。ミラアイという大舞台で闘った彼女たちが、ここまで緊張を隠せずにいる。それぐらい、今日のこの舞台は特別なものだということだろう。 ……でも、きっとそれだけじゃない。 彼女たちは今、ライブが成功するかどうかという不安と同時に、もう一つ別の不安を抱えていた。最初にそのことを切り出したのは、舞だった。 「このライブが……私たちの作戦が、もしも失敗したら……その時は……」 「……大丈夫だよ、舞ちゃん。 きっと成功する……今は、そう信じよう? ね?♪」 『聖唱姫の呪い』。 彼女たち五人はそれぞれ、聖歌高に伝わる特殊な呪いに侵されている。つぐみは『惑聖恋(マッド・セイレーン)』。詩葉は『論理狩(ロンリー・ガール)』。音色は『安断手(アンダンテ)』。舞は『抱演美(ダークエンヴィ)』。絵美里は『縁伝者(エンデンジャー)』。皆がそれぞれ、特有の特殊能力みたいな力に苛まれて、苦しんでいた。それでも彼女たちは、今日までこうしてアイドル活動を続けてきたのだ。 ……そして、もう一つ。『聖唱姫の呪い』が"呪い"と呼ばれる所以たる力が存在する。それは…… (……呪いにかかった奴らは、卒業式の前日に謎の力によって命を落としてしまう、か…………) 改めて呪いによって引き起こされる災厄を確認し、俺はひっそりと顔をしかめた。 過去にも、『聖唱姫の呪い』にかかった生徒が何人もその被害に遭っている。呪いを受けた少女は最後、この学校を卒業することが出来ないまま呪い殺され、呪いと共にこの学校に囚われてしまうのだ。 (…………でも) 俺の身体には、その災厄に僅かながら抗える切り札が備わっていた。 『零浄化(ゼロ・ジョーカー)』。それが、俺に秘められた力。『聖唱姫の呪い』による力を抑制し、呪いに侵された少女たちの負担を軽減出来る力だ。 そして何より━━━━この力は、五人いる『聖唱姫の呪い』にかかった少女のうち、誰か一人だけを救うことが出来るという、もう一つの側面がある。……いや、これこそが『零浄化』の本質……なのかもしれない。 ある特殊な儀式……即ち、特別な力が備わった歌を合唱することで、『零浄化』を持つ者は、心を通じ合わせた一人の呪いを浄化できるらしい。かつて、『聖唱姫の呪い』にかかりながらも、その儀式によって生き永らえた"前例"である女性……錦野 小雪が、俺にそう教えてくれたのだ。 「いざとなったら、その時は……さ。 翔ちゃんが誰か一人を……」 「っ……」 嫌だ。出来ることなら俺は、そんな事したくない。 誰か一人を助ける……それは即ち、残りの四人を見殺しにするということ。確かにそれは、今まで呪いを回避する唯一の手段として、呪いの噂話と共に密やかに伝えられてきた方法だ。けど……そんな最悪な結末、俺は絶対に選びたくない。 …………だからこそ、俺は最後の希望として、この作戦に賭けたんだ。 「……皆、聞いてくれ」 不安そうに見つめ合う五人に、声をかける。大事なライブの直前に、そんな顔をしていて欲しくない……そんな意味も込めて、俺は、彼女たちを励まそうと試みた。 「このライブ終わったら……皆でケーキでも食べに行こう! 普段は、男が浮くからって理由で付いていかないことが多いけど……でも、今日は特別だ! 何なら、コーヒー一杯ぐらいまでなら奢ってやる!」 ……我ながら、たどたどしいというか、ちょっと情けない気すらした。 呪いのこととか、ライブのこととか……そういうものに対する不安とかが、多分、今のつぐみ達の心には蔓延しているんだと思う。だから、その事から少しでも気持ちを逸らしてあげられたら……そう思ったのだ。 このライブが終わったら……そんな時間が来るかどうかすら、定かではない。タイムリミットに差し掛かっている彼女たちにとっては、今この瞬間の平穏さえも、脆いのだ。 ……でも。 「…………ふっ、あははっ! 何それ、急にケーキとか……あはははっ!」 堪えきれずにつぐみが吹き出す。と、それに釣られてか、他の四人もクスクスと笑みを溢し始めた。 「全く……そんな見え透いた餌に釣られるほど、私たち子供じゃないわよ。 ……ふふっ」 「でも、折角なら皆でケーキ食べに行きたいね~♪」 「翔登Pの奢りとあらば、尚更」 「もう……さっきまで緊張してたのに、力抜けちゃったじゃないですかぁ~……!」 