WINGS&アイロミームproject(仮)
第十三章 『終幕と告白の遠渡歌』(中編)
「ん、んん…………」 ズキズキと頭が痛む中で、夏燐は目を覚ました。 目を覚ましたと同時に、自分はまだ夢を見ているのかとそう思った。 真っ暗な世界に、ポツンとただ一人。周りには何もなく、光源たるものすら見当たらない筈なのに、自分の姿だけはハッキリとそこに在る。 まるで、宇宙のどこかに放り出されたかのようだった。何もない、ただ自分の姿しかないその異質な光景に、不安ばかりが募っていく。   『……さん。 カリンさん……。 カリンさん……』 「っ!? だ、誰? 誰かいんの!?」 肩を震わせながらも、夏燐はどこからともなく聞こえてくるその声にじっと耳を澄ませた。が、どれだけ辺りを見渡しても、声の主と思しき影は見当たらない。ひょっとして、テレパシー的な何か……? などと夏燐が考えていたその時。彼女の眼前がぐわりと空間ごと歪み、中から一人の少女が現れた。 「うわっ!? 何そのイリュージョン!? てか、アンタ誰なの!?」 「……お久しぶりです。 カリンさん。 クロニクルの追憶以来……でしょうか?」 「はぁ……? 何言ってるかサッパリなんですけど……てか、お久しぶりじゃないでしょ。 アタシ、アンタと会った覚えないし」 頭を掻きながら、訝しげな目付きでジロジロと少女を見回す夏燐。その一方で、突如現れた白髪の不思議な少女は、平然とした態度のままマイペースに言葉を続ける。 「私の名はシキ。 『時遠渡(ジ・エンド)』を司りし天啓の使途です」 「うん、日本語でお願いできる?」 「実は、カリンさんに折り入ってお願いがあるのです」 「駄目だ……全然こっちの話聞いてくんないわ……」 会話が噛み合わない相手に難色を示す夏燐。もう既に疲弊気味の彼女に構わず、白髪の……シキと名乗った少女は、フワフワと浮くような足取りで夏燐に近寄っていき、そのまま彼女の手に一枚のカードを握らせた。 「単刀直入に聞きます。 ……貴女は、WINGSに対し憎悪の感情を抱いたりはしていませんか?」 「っ!?」 あまりにも唐突なその質問に、夏燐は思わず仰け反った。しかし、手はシキに握られたままだった。驚きを露にしながらシキを見る夏燐の視線に、自身の手と重なるシキの白い手の輪郭が重なる。そしてその手の中には、彼女が握らせた逆向きの『THE HERMIT』のカードがあった。 「……除け者にされた気持ち。 自分一人が違う世界にいるような気持ち。 ……思い返して下さい。 貴女の描くイデアの園に、貴女自身の姿があったかどうか」 「ちょ、ちょっと待ってって! いきなり出てきて、「WINGSを恨んでないか?」って何!? アタシがそんな事考える訳無いでしょうが!」 夏燐がシキの手を振り払うと同時、二人の手から離れたカードがゆらゆらと宙を舞うようにしながら地面へ落ちた。シキは、それでも表情一つ変えることないまま、 「カリンさん……貴女は、私と表裏一体とも言うべき運命共同体なんです。 貴女が歩んできたのは、冷たい鉄製のレール。 未知満ちた道ではない」 「だから……さっきからずっと何言ってんのさ! あんまりしつこいと帰るかんね!」 まぁ、帰り方分かんないけど……と、小声でボソッと呟く夏燐。実際、この歪な暗闇空間が何なのかという手掛かりを、彼女はまだ何一つ得られていなかった。心の奥にうっすらと焦りを募らせながら、夏燐は鋭い目付きでシキと対峙する。 しばらくして、シキが小さくため息を漏らした。 「……昔話をしましょう」 フッ……と、シキの姿が消えた。夏燐がギョッとしたのも束の間、シキは夏燐の背後にいきなり姿を現し、囁くような細い声で、 「今から40年ほど昔のお話。 ある学校に、WINGSという五人組のアイドルグループが居ました」 「40年前……それって、ひょっとして初代の……」 「巷でアイドルが流行していることを受け、「私たちも歌で学校や町を元気にしよう!」