━━━彼女らの歌声は、その場に居た者全員の心を震わせた。
彼女らのパフォーマンスは、見ていた人みんなの胸を熱くした。
……そう、彼女らは『伝説』として語り継がれるに値する存在だった。 だからこそ、誰もが彼女たちの卒業を拒んだ。
━━━『WINGS』は永遠に不滅だと、皆そう願ったのだ。
~~~
第一章『笑顔と涙の聖恋歌』
俺━━━秋内 翔登(あきうち しょうと)に、これといった個性は無い。体力も勉学も人並み、クラスでは目立たない陰気キャラ。部活も帰宅部と、ビックリするほど特徴のない人間なのである。
聖歌学園高校という、町では名門とされている高校に通う俺も、とうとう今学期から二年生になってしまった。志望大学とか、やりたい事とか、そういうのを見つけていかなきゃいけない年頃だ。
「はぁ……」
ため息をつく。正直、やりたい事などない。毎日を平凡に過ごしてきた俺にとって、『自由』はただの重荷だった。赤い車が、俺を嘲るかのようにスルリと横を通り抜けていく。
「翔ちゃ~んっ!」
と、背後から俺の古いあだ名を呼ぶ声がした。特に振り向かず足を止めると、俺の昔からの幼馴染━━━和田辺 つぐみ(わたなべ つぐみ)が、短い髪を揺らしながら俺の肩をガシッと捕まえてきた。彼女の所属するソフト部は、まだ練習中のはずだが……
「……お前部活は?」
「うん? 今日は軽メニューだったからもう終わったよー」
にししっ、と愉快そうに笑うつぐみ。俺はため息を一つつき、頭をポリポリと掻きながら、一緒に帰ろうと訴えかける視線に根負けして、肩を並べてつぐみと一緒に帰ることにした。
「……そうだ! せっかくだし、ちょっと駅前の喫茶店とか寄っていかない? あ、隣のカラオケもアリかもっ!」
突然すぎる提案。つぐみの自由気ままに、俺は昔から振り回されていた。
さて、どうしたものか……
「ごめん、今日はパス……」
提案を断る。理由は……今日は気分が乗らないから、だ。つぐみは一瞬驚いたような声を出して、
「何でよ、ノリ悪いなー! ……いいけどさー」
不満そうにしつつ、「いいもん! じゃあ、私一人で行くねー」と一言残し、つぐみは俺を追い越して行ってしまった。
悪い事したかな……。彼女の背中を眺めつつ、ふと考える。でも、俺たちはもう高校生だ。昔みたいな関係のままとはいかない。そう自分に言い聞かせ、俺は歩き出した。
~~~
翌日。聖歌高の1限はいつも通り音楽から始まった。授業中、隣の席に座る親友、春馬 江助(はるま こうすけ)が話しかけてきた。
「なぁ翔登、この学校の都市伝説って知ってるか?」
「都市伝説……?」
「昼休みにオカルト研のとこに行く予定なんだ。翔登も一緒に来いよ!」
面倒だから嫌だ。と断ろうとしたが、江助に押し負けてしまい、結局、昼休みにオカルト研の部室へと半ば強引に連れていかれる事になってしまった。
「よっ、待ってたぞー! ……ありゃ、翔登も一緒に来たの?」
そこには、つぐみと同じソフト部で、彼女の親友である篠田 夏燐(しのだ かりん)がいた。茶髪でボーイッシュな彼女は、今日もシャツを第二ボタンまで開けている。
「夏燐も居るのか……お前がつぐみと一緒に居ないって珍しいな」
「用事あるんだってさ。 まぁ仕方ない」
それよりも……と意味深な前フリの後、夏燐が説明を始めた。
「今日来て貰ったのは他でもない。 実は、この学園には知られざる秘密……そう、都市伝説があるって聞いたのよ。 んで、その真相を突き止めるべく、オカルト研の友達に話を聞きに来たって訳」
説明を終え、軽く咳払いをする夏燐。俺と江助が生返事を返す。それを見てニカッと笑うや否や、夏燐は突然、オカルト研の部室の扉をバンッ、と開け放ち、
「たのもーっ! 連絡いれてた篠田でーす!」
「ひっ!?」
室内にいた女の子が、小さく悲鳴をあげた。
「驚かしてどうすんだ……」
「あっはは、ゴメンゴメン♪」
室内は、オカルト研というだけあり、暗く不気味な様相だった。魔方陣っぽいものが描かれた円卓の傍にちょこんと座る、さっきの女の子。おさげに丸眼鏡という地味な見た目で、いかにも文学少女っぽかった。
「この子がさっき言ってた私のクラスメイト、櫻井 絵美里(さくらい えみり)ちゃん」
