WINGS&アイロミームproject(仮)
第四章 『魂と真実の演美歌』(前編)
第四章『魂と真実の演美歌』    聖歌学園高校の学校祭は、毎年11月に行われる。各クラスの展示や発表などは勿論、文化系の部活動なんかが活動の集大成としてその成果を披露したりもする。 ……つまり、俺たちWINGSにとって最大にして最高の舞台となるのが、この学校祭なのである。 「……てな訳で、学校祭でライブだ!」    生徒会室の二つ先にある、新しく割り当てられた『アイドル研究会』の部室。その中で、俺━━━秋内 翔登は、声高らかに学校祭でのライブ出場を宣言した。 「おぉ……ついに来たか! って感じだね!」 「前回のオープンスクールよりも、はるかに規模の大きいライブになるのは間違いないわね」   「ライブか~、なんだかフォルティッシモだね!」 俺の前に座るWINGSのメンバー、和田辺つぐみ、稲垣 詩葉、乃木坂 音色の三人も、やる気満々といった様子で学校祭に向けて意気込んでいた。オープンスクールのライブの勢いそのままに、今回も是非成功を収めたい。俺も頑張らなくては……!   「あ……その前にちょっと質問いい?」 と、奥の方の席に腰かけていた篠田 夏燐が手を挙げた。 「ライブ云々は良いとして……数十年前にあったっていうWINGSってさ、5人グループだったんだよね? 翔登はさ、それに合わせてあと2人呼びたいなー、みたいに考えてたりする訳?」 「あぁ、それなんだけど……   ……俺は、同じ『聖唱姫の呪い』にかかってる人をスカウトして、それでWINGSを5人グループにしたいな、って思ってるんだ」 「えっ……!?」 案の定、俺以外の全員がビックリした顔で目を見合わせていた。 「『聖唱姫の呪い』って、確か5つ種類があったよな? だとしたら、つぐみや稲垣、乃木坂の他に、あと2人呪いで苦しんでる人が居るって事だ。 その人たちが一緒にアイドルをやってくれるかどうかはともかく、協力すれば一緒に呪いを解く糸口を探すことはできると思う」 端的に言えば、"呪いにかかってる者同士で集まっておいた方が良いだろう"って事。安直な考えかもしれない。でも、もし呪いにかかっている誰かが一人で抱え込んで苦しんでいるのだとしたら、それを放ってはおけない。アイドル活動を通して、その人にも何かしらの希望を掴ませてあげたい。それが俺の考えだ。 「……『聖唱姫の呪い』について、まだ分かっていない事は多いし、どんな事がリスクに繋がるか分からないわ」    冷静に、厳しい目つきで意見を述べる稲垣。やっぱり甘い考えだったかな…… 「……でも」 と、言葉を続け稲垣は乃木坂の方に目配せをした。乃木坂は、示し合わせたかのように俺の方を向いて言った。 「翔登くんなら、きっと大丈夫! だって、そうやってもう三人も救ってるんだからね~」    乃木坂の言葉に続いて、つぐみや稲垣、夏燐、江助がウンウンと頷いた。口には出していなくても、皆が俺を信じてくれているという思いが伝わってきた。それだけでも、胸がいっぱいになりそうだった。 「皆……ありがとう! アイドル活動も呪いを解く方法についても、全力で立ち向かっていこう!」   「うんっ! 伝説を越えるアイドル目指して頑張ろー!」 伝説を越える、か……。簡単にはいかないかもしれないけど、でも今の皆なら、きっと伝説だって越えられる! やる気に満ち溢れているつぐみ達を見ていると、そんな風に思えた。   「で、でもさ……」 と、江助が遠慮がちに手を挙げる。   「呪いにかかってる人を探す、って言ったって、そんな簡単に見つかるのか?」 「……まぁ、すぐには無理だろうねぇ」 ため息混じりに夏燐が呟く。まぁ確かに、そんな簡単に呪いにかかった人が見つかる筈がない。少なくとも、学校祭のライブまでに5人が揃うなんて事はほぼ有り得ないと思う。呪いを検知する手立てもないし、きっと5人揃えるまでには根気が必要だろう。 「まぁ、新メンバーについては後々考えるとしてさ。 今は学校祭ライブに向けて、だよね」 「……そうだな。 よし、じゃあ文化祭ライブの曲について━━━」 ━━━ガラガラガラッ! と、突然部室の扉が開け放たれた。 