五人が笑い合う様子を見て、不思議と俺自身の心も落ち着くような感じがした。ライブへの不安とか、呪いへの恐怖とか、そういうのが全部吹き飛んでしまったかのようだ。 ……大丈夫。きっと、うまくいく。 心の中で、何度も何度も唱え続けていたその暗示が、今になってスッと胸の奥底に安らぎを与えてくれた。 だからこそ、不安は自信へと変わり、俺の……いや、俺たちの瞳に再び輝きが宿った。   「江助と、夏燐が……きっと上手くやってくれる。 ……だから、俺たちはこのライブに全身全霊をかけよう。 最後まで、楽しんで……最高のライブにしよう!」 コクリと、力強く頷く五人。誰からともなく差し出された手に、一つ、また一つと手が重ねられていく。それは、最後の舞台の幕開けを告げる、俺たちの……最後の円陣だった。 「行くぞ……! WI~NGS!!!」 「「「「「「フラーイ!!! ハーイ!!! スカァーイ!!!!!」」」」」」  ~~~ ━━━━話は、2ヶ月ほど前に遡る。 俺たちアイドル研究部の面子は、『聖唱姫の呪い』についての本格的な調査に乗り出していた。きっかけは、学校祭が終わったあの日。俺が唐突に思い出した、『時遠渡(ジ・エンド)』という聞き慣れない呪いの名前。 「夢の中でそのことを聞いた」という、端から見れば一ミリも信憑性のないようなその言葉を、皆は信じてくれた。そして、皆で調査をしてくれたのだ。 ……本当に、よくやってくれたと心から思う。大学受験とか、就職とか……そういう事に追われていたメンバーだって当然いる。それでも、皆が文句の一つも言わずに、呪いの調査とラストライブの準備に尽力してくれたのだ。 五人の命がかかっているのだから当然……と言えば、確かにそうなのかもしれない。けど、少なくともつぐみ達は、自分の為にとか、死にたくないが為にとか、そういう気持ちで臨んでいるようには思えなかった。むしろ、"仲間の為"とか"自分を含めた皆の為"とか、そういう気持ちだったように思う。そんな、彼女たちの真剣な姿勢を間近で見ていた俺もまた、より一層、彼女たちを助けたいという思いに駆られたのだった。    ……そして。  呪いのことや、過去のこと。WINGSのことなんかをしらみ潰しに調べる中で、俺たちはある一つの結論に達した。2月の某日。俺たちは、その真偽を確かめるべく、とある場所を訪れたのだ。 ━━━━コン、コン。 重厚な扉を、ゆっくりとノックする。 「どうぞ」と、中から渋い感じの声が響いた。俺たちは、互いに目を合わせて頷くと、ゆっくりとその重々しい扉を開いた。 「……失礼します。 アイドル研究部部長の、秋内です」 「……君たちか」 薄暗い部屋の中、メガネの奥で鋭く眼光を研ぎ澄ませながら、滝沢校長は静かにそう声をかけた。 「生徒会ではなく、わざわざ私の所へ来るとは……一体、何の用かな?」 「……校長先生に、お尋ねしたいことがあって来ました」 こういう場に慣れているのであろう稲垣が、先陣を切って口を開いた。対する校長は、いつもの柔和な……しかし、どこか不敵な怪しさも孕んだような笑顔を浮かべて、俺たちの方をゆっくりと見回し、一言、   「七人……か。 確か、アイドル研究部の部員は八人ではなかったかな?」 「かりりん……篠田さんは今、体調を崩してて、一昨日から学校を休んでます……」 つぐみが、感情を噛み殺すような抑えた声で答える。彼女の言った通り、夏燐は、一昨日から急に高熱を出して倒れずっと学校を休んでいた。いつも元気な夏燐が体調を崩すなんて……と、皆で心配はした。が、今この場においてはその事は関係ない。校長の、話題を逸らすための口車に乗せられる訳にはいかなかった。 「聞きたいことがあるんです……呪いのことや、アンタのことについて」 「……私の?」 ピクリ、と、校長の眉が微かに動く。そう……アンタのだ。 これは、俺たちが聖歌高の過去の卒業者名簿を調べていた時に発見した事実。そして……呪いの根源を明らかにすることにも繋がるであろう、重要な確認なのだ。 「滝沢校長も、この学校の卒業生……だったんですね」 「……その通りだ」 「……しかも、ちょうど今から40年前の」   「……」 校長が、口を閉ざす。