「は……初めまして」
緊張した様子でペコリと頭を下げる絵美里さん。よろしく、と軽く挨拶を交わしてから、江助が本題を切り出す。
「で、この学校の都市伝説ってのは……」
「都市伝説っ!? 今都市伝説って言いました!? 実は私、丁度それについて調べてた所なんです! ええ、それはこの学校に古くから伝わる伝説と呼ばれていまして、いわば聖歌高の七不思議! それは未知の領域の……」
……前言撤回。 ただのオカルトヲタクだったようだ。
「ちょっと、落ち着いて……」
「ハッ!? ……す、すみません取り乱しました……」
我にかえり、赤面する絵美里さん。取り乱し過ぎだろ……。 苦笑交じりに夏燐が前に出て、
「さ、気を取り直して。 絵美里ちゃん、平和ボケしたこいつらに、この学校に伝わる恐怖の伝説を教えてあげて!」
別に平和ボケなんてしてないけど、まぁ良いか……。コホン、と咳払いをして、絵美里さんがゆっくりと口を開く。
「これは、今から40年前の話です。 我が聖歌学園高校の目玉イベント━━━聖歌祭のステージイベントにて、生徒主体のあるアイドルグループが誕生したのです……。
そのグループの名は、WINGS(ウイングス)。彼女達は、学園に革命をもたらすほどの大人気を博しました。それまで宗教じみた聖歌にしか触れてこなかった生徒らにとって、アイドルという存在はとても珍しいものだったのでしょう。彼女らは、"人の心を動かす"存在になったのです」
ここまでは、全然都市伝説っぽく無いな。と考えながら聞いていると、突然、絵美里さんの声音が変わった。
「……しかし、そんな彼女たちに悲劇が起きました。WINGSは5人グループなのですが、彼女らがこの聖歌学園高校を卒業する直前……そう、卒業式の前日の事です」
「……彼女たち5人は、不慮の事故によって亡くなってしまったのです」
「えっ……」
俺と江助は、思わず顔を見合わせた。人気のアイドル達が成し遂げた伝説集、なんてオチかと踏んでいた俺にとっては、まさか過ぎる展開だった。絵美里さんは、重々しい様子のまま話を続ける。
「事故死という事になっていますが、実際のところは今もよく分かっていません。『卒業と共に解散』となっていたWINGSを卒業させない事で永遠のものにしよう、と考えたファンによって殺害されたなどの噂もあります。……どちらにせよ、それは聖歌高に起きた悲劇として語り継がれる事になりました」
絵美里さんは続ける。
「……けれど、悲劇はそれで終わりませんでした。無念の死を遂げ、聖歌高を卒業できなくなったWINGSのメンバー5人が、悪霊となってこの学園をさまよっているのです」
「それが、聖歌高の都市伝説……『聖唱姫の呪い』の正体、って訳ね」
夏燐が口を挟む。呪いって……?
「『聖唱姫の呪い』……学園内をさまようWINGSの悪霊らによってもたらされる呪いです。数年に一度、悪霊に見入られた女子生徒に、かつて"伝説"と称された彼女らにちなんだ特殊な能力が授けられるのです」
「マジかよ!? 超能力者になれるって事じゃん! スゲー!」
興奮する江助と対称的に、絵美里さんは暗い面持ちのままだった。
「……確かに、それだけなら呪いでなく恩恵ですが、呪いには代償があります」
ごくり、と息を飲む音が聞こえそうな程の静寂の中、
「彼女らに見入られた生徒は━━━卒業式前日に、命を奪われるんです」
「うわぁ……」
思わず声が漏れる。確かに、ここまで来れば立派な呪いだ。特別な力と引き換えに、その後の人生を奪われるなんて……
「名前は聞いてたけど、随分悪質な呪いだねぇ。 つまり、私たちの代の中にも、実は呪いにかかってる奴がいるかもしれない、って訳だ」
不謹慎な夏燐の冗談にため息をつく。もう少し話を聞きたかったのだが、時間の都合で、今回の調査はそこでお開きになった。……というか、絵美里さんに話を聞いただけだけど。
しかし、この学校に"呪い"なんてものがあるとは知らなかった。ただの噂話だろうけど、まぁ、気には留めておこう。
~~~
放課後。俺はいつものごとく、とぼとぼと帰路についていた。暗い路地を抜けながら、昼に聞いた呪いについて色々と思案にふけっていると、
━━━ガシッ!