驚いて、全員の視線が部室の入口の方へ向けられる。 そこに立っていたのは、小柄で無表情な、どこかで見覚えのある少女だった。 「あ、れ……お前は……」 「どーも。 アイドル研究会の部室ですよね? 入部希望で来ました。 あ、私は岳都 舞(がくと まい)です」 ……思い出した。この独特なテンポの話し方と、頑なすぎるほどの無表情。自己紹介の時に感じたあの不思議な感覚が、息を吹き返したかのように蘇っていく。 「貴方が責任者? ……よく見たら、貴方確か同じクラスだったような。 ともかく、入部希望で来ま……」 「ちょ、ちょっと一旦落ち着いて……!」   無理矢理話を進めようとする彼女をなんとか宥める。この子……見た目に反して結構強引な所あるんだな。 「えっと……翔ちゃんの知り合い?」 「……ああ。 ちょっと前に、ウチのクラスに転入してきた奴だ」 岳都 舞。小柄で中性的な見た目の彼女は、眉一つ動かさないほどの無表情で、抑揚のない口調のままズズズッと迫ってくる。彼女の手には入部希望届が握られており、綺麗な字で名前も書かれていた。 「落ち着いて下さい。 ……入部して一緒に活動したいというのなら、まずは自分の紹介や入部を希望する理由などをきちんと話すのが礼儀では?」 「なるほど、それは一理ある」   稲垣のフォローのおかげで、彼女はようやく俺の前から離れてくれた。彼女━━━岳都は近くの椅子にちょこんと腰掛け、俺たちと向かいあい、一礼する。 「エントリーNo.4、大阪から転校してきました。 岳都 舞です。 好きなバッタはショウリョウバッタです」 「な、何なのこの子……」   なんとも独特なキャラの彼女に、夏燐たちも思わず絶句する。 「アイドル研究会に入ろうと思った理由。 その一つ目は、WINGSというアイドルの噂を聞いたから。 その二つ目は、私の特技であるダンスを生かせると思ったから。 以上。 ……あ、じゃあせっかくなので、少しダンス披露します」   「は? ダンスって……ちょ、こんな狭い場所で!?」 マイペースすぎる岳都は、そのままヒョコッと立ち上がると、軽く机を移動させてスペースを作った。そして、「手拍子ぷりーずー」と、気の抜けるような声で手拍子を要求してきた。 とりあえず、言われるがままにパチパチと拍子をとる俺たち。そのリズムに合わせて、岳都はタンッタンッと軽快にステップを踏みはじめ━━━ 「…………マジか」 例えるなら、本場のストリートダンサーみたいな感じ。彼女は限られた空間を存分に生かしながら、ムーンウォークやサルサステップなどといった、多彩な技が入った即興のダンスを披露した。しかもその動きは洗練されていて、波のように滑らかだ。周りの皆も、彼女の華麗なダンスに目を奪われているようだった。 「……はい、終わり。 どうでした?」 「……凄い! 凄い凄い凄いよっ!! 舞ちゃん、だっけ? そんな凄いダンスどこで習ったの!?」 すっかり感動した様子のつぐみが、興奮状態で岳都の両肩をつかむ。身体をぐわんぐわんと揺らされながら、尚彼女は無表情で、 「大阪にいた時、ししょーに仕込まれた」 「師匠?」 「そ、ししょー。 中1の時に弟子入りした。 中3の時には、友達とユニット組んで地方大会に出たりもした」 「へぇ、ユニット組んでたのか」   「『舞華』ってユニット。 もう解散したけど」 それから、岳都は大会での実績や活動などを話した。ダンスの大会とかには詳しくないからよく分からないが、どうやら、彼女は所謂"天才肌"タイプらしい。丁度、振付担当のメンバーを探していたところだし、これは運命的かもしれないな…… 「……あ、そうそう。 入部希望理由その3を言い忘れてた」   「まだあったのか……」 あまりにもマイペースな彼女に翻弄されつつも、皆がその3つ目の理由とやらに耳を傾ける。 「……声がしたから」 「へ……?」 「天から声が聞こえた。 貴女はWINGSに入るべき、って。 だから私は……岳都 舞は、来るべくして此処にやって来た」   この時、ここにいる全員が同じ感情を抱いただろう。 なんか、スゲー奴が来たな……と。 