「私は錦野 小雪(にしきの こゆき)。 今年度から、この学校で英語教師として働く事になった新人なの。 以後よろしくね?」
「……秋内君。 一体何なの? この教育上不適切な教師は」
「……いや、稲垣が知らないんだったら、俺だって知らないよ」
ヒソヒソと話す俺たちの隣で、江助が突然「ああぁっ!!」と大声を上げた。
「どうした?」
「噂で聞いたんだよ! 今年入った先生で、やたら男子からの人気が高いセクシー教師が居るって……!」
「マジか!? それは今のうちにお近づきに痛だだだだだだだ!!!」
突如、二の腕に走った激痛に悲鳴をあげる。見ると、つぐみがムスッとした顔で俺の腕をつねっていた。
俺は慌てて手を振り解くと、誤魔化すように、コホンと咳払いを一つして、
「……で、新米教師さんが何の用ですか?」
「あらぁ、そんなに恐い顔しないで? 別に、貴方の童貞奪いに来た訳じゃないんだし」
やたらと不適切な発言ばかりを繰り返しながら、錦野先生は俺の前をスルリと通り過ぎ、乃木坂さんの方へと近づいていった。
「今日は様子見だけのつもりだったんだけど……あまりにも焦れったいから、ムラムラして出てきちゃったわ」
ため息交じりに語る錦野先生の前で、乃木坂さんはただ不思議そうに小首を傾げている。
すると、先生は急に彼女の方へ顔をグイッと近づけて、
「……ねぇ、貴女。 聖唱姫の呪いって知ってる?」
「なっ……!?」
耳を疑った。驚きのあまり、思わず身体が固まった。……なんで、あの先生の口から『聖唱姫の呪い』って言葉が出てくるんだ!?
「さあ……? 聞いた事無いです~」
「そう。 まぁ簡単に言うと━━━」
「━━━貴女、卒業式の前日に死ぬわよ」
「…………え」
乃木坂さんの顔から笑顔が消えた。嫌な予感が頭をよぎる。
「ちょ、アンタ何言って……!」
「え? 結果オーライだから良いでしょ。
それとも何? 貴方たちが呪いの事黙ってたのがバレちゃうから、誤魔化そうとしてる?」
夏燐の発言を軽くあしらいながら、錦野先生━━━いや、錦野はなおもふざけた調子で、
「ま、それもそうよね~。 友達が、実は呪いの事をずっと黙ってて、あわよくば見殺しにしようとしていた……な~んてバレたら面倒だものねぇ。
そ・れ・に……貴女の呪いって、ものすご~く"害悪"だし、ね」
「あ、あの……私の呪いって……」
乃木坂さんが声を震わせて尋ねる。その瞳は、心なしか曇っているように見えた。
「あぁ、違うんだ。 呪いっていうのは大した事じゃ━━━」
「━━━貴女の呪いは安断手(アンダンテ)。 人の心拍数を上げて心臓発作を引き起こす、人殺しの呪いよ♪」
俺が声を発する前に、稲垣と夏燐の二人は動き出していた。
錦野の腕を掴み、乃木坂さんの前から強引に引き離して、二人は怒りのこもった目で錦野を睨みつける。
「いい加減にして下さい! 何でそんな根も葉も無い事を……!」
「……これ以上、勝手な事言わないでくれる? ぶん殴るよ?」
「んもぉ、乱暴ね? カワイイ娘に押し倒されるのも悪くないかもしれないけど……教師に暴行なんてしたら、どんな処分が下されるかぐらい分かるわよねぇ?」
「くっ……!」
完全に、俺たちは弄ばれているようだった。握りしめていた拳に、じんわりと熱がこもる。
その時だった。
ガタンッ! と音がしたかと思うと、乃木坂さんが鞄を持って立ち上がり、俺たちを振り払うようにして音楽室を飛び出していった。
「乃木坂さんっ!」
「のんちゃん! 待って……!」
引き止める声も虚しく、彼女は涙をこぼしながら走っていき、その場から姿を消してしまった。
慌てて乃木坂さんの後を追いかけようとするつぐみ。その時、彼女が目に涙を浮かべてキッと一瞬だけ錦野を睨んだ。怒りと悲しみのこもったその表情は、俺ですら今までに見たことがないものだった。