突然、腕を掴まれた。驚いて目を丸くする俺。その丸くした目には、俺の腕を掴んでグイグイと引っぱるつぐみの姿が映っていた。
「ちょっ、つぐみ!? どうしたんだよ急に!?」
「どーした、じゃないよ! 昨日は私からのお誘いを華麗に振ってくれちゃって。 今日こそは付き合って貰うからねー!」
有無を言わさず、ずいずいと俺を引っ張っていくつぐみ。どうする事もできず、俺はまた小さくため息をついた。
「おぉ、内装すっごいオシャレ! やっぱりこの喫茶店来て正解だったねー」
「……あの」
「メニューも豊富だ! タピオカドリンクに、カフェラテも! どれにしよう……」
「……なぁ」
「あ、席空いたみたい! 翔ちゃん早く早くー!」
「おいっ!」
思わず声を荒らげてしまった。
まわりにいた客の視線がどっと俺たちに注がれる。俺は慌てて、キョトンとしているつぐみの手を引いてそそくさと席に移動する。そして、席に腰をおろし、コホンと咳払いをしてから、改めてつぐみを問い質した。
「……一体どういうつもりなんだ?」
「ん、何が?」
「何が? じゃなくて……。 無理矢理引っ張ってきたかと思えば、急に喫茶店に連れ込んで……どういうつもりだ?」
「ふん、私からの誘いを断る翔ちゃんが悪いんだよー。……あ、すいませーん!アサイードリンクと、オレンジジュースお願いしまーす!」
「勝手に決めんなっての……」
はぁ、と盛大なため息を吐きつつ、不本意ながら運ばれてきたオレンジジュースをグビグヒ飲んでいると、
「……あのね、翔ちゃん。 実はさ、ちょっと翔ちゃんに聞きたいことがあるのよ」
「……それが俺を喫茶店に連れ込んだ本当の理由?」
つぐみは、恥ずかしそうにしながら頷いた。相談があるのならそう言えば良いのに……と心の中で思うが、まぁ言いにくい話だったりするのかもしれないし、そこは追及しないでおく。
「で、聞きたいことって?」
「うん、あのね……」
つぐみはそこで一度黙りこみ、何故か大きく深呼吸をしてから、意を決したように切り出した。
「もしも……もしもだよ? ……私が、絶対に治らない病気にかかってて、余命が一年とちょっとしかない、って言われたら、どうする……?」
「………………え?」
耳を疑った。手に持っていたふきんがパサッと床に落ちてもなお、俺は動けなかった。つぐみが、不治の病に……?
「病気って……それどういう意味だよ!?」
「あっ……いや、違うの! もしもの話だよ、もしもの話! ほら、病気だったらソフト部に顔出さないし。私はピンピンしてるから心配しないでっ!」
「……」
じゃあ、実際に病気にかかってる訳ではない、って事か。……なんと人騒がせな。
「……で、どうなの? もし私が病気だって聞いたら、翔ちゃんどうする?」
真っ直ぐに俺を見つめて、つぐみが問い質す。 俺は……
「……お前が死ぬまでに、お前が叶えたい望みとか、死ぬまでにやりたい事とかに付き合う、かな……。 俺にできる事っていえば、多分そんぐらいだし……」
腕を組み、俺にしては珍しく真面目な意見を述べる。 一方つぐみは、口をポカンと開け、ただ茫然と俺を見ていた。
「……何?」
「……へっ!? や、何でもないよっ! な、なによ翔ちゃんったらマジになっちゃってぇ~!」
「お前が聞いてきたんだろ……」
ため息をつく俺の向こうで、つぐみは「そっか……翔ちゃん私の事……えへへっ」と、俯いて何やらボソボソと呟いていた。 ……てか、なんでニヤニヤしてるんだろ?
