WINGS&アイロミームproject(仮)
第三章 『迷いと鼓動の安断歌』(前編)
第三章『迷いと鼓動の安断歌』     「……はい、承認。 これで、アイドル研究部は正式な部や」 「ありがとうございますっ!」 夏休み間近の、ある日の放課後。俺━━━秋内翔登と和田辺つぐみ、稲垣詩葉の三人は、生徒会室を訪れていた。 「……にしても、あの詩葉ちゃんがアイドルやるやなんてねぇ~! ちょっと意外やったわぁ」   「か、からかうのは止めて下さい! 私はただ、自分を変えるために、新しい何かに挑戦してみようと決めただけですから……!」 照れ臭そうに呟く稲垣。そう、WINGSのメンバーに彼女が加わった事で、人数が足りて、正式にアイドル研究部の設立が認められたのだ。 「秋内君、詩葉ちゃんの事よろしゅうな~」   「はい、任せといて下さい!」 「全く……二人とも大袈裟なんだから」 そう言いながら、稲垣は自然と頬を緩ませていた。それを見て、俺たちもクスクスと笑みを溢す。WINGSとしての活動が本格的に始まっていく事に、皆が期待を膨らませていた。 「……で、もう一つ用事があるんやろ?」   「おっと、そうでした!」 生徒会長の早見聖子に言われて、つぐみは返事をしてすぐにトコトコと会長の前まで来ると、手に持っていたチラシを広げた。 「これ……オープンスクールのチラシ?」 「はい。 私たちは、このオープンスクールの場を借りて、ライブを行いたいと考えています」   つぐみの後ろで、稲垣が淡々と説明をする。そう、WINGSとしての初ライブをここでやろうというのだ。稲垣の提案で、とにかく場数を踏んでいく事を目標を決めた俺たちは、その第一歩として、ライブをやる事を決意した。   「まず初めに、目の前に一つ、何か目標を掲げよう、って決めたんです」   チラシをギュッと握りながら、つぐみが呟く。 「目標があれば、それに向かって走る事が出来る。 ……それを積み重ねていく中で、アイドルとして何をすべきか、何が必要なのかが、見えてくるんじゃないか、って……そう思ったんです。 ……だから、ライブやらせて下さい! お願いしますっ!」   お願いしますっ! と頭を下げるつぐみ。俺と稲垣も、それに合わせて頭を下げる。会長は、終始ニッコリしながら俺たちを見つめていたが、 「そない真剣に頼まれて、ウチが許可あげへん訳ないやんかぁ」 「じゃあ……!」 「ええよ。 オープンキャンパスでのライブ、生徒会で検討しとくわぁ。 ……でも」 顔を見合わせ、やったあー! と叫ぼうとしていた俺たちの声を、早見会長が遮った。 「……曲づくりとか、衣装づくりとかは間に合うん? オープンキャンパスまで、あと2ヶ月しか無いねんで?」 「うぐ……」 言葉に詰まってしまう。そう、俺たちは今、重大な問題を抱えていた。   ……曲がないのである。 衣装に関しては、夏燐がなんか気合い入れて作ってくれているので問題ないのだが、アイドルとしてやっていくのに肝心な、曲と歌詞を作れる人材が確保できていないのだ。 「その反応やと、まだ準備できてへんみたいやね~。  ……まぁでも、心配はせんでええと思うよ?」    「……え?」 意外な言葉に、俺たちは意表を突かれて会長の方を見る。すると、会長はニコニコしながら、机をガサゴソと漁り、一冊の可愛らしいノートを取り出した。 「このノートに、素敵な詩がいっぱい書いてあるさかい、参考にしたらええんちゃうかな?」 一体何のノートなんだろう……? 不思議そうにノートをまじまじと見つめる俺とつぐみの隣で、何故か、稲垣が顔を真っ青にしてカタカタと震えていた。 「……稲垣、どうした?」 俺の問いかけに稲垣は答えず、 「か、会長……そのノートをどこで……!?」 「ん~? 生徒会室の掃除してたら、たまたま机の中で見つけてん」   尋常じゃない汗を額に浮かべる稲垣を見て、何となく察した。あのノートってもしかして…… 「……返して下さいっ!」 「おっと! はーい、秋内くーん!」 稲垣の手をヒラリとかわし、会長はノートを俺に向かってパスしてきた。