「あらあら、ムキになっちゃって」
それすらも嘲笑うかのように、錦野は余裕の笑みを浮かべる。
「何なんだよアンタ……こんな事して、一体何が目的なんだよ!!」
そう叫ばずにはいられなかった。怒りで我を忘れそうになっていた。
「そうねぇ、それはいずれ話すわ。 ……それより、良いの? あの娘追いかけなくて」
「そうよ、秋内君。 今は、こんな人の相手をしてる場合じゃない」
「くそっ……!」
稲垣の言う通りだ。今はそれどころじゃない。
悔しい気持ちを何とか抑えつつ、俺たちは乃木坂さんの後を追って音楽室を出たのだった。
「━━━過激な事はせんといてって、忠告した筈ですけど?」
「あら、あの程度で過激って言ってるようじゃ、早漏もいいトコロだわ」
ため息まじりに話す錦野を、早見は呆れた目で見つめていた。
「安断手(アンダンテ)は、まだ本来の力を発揮できていないわ。『聖唱姫の呪い』を覚醒させるには、自分が呪いを持っているという"自覚"と、呪いの力を抑えようとする"自制心"が必要不可欠。
……私は、あの娘にそれを提供しただけよ?」
「そないな事の為に、あの子らぁの仲を引き裂いてしまうような真似が必要やったんですか?」
「だって、ちょっとくらい強めの刺激があった方が興奮するじゃない?
……あそこには論理狩(ロンリー・ガール)が居たから危なかったけどぉ……零浄化(ゼロ・ジョーカー)も近くに居たから助かったわ」
はぁ……とため息をつく早見。窓から射す陽の光はカーテンに遮られ、錦野の顔には届かない。黒い絵の具で塗り潰されたような空間の中で、彼女は妖しげに舌なめずりをした。
「心配しなくても、安断手の事は私が一番よく知ってるんだから大丈夫よ。
……さて、あの娘達はどう動くかしらね?━━━」
翌日。
「5、6、7、8……二人とも、全然動けてないよ」
結局、あの後乃木坂さんを見つけることは出来なかった。欅の話によれば、今日は音楽部の活動に顔を出していないという。
彼女が誤解を持ったまま苦しんでいると思うと、気が気でない。つぐみ達が練習に打ち込めないのももっともだ。
「どうしよう……このままのんちゃんが戻ってこなかったら、私……」
「つぐみ……」
誰も、つぐみに声を掛けられずにいた。同じ聖唱姫の呪いを持つ者として。そして何より、"親友"としてずっと乃木坂さんの側にいた彼女だからこそ、心を引き裂かれるような苦しみを感じるのだろう。
「どうしよ……私、もうステージの事なんて考えられないよ……」
遂に、ボロボロと涙を溢して泣きはじめてしまった。彼女の悲しみが伝播するように広がっていき、屋上にいる者全員の顔が曇る。惑聖恋(マッド・セイレーン)によって伝わってくる彼女の悲痛な叫びが、俺たちの心をも苦しめていた。
「お、落ち着きなよつぐみ。 音色ちゃんには、またちゃんと話せばいいよ」
「それっていつ!? 話して、のんちゃんが納得してくれる保証なんてあるの!?」
怒鳴るように叫ぶつぐみ。声を掛けた夏燐も、その気迫に押されて思わず口を閉ざしてしまう。
一体、どうすれば良いんだろう……。
せっかく初ライブに向けて全員が一つになろうとしていたのに、今は皆がバラバラ。このままじゃ、一致団結なんて出来やしない。まさしく絶望の底に叩き落とされた気分だった。
「のんちゃん……」
沈黙が続く屋上で、つぐみの掠れた声だけがこだまする。日を隠す雲が、俺たちに影を落としていた。
「━━━いい加減にしなさい!」
そんな険悪な空気を断ち切ったのは、稲垣の一言だった。皆が驚いて顔をあげる中、稲垣は、地面に座り込むつぐみの両肩を鷲づかみにして、強引に立ち上がらせた。
「貴女は……何の為にアイドルになろうと決意したの? 人を笑顔にさせる為じゃないの!?」
目にうっすらと涙を浮かべながら、稲垣は力づよくつぐみに訴えかける。