彼女の満ち満ちた自信と、申し分ないダンスの才能は確かに凄い。前までならノータイムで入部を許可していたところだが、ついさっき『呪いにかかってる人たちをスカウトしていきたい』と宣言したばかりだ。岳都本人に対して、つぐみ達の呪いの影響が及ぶ可能性も否めないし、どうしたものか……。 「どうする翔ちゃん? 私は大歓迎だよっ!」 「責任者は貴方よ。 だから、判断は任せるわ」 「シンフォニーしますか~?」 最終判断は俺に託された。岳都がじーっと見つめる中、俺はこう告げた。     「……よし、分かった。 入部を認めよう。 今日から、岳都 舞はWINGSのメンバーだ!」 そう宣言すると、彼女は少しだけ表情を緩ませて、ホッとしたような顔をした。ポーカーフェイスで、どことなく無感情に見える彼女だったが、嬉しい時には素直に"嬉しい"というリアクションをとるらしい。   「やった~! 今日からよろしくね、がっくん!!」 「うむ、皆よろし……がっくん?」 と、岳都の数倍ぐらい喜びを露にするつぐみが、嬉しさのあまり岳都に抱きついていた。どうやら、この調子だと何とかやっていけそうだ。周りで見ていた稲垣たちも、微笑ましそうに岳都とつぐみを見つめていた。   「……さて、じゃあ岳都も加わったところで、本格的に学祭のステージに向けて準備していかなきゃね!」 パンパンと手を叩きながら、夏燐が皆をとりしきる。三人から四人になった事で、色々変更点とかも出るだろうし、そこは調整していかないとな……。 「うんっ! じゃあ皆で一緒に頑張ろー!」   おおーっ! と、皆が拳を高く突き上げた。いよいよ、学祭に向けて準備開始だ……!   ━━━翌日。 「……それで、岳都さんは初日から遅刻?」 足をパタパタさせながら、イライラした様子で稲垣が腕を組む。練習開始は17時半だと伝えた筈なのに、何故か岳都がまだ屋上に姿を見せない。連絡もないし、一体どうしたのだろう……? 「私、探してきましょうか~?」 「ああ、頼むよ━━━」 と、乃木坂が岳都を探しに行こうとしたその瞬間、扉がガタンッ! と勢いよく開き、件の岳都が姿を現した。 「遅いっ! 集合時間ぐらい守りなさい!」 「うぐ、ごめんなさい」   稲垣が鋭い眼光で叱責するが、まぁ遅れたといっても10分程度だし、きっと何か理由があるのだろう。 「ま、連絡については置いとくとして……何かあったの? 突然先生に呼び出されたとか」 稲垣の横から、夏燐が気を効かせて岳都に理由を尋ねてくれた。岳都は、フルフルと首を横に振ると、   「……天からの声に呼ばれた。 それを追ってたら、いつの間にか時間が過ぎてて」 「……へぇ、そうなんだ…………」 また"天からの声"かよ……これじゃフォローのしようが無い。さっきまで怒っていた稲垣も、呆れてため息をついていた。 「そんな事より、早く練習しよう。 はりーはりー」   「はぁ……本当に何なのよこの子は……」 「ま、まぁ落ち着いて……」 そんなこんなで、ようやく練習をスタートさせたつぐみ達。実は、稲垣と乃木坂の尽力によって、学祭で発表するための曲はもうほとんど完成している。後は、立ち位置や振り付けなんかを四人用に調整するだけなのだが……。 と、振り付けの確認を終えた岳都が、夏燐に声をかけた。 「あの……サビのとこ、四人全員が前に出るんじゃなくて、二人斜め後ろにズレた方がいい」 「へ? あー、確かにそっちの方がバランス良いかも……」 「あと、間奏の振り付けはもう少し動きのあるヤツに変えるべき。 例えば……」   そう言って、即興で振り付けにアレンジを加えて踊り出す岳都。休憩していたつぐみ達も、そのキレッキレのダンスに思わず目を奪われていた。 殊ダンスのパフォーマンスに関しては、最早岳都に誰も口出しできない。ユニット活動の経験も手伝ってか、彼女は誰よりも観客への"魅せ方"を理解していた。   「……っと。 こんな感じで如何?」 「お、おぉ……確かに今のの方が躍動感あるし、元の振り付けもちゃんと踏まえられてるし、良い感じじゃん!」 そう言って夏燐がこちらに目を向ける。俺も今の振り付けに異議なし、という事でOKのサインを出した。 