慌ててキャッチするが、その瞬間にキッとこちらを睨み、稲垣が迫ってくる。ど、どうしよう……     「……うん、人をからかうようなマネは良くないよな。 はい、返す」 「へ? あ、ありがとう……じゃなくてっ!」 俺の手からノートをパシッと奪い取り、稲垣は会長のもとへズカズカと近づいていく。 「会長っ!!」 「んもぉ~秋内くん、そない簡単に返してしもたら面白ないやんかぁ」   「私の話を聞いて下さいっ!」 会長に抗議する稲垣を、苦笑いで見つめる。予想通り、あれは稲垣のマル秘ポエムノートだったらしい。 「えっ、なになに? 結局あのノート何だったの? ……ねぇ翔ちゃ~ん!」 一人、事態が分からず置いてけぼりのつぐみ。まぁ、良い意味でピュアというか…… とにかく、今ので一つ分かった事がある。曲が無い、という現状を打破できるかもしれない存在が、意外と身近に居たという事だ。 「稲垣、今日からお前は歌詞担当だ!」 「五月蠅いっ! 私は今会長に話して…………って、はああああ!?」 ポエムが書けるって事は、歌の歌詞も書ける筈! そんな安直な考えのもと、俺は稲垣に歌詞作りを命じた。 「い、嫌よ! そんな、私が書いた詩を……大勢の人に聞かれるとか……!」 稲垣は拒否するが、俺を含めた他の三人は大賛成のようで、 「おぉ、良いじゃん! ガッキーの書いた歌詞で歌うの!」 「詩葉ちゃん、才能ある思うよ~?」   「う、うぅ……」 期待の眼差しを三方から浴びせられ、たじろぐ稲垣。ポエムノートをぎゅっと握りしめながらしばらく悩んでいたが、やがて、彼女は諦めたようにため息をついた。 「……分かったわよ。 歌詞、考えてみる……」 「本当か! サンキュー、稲垣!」 「ガッキーありがと~!」   「ちょっ、和田辺さん抱きつかないで! 後、その呼び方は止めなさいって言ったでしょう!」 じゃれ合う二人がなんだか微笑ましい。ともあれ、これで歌詞は大丈夫そうだ。この勢いで、曲を作ってくれる人も早く見つけなければ!   ……ふと、何かを期待するように隣に目をやる。 「ごめんなぁ。ウチ、曲づくりは未経験なんよ」   なっ、心を読まれた!? 会長なら、もしかしてピアノとか弾けるのでは、と思って頼もうとしたら、先を越された。やっぱりこの会長、どこかミステリアスだ…… 「……よし。こうなったら、学校中走り回って、曲づくりしてくれる人を探すしかない! 二人とも、行くぞ!」 「あ、待ってよ~!」   アイドル研究部も承認され、ライブも開催が概ね決まり、歌詞担当も決定した。この調子なら行けるかも! そんな思いを胸に、俺は勢いに任せて生徒会室を飛び出した。 ━━━ドンッ!! 「うわっ!?」 「きゃあっ!?」 廊下に出ようとした瞬間、誰かにぶつかってしまった。    「ってて……」 ドッシーン! と派手に転んでしまった。が、何故か身体の方には痛みがない。ぶつけた額をさすりながら起き上がって、俺は愕然とした。     俺は、ぶつかった拍子に相手の女の子を押し倒し、あろう事か、その子の胸に顔を埋める形で倒れていたのである。   「う、うわあああっ!?」   慌てて起き上がり、生徒会室の壁に背中をぶつけてしまう。痛っ……と打った所をさすりながら振り向くと、稲垣とつぐみの二人が、すごく冷たい視線を向けて立っていた。 「生徒会室の前で不埒な行為とは……いい度胸ねぇ秋内君?」 「うっわー、翔ちゃんサイテー」 「ま、待て! これは事故だから!」   弁明しようにも、状況からして明らかに俺が悪いのは事実だ。こうなったらもう、さっきぶつかった子に証人を頼んで…… (……って、さっきの子!) ハッとして、俺は振り返ってぶつかった子に手を差しのべる。 「ご、ごめん、大丈夫だった?」 「うぅ~ん……はい、なんとか大丈夫です~」   肩ぐらいまであるフワッとした亜麻色の髪を揺らしヨロヨロと立ち上がると、彼女は大きくクリッとした瞳で俺を見てから、ペコリと頭を下げた。 「私こそごめんなさい……廊下はadagioで歩かないと、ですよね~」 「あだー、じょ……?」 