「貴女の気持ちは痛いほど分かる。 私もすごく悔しいし、辛い。
……だからって私達まで落ち込んで、ただ下を向いて何もせずに居たら、いつまで経ってもこの悪い境遇から抜け出せない! 乃木坂さんは救われないままよ!」
「っ……!!」
稲垣の言葉で、つぐみはようやく気づいてくれた。
前を向かなければ、何も変えられない。何かを変えたいのなら、変える為に動かなければならないのだ。
「……私、ずっと後ろ向いてた。 一番苦しいのはのんちゃんなのに、私がずっとウジウジしたままじゃ駄目だよね……」
「別に、貴女が落ち込んでいた事を責めている訳じゃないわ。
……でもね、事態を好転させることが出来るのは、他でもない、貴女のその"前向きな気持ち"よ」
叱責ではなく、優しく諭すような口調でつぐみに語りかける稲垣。彼女の言葉一つで、つぐみが……いや、皆の気持ちが前へと向き直りつつあった。
「……私は、予定通りライブを実行すべきだと思う。 そして、乃木坂さんにもライブを見て貰いたいの」
くるり、と俺たちの方に顔を向け、稲垣が真剣な表情で話す。一瞬戸惑ったが、方法はそれしか無いとも思った。
「乃木坂さんは、私が説得して必ず会場へ連れてくる。 責任は全て私が持つわ。だから、ライブは予定通り行って欲しい。
お願い、秋内君……!」
そう言って、稲垣は深く頭を下げた。ここで俺に振るのか……と若干思ったが、周りを見る限り、どうやら皆、俺と同じ考えのようだった。
頭を下げる稲垣と、目を赤くしたままそれを見つめるつぐみに、俺はこう声をかけた。
「俺たち皆の思いを、歌に乗せて乃木坂さんに届けよう! その為にも、ライブは絶対成功させような……!」
「翔ちゃん……!
……分かった。 私、ライブに向けて頑張る! そこでのんちゃんを救ってみせる……!」
ごしごしと涙を拭いて、声高らかにそう宣言するつぐみを見て、俺たちは安堵した。
「……ありがとう。 お前のおかげで助かったよ」
隣でつぐみの方を見ていた稲垣に声をかける。稲垣の言葉は、つぐみだけでなく、俺たちの心にも強く響いた。こうして道を示してくれる存在が近くに居るのは、とても心強い。
「別に……私はただ、論理狩(ロンリー・ガール)で説き伏せただけよ」
あくまで呪いの力だと主張する稲垣。しかし、俺はさっきの稲垣の言葉に、呪いの力にも優る強い思いがあるように感じた。
「呪いなんて関係ないよ。 ……本当にありがとう、頼りにしてるぞ」
「なっ!?」
一瞬、ビックリしたような顔をして目を見開く稲垣。……俺、何か変な事言ったか?
「……お、おだてても何も出ないわよ。 それよりほら、ライブに向けて準備しないといけない事が山積みでしょう?」
そうだった。ライブの曲や衣装などを、今すぐにでも詰めていかなければならない。ライブ本番まであと3週間だ。
「……大丈夫」
しかし、俺はハッキリとそう言い切った。
つぐみや夏燐たちも、俺の方に目を向ける。曲の事が気になっていたのだろう。
「昨日、乃木坂さんが渡してくれた曲があるだろ? ……あの曲を使おうと思う」
それしか無いと思っていたし、そうしたいと思った。皆も同じ考えだったようで、俺の話にウンウンと頷き、肯定の意思を示してくれた。
「稲垣から、何日か前に歌詞は提出して貰ってる。 えと、『羽ばたけ、明日へ駆ける……』」
「読み上げなくていいからっ!!」
「コホン……とにかく、曲はこれで何とかなると思う。 後は、本番に向けてこれをどんどん形にしていくだけだ。
……この歌で、乃木坂さんの笑顔を取り戻そう!」
うんっ! と、つぐみに続いて全員が力強く頷いた。バラバラになりかけていた皆の絆が、より一層強くなった気がした。
後は、このままライブまでこぎ着けて、乃木坂さんの誤解を解くだけだ……!