と結成されたそのアイドル達は、躍進的にその名を広め、学校を……いや、町を沸かせる程の人気グループへと成長しました」 そこで言葉が途切れた。……かと思いきや、今度は夏燐の斜め上方向から声が聞こえた。まるでコウモリのように体を重力に逆らわせながら、シキはなおも続ける。 「彼女らは五人グループでしたが、決して五人だけで活動をしていた訳ではありません。 彼女らの活動を裏で支えるビショップ……即ち、ショウトさんのような存在がいたのです」 「……」 「そして、彼女らに甘く淡い憧れを抱き、そこに足を踏み入れようとした憐れなポーン。 彼女は愚かにも、自らをクイーンへと昇格させようとした。 曲を書いたり、詞を作ったりして……少しずつ、彼女らに近づこうとしたのです」 「それって……」 「……でも、それは叶わぬ願いでした」 シキは、再びフッとその場から姿を消した。暗闇に彼女の姿は紛れ、声だけが朧気に夏燐の耳へと響く。 「……彼女は弱い存在でした。 歌はおろか、とてもステージに立って駆け回れるような体力は持ち合わせていない。 WINGSの五人はそれをよく知っていて……敢えて、彼女を遠ざけようと努めたのです」 夏燐の口から、震えた吐息が漏れる。彼女の淡々とした語り口とはミスマッチな、重い内容。夏燐はその物語の先を、暗に想像していた。考えたくないと心の中では思いながらも、自然と、嫌なイメージを膨らませてしまうのだ。 「たった一人……WINGSのサポートをしていたビショップだけは、彼女のそんな事情を知らずにいた。彼女が部室を訪れた時、彼だけは……その子を笑顔で迎え入れてくれた。……彼女がWINGSに入りたいと願いつつ、それが不可能だということに悩んでいるなど露知らず……」 夏燐は、翔登とつぐみがWINGSのメンバーを五人そろえた時のことを思い出していた。あの時、自分はWINGSの活動開始を心から喜んでいただろうか……? 或いは、もしかすると……心の奥底では、その子のように…… 「……彼女たちは、一本の鎖で吊るされた丸い板のように、危うくて不安定なバランスの元で成り立っていました。 もし一歩でも足を踏み出せば、それは死地に足を踏み入れることと同じ。 そんなグラグラと揺れる足場に、彼女は……私は、愚かにも踏み入ってしまったのです」 「"私"って……じゃあ、やっぱりアンタは…………!」 「結果、バランスは崩壊した。 WINGSの絆は揺らぎ、輪は乱れ、活動は一時的にストップしました。 ……私という因子が、歯車に詰まった小さな小石のように、WINGSの機動を止めたのです」 暗闇の中、夏燐は苦い顔で目を伏せた。言葉は相変わらず分かりにくいけど、その少女が……即ち、シキが引き起こした悲劇については、何となく理解できた。 彼女は、WINGSに入りたかった。入ろうとしたのだ。 しかし、彼女は病弱なせいで上手く活動が出来なかったどころか、よそ者が入ったことでWINGSの関係はギクシャクした。彼女が病弱であることを知っていたメンバーと、知らなかったプロデューサー。その対立は必須だろう。彼女はきっと、それを負い目に感じながら、同時に恨んでいたのではないだろうか。 「……あれから、40年もの月日が経ちました」 ホログラムの映像のように、夏燐の目の前でシキが像を結んでいく。夏燐はもう、常識で目の前のことやシキの話を処理しようとするのを止めていた。 多分、これは夢。加えて、さっきまでのシキの話が事実なのだとしたら、それはつまり……。 (この子は、とうの昔に死んでる……) 夏燐が顔をしかめると、その顔を覗き込もうとするように、シキが距離を詰めてきた。その肌は透き通るように白く、その瞳は不気味なほど澄んでいた。 「私の中にあった時遠渡の力は、もう既に弱まりかけています。 