その沈黙はある意味、俺たちがこれから聞こうとしている事への答えでもあるような気がした。 チラ、と両隣へ目をやって、皆と視線を合わせてから……俺は、話を一気に核心へと進める覚悟を決めた。 「━━━━アンタは、初代WINGSのプロデューサーだったんですね」   「…………」 校長は、やはり黙ったままだった。ただ、校長の顔があからさまに歪んだのを見て、俺たちは自然と、それが図星だったのだという確信を得た。 「……40年前のWINGSの活動記録をいくら探しても、校長先生の名前は見つけられませんでした。 卒業生の名簿を見て初めて、貴方がここの学生だったという事を知ったんです」 「それで、ある時工藤氏から……いや、工藤氏の身体を借りたかつてのWINGSの霊魂から、一つの証言を得た。 かつてのWINGSには、私たちと同じように"協力者"が居た、と」 「彼女はその人のことを、『マー君』って呼んでました。 ……私、ずっとその名前が気になっていたんです。 だから、卒業生の名簿をしらみ潰しに当たって、『マー君』っていうあだ名がつけられそうな人を探して……そして、校長先生の名前を見つけたんです……」 「……なるほど。 業奉糸(ゴーフォーイット)の類いの呪いの力で知ったというところか」 流石の理解の早さというべきか。校長は、今のつぐみ達の言葉だけで、全てを察したらしかった。 校長の名前は、滝沢真彦。……だから、マー君。 工藤さんが、『降霊堕(コールレーダー)』の力によって初代WINGSのメンバーの霊を呼び出した際、その霊魂たちは皆、その名を口にしていた。プロデューサー……という立ち位置だったかどうかまでは定かではないが、少なくとも校長が初代WINGSの協力者であったことは間違いないだろう。 「……私はてっきり、錦野や明菜が口を滑らせたのだとばかり思っていたが……どうやら、密告者は別の人物だったようだな」 校長の言葉を聞いて、俺は思わず顔をしかめた。アイツら……やっぱり知ってて黙ってやがったな……。 ……まぁ、あの癖のある二人が、そんな簡単に情報を明け渡す筈がないということは分かっていたし、仕方ない。あるいは、校長から強く口止めされていたのかもしれないが……。 「じゃあ、錦野先生がいつも言ってた"あの方"っていうのは……」 「……あぁ、私だ。 私は今まで、錦野に指示を出しながら、呪いにまつわる文献やWINGSの歴史など、あらゆる情報の操作を行っていた。 ……君たちを、正しい未来に導くためにな」 「なっ……!?」 絵美里が、目を見開きながら声を上げた。まさか、学校に残っていた全ての資料が、校長の意図によって操作されてたとでも言うのか!?    「何故、『聖唱姫の呪い』が……数年に一度、その呪いに見舞われた者が命を落としているという大事が、校外や世間に露呈していないのか……その理由を考えたことはあるか?」 「え……」 言われて、俺たちはハッとした。 同時に、今俺たちが目の前にしている人物の、振るう力の強大さに愕然とした。彼が聖歌高の校長になったのは、約14年ほど前。更に言えば、彼は20歳の後半からずっとこの学校に勤め、教職員として働いていたらしい……と、錦野からは聞いている。 じゃあ……校長はその間、情報の改竄や隠蔽を……今まで全部一人でやって来たっていうのか……!? 「どうして、そこまでして……」    消え入るような声で、音色がそう尋ねる。校長は、細く息を吐きながら、顔色一つ変えずに言った。 「……言ったはずだ。 君たちを正しい未来へと導くためだ、とな」 「正しい未来って……」 耐えかねて、俺は声をあげた。 「呪いにかかった仲間が死ぬのをただ黙って見過ごすのが、正しい未来だって言いたいんですか! 錦野先生や、松本まで利用して! ……アンタは、俺たちの敵なのか味方なのか、どっちなんですかっ!!」 「……決まっているだろう」 校長の声は、相変わらず抑揚がない。冷めきった瞳をメガネの奥から覗かせ、彼は静かに言った。 「味方だよ。 君たちと、呪い……全てのな」   「ッ……!」 カッとなりかけた自分を、何とか抑え込む。味方なんかじゃない……奴は、俺たちのことなんてこれっぽっちも心配なんかしていない。校長の言葉を聞いた瞬間、俺は心の奥底でそう感じ取った。 