それから、夏休みを返上しての猛レッスンが続いた。つぐみはソフト部と、稲垣は生徒会活動と、それぞれ何かと掛け持ちの状態での活動だった。
乃木坂さんの事もあるし、きっと二人とも辛いだろう。……それでも、二人は最後までやり続けてくれた。ステージに来てくれた人に、生徒に、そして乃木坂さんに、心からの笑顔を届ける為に。
二人のその思いに、俺たちも全力で応えなければならない。
そう意気込みながら、皆がそれぞれ着々と準備を進めていった。
━━━そして、俺たちはいよいよライブ当日を迎えた。
体育館に作られた特設ステージの前には、オープンキャンパスで足を運んだ中学生やその親御さんが大勢座っていた。ステージ上では、各部活動が、自らの部の紹介や宣伝をしている。
「うっわぁ……人めちゃくちゃ集まってるぞ! どうすんだよ翔登!」
「どうするも何も、ここまで来たらやるしか無いだろ。 ……てか、何でお前が緊張してるんだよ」
俺と江助は、舞台袖からギャラリーの様子を見ていた。江助にはああ言ったが、俺も内心緊張していて、無意識に膝が震えていた。
「で、つぐみ達はもう着替え終わったのか?」
「んー、もうそろそろ来ると思うけど……」
と、そこにタイミングよく夏燐が現れた。
「お待たせ、衣装あわせ終わったよ!
……つぐみ達、バッチリ可愛く変身したから、アンタら二人とも、本番前にときめいて失神しないように気をつけなよー?」
ニヤニヤしながらそう語りかけてくる夏燐に、いいからはよ呼べと促す。しかしながら、アイドル衣装に身を包んだ二人と対面する事に、俺は内心ちょっとドキドキしていた。
「よし! じゃあ二人ともー、入ってきなー!」
その声と同時に、つぐみと稲垣の二人がゆっくりと俺たちの前に姿を現した。
「じゃーん! どう、似合ってる?」
陽気なステップで現れたつぐみは、ピンクを基調とした、いかにもアイドルらしいフリフリの衣装を身に纏い、キラキラと煌めいていた。華やかな衣装で笑顔を見せる彼女は、まさに"アイドル"そのものだ。
「ほ、本当にこの格好でステージに出るの……?」
続いて現れた稲垣は、つぐみと対称的な青のデザインの衣装を纏っていた。可愛い服には慣れていないのか、彼女はしきりにスカートの裾を手で握りながら、恥ずかしそうに俯いていた。
赤と青。二人のアイドルを立たせた後、夏燐がニヤリと笑いながら改めて尋ねてきた。
「さぁ、翔登。 感想は?」
感想って……正直、いつもより丈の短いスカートがヒラヒラと危なっかしく揺れているのにしか目がいかない。み、みえ……
「……おい翔登。 これ、ちょっとしゃがんだら見えちまうんじゃねえの……?」
「だよな……。 ……なぁ、これちゃんと下に見せパンみたいなの履いてrグボァッ!!?」
脳天に鈍痛が走る。夏燐が渾身の力を込めて俺と江助にチョップをしたからだ。
「ったく……なんでアンタらはいつもこう下心全開なんだか……」
「もぉ~、翔ちゃんのすけべ! 変態っ!!」
「破廉恥ですっ! 私、やっぱり着替えてくるわ……!」
三人から大バッシングを喰らう俺たち。夏燐曰く、ちゃんと下にスパッツは履いているようだ。
江助と謝り倒し、なんとか三人に機嫌を直してもらうと、すぐさまステージに出る準備に取りかかった。
「……それで、観客の様子はどう?」
「そりゃもういっぱい入ってるぜ!
欅さん……だっけ? あの子とか最前列に居たし、それから……あの子も居たぞ? あの……オカルト研かなんかの……」
「……絵美里さんだろ?」
「そーそー絵美里さん! 端っこの方で見かけた!」
はしゃぐ子供みたいに話す江助。相当テンションが上がっているのだろう。
そんな中、つぐみが遠慮がちに問いかけた。
「……のんちゃんは、来てた?」
「あ……」
江助の言葉が途切れる。そう、このライブで最も歌を届けたい人物━━━乃木坂さんの姿がまだ見当たらないのだ。
「のんちゃん、いつも学校には来てるみたいなんだけど、声を掛けても逃げられちゃって……あれ以来ずっと話せてないんだ……」
「私が一度論理狩で説得したから、必ず見に来る筈なのだけれど、ね……」
目を伏せる二人。さっき見た時には居なかったが、もしかしたら何処かにひっそりと座っているかもしれない。藁にもすがる思いで、もう一度舞台袖から観客席を見回す。と……
「━━━居た……!」
見つけた。人違いなんかじゃない……!