「……じゃあさ、お前がもし病気にかかってたとして、死ぬまでに叶えたいなーって思うこととか、あるのか?」
「叶えたい事かぁ……」
顎に手を置いて、うんうんと唸り出すつぐみ。運ばれてきたオレンジジュースをちびちび飲みながら、俺はつぐみが答えを出すのを待った。
「……私、アイドル活動とかやりたいっ!」
「……は?」
予想を越える回答に、俺は思わず顔をしかめてしまう。何故よりによってアイドルなんだ……? つぐみが本当に病気じゃなくて、ある意味良かったかもしれない。
「翔ちゃん覚えてる? 私が小さい頃、家でよくリサイタル開いてたの」
「……あー」
俺とつぐみがまだ小学生だった頃。歌が大好きだったつぐみは、よく俺を家に呼んで歌を披露していた。つぐみの透き通るような美しい歌声は、この頃からずっと変わっていない。……といっても、最近は全くつぐみの歌声を聞けていないのだが。
「……そっか、お前昔からずっと『アイドルになりたい』って言ってたもんな。まだその夢、変わってないのか?」
「うんっ! 今でも歌うのは大好きだしね。 ……でも」
と、急につぐみの表情が曇った。
「……どうした? 急に深刻そうな顔して……」
いつも笑顔のつぐみらしからぬ表情に、俺は嫌な予感を抱いた。そっと顔を覗き込むと、つぐみは目尻にうっすらと涙を浮かべ、ぎこちない笑顔を浮かべていた。
「あのさ、翔ちゃん……私、もう歌えないかもしれない……」
「えっ……?」
歌えない。確かに彼女はそう言った。しんと張り詰めた空気の中で、俺はしばらく息をすることすら忘れていた。
「それ、どういう事……」
「ごめんね翔ちゃん……隠そうと思ってたんだけど、やっぱり駄目だった……」
つぐみが堪えきれずに、涙を溢したその時だった。
「━━━もうダメ……私、この仕事向いてない……うわああんっ!」
「━━━くそ、試験近いってのに……俺、どうすりゃ良いんだよぉ!」
「━━━ユウくん、あの子と浮気してたなんてひどい……」
「━━━そんな、ペットが急に死ぬなんて……」
「━━━もう無理、死にたい……」
「……え?」
その瞬間、カフェに来店していた客や店員らが、一斉に"泣き出した"。泣いている理由こそバラバラだが、そのタイミングがあまりにも異質だった。カフェは一瞬にして重苦しい空気に包まれる。それはまるで、つぐみの涙に皆が呼応したかのようだった。
何が起きているのかサッパリ理解らない。俺は、すすり泣く声が重なりあう異様な空間に閉じ込められていた。
「━━━っ!?」
その時、俺自身にも異変が生じた。吐き気と、不自然に昂る感情の波。何故だか、自分の中に急に"悲しい"という感情が押し寄せてきたのだ。
(何だこれ、心が、勝手に……!?)
無意識に、胸の前で手をぎゅっと握っていた。頭の中がグチャグチャになり、得体の知れない悲しみに襲われたその時、
「……っ!」
「……お、おい! つぐみ!」
つぐみが、ガタッと大きな音をたてて立ち上がり、逃げるように店を飛び出した。追いかけようと慌てて立ち上がった拍子に、ジュースを盛大に溢してしまった。机から床へと滴るジュースに足を阻まれていると、
「……あれ? 私さっきまで何を……」
「……ん? 僕、どうして泣いてたんだろう……」
カフェにいた人たちが急に泣き止んだ。まるで何事も無かったかのように。泣いていた事自体の記憶が曖昧であるかのように。周りの人たちはしきりに首を傾げていた。
「これって……」
普通じゃない。何か特別な事象が絡んでいる事は容易に想像できた。しかし何が……と考える俺の脳裏に、あの話が浮かんだ。
『聖唱姫の呪い……悪霊に見入られた女子生徒に、かつて"伝説"と称された彼女らにちなんだ特殊な能力が授けられるのです』
(まさか……)
絵美里さんの言葉が頭の中でリピートされる。カフェの人全員が泣き出すなんて事態、呪いの影響であるとしか考えられない。
溢れたジュースも拭かず、ただ呆然と立ち尽くす。俺の隣で「お客様?大丈夫ですか?」としきりに尋ねる店員の声も、今の俺には届かなかった。
呪い。 そんなものが本当にあるのだとしたら……。
つぐみの流した涙が、俺の頭を蝕むかのように脳裏に深く焼きついていた。
~~~
翌日。 いつもより早く登校した俺は、上履きに履き替えるや否や、階段を駆け上がってオカルト研の部室の扉を蹴破った。
「絵美里さんっ!」
「ひゃああっ!?」
部室には、昨日と同じように腰を抜かしてわなわなと震えている櫻井 絵美里さんが居た。
「……聞きたい事があるんだ」
息を切らしながら、簡潔にそう質問する。 絵美里さんは未だに怯えた様子だが、今はそんな事に構っている暇はない。
「あ、あの……どうして私の名前を?」
「どうしてって、そりゃ昨日会ったし……いやそれより、昨日の"呪い"の事で、どうしても聞きたい事があるんだけど……」
キョトン、と絵美里さんは首を傾げている。しかし、呪いの話題という事もあってか、すんなりと話を聞いてくれた。
「分かりました! それで、何について聞きたいんですか?」
「呪いの種類について教えて欲しい」
「種類、ですか……?」
「ああ。 WINGSは5人組なんだよな? なら、5人の悪霊に合わせて5通りの呪いがあるはずだろ?」
「……は、はい。 確かに呪いには5つの伝承が存在します」
「それを教えて欲しいんだ!」
少し待って下さい、と言って、絵美里さんは奥の本棚からいくつかの分厚い本を持ってきた。
「えっと……呪いによって得られる能力は、確かに5通り存在します。 例えば、相手を言葉で強引に説き伏せる能力、自身の存在感を操る能力、それから、人の感情を操る能力とか……」
「━━━待って! 今なんて言った……?」