「……話を、変えます」 ゆっくりと呼吸を繰り返しながら、そう語りかける。俺の後ろに立っていたつぐみと音色が、そっと俺の肩に手を置いてくれた。 ……そうだ。今、俺は一人じゃない。それを意識して、何となく心が落ち着くような感じがした。 「……貴方は、『時遠渡(ジ・エンド)』という呪いを知っていますか?」 「……あぁ、知っている。 ただ、その呪いのことは、錦野にも明菜にも話したことが無い筈だが?」 「……知ってるんですね。 やっぱり」 皆で、そっと顔を見合せた。やはり、俺が予想していた通りだ。 『時遠渡』。その呪いの名は、俺がいつかの日に夢の中で耳にしただけのものだ。あれから、その呪いについて何か情報を得られないかと、文献やOBの人たちの証言などを当たって調べ続けた。 ……しかし、『時遠渡』の情報は何一つ得られなかった。何一つだ。 一度は不安になった。やっぱりただの"夢"だったのかと。……でも、皆は決して俺のことを疑ったりはしなかった。だから、このワードは謂わば最後の希望。ここで校長から何も情報が得られなければ、今度こそ諦めよう。そう思っていたのだ。 ……でも。 「こ、校長先生がこの呪いの名を知ってるってことは……やっぱり……」 「……『時遠渡』は確かに、存在する…………!」 やっと……やっと繋がった。ギリギリまで手が届かなかった場所へ、今、ようやく指がかかった。昂っていた感情が、にわかに明るく変わっていく。俺は、同じように目を輝かせる他のメンバーと顔を合わせて笑いながら、そのままの明るさで、 「教えて下さい! 『時遠渡』は、全てを終わらせる鍵だと聞きました。 ……この呪いのことが分かれば、『聖唱姫の呪い』の災厄を止めることが出来るかもしれないんです! だから、お願いです! 『時遠渡』のことを……」 「━━━━不可能だ」 キッパリと、そう告げられた。 まるで迷いのない、ハッキリとしたその物言いに、俺たちはただ黙りこむしか無かった。校長は、はぁ……と呆れているかのようなため息を一つつくと、チラリと顔を上げて俺に聞いた。 「そもそも、だ。 『聖唱姫の呪い』は、その呪いによって与えられる力そのものが苦しみとなる筈。 では何故……呪いは、『特異な力を与える』ことと『卒業式前日に殺す』ことという、二つの苦しみをも、お前達にもたらそうとするのだと思うかね?」 「……え…………?」 問いを投げられたつぐみ達が、一斉に訝しげな顔を浮かべて考え込み始めた。 ……たった一人、目を見開いて茫然とする俺を除いて。 (今の……何か聞き覚えが……) そうだ……俺は確か、『時遠渡』の名前を聞かされた時、同時に何か"ヒント"のようなものも聞かされていた。あの時は、頭がぼんやりしていた中だった為に深く考えられはしなかったが……もし、その問いかけが重要な意味を持ったものだったのだとしたら………… 「……答えは簡単だよ。 『特異な力』と『卒業式前日の変死』は、本来別物だということだ」 「別、物…………?」 校長は、いとも簡単にその答えを言ってのけた。そして、彼が続いて口にした真実に、俺たちは目を見開いて驚愕することとなった。 「『時遠渡(ジ・エンド)』……それは、始まりの呪い。 皆から愛されていた初代WINGSに対し、唯一、"恨み"を向けていた少女が残した呪いだ。 ……言うなれば、これこそが本物の呪いと言っても過言ではないかもしれん」 校長は、渋い顔つきのまま続ける。 「『時遠渡』は、『聖唱姫の呪い』に魅入られた少女を、卒業式の前日に呪い殺してしまうという呪いだ。 つまり……『聖唱姫の呪い』が集結することによって引き起こる"災厄"は、災厄ではなく、『時遠渡』の力そのものだということだ」 「そ……そんな…………」 気づくと、俺はいつの間にか膝から崩れ落ちていた。あまりにも衝撃的で……そして、あまりにも残酷な真実に、頭が真っ白になったのだ。 過去、『聖唱姫の呪い』にかかった何人もの少女が、卒業式の前日に"災厄"という形で不可解な死を遂げてきた。今のつぐみ達にも、その危険があった。 でも……それは"災厄"なんかじゃなかった。『聖唱姫の呪い』に魅入られた少女らに……いや、『聖唱姫の呪い』そのものに向けられた『呪い』と言っても良いかもしれない。