謂わば、私は呪いという核によって生かされているだけの人形(マリオネット)。 何を呪っていたのかさえ忘れていながら、それでも尚、"呪い"に突き動かされている……。このままでは、呪いそのものの力が不安定さに歪み、超新星爆発の如く形を変えかねません。 ……だからこそ、新たな"器"が欲しいのです」 「新たな、器……」 「━━━━貴女のことですよ、カリンさん」 不意に耳元で響いたその声に対し、夏燐は思わず恐怖した。気がついた時には、シキの姿は彼女の前から消えている。こんな空間にずっと居させられたら、気が変になる……と、夏燐は直感的にそう感じていた。 「貴女は、WINGSに最も近く、しかしWINGSではない。 ……私と同じなんです。 即ち、時遠渡の核を担うに足る存在であるということ」 「違う……アタシは、アンタなんかとは……っ」   「虚勢を張る必要はありません。 ……時遠渡の力は、貴女を歓迎しているのですから」 囁くようなその声は、しかし、夏燐の頭の中でガンガンと反芻する煩わしいノイズへと変えられる。まるで悪夢か幻聴のように、シキの言葉は夏燐の脳を……いや、精神を蝕んでいった。 「さぁ、答えを出して下さい。 貴女は、次の『時遠渡』として、WINGSという忌まわしき存在に鉄槌を下す存在となる。 ……貴女のイデアに秘められたその感情を、呼び覚ますのです」 「私、は━━━━」 もう既に、夏燐の目は虚ろだった。 自分が今どこを向いているのか、どのようにして立っているのか……そういった感覚さえもが、徐々に失われつつあった。心が、思考が、自分の大切にしていたものが薄れてゆく。精神を綻ばせてゆく夏燐のその姿を、シキはただ澄みきった瞳でじっと見つめていた。 まるで、罠にかかった獲物が力尽きるのを待つように。 まるで、原型を失くした蝋燭の上で揺れる、小さな炎が消えるのを待つように。40年という遠い時を渡り訪れた異端者は、ゆっくりと、壊れゆく夏燐の方へと手を伸ばす━━━━ ~~~ 「首を吊って、って……!?」 つぐみと、音色と、絵美里の三人は、思いがけない話の展開に、口を覆って悲鳴を押し殺していた。詩葉や舞といった他の面子も、流石に驚きを隠せない様子だった。そんな彼女らの様子を冷めた瞳で一瞥しながら、校長は話を続ける。 「ひばりは、私と共にWINGSの活動をサポートしてくれていたんだ。 自分で作った詞を提供してくれたり、占いで曲や衣装のコンセプトを決めてくれたり……。 皆と仲良く、良好な関係を築けていると、当時の私はそう思っていた」   校長は、そこで一度顔をしかめて俯いた。 「しかし、それは大きな間違いだった。 彼女は、本当はWINGSの一員になりたかったのだ。 が、身体が弱いことを理由にそれは不可能と判断され、彼女はWINGSのメンバーと何度も揉めていたんだよ。 ……私の、与り知らない所でね」 「校長先生は、その……ひばりさんの気持ちには、気づけなかったんですか……?」 「気づいていたら、彼女にあんな末路を辿らせたりなどしなかったッ!!」 声を張り上げる校長。力が込もっていながらも、その叫びは、どこか物悲しさを帯びているようだった。 「……だからこそ、今でも後悔しているんだ。 もっと早く、あの子の気持ちに気づいてやれていたら、もっと出来ることがあった筈なのに……とね」 校長の懺悔に、俺たちは最早かける言葉すら失ってただ立ち尽くすことしか出来なくなっていた。 首を吊って自ら命を絶ったという、『時遠渡』の呪いの根源……志岐ひばり。彼女のその決断には、きっと並々ならぬ苦悩と覚悟があったのだろう。WINGSに入りたくて、でも入れなくて……。WINGSの皆と仲良くしたくて、でもその為には、自らの夢に蓋をしなければならなくて……。