「えっ!? あ、ええと……人の感情を操る能力とか、って……」
「人の感情を操る……」
可能性はある。てっきり、人を強制的に泣かせる類いの力だとばかり考えていたが、総じて人の感情を支配するタイプの能力、という線もある。
「絵美里さん。 その"人の感情を操る能力"について詳しく教えてくれない?」
「は、はい! 少々お待ちを!」
絵美里さんはまた本棚へと駆けていき、新たに二、三冊ほど分厚い本を持って戻ってきた。そして、俺が見守る中、熱心にパラパラとページをめくっていく。
「ありましたっ!」
本のページを漁ってから数分のち、絵美里さんが大きな声をあげた。ホコリを被った分厚い本を俺の方に向け、満を持して説明を始める。
「人の感情を操る能力……これはかつて、WINGSのリーダーを務めていた人物の伝説が昇華された呪いです」
「WINGSの、リーダー……?」
「呪いの名は『惑聖恋(マッド・セイレーン)』。
正確には、"自分の感情を人と共有する"という能力です。WINGSのリーダーは、『笑うだけで周りの人たちを笑顔にした』とも言われていて、その伝説が元になっているようですね」
古びた本のページに指を滑らせながら、淡々と絵美里さんは続ける。
「この呪いは、自分の声を聞いた者の心に作用し、呪いを発した人自身が抱いている"感情"を周りの人間に押し与えることができる呪いです。 例えば、その人が『楽しい』と思いながら声を発すると、周りの人も楽しくなります。逆に『悲しい』と思っていれば、周りも悲しくなるんです」
「惑聖恋……」
「はい、自分で自分の感情をコントロールできる人でなければ、扱うのが非常に難しい呪いです。 しかも、WINGSのリーダーの呪いともあって、その力は絶大でしょう」
そうか……あの時、人が急に泣き出したのは、つぐみ自身が泣いてたからだったんだ。
もう歌えない……それは、自分が声を発するだけで周りの人たちに影響を及ぼしてしまうから。いつも明るく元気なつぐみの事だ。きっと、自分の感情を無理矢理『楽しい』に書き換えていたに違いない。
つぐみは、ずっと自分の感情を押し殺して、我慢していたんだ……!
「あの……この呪いに何か?」
「……もしかしたら、俺の友達がその呪いにかかってるかもしれないんだ……」
「えっ……!?」
目を丸くして、絵美里さんが驚く。
「……呪いを解く方法って無いの? どんな些細な事でも良い。 つぐみの……呪いにかかった人の負担を減らせるような……」
絵美里さんは、さっきまで得意気だった顔に影を落とし、ゆっくりと首を横に振った。
「……これはあくまで"都市伝説"として学園に伝わっていたものです。 伝記はたくさんあるんですけど、実際の対処の仕方については……私にも分かりません……」
「そんな……」
「で、でもっ! もしそれが本当だとしたら大変です! 卒業式まではまだ日がありますし、それまでに私に出来ることがあれば協力させて下さい!」
強く訴えかける絵美里さんに、ありがとう、と一言お礼を述べつつも、俺はこの上ない不安を押さえられなかった。このままじゃ……つぐみが……
「あ、あの……それで、その呪いにかかった疑いがあるご友人というのは、どのような方なんですか?」
恐る恐る、といった様子で尋ねる絵美里さん。俺は、震える膝をなんとか立たせ、少しでも呪いに関する手掛かりを彼女に与えるべく、つぐみについて話すことにした。
「えっと……俺の幼馴染みで同級生の、和田辺つぐみ、って奴なんだけど━━━」
━━━ジリリリリ!!
突然、部屋に古風な電子音が鳴り響いた。一瞬驚いてから、それが俺の携帯から鳴っている音だと気づく。電話だ。
「……も、もしもし?」
『あ、もしもし翔登?』
声の主は、昨日一緒に呪いについて聞いていた、篠田 夏燐だった。俺は、夏燐に何か悟られたりしないよう、なんとか平常心を保たせる。
「……どうかした?」
『ん? なんか声に覇気が無いけど……何かあったの?』
すぐ見破られた。夏燐はこういう時だけは鋭いのだ。
「別に……で、用件は何?」
なんとかはぐらかす。夏燐の方も、特に気にせず話を進めてくれた。
『あー……あのさ、つぐみから連絡入ってない?』
「……え? つぐみは体調不良で休みだろ?」
『いや、私もそう思ってつぐみに連絡してみたんだけど……』
『━━━家に電話したら、つぐみの母さんが出てね。つぐみは今朝ちゃんと学校に行った、って』
「……それ、どういう事?」
『分かんない……。 学校にも居ないし、家にも居ないの。 ……つぐみ、何かあったの?』
俺は茫然とした。ものすごく嫌な予感が背筋を駆けた。学校に行く、と言って家を出たのを最後に、誰もつぐみの姿を見てないという事になる。つぐみに何かあったのか。その質問の答えはすぐに脳裏に浮かんだ。……そう、昨日のカフェでの出来事……。
「あ、あの……何かあったんですか?」
「……ごめん、ちょっと急用っ!」
ポカンと口を開けて佇んでいる絵美里さんに、さっきまで読んでいた分厚い本をパスし、勢いよく部屋を後にした。校内に予鈴が鳴り響く。一時間目の音楽まで、あと10分を切っていた。
「つぐみ……!」
教室へ向かう生徒たちをかき分け、俺はつぐみの所属するクラスの教室に飛び入った。
そこに、つぐみの荷物はなかった。
「くそっ!」
つぐみが既に家を出たなら、もう学校に着いている筈。しかも、彼女はソフト部の朝練に参加する為にいつも朝早くに学校に来ている筈だ。
つぐみが居ない。昨日までの日常と異なる事態が起きている事は明らかだった。
(多分、昨日の一件があったから、俺や友達のことを避けようとしてるんだ……。 どこか人目のつかない場所とかに身を潜めているに違いない……!)