それが……それこそが"災厄"の正体だったのだ。 「じゃ、じゃあ……零浄化が呪いを浄化するっていうのは……」 「……『浄化聖唱(ジョーカー・セッション)』によって呪いが浄化された少女は、『時遠渡』の攻撃対象ではなくなる。 ……だから一人だけ救える」 「『呪い』と『災厄』とか同列に語り継がれていたのは、もしかして……」 「……『聖唱姫の呪い』が五つ揃った瞬間、『時遠渡』の力は目覚めるのだ。 まるで、呪いそのものを追うようにな」 淡々と語る校長に対し、俺たち七人は次第にその覇気を失っていった。 今まで隠されてきた……というか、ただ俺たちが知らなかっただけだったのだ。『聖唱姫の呪い』の正体を……呪いの、呪いたる由縁を知った俺たちは、皆して唖然としてしまっていた。 「で、でも……!」 が、皆が皆呆気に取られていた訳ではない。『時遠渡』のことを聞いて、その本質を知った上で、つぐみはそこに活路を見出だそうとした。 「もしその『時遠渡』が、私たちと同じ"呪いの一種"なんだとしたら、翔ちゃんの『零浄化』で浄化できるんじゃ……!」 「本当だ! それなら、災厄も起こらないし一発解決じゃんか!」 つぐみの提案に、江助も目を輝かせる。なるほど……と、俺だけでなく、他の皆も思ったらしかった。『時遠渡』の力さえ浄化してしまえば、呪いにかかったつぐみ達が死んでしまうこともない。「誰か一人だけを選んで救う」なんてまどろっこしいやり方じゃなく、これなら皆が死なずに済む筈だ。 ……しかし。 「━━━━それは不可能だよ」    校長は、キッパリとそう言い切った。 「言っただろう、『時遠渡』は特殊だと。 君たちにかかっている呪いとは違って、『時遠渡』は呪いを生み出した張本人がそのまま呪いの力を発揮し続けている。 君たちと同年代の生徒を探した所で、『時遠渡』にかかっている人物を見つけることは不可能なんだよ」   「そ、それってつまり……」 「……『時遠渡』の呪いは、霊魂のように今も彷徨い続けている。 40年前から、ずっとな」 ギリ……と、誰かが歯噛みする音が聞こえた気がした。 つまり、『時遠渡』は『惑聖恋』などの呪いとは違い、"誰かに取り付いて力を与える"類いの呪いではないということだ。依り代が存在しないということは即ち、浄化する対象が居ないということ。それだったら、手の打ちようが無い訳だ。 「……これで分かっただろう?」 咳払いとともに、校長が此方に問いかける。すっかり黙り込んでしまった俺たちに対し、校長は追い討ちをかけるかのような重い口調で、 「『時遠渡』を止めることは出来ない。 君たちにそれを理解して欲しかった……だから、こうして全てを話してやったのだ」 さっきまでのような威圧感は、言葉尻からはもう感じられなくなっていた。彼は、ムチでひたすら殴った後にそっとアメを差し出すかのように、いつもの朝礼の時みたいな薄い笑顔を浮かべて、言った。   「さぁ……もうこれ以上悪あがきをするのは止めてくれ。 今なら……今WINGSが解散して離ればなれになれば、『時遠渡』の効力は弱まるかもしれんのだ。 私だって、生徒が死に行くのを黙って見過ごしたくはない。 だから、頼む。私の言う通りに……」 「━━━━それじゃあ……何で校長は、今まで俺たちにその事を教えてくれなかったんですか?」 さっきまで膝をついて茫然としていた俺は、いつの間にやら、立ち上がって校長の眼前まで迫っていた。 そっと、俯くような姿勢のまま静かに問い質す俺の姿を、後ろでつぐみ達が心配そうに見ている。けど、今の俺には、そんなことを気にかけるほどの冷静さは残っていなかった。 「アンタが俺たちと協力してくれれば、もっと色んな方法を模索できた筈だ! いや……俺たちだけじゃない。 俺たちよりもっと前の代の人たちだって、アンタが歩み寄ってればもっと良い方法を見つけられてたかもしれないじゃないか! 何で……どうしてそこまで、敵役に回ろうとするんだよ!」 かつて、俺たちの敵として立ち回っていた錦野という教師がいる。でも、ヤツは途中で俺たちに歩み寄り、協力する意志を見せてくれた。彼女のように、呪いの当事者だった人物たちと力を合わせれば、もっと呪いの事を知れたかもしれない。