そうした葛藤を繰り返した挙げ句、彼女は、WINGSの残像すら食い潰す"呪い"と化してしまったのだ。 「40年前のWINGSは、卒業式の前日、皆が不可解な死を遂げて亡くなっている。 私は、それこそが彼女の……ひばりの呪いだったのだと確信しているんだよ。 そして、ひばりに呪い殺された五人は、新たな呪いと化してこの学校に巣食う存在となった。同時に、ひばりの呪いはそれら『聖唱姫の呪い』の後を追うようにして悲劇を繰り返していった。……全ては、ひばりの死から始まったんだよ」 志岐ひばりの死。それは、俺が持つ『零浄化』の力によって『時遠渡』を浄化するという最後の希望が、物理的に不可能だということ。つぐみ達にかかっている『聖唱姫の呪い』みたいに、呪いの拠り所となる人物が居る訳ではなく、ただ純粋に"呪い"であるということだ。 つまり、『零浄化』の力を使おうにも、誰にどう力を使えば良いのか分からない以上、手の打ちようがない訳だ。そういう意味で、校長は「『時遠渡』を浄化することは不可能だ」と断言したのだろう。 皆の顔が曇る。志岐ひばりの死というショックと、『時遠渡』への対抗策が潰されたことの二つが、皆の希望を奪ってしまったからだ。 ……でも。 そんな中で俺は、ただ一人。 違うことを考えていた。 「━━━━会ったこと、あるかもしれない」 「……え?」 ボソリと呟いたその声に、つぐみ達が反応した。重いため息をつきながら顔を背けていた校長も、俺の言葉に一瞬だけ小さく反応を示した。 「その、志岐ひばりって人。 髪が白くて、色白で、占いが……タロットカードの占いとか、得意ですよね……?」 「あぁ、そうだ。 ……ん?」 校長が顔を上げた。何かに気づいた様子だった。 「何故、君が彼女の……タロットカードのことを知っている……?」 ……やっぱり、そうだ。 俺は、あの子と━━━━志岐ひばりと会っている。しかも、何度も。 どこからともなく現れて、変な言葉を残して去っていく。謎のタロットカードで以て、俺に数々のヒントを与えてくれていた彼女の正体は……志岐ひばりだったのだ。 俺以外の皆の様子から察するに、彼女と顔を合わせたことがあるのは俺だけらしい。……いや、校長の話を信じるならば、あれは志岐ひばりの幽霊だと考えるのが妥当だろう。"呪い"が当たり前に存在する以上、幽霊が彷徨っていることだって、最早不思議ではない筈だ。 だとしたら……。 ……もし、あの幽霊が『時遠渡』の本体なのだとしたら。   「……まだ、希望はある」    えっ……!? と、皆が小さくどよめいた。 「翔ちゃん、何か知ってるの?」 「あぁ。 ……実は━━━━」 ━━━━その時だった。 ピロロロロロ……♪ という軽快な電子音が響いた。俺や皆の意識が一斉に音の方向へと吸い寄せられる。その視線の先で、江助があたふたしながらポケットを漁り、スマホを取り出した。全く、こんな時に……とでも言いたげな数名の鋭い視線を受けて縮こまりながら、江助はスマホを片手に校長室を出ようとした。 が、江助はそこでピタリと足を止めると、着信が鳴り続けるスマホを俺たちの方に向けて、 「……篠田からだ」 「え……?」 思わず、俺たちは顔を見合わせた。夏燐は、一昨日から高熱を出して学校を休んでいる。つぐみ曰く、今朝もまだ熱は引いていなかったらしい。それぐらい、彼女は満身創痍な状態の筈だったのだ。 「……」 夏燐が自ら電話をかけてくるのは、大事な用事がある時だけだ。俺は少し迷いながらも……江助にスマホを渡して貰い、電話に出た。 「……もしもし」 『おっ、江助……じゃなくて、翔登? やっほー、元気?』 「こっちの台詞だ馬鹿。 ……てか、本当に大丈夫なのか?」 夏燐の声は、受話器越しにも分かる程生気がなくなっていた。多分、熱はまだ下がっていないだろう。 『平気平気。 それよりさ、ちょっと伝えときたい事があって。 ……頭も痛いから手短に済ますけど』 チラ、と横目で校長の顔を見る。彼は、あからさまに苛立った様子だったが、こちらと目が合わないようにそっぽを向いて黙ってくれていた。 「……で、用件は?」 『うん、あのね━━━━さっき、志岐ひばりって人と出会ったのよ。 夢ん中で』 「━━━━っ!?」 息を飲んだ。受話器に耳を寄せるように俺の近くに居たメンバー達も、"志岐ひばり"という名前が聞こえた瞬間、驚いて目を見開いていた。 『前に翔登が言ってた『時遠渡』って呪い……アレ、多分その子の呪いだと思う。 その子、昔のWINGSと因縁あったみたいでさ』 「……今ちょうど、校長室でその話してた所だよ」 『あ、本当? んじゃあ話が早いね……ゴホッ、ゴホッ!!』 苦しそうに咳き込む夏燐。俺たちは、彼女の次の言葉をじっと待っていた。 『……あー、それでね? アタシ、その子に勧誘されたのよ。 『時遠渡』の次の拠り所にならないかー、みたいな。 まぁ断ったけど』 「はぁっ!? お前、いつの間にそんな重要そうな話進めて……」 『志岐ちゃん、アタシがWINGSのこと心の奥底で恨んでんじゃないかって思ってたみたいなのよ。 ……でも、アタシはハッキリ言ったの。 『アタシは違う。 皆のサポート役として側に居て……それで、自分の居場所が無いなんて考えたりしたことは一度も無い』ってね』 「かりりん……」 声は弱々しかったものの、夏燐のその言葉には、確固たる意志があるように感じた。 そうか……夏燐は、WINGSのサポート役をやれて、幸せだったんだな。それを知ることが出来て、俺は肩の力が抜けたというか、どことなく安心したような気持ちになった。……きっと、その感覚はつぐみ達も抱いていることだろう。 『それでね……アタシが断った後、志岐ちゃんは諦めて帰っていった訳。 『ならば仕方ありません……やはり、私自身の手で終焉をもたらさなければ』とか何とか言いながらね。そこで目が覚めて、今に至るんだけど……ゴホッ、ゴホッ……』 「終焉を……」 恐らく、志岐ひばりは止まらない。夏燐を引き込むことに失敗した彼女は、今まで通りのやり方で、つぐみ達を呪い殺すつもりなのだろう。夏燐に最後のメッセージを残して彼女は……いや、『時遠渡』は、本格的にその力を振るってくる。 …………絶対に、何とかしなければ。 『……翔登』 「ん……?」 伝えるべきことを伝えきってから、夏燐は小さく俺の名を呼んだ。もう、声を発することすら苦しいだろうに。俺は、夏燐の遺言を聞くかのような気持ちで、彼女の声に耳を傾けた。 『……アンタの言った通りだったね。『時遠渡』って呪いが本当に存在するなんてさ』 「あぁ。 ……でも、夏燐が電話くれたおかげで、活路は見えた。 絶対に……最悪の終焉なんて迎えさせない」 『うん……お願いね』 その言葉を最後に、夏燐からの声は途切れた。電話が切られたのだ。 無言のまま、スマホを江助に返す。皆が注視する中で俺は、ゆっくりと身体を反転させて、再び校長の方へと向き直った。 「……志岐ひばりは、まだこの学校を徘徊しています」 「……馬鹿を言え。 夢に出てきた? 目の前に現れた? ……そんなデタラメを私が信じると思っているのか!」 「本当ですっ!!」 俺と校長の議論は、どこまでも平行線だった。 俺は、志岐ひばりの霊が実在すると信じている。そして、彼女と再び接触することが、災厄を免れる鍵であると確信している。 ……けれど、校長はその事実を真っ向から否定した。まるで目を背けるかのように……"志岐ひばり"という存在そのものから逃げるように、彼は俺たちの言葉を拒み続けた。   「……俺たち、卒業式の前日にラストライブを行うつもりなんです」 「っ……」 校長の肩が微かに震えた。俺は、皆の顔を一度ぐるりと見回してから、再び校長に向かって続ける。 「生徒会も、顧問の先生も、卒業生も在校生も……皆が協賛してくれてます。 