下駄箱で靴を履き替え、正門を飛び出した。生徒指導の島田先生に声をかけられたが、今はそんな声に構っている暇はない。一時間目開始のチャイムが鳴るのが聞こえた。これで遅刻は確定だ。しかし、後で先生になんて言い訳するかを考えられる程、俺の頭は冷静ではなくなっていた。
「つぐみ……どこ行ったんだよ……!」
通学路は、仕事へ向かう車やらバスやらで既にごった返していた。焦りが次第に増していく。最悪の事態だけは、どうしても想定したくなかった。なんとかして……必ずつぐみを見つけ出す! そう決心した時だった。
(もしかして……!)
脳裏に、ある一つの場所が浮かんだ。
~~~
「つぐみ……!」
「翔ちゃん……。 ……よく分かったね、私がここに居るって」
「当たり前だ。 長い付き合いだからな」
家から3分ほどの所にある小さな神社。そのお社の陰に、つぐみは膝を抱えて座り込んでいた。神社の周囲に広がる木々が、さらさらと揺れている。
この神社は、俺とつぐみが幼い頃からずっと変わらずに建っている。風化した木の壁にはクモの巣が張っていて、参拝客も少ない。
ここは小さい頃、よくつぐみと遊んだりした場所だった。鬼ごっこもしたし、かくれんぼもした。……そう、つぐみが俺に、この場所で歌を歌ってくれたりもしたのだ。
「懐かしいな……。 昔はよくここに来て、二人で遊んだっけ」
「……」
そよそよと吹く風が、神社を取り囲む杉の木を揺らしていた。つぐみは、相変わらず社の陰で膝を抱えて丸くなっている。
「……何しに来たの?」
「もちろん、つぐみを迎えに来た」
「そっか……」
しばらく沈黙が続くが、やがて意を決して、俺から話の本題を切り出す。
「……呪いの事、色々調べたよ。 聖歌高の都市伝説とか、呪いを受けた人の運命とか。 ……お前の、惑聖恋(マッド・セイレーン)の事とか」
「っ……!」
単刀直入に、俺は呪いの事について切り出した。つぐみの肩が、僅かにピクッと震えるのが見えた。
「……あーあ、やっぱりバレちゃったかー。 これじゃポーカーフェイス名乗れないなー」
立ち上がり、へらへらと笑いながらつぐみが呟く。 しかし、その笑顔はいつものつぐみのものじゃない。 どこか物寂しげな、作りもののような……そんな風に見えたのだ。
「いやー、初めて知った時には私もビックリしたよ! 何せ、私の周りの人が私と同じように泣いたり、笑ったりするんだもん。 しかも、呪いにかかった人は卒業式間近に謎の死を遂げるときた。 あっはは、笑っちゃうよねー。 どこのファンタジーだよ、ってさ」
「つぐみ……」
無機質な笑い声をあげながら、社の陰へゆっくりと後ずさりしていく彼女を引き留めようと、俺は足を一歩踏み出す。
「━━━来ないでっ!」
バサバサッ! と、木にいた雀たちが一斉に飛び立った。踏み出しかけていた足をゆっくりと引き戻し、グッと両手を握りしめて俯くつぐみを見つめる。
「分かってるんでしょ? 私はもう普通の人間じゃない。 ……バケモノなんだって!」
つぐみの声を掻き消さんばかりに、轟々と音をたてる風が木々を揺らす。
「私の近くに居る人は、みんな不幸になる……私の感情しだいで、誰も笑えなくなる! ……こんな呪われた奴の事なんて放っといて!」
ボロボロと涙を溢すつぐみ。 太陽が厚い雲に覆われ、神社一帯に影をおとす。 俺は急に、胸を締め付けられるような感覚に襲われた。
「私のことなんかほっといてっ! ほっといてよぉ……!」
ついに、つぐみはその場に泣き崩れてしまった。 叫び声にも似たつぐみの悲痛な声が、辺りに響く。
「怖いよ、翔ちゃん……私、まだ死にたくない。 ……死ぬのが怖いの。 でも、それ以上に━━━」
「━━━私のせいで、誰かを……翔ちゃんを泣かせちゃうことが……一番怖い……」
それは、今にも消え入りそうな声だった。つぐみは、自分の死より、自分のせいで俺や誰かの感情をかき乱す事を恐れてたんだ。こんな状況下でも、誰かの事を考えられる彼女が、とても美しく見えた。