俺が首を傾げていると、つぐみが突然声をあげた。    「……あれ? 誰かと思えばのんちゃんじゃん! やっほー!」 「あ~、つぐみちゃん! さっきぶりだねぇ~」 手を取り合って、キャッキャとはしゃぐ二人。 つぐみの知り合い、なのか……?   「あ、紹介するね。 この子は、私と同じクラスの、乃木坂 音色(のぎさか ねいろ)ちゃん!」   「はじめまして~」 おっとりとした声で、彼女━━━乃木坂さんは俺に会釈した。なんか、すごく可愛らしい子だな……。さっきのハプニングの影響もあってか、まだ心臓がドキドキしている。というか、胸も結構大き……って、何考えてるんだ俺は! 「のんちゃんはね、すっごいピアノ上手なの! 3歳の頃からやってて、何度もコンクールで賞とか貰ってる天才なんだ!」 「そんな、大げさだよぉ~……」 ピアノか……今になって気づいたが、彼女はカラフルな音符の絵柄のファイルを小脇に抱えており、その中にピアノの楽譜らしき紙が何枚か入っていた。 「で、のんちゃんは何か用事?」   「あ、うん! 実はね~……」 その時、乃木坂さんの声を掻き消すかのように、ドドドド……と異様な音が俺たちの方に近づいてきた。驚いて辺りを見回すと、廊下の向こうから一人の女子生徒が猛ダッシュで近づいて来るのが見えた。     「━━━つぅぅぅぐぅぅぅみぃぃぃ先ぱあぁぁいっっ!!!!」    「のわぁっ!? も、ももっち!?」 少女は、勢いよくピョーンと跳躍すると、つぐみのもとへ華麗にダイブして抱きついた。 「むふふーっ。 近くにつぐみ先輩の気配を感じて来ちゃいましたー!」 「ちょ、ももっちストップ! くすぐったいってば!」 じゃれ合う二人を見てため息をつく。この、つぐみにデレまくっている元気溌剌な少女の名前を、俺は知っていた。 「えっと……欅 桃子(けやき ももこ)さんだっけ?」 「むむっ、その声は!? 幼馴染ポジションという立ち位置からつぐみ先輩の事を狙っているケダモノ……秋内先輩ではないですか!」 「誰がケダモノだっ!」   犬みたいに俺を威嚇してくる欅。これはもう、何を言っても無駄なようだ。 彼女の名は、欅 桃子。つぐみと同じソフトボール部に所属する一年生、つぐみの後輩だ。クラブ見学の時に、ソフト部でのつぐみの練習風景を見て、その凛々しさに一目惚れして、こうなった。らしい。いや、なつき過ぎだろ……   「つぐみ先輩っ! あんな男に惑わされちゃ駄目ですからね! 先輩は私の嫁なんですからっ!!」 「なっ!? だから翔ちゃんはそういうのじゃないってば……!」 ガヤガヤと二人が騒ぐ光景は、今までにも何度も見せつけられていた。痺れを切らして、稲垣がわざとらしくコホン、と咳払いをする。   「……貴方達、乃木坂さんの事忘れてないかしら?」 「あっ……ご、ごめんのんちゃん……」 「あはは……気にしないで~」 何だか蚊帳の外感が凄いが、気にしないでおこう。苦笑いを返しつつ、乃木坂は「実はね~……」と言いながら、ファイルから一枚の紙を取り出した。これは……入部届?   「私、音楽部に入ってるんだけど、部員が私と三年生の先輩3人のカルテットしか居なくて~……でも、部活存続にはクインテットにしなきゃ駄目だったから~……」 「そ・こ・で! 私がソフト部と兼部する形で、音楽部に入る事にしたのです!」 乃木坂さんの話に割り込み、欅がエヘンと胸を張る。よく見ると、入部届にはしっかりと「欅 桃子」の名前が書かれていた。 「でも、ももっちって何か楽器出来たっけ?」 「はい! カスタネットとかなら!」 ……駄目じゃないか。 まぁ、名前貸すだけでも部は存続できるみたいだけど。 「それで、つぐみちゃん達は何の用事だったの~?」   入部届をファイルにしまいながら、乃木坂さんが尋ねる。 「私たちは、アイドル研究部の事でね。 ほら、前に話したでしょ?」 「あ~、活動頑張ってるんだね~!」 「ぬおぉっ!? つぐみ先輩がアイドルやってるって噂はマジだったんですね! いいな~、私も先輩と一緒にステージに……!」   