だから、何があっても俺たちはライブをやり遂げるつもりです」 「……それが、君たちの死に場所になるのだとしても、か?」 「死なせない。 絶対に」 キッパリと、強い口調でそう言い切った。 自然と、つぐみ達の表情も引き締まっている。校長と話して、呪いのことがほとんど全て明らかになって……それで、彼女達の決意もより一層固められたのであろう。実際にステージに立つのは俺じゃなく、彼女達なのだから。 「校長先生……先生も、私たちのライブ観に来て下さい」 「……何?」 ギロリ、と校長の怖い目が向けられる。それでも、つぐみは怯まずに続けた。 「アイドルは、皆に夢と希望を与える存在です。 だから、私たちは呪いの為じゃなく、死にたくないからでもなく……校長先生も含めた、皆の笑顔のためにパフォーマンスをします」 力強くそう言い放つつぐみの手を、誰かがギュッと掴んだ。詩葉だった。 「校長先生……貴方は、過去に囚われ続けている。 ……それでは、いつまで経っても前に進むことなんて出来ません」   「だからこそ……私たちの歌で救いたいです。 先生のことも、志岐さんのことも」 詩葉に続くようにして、音色が言った。彼女の慈愛に満ちた笑顔は、校長先生すらをも優しく受け入れようとしていた。 「……WINGSの卒業式前日ライブは、文字通り40年ぶり。 つまり、校長や志岐氏にとっては2度目のライブだということ」 決然と語る舞のその言葉を、うんうんと頷きながら聞いていた絵美里が、彼女に続く。 「きっとこのライブは……校長先生や志岐さんの心に、何かを残してくれる筈です。 ただ災厄に怯えるんじゃなくて、少しでも希望を抱ける道があるのなら、私たちはそれに賭けたいんですっ!」   『時遠渡』は……いや、志岐ひばりは、必ずライブ会場に訪れる。計画通りに淡々とつぐみ達を呪い殺しに来るのか、WINGSのライブを忌々しい気持ちで以て見に来るのか、それは分からない。 ……ただ、今までこのような形で『時遠渡』に働きかけようとした代は居ない筈だ。どのような形であれ、会場に志岐ひばりの魂が訪れてくれたならば、そこに活路はある。 「……夢物語だ、そんなもの」 吐いて捨てるかのような物言いで、校長は俺たちの希望を一蹴した。 ……けど、俺たちの心はもう折れない。 たとえ、校長自身が希望を信じていなかったとしても。「無理だ」と頭ごなしに否定されたとしても。   「それでも、俺たちは絶対に諦めない……! タイムリミットの最後まで、足掻いて、足掻いて、足掻き続けてみせる……!!」 忌々しそうな瞳で俺たちを睨む校長の視線と、決然とした真っ直ぐな瞳で校長を見る俺たちの視線とが対峙する。 誰一人、自分の主張を譲ろうとする者は居なかった。それぞれが、それぞれの信念を胸にその場に立っている。もう後には引けない……それを確かめるかの如く、しんとした中で向き合う俺たち。 最後のカウントダウンが始まらんとばかりに、完全下校時刻を告げるチャイムが鳴り響いた。 ~~~   ……そして、あっという間に月日は流れた。 気がつけば、もうライブ本番。ライブの為の準備期間とか、パフォーマンスの練習とか、実際にやってる時には長く感じていた時間も、今となっては刹那的に思えてしまう。 (これが、最後のライブ……) それは、俺たちが明日この学校を卒業してしまうということ。 そして、WINGSとしての……アイドル研究部としての活動も終わってしまうということだ。 寂しい気持ちもある。もっと皆と笑っていたかった気持ちもある。……ただ、今はそれ以上に━━━━ (━━━━皆で一緒に、有終の美を飾るんだ……!) 『終わり』という言葉を、"彼女たちの死"にはさせない。そのために、俺は皆をステージに立たせるって決めたんだ!   「予定していた分の観客の入場、完了したわ。 