「……だからもう帰って! ……誰かに迷惑をかけながら生きるくらいなら、私なんて……私なんてこのまま呪われて死んじゃえば良いんだよっ!」
その一言で、確信した。
つぐみは、助けを求めてる。 やり場のない恐怖と自己嫌悪に飲み込まれ、息ができないんだ。
一歩、また一歩と、呆然として立ち尽くすつぐみの元へ踏み出す。
「何……してるの……?」
手の届く距離にまで近づく。
「来ないでっ……!」
そして、俺は━━━
「━━━っ!」
勢いよく、つぐみを抱き締めた。
つぐみの熱を、息づかいを、鼓動を、間近で感じる。 ビクリと震えるつぐみの肩を、俺の目から溢れ落ちた涙が濡らした。
「つぐみは、俺にとって大切な存在なんだ。 ……だから、死んじゃえば良いなんて、言わないでくれ」
「翔……ちゃん……」
「お前は、自分の力で誰かが傷ついてしまうのが怖いんだろう? 自分が泣くことで、誰かを泣かせてしまうことが辛いんだろう?
……だったら話は簡単だ。 お前がずっと"笑顔のまま"で居れば良い」
抱き寄せる手にグッと力を込めて、言う。
「もちろん、みんなの前でずっと笑いっぱなしなんて辛いよな。お前は今まで、そうして耐えてきたんだし。
……だからさ、これからは俺の前でいっぱい泣けばいい。 俺の前でいっぱい怒れば良い。 俺が、お前と一緒に悲しんでやる。 お前と一緒に怒ってやる。 俺が、お前の感情を受け止めてやる。
……だから、もう一人で抱え込まないで、な?」
「翔、ちゃん……」
今まで彼女を閉じ込めていた壁が、亀裂を走らせて崩れ落ちるかのように、つぐみの両目からボロボロと涙が溢れた。 暗かった空は、もうすっかり晴れていた。
「あり……がと……」
俺の腕を離れ、ごしごしと袖で涙を拭きながら、つぐみが言った。その声は弱々しくも、どこか先程までとは異なる……希望という鮮やかさに彩られていたように感じた。
「もう大丈夫。 私……翔ちゃんが傍に居てくれるなら、もう何も……何も怖くないよ!」
顔をあげた彼女は、天使の美しさにも負けんばかりの、満面の笑みを浮かべていた。それを見ただけで、何だかすごくホッとした。……これも呪いのせいなのだろうか?
「……じゃあ、帰ろうか。 音楽の授業すっぽかしちまった訳だし」
「えへへ……先生に怒られちゃうね」
「まったくしょーがねぇな……。 まぁいいか、急ごう!」
「うんっ!」
手を取り、駆け足で階段を下りていく。それは、幼い頃に二人が神社で遊んでいた時と同じ足取りだった。サラサラと音を立てて揺れる木々の隙間から溢れる日差しが、笑顔の二人を照らしていた。
~~~
「━━━なるほど。 ……惑聖恋(マッド・セイレーン)に見いられたのはあの娘ね」
手元の写真に写る二人の男女を横目に、女は薄く息を吐いた。全て予定通り。後は、残り2人の覚醒を待つだけ。だが……。
「あの男……まさか、零浄化(ゼロ・ジョーカー)の力に目覚めて━━━」
~~~
「━━━それじゃあ、昨日話してた"呪い"に、つぐみがかかってた、って事!?」
「……ああ、そういう事だ」
放課後。 俺とつぐみは、夏燐と江助の二人を連れ、屋上に集合していた。そして、俺の提案で、つぐみが呪いにかかっていた事を、二人に包み隠さず全て打ち明けることにしたのだ。勿論、他の人には門外不出だと、きちんと念を押しておく。
「大丈夫、バラさないって。問題は、どうやってつぐみの死を回避するかだよねぇ」
「やっぱり、オカルト研の子の協力は必要だと思う」
「オカ研? ……あぁ、そんな子も居たっけな」
「あ、あの……」
と、つぐみが恐る恐る声をあげた。
「ん? どしたの?」
「あのさ……みんなは怖くないの? 私と一緒にいると、感情を無作為に操られるかもしれないのよ? 勝手に泣いたり、勝手に怒ったり……それでもいいの?」
すると、俺と夏燐、江助の三人は互いに目を見合わせ、クスリと笑いあった。