「駄目です。 生徒会規則で、兼部は二つまでと決まっています」 「チッ……この冷徹め……」 「……何か?」 ギロリ、と俺まで竦み上がってしまいそうな程鋭い睨みをきかす稲垣に、欅はすっかりビビって動けなくなっていた。 「何かコンツェルトできそうな事があれば、何でも言ってね~」   そう言って、乃木坂さんと欅は、「じゃあ、私たちはこれで~」と、生徒会室の中へ入っていった。嵐が去ったかのような感覚に、まだ心拍数が落ち着かない。 (コンツェルト……協力できそうな事があれば、か……) その言葉を頭で反芻させながら、俺は窓越しに乃木坂さんの背中を見つめていた。         ━━━「5、6、7、8! ……よし、じゃあ休憩にしましょう」 夏休みに入り、俺達は屋上でライブに向けた練習を始めていた。今までは、つぐみの個人練習みたいになっていたのだが、詩葉が入った事によって、より本格的なレッスンをしている感じが強くなった。 「つぐみー、スポドリ飲むー?」   「うんっ、サンキューかりりん!」 「春馬 江助君……だったかしら? さっきのダンス、録画したの見せてくれる?」 「ウッス! ちょっと待って下さいねー」 皆が、ライブという一つの目標に向かって頑張ってる。これは、俺も頑張らないと……!   「なぁ、つぐみ。 ちょっと話が……」   「おっと、皆まで言わなくても分かるよ。 のんちゃんの事でしょ?」 うっ……当たりだ。やはりつぐみには敵わないな。 「……あぁ。 乃木坂さんに作曲頼めないかな、って」 「賛成! のんちゃんなら適任だよ! 私も似たような事考えてたし」 ニコリと笑うつぐみ。似たような事……?   「私ね……のんちゃんも一緒にアイドルやれないかな、って考えてたの!」 思わずビックリしてしまう。つぐみの考えは、いつも俺の予想の斜め上を行くな…… 「実はね、のんちゃんってクラスの中でもすごい人気ある子なんだよ! 男女問わず、皆をドキドキさせちゃうオーラの持ち主だ、って!」   皆をドキドキさせる、か…… 確かに、俺も初めて乃木坂さんに会った時にはかなりドキドキした。それだけ、彼女が女性としての魅力に溢れているという事なのだろうか。 「それに、のんちゃんは親友だし……! ……のんちゃんになら私、自分の呪いの事話してもいいかなって、思った事もあるし……」   「そっか、呪いの事もあるもんな……」 乃木坂さんがアイドルに相応しいかどうか以前の問題だ。もし彼女が共にアイドル活動をするとなれば、つぐみと詩葉の呪いに板挟みの状態になる。多大な負担は避けられない。 「……ねぇ、翔ちゃんはどう思う?」 少し迷いつつ、俺はつぐみにこう返した。     「……乃木坂さんは、つぐみの親友なんだろ? だったら、お前の方が乃木坂さんの事をよく知ってる筈だ。 だから、どうするかはつぐみの判断に任せるよ」 「翔ちゃん……!」 つぐみの顔が、ぱああっと明るくなる。それを見ただけでも、つぐみがこの後どんな答えを出すのか分かってしまった。 しかし、つぐみなら……いや、俺たちならきっと、上手くやっていけるだろう。まだ乃木坂さんの事はよく知らないけれど、これから仲良くなっていけば良い。 彼女ならきっと、WINGSをプラスの方向に導いて━━━ 「━━━乃木坂さん勧誘するんやったら、気ぃつけた方がええ思うよ?」    「うわぁっ!?」 突如、背後から声をかけられて、思わず大きな声をあげてしまった。見ると、そこにはニコニコと微笑みながら立つ生徒会長の姿があった。 「会長? どうしたんですか、急にこんな所に現れて……」 俺の声に気づいてか、稲垣や他のメンバー達も、会長のもとに近寄ってきた。   「気を付けた方が良いって、どういう……」 「ふふ、ちょっと皆に伝えときたいなぁ思う事があってん」 真意の読めない表情で、会長は笑う。皆がゴクリと唾をのむ中、会長は一呼吸置いて、とんでもない事実を口にした。 「彼女も、どうやら聖唱姫の呪いにかかってるみたいよ?」         ━━━俺とつぐみ、詩葉、夏燐、江助の五人は、音楽室の扉の前で、コソコソと中の様子を窺いながら隠れていた。部屋の中では、乃木坂さんが優雅にピアノを奏でている。 「……で、どーすんだよ翔登!」 「しっ! 声がデカいっつーの! ……とにかく、声をかけないで帰る訳にはいかないからな……」   「でも、下手に切り出すとかえって混乱を招くわ。 慎重にね……」 「うぅ……なんかすっごいドキドキする……。 翔ちゃん、これってやっぱり……」 「落ち着けつぐみ。 ……心配するな」 そう言ってつぐみを宥めつつ、俺も心臓がバクバクと鳴っていた。 事は、4時間ほど前に遡る━━━     「━━━のんちゃんが、呪いに……!?」 夏休み真っ只中の、学校の屋上。生徒会長から告げられた思いもよらない事実に、つぐみは膝から崩れ落ちて愕然としていた。 「……冗談は止めてくださいっ! 彼女に呪いなんて、そんなの有り得」 「……有り得るよ。 何せ、これは事実なんやからね」   稲垣の言葉を容赦なく一蹴する会長。いくら稲垣に論理狩(ロンリー・ガール)の呪いがあるからといって、事実までをもねじ曲げる事は不可能なのだ。 いや、だとしても、あの稲垣をたった一言で萎縮させるなんて……その時の会長の鋭い眼差しは、彼女だけでなく、俺たちまでをも黙らせるほどだった。   「『何で知ってるんか』とか、『誰から聞いたんか』とか、そういう話は、今は堪忍やで? ……まぁ、ウチは意外と情報通や、って思といてくれたらええわ」 クスクスと笑う会長。その穏やかな笑顔とは裏腹に、彼女は何か大きな秘密を隠し持っているのではないか……直感的に、俺はそう悟った。   「……で、乃木坂さんの呪いってのは?」 夏燐が会長に問い質す。その目は、会長の事を睨み付けているようにも見えた。 「おっと、その説明がまだやったね~」 会長は、少し間を置いてから、また不敵に頬笑み、 「あの子の呪いは、安断手(アンダンテ)。 ……他人の心拍数を操る力や」    「あ、安断手……?」 「秋内くんらぁは感じた事ない? 乃木坂さんの近くにおると、何や知らんけどドキドキするなー、みたいな」 言われて、先日の出来事を思い出してハッとした。確かに、彼女の前だと無性にドキドキしたし、つぐみも「のんちゃんは皆をドキドキさせる」とか言ってたし……!    「……全部、乃木坂さんの呪いの影響だった、って事なのか!?」 「いやいや、翔登はただ乃木坂のおっぱいに突っ込んで興奮してただけっしょ?」 「いや、違……てか、誰から聞いたんだよそれ!」 横から茶化してくる夏燐に抗議する。 今はそんな場合じゃないし、というか興奮なんて……してないっ!   「……コホン。 安断手(アンダンテ)は、初代WINGSのメンバーで、曲づくりを担当していた子の呪いや。 心を揺さぶる曲と笑顔で、ファンの皆をドキドキさせた、ゆう伝説が元になっとるらしいわぁ。 秋内くんらぁが経験したそのドキドキは、まぁ間違いなく安断手の影響と考えてええやろね~」   「……でもっ! のんちゃんは、そんな悪い事する子じゃないです! 人の心拍数を操るなんて、そんな事する筈ない……!」 「……そう、そこが厄介なんよ」 つぐみの声を遮って、会長が言った。 「彼女は、自分が呪いにかかってるゆう事に、まだ気づいてへんみたいなんやわ」    「……え」 その一言で、俺たちは静まり返ってしまった。乃木坂さんは、自分の呪いに気づいてない……? 「……性質上、気づくんが難しい呪いやさかい、しゃーないんかもしれへんけどねぇ。 ……でも、彼女は今、無意識下で呪いの力を発動してしもてる。 それは紛れもない事実や」 会長は、難しい顔をしながらそう説明する。つぐみや詩葉は、自分で自分の身に起きている事に勘づいていたが、それは決して当たり前ではないのだろう。 「……せやから、乃木坂さん誘うんやったら、気ぃつけて欲しいんよ。 別に、あの子をアイドルに誘うんを止めるつもりはあらへんのやけど……でも、ね」   会長の言いたい事はよく分かる。 ……つぐみがかつて、自身の呪いについて知って取り乱してしまった時のように。呪いの事で、乃木坂さんがショックを受けるような事があってはいけない。会長は、それを危惧しているのだろう。 一通りの説明を終え、会長はくるりと背中を向けると、唖然として動けなくなっている俺たちに対して、最後にこう声をかけた。 「ウチに出来るんは助言だけやさかい……後は、秋内君らぁ次第やで」       ━━━「そういう事やから、よろしく頼むわな~」と言い残し、会長はその場を去った。そして、とにかく乃木坂さんに会いに行こうというつぐみの提案で、俺たちは音楽室の前までやってきた、という訳だ。 しかし、どうするか……この状況でどう乃木坂さんに声を掛ければ良いのか、俺には分からない。 つぐみも稲垣も、どうして良いか分からずただオロオロとしていた。 「……いつまでもここでウジウジしてる訳にもいかないっしょ?  男ならバシッと行ってきなよ、翔登!」 「わ、分かってるよ……」 夏燐から喝を入れられて、ようやく俺は重い腰を上げ、音楽室の扉をガラガラッと開けた。   「し、失礼します……」 声を掛けると、乃木坂さんはピアノを弾いていた手を止めて、 「あれ? 貴方はこの前の……それに、つぐみちゃん達も一緒だ~。 みんな揃ってどうしたんですか~?」 キョトン、と小首を傾げる彼女の無垢な表情に少し動揺しつつも、俺は覚悟を決めて切り出した。   「実は、WINGSの活動の事で、乃木坂さんに頼みたい事があって……」 「WINGSって、つぐみちゃん達のアイドルグループの事ですよね~? 私に出来る事なら、何なりと~!」 そうだ、まずは乃木坂さんに作曲を頼まないと。WINGSへの加入、彼女の呪いについての話は、それからだ。 俺は、WINGSでオリジナルの曲づくりに取り組んでいる事。そして、その曲の作成を乃木坂さんに頼みたいんだ、という事を彼女に伝えた。 「なるほど、作曲依頼ですね~? なら、私が前に作った曲があるので、良ければ試聴してみて下さい」 そう言って、彼女は鞄から一枚のCDを取り出した。   「これ、前に私が作ってみた曲なんですけど、結局弾く機会が無くて……。 なので、参考までに聞いてみて、その上で、どんな曲が良いか教えて下さい。 あ、もしその曲がrisolutoだったら、そのまま使ってくれても大丈夫です~」 明るい笑顔で、乃木坂さんは快く楽曲を提供してくれた。それ自体はありがたいのだが、同時に心苦しい。俺は、彼女に呪いがかかっているという事実を伝えるか否か、その決断を迫られていた。WINGSとして一緒に活動して欲しいと頼む以上、呪いについての事実はきちんと伝えなければならない。 バクバクと鳴る心臓を押さえつけ、なんとか呼吸を整える。   「ありがと、また皆で聞いてみるよ。 ……それで、さ」 「? 他にも何か依頼ですか~?」 この時俺は……いや、俺たちは皆、額に嫌な汗を浮かべてドキドキしていた。 どうする……このまま切り出すべきか、それとも━━━ 「━━━もぉ、焦らしプレイはそのくらいにして頂戴よぉ」   妙に怪しく艶かしいその声は、俺たちの背後から聞こえてきた。ゾクリ、と嫌な寒気がして振り向くと、そこには一人の女性がいた。紫がかったショートボブの髪に、扇情的な流し目。そして何よりも、その豊満な胸や尻を押さえつけんとするミッチリとしたスーツで、彼女が生徒ではない事が見てとれる。   「あ、貴女は一体……」 「ハロ~。 こうして顔を合わせるのは初めてかしら?」 手をヒラヒラと振りながら、その女性はゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。 「私は錦野 小雪(にしきの こゆき)。 今年度から、この学校で英語教師として働く事になった新人なの。 以後よろしくね?」   そう自己紹介をする彼女━━━錦野先生の姿を、俺たちはただ茫然と見つめるしかなかった。       つづく
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