体育館の入口。そのすぐ隣に、乃木坂さんの姿があった。彼女は、辺りをキョロキョロと見回し、行くか帰るか悩んでいる様子だった。
「……俺、ちょっと行ってくる!」
居ても立ってもいられず、すぐ駆け出そうとした俺を、つぐみ達が引き止めた。
「待って、もうライブ始まっちゃうよ……!」
「そうよ、本番なのに貴方が居なくてどうするの!」
二人の言い分ももっともだ。万が一の事もあるし、このタイミングで俺が舞台袖から離れるのはリスクが高い。でも……
(乃木坂さんを救うチャンスは今しかない……そのチャンスを確実にする為には、今動くしかないっ!)
ゆっくりと深呼吸をして心を落ち着かせてから、俺は振り返って言った。
「心配しなくて大丈夫だ。 今日の為に、何日も練習を重ねてきただろ? ……だから、二人にはその全てを此処で発揮して欲しい。
乃木坂さんの事は俺に任せて、二人はライブに集中するんだ。 いいな?」
重苦しい空気が漂う。皆が不安そうな表情を浮かべる中で、真っ先に、つぐみが笑顔で頷いた。
「分かった……のんちゃんの事、お願いね?」
「……あぁ!」
その言葉を聞いて、心配そうな顔をしていた稲垣たちも、コクリと頷いてくれた。今、俺たちWINGSは一つになった。
俺は皆に礼を言って、手の甲を前に出す。本番前の円陣だ。全員の手が重なり合ったのを確かめてから、俺は大きな声で叫んだ。
「……WINGSの初ライブ、絶対成功させるぞ!」
おぉー! と五人の声が響く。それと同時に、俺は舞台袖を飛び出した。
「━━━乃木坂さんっ!」
体育館の入口をウロウロしていた乃木坂さんに、走りながら声をかける。一瞬、ビクッと肩を震わせた彼女は、俺の姿を見るなり、逃げるようにその場から駆け出してしまった。
「待って……!」
必死で呼び掛けるが、彼女は一向に足を止めようとしない。そして、体育館から数十メートル離れた校門前で、やっと乃木坂さんに追いついた。
「乃木坂さん……お願いだ、つぐみ達のライブを見に戻って━━━」
「━━━離してっ!」
息を切らしながら、乃木坂さんの手を掴もうとするが、力強く振り解かれてしまう。振り返った彼女は、目にいっぱいの涙を浮かべていた。
「私は呪われてるから、皆の……つぐみちゃん達の近くに居たら、迷惑かけちゃう……もしかしたら、私が殺しちゃうかもしれない! だからっ……!」
悲痛な叫びが響く。彼女は、やはり呪いについて誤解したままだった。これじゃマズい……!