周辺の警備も含め、後は生徒会に任せなさい!」 「えっと……ステージの準備も、整いましたっ!」 「フヒッ……曲の準備もオーケー……」 夏燐と江助が不在な中、生徒会をはじめとした面々が裏方をサポートしてくれている。ありがとう、の意を込めて俺が大きく頷くと、それを合図と受け取ってか、皆が一斉に動き出した。この様子なら、ライブの進行については心配無用だろう。 ……つぐみ達は、もうステージ上にスタンバイしている。予定していたライブ開始時刻も、もう目前だ。   よし……! と俺が改めて気合いを入れようとした、まさにその時、ブルルルッとズボンのポケットが振動した。ハッとして、スマホを取り出し画面を見る。江助からの電話だった。 「もしもしっ! どうだ、校長先生見つかったか?」 『いや、まぁ……明菜が協力してくれたお蔭でなんとか目星はついた。 ……ただ、やっぱ学園内には居ないっぽくてさ。 今、錦野先生に車出して貰うことになったんだ』 「そうか……。 こっちはもうライブ始まっちまうからさ。 ……無理は承知だけど、早めに頼む」 『オッケー! 絶対見つけて、引き摺ってでも連れて来させるから!』 プツン、と電話が切れる。アイツ、錦野先生と松本の厄介コンビに板挟みになって大丈夫か……なんて余計な心配もしつつ、改めてステージ側へと目を向ける。 校長はこの日、学園にすら訪れていなかった。理由は明白……このライブに足を運びたくなかったからだろう。 でも、それじゃ困る。『時遠渡』に……志岐ひばりの呪いに終止符を打つためにも、校長には立ち会って貰わねば困るのだ。 ひとまず、校長のことは任せるとして、俺はステージの方に集中しないと。そう思い、奥にいる欅さんに合図を送った。 観客席が徐々に暗くなり、おぉっ……!という声が上がる。そして、会場全体が真っ暗になったタイミングで、デカいスポットライトの束が、ステージ上を目映く照らし出す。   ━━━━ちょうど、その時だった。   「翔、登…………」 掠れた声が、懸命に俺の声を呼んでいた。一瞬でもタイミングがずれていれば、その声は歓声に掻き消されていたかもしれない。奇跡的な瞬間に俺が振り向くと、そこには、ライブ成功の鍵を握るもう一人の最重要人物が立っていた。 「夏燐…………」 ~~~ 『━━━━皆さん、こんにちは! 私たち……』 『『『『『WINGSですっ!』』』』』 ワアアアァァ!!! と、熱狂的な歓声が沸き起こる。 ステージの上に立つつぐみ達は、きらびやかで清楚な白い衣装に身を包み、両手でギュッとマイクを握りしめていた。 『今日は、私たちのラストライブ……卒業式前日特別ライブに来ていただき、本っ当にありがとうございます!』 『私たちはこの日の為に、ずっと頑張ってきました。 WINGSの集大成を魅せるべく……二時間弱に渡る規模のライブを計画し、練習や準備を進めてきました』 『今日のこのライブを最後に、私たちはFine……解散することになります。 ……だけどっ!』   『悲しまないで欲しい。 ……私たちは、観に来てくれた人たちを笑顔にするためにここに立っているから』 『ですから、今日のこのライブも! 皆さんに最後まで楽しんでいって貰えるように……精一杯頑張ります!』 観客から、拍手と歓声が惜しみ無く届けられる。全校集会以上の規模で人々が集まった体育館は、まさに小さなコンサートホールのようであった。   『ライブを始める前に……皆さんに、聞いて欲しいことがあります!』 拍手が鳴り止み始めた頃、意を決したかのようにつぐみが声を張った。何だ何だ? とザワつく観客たちに対し、つぐみは語りかけるかのような口調で、 『……もう知ってるって人も居るかもしれないけど……実は、私たち五人は皆、『聖唱姫の呪い』っていうのにかかっています。 