「なにバカな事言ってんの! 私たちはこれからも友達でしょ? それは無作為な感情なんかじゃなくて、つぐみ自身の感情なんだから、ドーンと来なよ!」
そう言って、強引に肩を組み笑う夏燐。少し驚きながらも、つぐみは嬉しそうに笑っていた。
「な、俺の言った通りだったろ?」
ニカッと笑ってみせる。つぐみは、目尻にうっすらと涙を浮かべながら、ニコリと笑い返してくれた。
……あ、ヤバイ。今のすげー可愛いかったかも……。
「ところで、これから先どーすんの?」
と、夏燐が咳払いをしつつ尋ねてきた。
「ああ、その事なんだけどさ……」
「……つぐみ、アイドル活動やってみないか?」
「「「………………え?」」」
ものすごい沈黙が辺りを包み込んだ。擬音語で表すと「ポカーン……」みたいな。
「つぐみ、この前言ってたろ? 『アイドルやってみたい』って。 だからさ、やろうぜ、アイドル活動!」
「た、確かにアイドルになりたいとは言ったけど……」
「翔登……お前正気か?」
なんか、心配そうな目で三人から見られている。……でも、俺にだってちゃんと考えはあるのだ。
「いいか? つぐみの呪いは、声がトリガーになる。……それを逆手にとるんだよ」
「どういう事……?」
不思議そうな顔を浮かべるつぐみ達。
「だからさ……つぐみの歌声は、呪いの影響も相まって、今は絶大な力になってる筈なんだ」
「……だからこそ、周囲への強い影響が懸念されるんじゃないの?」
夏燐らしからぬ冷静な指摘。他二人も頷いている。 確かに、つぐみの呪いは危険だ。 でも……
「アイドルは基本笑顔だろ? そうでなくても、壇上に立つアイドルと思いを共にできることを嫌がるファンなんていない。つぐみの歌声は、皆を魅了できる力を持ってる。お前なら、かつてのWINGS級の伝説を生み出せるさ!」
「翔登……アンタ、つぐみの負担がどれだけ大きいか分かって━━━」
「━━━アイドルは、つぐみ自身の夢でもある。 ……だから、解決策が見つかるまでの間、つぐみにはつぐみのやりたい事をやらせてやりたいんだ!」
真剣な口調で語る。これが、俺の本心だ。
「……ふうん」
数秒の沈黙の後、夏燐が愉快げにニヤリと笑いながら息をついた。
「まーた適当な事言ってるのかと思ってたけど、アンタなりに考えてのことなのね。 ……なら、アタシも全力で応援するよ!」
「感動したぜ翔登……! 俺にも協力させてくれ!」
顔を見合わせ、楽しそうに笑う二人。 俺の意見に賛成してくれたらしい。
「ふ、二人とも賛成なの!? えぇ、でも……」
残りは、まだ不安そうにモジモジとしているつぐみだけだ。……つぐみのサポートは、俺の仕事だ。アイドルとして彼女が活動していく際には、マネージャーみたいな立場を引き受けるつもりでいる。
これはその最初の一歩だ。俺は、つぐみを後押しする為、つぐみに勇気を与える為に、こう言った。
「大丈夫だって! お前は誰よりも可愛いんだから、自信持て!」
拳をグッと握りしめて力説する。
……が、返答がない。変な沈黙がしばらく続いたかと思いきや、突如つぐみの顔がボンッ! と音をたてんばかりの勢いで赤くなった。
「な、なななぁっ!!? 急に何!? 頭打ったの!?」
何故か急に慌て始めるつぐみを見て、俺が首を傾げていると、
「あーあー、これ見よがしにイチャイチャしよって。 つぐみもアレだけど、翔登も相変わらずだよねー」
夏燐がニヤニヤしながら俺を見ていた。ついでに、隣にいる江助も何故かこちらを睨みつけている。 ……いや、一体何なんだ?
「で、どーすんのつぐみ? 翔登くんからのあっつーい呼びかけへのお返事は?」
「う、うぅ……」
未だに顔を赤くしながら、モジモジと悩み出すつぐみ。しばらくウンウン唸っていたが、
「……分かった、やってみる。 私、アイドル活動やるよ!」
席を立ち上がり、大声で宣言するつぐみ。
「よーし……じゃあ、新生WINGSの活動スタートだ!」
「「「おーっ!」」」
屋上で高く手を上げる四人。こうして、俺たちのアイドル活動が、幕を開けたのだった。
END