あるいは、一番良い解決策だって見つけられたかもしれないのだ。 でも……校長は、もう諦めてしまっている。俺たちに協力した所で無駄だと、たかを括っている。そんなんじゃ、呪いにかかった皆が救われて幸せになる未来なんて、永遠に来ないに決まってるじゃないか……! しかし、そう訴える俺の眼前で、校長は尚もため息を吐きながら、   「どう足掻こうと結果は同じだ。 ……私は過去に、何度も呪いによる災厄を防ごうと尽力し、失敗しているのだからな」 「ッ……」 重みのある声でそう言われると、此方はもう反論も出来なくなってしまう。俺たちと校長とでは、明らかに経験の差が激しいからだ。きっと、校長は過去に何度も呪いに立ち向かい……そして、挫折してきたのだろう。 「私たちに成す術など無い。 ……だから大人しく『時遠渡』の意思に従うしか無いんだ。 あの子が残した悲痛な呪いを、私たちはこれからも背負っていくしかないのだよ」 「そんな……」 悔しかった。目の前で、手札を全て破かれたような気分だった。「もうどうしようもない」という言葉の重みが、ずっしりと大きく感じられる。俺も、つぐみ達も、ただ黙って目を伏せることしか出来ずにいた。 これ以上追及しても意味がない……もう引き返そう……。 そう思った時だった。 「あ、あの……」 遠慮がちに、音色が手を挙げた。校長と、皆の姿勢が彼女に集中する。 「その……『時遠渡』の呪いの元になった女の子って、どんな子だったんですか……?」 音色の言葉を聞いて、ハッとした。 そうか……校長が初代WINGSのプロデューサーだったって事はつまり、その『時遠渡』を生み出した少女とも同世代だった訳だ。しかも、さっきの校長の口ぶりからして、校長はその少女と知り合いだったに違いない。彼女がどんな人だったかを知れば、『時遠渡』の性質をより詳しく知る糸口が見えるかもしれないじゃないか……! 「校長! 何か……何か知ってるんですかっ?」 絶望ムードから一転、目を見開いてグイッと迫る俺たちの姿を、校長は嫌そうな目で見ていた。態度からして、きっと答えたくないのだろう。……けど、ここで引き下がる訳にはいかない。何が何でも、この先に繋がる情報は手に入れておかねばならないからだ。 「……あぁ、よく知っている」 ため息混じりに答える校長。俺はキュッと顔を引き締めると、まずはこう切り出した。   「その……WINGSを恨んでたっていう子の名前は?」 校長がウチのOBだと分かるまでに、俺たちは皆この学校の卒業生名簿に目を通している。ひょっとしたら、その調べている最中に、誰かがその名前を目にしているかもしれない。名前の他にも情報を聞き出せさえすれば、きっとその子の素性を調べることが出来る筈だ。 「……あの子の名、か」 ふぅ……と長く息を吐く校長。皆が固唾を飲んで見守る中、彼は静かにその名を語った。   「━━━━彼女の名は、志岐ひばり(しき ひばり)。 私や、WINGSのメンバー達と同級生だった子だ」 「だった……?」 言葉尻に引っかかりを覚えたのであろう舞が、校長の言葉を反芻した。しかし、彼はその呟きを無視して言葉を続ける。 「彼女は……ひばりは、不思議な子だった。 病弱で、自己主張が苦手で……だが、内に秘めるエネルギーのようなものがあった。 スピリチュアルな力……とでも言うのだろうな。 よくWINGSのメンバーや私の未来を占ってくれたりもしたよ」 「占い……?」 「それと……ひばりは話し方もどこか独特だったかな。 難解で、小難しい言い回しには、皆苦労していたようだったよ。 ……結局、あの子の真意を聞き取ることが出来た人間は、誰一人として現れ得なかったがな」 ……ちょっと待て。 占いが出来て、話し方が独特で、不思議な子……? 頭の中で形成されていくそのイメージに、見覚えがあった。 何度も、言葉を交わしたことがある気がした。 まさか……もしかして……思考がそこまで辿り着こうとした、まさにその時。 校長は、静かにこう告げた。 「━━━━ひばりは、40年前に自ら首を吊って……亡くなったんだ」    つづく
ギフト
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