覚悟を決めた俺は、乃木坂の腕を無理矢理掴んで、そのまま体育館へと引っ張っていった。
「きゃっ!? ちょ、何するんですか!? 離して、よぉっ……!」
必死に抵抗する乃木坂さん。それでも、俺は彼女を離そうとはしなかった。彼女にこれ以上、こんな悲痛な顔をさせたくないからだ。
そうして、体育館の入口にまで戻ってきた。最初は抵抗していた乃木坂さんも、観念したのか大人しくなっていた。しかし、表情は悲しげなままだ。
「うぅ……えぐ……私、どうすれば良いのぉ……」
ついに泣き出してしまう乃木坂さん。そんな彼女の背中を優しく押しつつ、俺は扉を勢いよく開いた。
「━━━それでは聴いてください。 『夢への鼓動で飛び立とう!』」
照明が消え、穏やかなピアノの旋律だけが響く。
そして次の瞬間、つぐみと稲垣の立つステージが、眩いほどの光と音に包まれた。
「「羽ばたけ!♪ 明日へ駆けるheart beat!♪」」
「……っ!!」
乃木坂さんの目が大きく見開かれた。ステージ上の輝きが移ったように、彼女の瞳にキラキラと光が生まれていく。
「「ドキドキ!って、胸が高鳴~る~時~♪
それは『おいで!』って未来が呼ぶサ~イン~♪」」
「実は……つぐみも稲垣も、お前と同じ『聖唱姫の呪い』に脅かされてるんだ」
「えっ……!?」
「……それでも、二人は毎日練習を重ねて、こうしてステージに立ってる。 会場に来た人たちに、生徒みんなに……そして何より、乃木坂さんに笑顔を届ける為に……!」
「私に、笑顔を……」
乃木坂さんの目には、悲しみとは違う涙が溢れ、照明に反射して光を帯びていた。
「い~ま~、夢への鼓動~を
未来へのチケットに換~えて~♪」
「乃木坂さんが呪われてるのは事実だ。 卒業式の前日に死ぬかもしれないってのも、本当だ。
……でも! 未来はきっと変えられる! その為には、乃木坂さん自身が何かを変えようとしなきゃ駄目なんだっ!」
「っ……!」
そう。それはあの時、稲垣がつぐみにかけた言葉と同じ。
どんなに辛くても、苦しくても、そこから動き出さない限りは何も変わらない。だからこそ、前へ進む勇気を持たなければいけないんだ……!
「「ほ~ら~、迷ってなんかな~いで~♪
響くよ~、fortunateな愛の音色~♪」」
すぅーっと、乃木坂さんの頬を真っ直ぐに涙が伝う。ステージ上でキラキラと輝く二人のアイドルに勇気を貰いながら、俺は乃木坂さんの方に手を差しのべた。
「だから、俺たちにその手助けをさせて欲しい。 WINGSの作曲だけじゃなくて、一人のメンバーとして、一緒に呪いを乗り越えよう……!」
「「『不安』を『夢色』に塗り替えて、ほら~♪」」
「不安を、夢色に……」
時折歌詞を口に出し、じっとステージを見つめる乃木坂さん。やがて、何かを決意したかのようにキュッと唇を固く結んで、彼女は俺の方を見た。
「こんな私でも……vivaceにアイドルできますか……?」
「できる。 ……俺やつぐみ、皆がついてるから!」
「でも、もし人を殺しちゃったら……」
「そんなのはデタラメだ! 乃木坂さんは、絶対にそんな事しない」
「卒業式前日に死んじゃうのは……」
「そうならないように、これから方法を模索していけば良い」
いくつか言葉を重ねた後、彼女はふぅ……と深く息を吐いて、それから、不安を押し退ける精一杯の笑顔で、俺の手を取ってくれた。
「私……やってみます! つぐみちゃん達と一緒に、brillanteなアイドルを目指します!
私も、"不安"を"夢色"に塗り替えたいから……!」
「……ああ! 一緒に頑張ろうっ!」
それはまさに、乃木坂さんが羽ばたく決意をした瞬間だった。彼女の背中を押したのは他でもない、ステージで輝く二人のアイドル達だ!
「「羽ばたけ! 未来へのour beat~♪」」
会場に盛大な拍手が響く。俺と乃木坂さんも、つぐみと稲垣に向けてパチパチと大きな拍手を贈った。
ステージで最高のパフォーマンスを見せたWINGSに贈られた拍手。俺は、その拍手がまるで、一歩踏み出す勇気を出した新しい仲間━━━乃木坂さんにも贈られているように感じていた。
翌日。
WINGSのライブも大成功に終わり、乃木坂さんも新たなメンバーとして加わった。間違いなく、WINGSは成長の一途をたどっている。この調子で、もっとWINGSを活躍させなければ……!
朝のHR前、ふとそんな事を考えていると、ガラガラッと扉を開け、担任が入ってきた。
「えー、今日はこのクラスに新しく入ってきた転校生を紹介する。
……あー、入ってきていいぞー」
この時期に転校生?などと考えていると、開いた扉から、スタスタと小柄な子が教室へ入ってきた。
「大阪の高校から転校してきました。 よろしくどうぞ。 ……あ、名前は岳都 舞(がくと まい)でした。 以下よろしく」
不思議な雰囲気を纏う転校生の登場に、俺はただ唖然として口を開けていた。
END