それを見た岳都はコクリと小さく頷くと、   「うむ。 では早速変更した部分を重点的に練習しよう。 ステップは私が伝授する」 「……え、えぇ。 じゃあお願いするわ」 稲垣たちを引き連れてダンスを教え始める岳都を見ていた俺は、彼女が意外にも良いリーダーシップを発揮している事に感心していた。 アイツ……割と皆に馴染めてるな。この調子なら、きっと上手くやっていけそうだ……! そんな手応えを感じている間に、今日の練習が終わった。 初めは、焦りや不安でピリピリしないかと心配していたが、岳都の影響もあってか、終始和やかな雰囲気で練習は進んだ。彼女がムードメーカーとして機能してくれた、という事だろう。   「お疲れ様~。 今日はvivaceだったね~」 「うんうんっ! みんな調子良かったし、がっくんのお蔭だね! ……あ、良かったらさ、帰りに一緒にクレープ屋さん寄ってかない?」 と、岳都にお誘いをするつぐみ。しかし…… 「……ごめんなさい。 天からの声を探しにいかなきゃだから」   「え……?」 と、意味を尋ねる隙もないままに、「じゃ、そういう事で」と言い残してそそくさと去っていく岳都。取り残された俺たちは、終始ポカンとしていた。 「なんか……やっぱ不思議なヤツだよな」 「掴みどころがないっていうか、ね……」 「だな……」     ━━━それからというもの、岳都は練習が終わるとすぐに誰もいない校舎へと行方を眩ませた。理由はいつも『天からの声』だ。たまにならまだしも、ほぼ毎回ともなると、流石に気になる。 「うーん……付き合いが悪いって訳じゃないんだけど、何なんだろうねーアレ」 他の皆も夏燐と同意見のようで、ウンウンとしきりに頷いていた。アイツ、一体練習終わりに何をやっているんだろう……?   「気になりますか~?」 「うわっ!? な、なんだよ急に……」 「いえ、翔登くんも、岳都さんの行動気になってるのかな~、って」 うぐ、乃木坂に心を読まれた……というか、気にしてたのは事実だし、むしろそこは皆気になっている所だろう。 「ふむ……これはやっぱり調べるしか無いね!」   と、つぐみが突然声を上げて、ムッフッフ……と意味深な笑いをし始めた。まーた何か良からぬ事考えてるな……? 「調べるって……一体何をするつもりなの?」 「本人に聞いてみるとか~?」 二人が尋ねるが、つぐみは首を横に振る。そして、得意気な笑みで、 「私にいい考えがある……!」       「お疲れ様でしたー。 じゃ、ばいならー」 後日。ダンス練習が終わって、いつものようにそそくさと校舎に入っていく岳都。その様子を、こっそりと目配せしながら見ていた俺たちは、岳都がその場を後にした瞬間にササッと集まった。 「よし、ターゲットが動いた……作戦決行するよ!」   「本当に大丈夫……? 私と江助は用事あるから帰るけど、それでも四人だよ……?」 「大丈夫大丈夫! 気配消してこっそり追えば問題ないっ!」 「簡単に言うなよな……」 つぐみの提案した"良い考え"━━━それは、校舎に入っていく岳都を尾行するというものだった。なんて安直な……。まぁ、他に良い案があるかと言われれば、これしか思い浮かばないしな。稲垣も反対していたのだが、論理狩(ロンリー・ガール)による抵抗も空しく、彼女も尾行に同行する事になった。 「稲垣……もしかしてお前、つぐみのお願いに逆らえないとか?」 「黙りなさい。 別に私が負けた訳じゃないわ」 「あっそ……」   消極的な俺たち二人とは対称的に、つぐみと乃木坂はノリノリな様子だった。 「尾行か~、なんだか探偵になったみたいでgiocosoだね~!」 「チッチッチッ……これは任務なんだよのんちゃん! だから、アレだよ! えーっと……まえすとーそ?」 「おぉ、maestosoだね! がんばる……!」   何やら作戦会議らしき話し合いをする二人。……まぁ、二人が楽しそうなら、別に良いか。成り行きは彼女たちに任せる事にしよう。 「よし、じゃあ早速がっくんを追いかけるよ! 皆、私についてきて!」 つぐみのその一言で、いよいよ作戦開始となった。 