そのせいで、今まで苦しんできたこともあったし、それに……もしかしたら今日、私たちは死んじゃうかもしれないんです」 えぇっ!? と、ザワつく観客たち。『業奉糸(ゴーフォーイット)』の一件があった時から、生徒らの間で『呪い』というものが存在するらしいという噂自体は広まっていた。しかし、その実態を詳しく知らなかった彼らには、つぐみの発した"死んじゃうかもしれない"という言葉がとてつもなく重く響いた。 『……でも』 そんな観客らの不安を優しく拭い去るかのように、つぐみは穏やかな声で続ける。 『私たちを裏で支えてくれた仲間や、皆の応援があったから、私たちは最後まで希望を捨てずにやって来れた。 皆の想いは、呪いなんかに負けないくらい強くて、温かくて、そして……輝いてた!』 つぐみ達の衣装が、スポットライトの光を浴びてキラキラと揺れていた。その輝きが、つぐみ達の浮かべる笑顔の煌めきと相まって、観客たちの描く"呪い"という暗いワードのイメージを掻き消していく。 『皆がWINGSを愛してくれる限り、私たちは呪いに負けたりなんてしません! 皆の応援が、力をくれるから! だから! 今日は最後まで、私たちと一緒に楽しんでねっ!♪』   ワアアアァァ!!! と、歓声が響いた。ライトが一旦消え、配置に着くつぐみ達。『ミラアイ』という大きな舞台をも経験した彼女たちのパフォーマンスに、観客らは大きな期待を寄せていた。そんな期待に答えるべく、WINGSが用意した一曲目。それは、彼女たちにとっても思い出深い、あの曲━━━━     『……それでは聴いて下さい! 『未体験☆景色』』 オオオォォ!! と、声が沸く。電子音が混じった軽快なメロディが響くと同時に、皆がそれぞれ笑顔でステージ上を舞っていく。観客は、全身が奮い立つような気持ちにさせられていた。まるで夢の景色を見ているかのような心地が、観客一人ひとりの中で沸き起こっていたのだ。   『Blue~sky 雨、上がりキミと~進む道~♪』   『心地いい風 受けて変わる 空と心の表情(カラー)~♪』   『ケンカしても 泣きながら歩いても~♪』   『最後にはギュッと 手を繋いで また戻ってくる~♪』 五色のライトが、五人の動きに合わせて交差する。虹の上に立っているかのような演出に、観客たちは声援を送りながら静かに感動を覚えていた。 『雲が晴れたら~……キミと眺めてたい景色が~♪』   『頭の中~ (色鮮やかに~) 彩ってくんだ~♪』   『昂る鼓動に♪ 思いを馳せたら♪』   『キミと見る今、この景色~ 共に歩いていこう~♪』   メロディが転調する。観客たちの盛り上がりもMAXに達した。冬の名残とも言うべき3月の肌寒さを全く感じさせない程に、会場のボルテージは熱く高まっていた。 『『『『『さぁ! Let's go! Let's go! 太陽ッ! 浴びて、輝くのmy heart!♪』』』』』   『『トキメキとsmile 焼き付けて見つけるfuture~♪』』 『『『『『Yes! Let's sing! Let's dance! 見たいよッ! キミと 未体験fantasia!♪』』』』』   『『いつか見た景色へ キミと手を握り行こう、きっと……♪』』   コールが、手拍子が、サイリウムの波が、一つになった観客たちの心と呼応するかのように一体のリズムを刻んでいる。いや、観客だけじゃない。今ステージをきらびやかに駆け巡っているつぐみ達五人の心も、曲を通じて、観客たちと繋がっていた。歌とパフォーマンスが、皆を一つにする。それを体現するかのようなステージだった。 『皆~ッ! 最後までついてきてね~ッ!♪』 つぐみのコールに、歓声が沸き起こる。ステージは、まだまだ始まったばかりだ。      つづく
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