「━━━見失っちゃった……」   「早速かよ!?」 薄暗くなり始めた校舎の一角で、つぐみを先頭にした俺たち尾行部隊は早々に迷子になっていた。作戦会議が長引いたのは、素直に反省点だな……。 「岳都さん、どこに居るのかな~?」 「翔ちゃん、どこか見当つく……?」 見当って言われてもなぁ。まぁ、とりあえずここは……。   「二年生の教室フロアに行ってみるか」 「教室かぁ~。 確かに、可能性あるかもね~」 よし、方針は定まった。そうと決まれば、早速隣の棟の教室フロアに……! 「あ……ちょっとストップ!」 と、つぐみが俺たちを呼び止めた。どうしたんた? と振り返ってみると、つぐみが苦笑いで自分の腰辺りを指さしている。 そこには、ブルブルと震えながらつぐみの腰にしがみついている稲垣の姿があった。 「稲垣……どうした?」 首を振るばかりで答えようとしない稲垣に代わって、つぐみが、 「うん……ガッキー、どうも暗いの苦手みたい……だから、ゆっくり行ってあげた方が良いかも」 俺と乃木坂は思わず目を見合わせた。   あの稲垣に……まさか、"暗い所が苦手"などという弱点があるなんて……。 意外すぎるその真実に、思わず言葉を失ってポカンとしてしまう。 「稲垣、お前……」 「……わ、笑いたければ笑いなさい! というか、もう私なんて放っておいて、貴方たちだけで探しに行けば良いでしょうっ……!」   涙目でそう訴える稲垣。頑なに尾行に反対しながらも、上手くつぐみを説得できなかった理由はこれか……。"暗いのが怖いから行きたくない!"なんて云えないもんな。 どうしたものか……と、つぐみと目を合わせて困っていたその時だった。乃木坂がゆっくりと稲垣の元に近づき、彼女の手を取ると、そのままそっと頭を撫で始めた。 「大丈夫。 怖くないよ~。 私もつぐみちゃんも、翔登くんも居るんだもん。 怖いことがあっても、皆が守ってあげる。 だから安心して、ね?」 優しく、穏やかな声だった。乃木坂の言葉は、まるでその場の全てに安らぎを与えるかのように温かく響いた。そして驚くことに、稲垣の震えすらも和らげてみせた。 「あ、れ……?」   身体を丸めていた稲垣が、すくっと立ち上がる。彼女の震えは止まり、怯えはすっかり消えたようだった。 「さっきまで凄く不安だったのに……少し、平気になってる……」 「ふふっ、元気になって良かった~。 これでa tempoだね~」 そうか、これが安断手(アンダンテ)の本来の力なのか……。 心拍数を操作する力を持つ安断手(アンダンテ)。それは、鼓動を早めてボルテージを上げるだけでなく、早くなりすぎた鼓動を落ち着かせて安らぎを与える力も持っているのだ。穏やかで優しい性格の彼女には、やはり後者の作用の方が似合う。 「……ごめんなさい、調査の足を引っ張ってしまって」   目を伏せて、弱々しい声で頭を下げる稲垣。しかし、そんな彼女を責める者など居るはずもなく、 「気にしない気にしない! ……むしろ、無理矢理連れてきちゃってゴメンね」 「自分のペースでいいんだよ~。 tempo rubato!」 「乃木坂の言う通り。 ……あんまり無理するなよ」   「皆……ありがとう」 稲垣に笑顔が戻る。一時はどうなる事かと思ったが、何とか持ち直してくれたようで良かった。 「よーし、ガッキーが怖がらなくて済むように、スピードアップで探そう!」 「え……ちょ、ちょっと和田辺さん!?」 稲垣の腕を引っ張りながら、猛ダッシュするつぐみ。乃木坂も、遅れまいと走ってついていく。元気だな…… 「おい、待てってー!」 俺も走って追いかける。途中ではぐれたりしたら厄介だし、ちゃんとついていかないと━━━ 「━━━━ムグッ!!?」 突然、視界が闇に包まれた。身動きがとれず、次第に意識が遠のいていき、俺は━━━         「━━━あれ、翔ちゃんは?」 階段を上がって、二年生の教室が並ぶフロアに辿り着いた時に、つぐみは、翔登がその場に居ない事に気がついた。閑散とした廊下で、つぐみ、詩葉、音色の三人の足音だけが響く。 「どこかではぐれちゃったのかなぁ~?」 「……どうせ、お手洗いか何かでしょう」   「んー……」 つぐみは困ってしまった。なるべく団体行動でいきたいが、彼を探しに戻るかと言われれば、そこまでしなくても……という気もする。第一、詩葉がそれを是としないだろう。 「ふぅ、仕方ない……翔ちゃーん! 私たち、先に行ってるからねぇーっ!」 伝言のつもりでそう叫んだ後、三人はそのまま駆け足で教室へと向かうのだった。                       三人がやって来たのは、つぐみが所属する2年1組の教室。 そこで、彼女たちは目にしてしまった。教室の中で、怪しい声を発しながら奇行に走る、一人の女子生徒の姿を……! 「うへへ……つぐみ先輩の座ってる椅子……うへへへ……」     「……ももっち? 何してんの……?」   「だっはぁ!?」   素っ頓狂な声を上げ、頬擦りしていたつぐみの席の椅子から離れる怪しい人物。つぐみ達は勿論、その人物の正体を知っていた。   「貴女確か……欅 桃子(けやき ももこ)さんよね? ……こんな場所で一体何をしているのかしら?」     ドスの効いた詩葉の声と、ドン引きしているつぐみの冷たい視線を一気に浴びて、彼女━━━欅 桃子は目を白黒させる。   「い、いや、あのですねっ! 私、ちょっと忘れ物をしたので取りに来たんですね! しかしですね! "あれ、今って学校誰も居ないんじゃね?"と思い立ってしまってですね! で、衝動にk」       「分かった、皆まで言うなももっち……」   こめかみを押さえながら、どんどん自爆していく桃子を止めるつぐみ。ふぅ……と一つため息をついた後、つぐみはニッコリと笑顔をつくり、   「……とりあえず、今回の件はかりりんに報告しとくねっ!」   「いやあああああ!! それだけはご勘弁をぉぉぉぉ!!!」     頭を振り乱す桃子。普段、夏燐からどんな処罰を受けているのだろう……と、詩葉は憐れみの目を向ける。まぁ、自業自得なのだが。 と、一人澄ました顔をしていた音色が、ふと桃子の方へ歩み寄り、   「実は私たち、岳都 舞さんっていう人を探してるんだけど……桃子ちゃん、ここに来る途中で誰か見かけたりしなかった~?」     冷静なのか、天然なのかよく分からなくなるタイミングで質問をされ、桃子は一瞬戸惑いつつも、   「へ……? そ、そういえば、来る途中廊下で誰かとすれ違ったような……」   うーん、と腕を組む桃子だったが、突如「というか……」と振り返り、   「……今、岳都 舞さんって言いませんでした? それって、『舞華』でダンスやってた、あの岳都 舞さんですか!?」   え……と、三人は顔を見合わせた。まさか、彼女の口から『舞華』というユニット名が出てくるとは思っていなかったからだ。   「ももっち、知ってるの!?」   「はい! 私、実はダンス好きで、大会とか昔よく見てたんで!」     曰く、岳都が属する『舞華』というユニットは、結成から僅か2年足らずで、中学生の全国ダンス大会の準々決勝に出場した程の実力派コンビだったらしい。   「ダンス界ではかなり有名な存在でしたよ~。 岳都さんと、相方の籠辻 華(かごつじ はな)さんとの息ピッタリな演技がもう最高で……!」     「相方……」   そういえば……とつぐみは思い出す。今までに岳都が、相方であるその籠辻さんについて語った事は一度もなかった。   (一緒にやってきた仲間の事なのに、どうして……)   つぐみの疑問を感じ取ってか、音色がポソリと呟く。   「でも、なんで二人は解散しちゃったのかな~?」     その言葉に、桃子はなぜか決まり悪そうな顔を浮かべた。   「あー……あれは解散というより、その……」   「二人に、何かあったの……?」   つぐみの問いかけに戸惑う桃子。やがて観念したのか、彼女は自分が知っている真実を、三人にゆっくりと話し始めた。   「実は、ですね……」       「━━━え……」   思わず、目を見開いて声を漏らす三人。闇に染まる教室に、そっと冷たい風が吹き抜けた。 つづく
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